世界書庫への道のり其ノ二
出発準備の2時間の間,鹿は月祈のところへ食料として何匹も何匹も動物を生け捕りにしては帰すという行動を繰り返していたらしい。
森を駆け回って駆け回って傷つけずに捕まえてきては持ってくか!とか…
『あ。おかえりなさいミナトさん。世界書庫までの学生さん,いらっしゃいましたよ。』
受付嬢はルカ達の奥に声を放つ。
その声を追いかけるようにルカとミナミが振り返れば視線の先に如何にも怪しそうな黒の外套ですっぽりと顔まで覆った背丈の高い人物が立っていた。
『…怪しさの定番じゃない…?』
『うん…怪しさの定番中の定番。牛が牛肉くらいの当たり前。』
『それはよく分からない。』
疑わしい目を黒い外套のミナトと呼ばれた人物に向けながらミナミとルカはボソボソと会話をする。ルカの方が僅かに身長が高いがほんの数センチで大差は無いためその場で立ったまま会話をしている。余程の観察眼を持っていない限り内容は分からないはず…だ。
『…ああ。』
『……変声魔法…?』
外套の下に本当に人がいるのかという静けさを1拍置いた後ポツリと男の声がする。が何よりその後の月祈の言葉でルカとミナミは身構える。
月祈はずっと振り返るのではなく興味なさげに横目で確認する程度だけだったように思えて耳はこちらにしっかりと傾けていたのだろう。一言だけで見抜いた。
『すまない。そう身構えないで欲しい。声を変えているのはコンプレックスがあるからなんだ。』
『…すみません。そうとは知らず踏み込んだこと。』
変声魔法は大概声を隠す為に用いられる為盲目の御仁に対する詐欺や上位の貴族間だけ持っている声による連絡での詐欺等で多用され警戒される要素の1つなのだが,一般的には声と言葉を誰にでも不快になることなく使って欲しいという古代の魔法士により創り出されたものだ。
最近では詐欺師を疑われるので使っている人を見る機会がなく初めて見たというのがルカとミナミの正直な感想だろう。
『いや。構わない。其れにしてもよく気づいた。どうやって見抜いたんだ。』
ミナトは黒の外套を外すことなく声を元に戻すことなく話しながら間合いの僅か外までルカ達に近づく。攻撃する気は無いと言いたいのだろう。一歩踏み込めば届きそうだがその一歩の間に周りの冒険者がすっ飛んでくるか従業員からここぞといわんばかりのナイフが飛んでくる。
物騒なものだが国営の学園の生徒が来るこの場所だ。何かあってからは遅いと戦闘要員がいるのも納得は出来よう。
月祈とミナト。この2人は声にあまり抑揚も感情も感じられず人形同士が喋っているのかと月祈と長く付き合っているルカもミナミも錯覚してしまいそうだ。
月祈は付き合っているうちに気心のしれない他人だと感情を読み取られないように感情に蓋をすることが大半だということに気がついた。ミナトは恐らく月祈と同じタイプなのだろう。だからか。
『…私は…クローンの才能を持っているのですが,私のクローンは本来上手く声を発せません。なので変声魔法を応用して使用し,言葉を発せるようにしています。その研究の段階で僅かですが変声魔法をかけた時の声の特徴を見分ける方法を見つけただけです。』
『…成程。…じゃあ君は,四季月祈…か。』
『…流石に国指定の案内人となると知っていますか。自己紹介をする気は無かったので助かります。ミナトさん。』
『ミナトでいい。』
月祈とミナトの睨み合いがルカとミナミ,鹿の横で繰り広げられる。実際に殴りあっている訳でもないのに発せられる声の感情のない冷たさで介入する気が引けてくるし身構える気も失せる。いやだともも無とも疑いとも取れない表情でルカとミナミはその1分程度の時間を過ごす。そんな2人を横目にすることも無く鹿は窓の外にちらりと通る蝶や砂を目で追いかけている。
たったそれぞれ2.3言が精々なのに何故か聞いている側がどっと疲れた。
『あのぉ…続けてよろしいでしょうか。』
『あ。はい。あの二人が聞いてなくても伝えておくので…』
『『聞いてます。』』
しびれを切らした訳では無いが仕事が詰まるからと効率を重視で受付嬢が見ているだけのルカとミナミに話しかける。
それにルカが答えればその内容に月祈とミナトが答える。聞いていないようで聞いているこの2人,言うタイミングも同じでそっくりすぎる。何だきょうだいか?そう疑うほどに。
『では。ミナトさんは冒険者として長い方で,実力も折紙付で案内人兼護衛役です。明日の午前中に世界書庫のある街への馬車を手配してありますので馬車待合の近くの宿屋でお休み下さい。』
『家帰っちゃダメなんですか?』
話の途中に疑問を抱きミナミが質問をする。
『ダメという訳では無いが,馬車待合はどの街も外れにあってな。旅となれば多少なり荷物があるから近くの宿屋に泊まるのが当たり前なんだ。』
『作戦会議とか,武器屋とか近くにあるところが多いんだよ。』
ミナミの質問に答えたのはミナトと月祈でルカもミナミも声を合わせて感心している。どこか揃うミナトと月祈だがよく揃っているのはルカとミナミも同じことらしい。
『その通りです。世界車庫のある街まで馬車で距離換算約3日から4日程です。長旅になりますのでお気をつけ下さい。
道中整備はある程度されてはいますが森があったり,山脈があったりするので1週間は見積もっておいてください。其れから森や山脈等所々洗脳者創造物の目撃情報があったところがあるので戦闘は覚悟しておいて下さい。
最後に,此方は国からの全員分の支給金と剣です。』
最後の一言に受付嬢は受付の奥から袋に入った金と剣を受付の上へ並べておく。
『『剣…』』
『剣…?』
『…何だ…武器が増えてよかったな…?』
国から金と剣が支給されるという訳の分からない状況に困惑の表情を浮かべるルカとミナミ,首を傾げる鹿と月祈。フォローを入れようと最早何を言っても無理だと察しながら言葉を選ぶミナトという気まずげな空気になる。
『わ…わぁ…これ…いい剣だ…』
『いい剣なんだぁ…』
支給された剣を試しに持ってみれば飾りにでもしろという訳ではなくしっかりとした実用的な剣であった。
其れも見る限り魔鉱石が練りこんであり,通常の冒険者であれば喉から手が出る程欲しくなる貴重でいい剣である。腕のいい鍛治師でもいるのだろうか。打ち方もいい。
『…貰っとこう…か…』
月祈は支給された自分の分の金と剣を受け取る。先程までの冷たい雰囲気など無かったように明るく振舞っている。
その彼女の様子はルカもミナミも僅かな恐怖を覚える。
『…どうかした…?2人とも…』
『『なんでもないなんでもない!』』
『…?そう?…鹿…』
『月祈が悪い。』
『え…!?』
その恐怖に少し固まっているルカとミナミに月祈は問いかけるがルカとミナミが馬鹿正直に怖いですなんて答えるわけなく2人が声を揃えて誤魔化せば月祈は首を傾げ,鹿に答えを求めるが鹿も何かと察する力はあるのでこちらも曖昧に返す。
『ふふ…仲がよろしいんですね。では,残りのことはミナトさんに聞いてください。…あ。そうそう。皆さんに王様から旅のお供にと。』
受付に小型の黒い四角の端末が5台置かれる。
『鹿の分もか?というか食いもんか?これ』
『食べ物じゃないからかもうとしないで鹿。…えーっと…確か…とある貴族から発端した携帯できる連絡ツール…だったっけ?』
『はい。その通りです。それと地図の機能を備えた最新のものになります。大量生産の試作品らしいので近距離でしか連絡ツールは使えませんし,地図もだいぶ小さい範囲なのでお気をつけ下さい。
其れから,ミナトさん。固有才能の使用は物凄く出来るだけ使用しないでください。あと,息の根止めちゃダメですよ。』
淡々と組まれる説明は彼女たち学生にとって訳の分からないものだった。貴族でなければ、いや。貴族であっても連絡ツールは目にする機会の無いもの。それが目の前にあり,最新型で,挙句地図まで着いているという。
事実を呑み込めず端末を持ち上げて手の上で観察しながら話を聞いていれば受付嬢の声の先がミナトひとりに絞られる。
『…ああ。善処しよう。』
『善処…まぁいいです。よろしくお願いしますね。なにか御質問などございますか?』
『ここで配給ってことは…リカくん…来て…無いかな…』
ミナトと受付嬢の一言かわすだけの会話の後,受付嬢の言葉は5人全員に向けられる。その言葉にルカとミナミが薄く考えていたら月祈が希望的観測でも呟くように言う。
『…お聞きになられていないのですか?…ここだけの話リカ様だけ,世界書庫と反対の方のギルドでの配給になっているんですよ。』
近くにいるルカとミナミ,ミナトさえ聞き取るのにやっとだった月祈の声を受付の向こう側にいた受付嬢はしっかりのキャッチして受付から身を乗り出しルカに耳打ちをする。
『え…』
『なんでも,リカ様にだけ伝えられているらしくて…理由は私共も何も…』
受付嬢の言葉にルカは呆気にとられる。きっと次につむがれた言葉はルカの耳から入り脳の処理を待たずに通過したことだろう。
『…水を差すようだが其のリカという…』
『男だ。』
『すまない。リカという坊はそんなに守ってやらなければならない男なのか?』
鹿の声が少し混じったミナトの言葉にルカはストレートでも入れられた気分だった。守ってやらなければいけないほど自分の弟が弱いとは思っていないし,でも中等生であることには変わりなく,大切な家族だという認識も一切変わらない。
だからかずっと守らなきゃ,見ていなきゃ死んでしまうと思っていた。そうして無意識に感じていたものを現実として目の前に突き出された。リカは,守らなければいけないほどの男なのだろうか。
『そ…れは…』
『…守らなければならないのなら…追いかけるべきだと思って聞いたのだが…苦しめているな…』
受付嬢が途端に詰まった空気を感じて心配そうにルカたちの様子を伺う。
『いや。大丈夫。あいつなら平気だよ。ありがとう。ミナトさん,うちの馬鹿は守ってやらなきゃ行けないくらい弱いなんてこと天地がひっくり返ってもないから。旅をしてれば強くなってく様な私には無い才能持ってるからさ。』
『良い姉だな。』
『そうかな。私はずっと,弟の背中追ってるようなもんだから。』
ミナトの言葉にぶつかられ,ルカは覚悟を決めれば突っかかっていたものが全部抜け落ちる。
大丈夫だと口に出せば不安なんてなかったようにスッキリしていて自分の方が心配になってくる程。悔しいけどリカには才能があって,信念もあって,人を魅了するほどの強さがある。
まだ中等部だとは思えないくらいだ。
『話も纏まった様ですし!此方,宿屋までの地図です。ご武運を。』
ギルドを出て,宿屋に向かって歩く一行。吹っ切れて軽くなった足取りのルカがキョロキョロとする鹿と共に先陣を切っている。ルカが時々方向音痴になる為月祈が空気を読んで鹿をルカの隣に行かせたようだが意識散漫で月祈は気が気でない様子だ。
『なぁんか始まったって感じあんましないね。』
『改めて,ミナト。潤 湊だ。』
『ミナミです!ミナミ・アイラット!ミナミちゃんって呼んでね!』
『わかった。ミナミちゃん。』
その月祈のこともルカのことも気にすることなくミナミは湊と呑気に自己紹介をしている。
『無理して呼ばなくていいんですよ。あ。ルカです。ルカ・アインツィヒです。好きに呼んでください。』
『アインツィヒ…リオのとこの…』
『知ってるんですね。当たり前か。…あれ?でもリオって…』
ミナミと湊の会話に混じるルカ。自己紹介をついでにするもののひとつ引っかかる。
アインツィヒを含め英雄は基本呼び捨てにされることは無い。呼び捨てで下手をすれば首が吹っ飛ぶことも有り得る。王が君臨しているこの国だ。何があるか分からない。
呼び捨てをして許されるのは英雄である本人達から許された時くらいだ。そうなると
『昔,会ったことがあるんだ。十年一昔という言葉があるのなら十昔くらいだな。』
『100年って…人間の軽い一生分…じゃないですか…やっばり人間って少ないですね…』
『人間は脆いからな。』
『月祈もサクッと死なないでよー!』
『鹿もそれは嫌だ。』
湊が軽く人間の一生分を扱うので呆れたように月祈が呟けば言葉の端に出た月祈の人間の部分にミナミが絡んでくる。
『あはは…善処はする…』
そんなミナミと鹿に苦笑しながら答えはするが保証出来ないのは誰だって知っている。鹿は月祈が死んでも残っているし,不老。ミナミはハイエルフで寿命が長い。
ルカの視点から見ても,月祈は囲いたいもの。死んで欲しくないものだろう。口に出さないだけであるが。
『成程。国からの指定の学生だと聞いていたが流石に有名人ばかりだな。』
『そうなんですか?って、着きましたね。』
湊の言葉に疑問を投げたかったがそれより先に宿屋に着いてしまった。続きはまた今度ということになりそうだ。
鹿は湊を気に入ったらしい。理由は月祈に似ているから…らしいが月祈曰く訳が分からないそう。
宿屋でもギルドでも嫌がらずに角を縮めているし,出来る限りで大人しくしているし。此方も曰く訳が分からないそう。