【5】倒す予定はなかったものの
空がどこまでも晴れ渡ったその日、プルメリアは上機嫌で東の森の中を歩いていた。
その手にあるのは、東の森の地図だ。
昨日最低限の薬草を手元に残してすべて売り、プルメリアは自らのブーツと服を新調したうえでこの地図を手に入れた。
「ちゃんと送金もできたし、しばらく宿代いらないならこのくらいの贅沢は許されるよね」
地図は少し値が張ったが、プルメリアにとって採集活動には絶対必要なものである。
歩いた場所に書きこみを入れつつ、メモと合わせてどのような条件でどのような薬草があるのかは覚えておきたい事柄だ。薬草が好む条件はだいたいわかるが、場所によっては多少差が出てくるものである。
採集場所として東の森を選んだのは、シオンからの勧めを受けてだった。
シオン自身は薬草に詳しくないそうだが、わざわざプルメリアのために知り合いに尋ねてくれたらしい。
森は比較的背の低い木が多く、わずかに心地よい風が吹いていた。そして木の上を走る小動物を見つけたプルメリアは小さく笑った。平和だ。
この森の入り口に小さな村があり、数は少ないが安価で王都までの辻馬車が出ている。だからもしも大量の採集ができたとしても、帰りに苦労するということはないはずだ。
「さて、はじめますか」
先に城の書庫で調べてきた情報によると、この森の薬草はプルメリアの故郷では珍しいものだったものが多いらしい。ただし王都付近では珍しくもない薬草であるとはいえ、多くは安定した価格で取引されているという。
「地図代もすぐに取り戻せそうだし――って、あ」
そう考えているそばから、プルメリアは目的の薬草を二つ発見した。
「ツェーネ草にハニーロック!」
ツェーネ草は解熱剤に使われる薬草で、高価とはいえないが一定の価格が維持されている。ハニーロックは蜂蜜のような甘さが感じられる実を付ける薬草だが、まとまった量がなければなかなか売れにくい。しかしプルメリアのように旅をしている者にとっては重要な甘味の調味料だ。
「お昼にパンもってきてたけど、これと一緒に食べようかな」
幸先のよい出だしになったとプルメリアはにんまり笑った。
二つの薬草の側には小さな花も揺れているが、今のプルメリアには薬草が輝きすぎて、その花が何であるのかもあまり認識できなかった。
花より団子、花より実利。そうからかわれたこともあったが、プルメリアとて否定する気もない。
しかしこの調子であれば他にも色々と見つけられそうだ、とプルメリアが思った時、遠くから地響きのような音が聞こえてきた。
「地震――では、ない?」
しかしバサバサと鳥が飛び立つ音や草木がなぎ倒される音は尋常ではない。
まさか魔物が――? そうプルメリアは身構えた。
そしてやがて目に飛び込んできたのは、ゆうにプルメリアの二倍の背丈はあるだろう巨大なイノシシだった。
やたら鋭く大きな牙は通常のイノシシよりもかなり凶暴そうに見える。そのイノシシはプルメリアの側を通りすぎかけたが、ゆっくりとその場に止まり、プルメリアのほうにじりじりと身体の方向を変えた。
イノシシを正面から見た迫力は横から見た時よりも遥かに威圧感を持っていた。
プルメリアは頬をひきつらせた。
「いのしし……って、イノシシにしては大きすぎるでしょう!?」
なんでこんなところにこんな大きなイノシシが!!
心の中で盛大に叫ぶも、実際に口に出す余裕などなかった。思いきり突進してきたイノシシを避ける為にプルメリアは地を蹴り一度横に大きく逃げる。
しかし、逃げるわけにはいかなかった。
「ここには大事な薬草がたくさんあるかもしれないのに……踏み潰されてたまるものですか!!」
これが邪竜相手なら、プルメリアも白馬の王子様を期待したかもしれない。
しかし、相手はイノシシ。
「例えこの森のヌシだったっていっても、絵面が素敵にならないじゃない……!!」
そういいながら、再度プルメリアに向かって突進してきたオオイノシシにプルメリアは正面から立ち向かった。そして再び大地を蹴り、正面からイノシシに向かって拳を突き出した。
その直後、辺りに土埃が舞い散った。
そして一拍おいてイノシシは大地に倒れ込み、その音は周囲に轟いた。
イノシシを倒したプルメリアは軽く手頸を振り、その感触を確かめた。どうやら手に異常はないようだ。プルメリアの手はかすり傷ひとつ負っていなかった。
「……さて、これからどうしようかな」
仮にイノシシが魔物であれば、この間の邪竜と同じように魔石だけ残し消え去ったことだろう。しかしそうはならなかったことから、おそらくこのイノシシは魔物ではなかったということだ。
「食べるにしても、さばき方がわからないしな……」
しかし、そう呟いてはっと気が付いた。
「何やってるの、私……! たとえ絵面が悪いにしたって、素手で倒すって……お姫様役希望者が聞いてあきれるわッ……!!」
いや、薬草へ与えられるかもしれない被害を考えれば仕方のない選択だった。
しかし、プルメリアは落ち込んだ。また一歩、お姫様の立場から遠ざかってしまったのだ。これで『うっかり』と言っていれば、いつか訪れるかもしれない機会も逃してしまうかもしれない。こんなことではもしも白馬の王子さまが現れたところで、引かれてしまってお終いであるような気がしている。
「いや、お姫様どころか一般村娘でもやらないわよこんなこと……」
求む、女子力。
そんな言葉が頭の中に浮かんだが、どちらにしろ今回は諦めるしかないだろう。
「で、でも……今回に限ってはもう終わっちゃったし……」
次から気を付けよう。幸いにも、誰にもこの状況は見られていない。
しかし、この場から誰にも気づかれないまま去ってしまうことは不可能だった。
プルメリアが悩んでいる間に、人の声が近づいてきていた。
プルメリアのもとにやってきたのは、中年の男性たちだった。それぞれ、何らかの武器になりそうなものを手にしている。
彼らは一様にプルメリアを見て目を見開いていた。
「あ、あなたさまがこのオオイノシシを倒してくださったのですか!?」
プルメリアはその言葉を聞いて、顔をひきつらせた。
しかし村人たちは尋ねているにもかかわらず、それは既に断定しいているような言い方だった。誤魔化し方も逃げ場もない――そう、プルメリアは気づかずにはいられなかった。