【2】ひとつの花を探していたから
ただの一般旅人のプルメリアにとって、城に入るのは初めてのことだ。
しかもそれが国王の住まう城というのだから、喉から心臓が飛び出てくるほど緊張していた。
「そんなに緊張なさらないでください。あなたは、王子の恩人なのですから」
「……あの、念のための確認なのですが、私、王子様を誘拐したという容疑なんて、かかっていないですよね?」
先程聞きそびれてしまったことをプルメリアは念のために確認した。おそらく青年の対応からは疑われていないとは思っている。けれどもしもそれが気のせいであるのなら、可能な限り早い段階で申し開きを行っておきたい。
しかしその問いには青年ではなく、ルドベキアが呆れた声を出した。
「誘拐するような奴が俺の逃走を抑えたりしないだろ。シオンはちゃんとそれを見てるから安心しなよ」
「そ、そうですよね」
どうやら、この青年はシオンというらしい。
ルドベキアの答えに安堵しつつもシオンを見れば、シオンは口元を手で押さえて笑っていた。
「あ、の……?」
「失礼。先ほども思いましたが、ずいぶん面白いことを仰いますね。なりませんよ、そんなこと」
「いえ、その……笑いを提供できたのなら、光栄です」
いたたまれなくなりながらもそんな言葉を口にすれば、今度はルドベキアまで笑っていた。
「ちょっと、ルドベキア様!」
「だってプルメリア、お前絶対変だもん!」
「失礼ですよ!」
「ていうか、やめろよ。さっきまでプルメリアは普通に喋ってたのに、なんで急に言葉を変えるんだよ」
「そりゃ変えますよ!」
ルドベキアは敬語に拘らないのかもしれないが、友人のような気安さで喋るとなると、プルメリアが周囲の人にどう思われるか……一般人にとっては肝が冷えることである。
もしもこれが『言葉を戻せ』という命令であればプルメリアも従わざるを得ないのだが、『お願い』の範疇であるなら勘弁して欲しい――そうプルメリアが願っていると、ルドベキアはため息をついた。
「つまんないなぁ。シオンも何か言ってやってくれよ」
「無茶を言わない。急に登城していただくことになって、それだけでもすごく迷惑をかけているんだ。ルドベキアもそれくらい我慢をするべきだということ、わかるよな?」
(この人、心情察してくれてる……!)
ルドベキアに言い聞かせるシオンに、プルメリアは感激した。
そして街中だけでなく、この場でも言葉遣いを変えない様子のシオンは、王子相手にいつもこのように話しているらしい。
(やっぱり、シオンさんもえらい立場の人ね)
ただの軍人であれば、そのような態度はとらないだろうとプルメリアが不思議に思っていると、シオンも思い出したようにゆるりと笑った。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はシオン。ルドベキアの従兄で、この国の騎士です。もっとも、ルドベキアが脱走するたびに騎士ではなく捕獲業をおこなっているのですが」
冗談交じりに言うシオンの言葉にプルメリアは勢いよく頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます。私は薬師のプルメリアです。薬草や薬を売りながら旅をしています」
「プルメリアさんですか。可愛らしいお名前ですね」
そんな言葉にプルメリアは顔を赤くしたのだが、そんなことを見ていないルドベキアは呆れた様子だった。
「シオンも似非敬語が似合わなさすぎる。っていうか、気持ち悪い」
「きも……って、お前な」
「大体シオンが悪いんだ。お前がプルメリアに敬語なんて使うから、プルメリアもそれにつられるんだろ。さっきまで普通に喋っていたのに」
口をとがらせるルドベキアは、シオンのせいだと言わんばかりの態度で睨みつけていた。
実際にはプルメリアの敬語の原因なんて、ルドベキアが王子だと知ったからという以外のなにものでもないのだが……シオンも浮け流している様子だったので、プルメリアもあえて口を挟むことはしなかった。
「それよりルドベキアはひとまず着替えて来い。陛下がお待ちになってるからな」
「げ」
「げ、じゃないだろ。早くいってこいよ」
「わかったって」
どうやら王子の脱走の顛末は国王まで報告が必要なようである。
そしてそこまでの大事をしでかす王子様は、将来大物になるのだろうなとプルメリアは心の中で苦笑した。実に頼もしい限りであるが、国王陛下も親として心配が尽きないだろう。
「さて、謁見までの間にあなたはこちらへ来てください」
その言葉に頷いたプルメリアは、シオンに静かに続いて歩いた。
そして辿り着いたのは休憩室のような部屋だった。
「どうぞ、そこのソファーにお掛けください」
「失礼します」
促されてプルメリアがソファーに座ると、シオンは近くの戸棚から一つの箱を取り出していた。何をしているのかはプルメリアにはよくわからなかったが、それを尋ねるよりも先に、一つ確認しておかねばならないことがある。
「あの、もしかして私も陛下の謁見に、ご一緒したり……しませんよね? 私、陛下の御前に出られるような格好じゃないから、心配で……」
「お会いになっていただきますよ。服装のことはお気になさらないでください、旅人さんらしくて可愛らしいですよ。それより、一応、消毒しておきましょう」
そうして鼻の頭を指さされて躓いたことを思い出し、プルメリアは赤面した。
城に来た緊張で軽く忘れてしまっていたが、思い出せばすこしひりひりとした痛みを覚えるような気もする。しかしやはりそれだけで、治療が必要だとも思えなかった。
「あの、本当に大したことがないので放っておいたら治ります」
「しかし、傷跡が残っても大変でしょう」
「いえ、このくらいの痛みなら小さい頃から慣れてますし! それに、騎士様みたいな偉い方にお手間をお掛けするのもはばかられますし……!」
しかも、王子の従兄に消毒をさせたなど、恐れ多すぎることだ。
そして自分が派手にこけたところは忘れてほしいのに、治療など受けていれば、少なくともその分忘れにくくなってしまう恐れもある。
だが、シオンは苦笑するだけだった。
「偉くなんてないですよ。少なくとも私の治療技術はあまり上手いとはいえません」
「それは関係ないような……って、つ」
プルメリアが話をしている最中に、消毒液を含ませた布が鼻に当てられた。
治療技術云々ではなく、その容赦のなさこそ一番の痛みの原因ではないかと思ってしまった。
「ちょっとしみますよ」
そう言われても、もうしみている。
しかし子供のように泣き言をいうわけにもいかず、プルメリアはじっと耐えた。
「あとは……かすり傷だから、この薬でしたっけ」
「傷薬は自分で塗れますから」
「でも、見えないでしょう?」
「大丈夫です、鏡もありますから……!」
これ以上、子供のように治療されるのは恥ずかしい!
その決意からプルメリアが力強く申し出ると、シオンは小さく笑っていた。
「失礼しました。薬に関しては本職でいらっしゃいましたね。うっかり失念しておりました」
そういう意味ではないのだが、プルメリアは笑って軽く流すことにした。
薬を塗るのはすぐに終わり、救急箱もシオンの手によって元の位置に戻された。
すると、次に訪れたのは沈黙だった。
(き、気まずい)
プルメリアが男性と二人きりで話をする機会など、取引以外ときょうだい相手以外では滅多にないことであった。
そしてあれだけ日々『王子様と出会いたい~!!』などと考えていたのに、実際に異性と二人きりになるとどう話題を切りだしていいのかわからなくもなっていた。茹だった頭では、物語のお姫様が王子様と何を話していたかすら思い出せない。
そもそも相手が男性ではなく女性でも、名前しか知らない相手と二人きりの空間で、しかもそれが自分と違う生活水準に生きていると思えば話題の選択にも迷いが生じる。
だが、その沈黙を先に打ち破ったのはシオンだった。
「ルドベキアを助けてくださり、本当にありがとうございました。私も、気にかけていたのですが……うまく逃げられてしまいました。まだまだですね」
「いえ、本当に偶然です。でも、私が通りかかってよかったと思います」
「……なんだか、ルドベキアがすぐにあなたに懐いた理由が分かった気がします」
「え?」
「あの子がすぐに人になつくのは、本当に珍しいのです。私でさえ、警戒されて遠ざけられた時期がありましたから」
そう苦笑するシオンに、プルメリアは首を傾げた。
ルドベキアはシオンに充分懐いている様子だが、それでも警戒している時期があったというのなら、気難しい一面もあるのかもしれない。もしくは、照れ屋なだけなのかもしれないが。
「まあ、王子様だったら知らない人についていかないように、疑い深いほうがいいのかもしれませんね」
「そうですね、でも、よかった」
「ええ、王子様が邪竜に食べられていたなんて、冗談でも恐ろしいですよね」
「そうではありません。いえ、それももちろんですが、あなたにも怪我がなくてよかった、と」
その、顔を見てプルメリアは思った。
それはまるで、おとぎ話の王子様が見せるような、柔らかな笑みだった。
「いえ、そんな、とんでもな……!」
途切れる言葉を必死に紡ごうとしながら、プルメリアは声を裏がえすと同時に首を横に振った。
そしてその時、部屋のドアが開いた。
「プルメリア、いるか? あ、いた」
「ルドベキア、お前はそろそろノックを覚えるべきだろう」
「げ、まだいるのかよ、シオン」
「げ、ってなんだ。げって」
二人は従兄弟だとは言っていたが、従兄弟というよりは兄弟のようだとプルメリアは感じた。しかし、それを見ていればプルメリアにも少し思うことがあった。
「……ところでシオン様、どうか私には敬語はよしてくださいませんか?」
「何か、お気に障りましたか?」
「いえ、そのようなことはありません。ただ、ルドベキア様にそのように仰っていらっしゃるのに、一般人の私に向かって丁寧にお話しいただくのはどうかと思いまして……」
「しかし、あなたは客人です」
プルメリアの言葉に、シオンは少し困った表情を見せた。
たしかにシオンがプルメリアに対しルドベキアに話すように声をかけるとなれば、多少フランク過ぎるきがする。
ただ、プルメリアが言っていることも妙だというわけではないからこそ、困っているのだろう。
そんな様子を見ていたルドベキアが口の端を上げた。
「プルメリア、いい方法を教えてあげようか?」
「なんですか?」
「シオンが敬語を使ったら、返事をするのをやめるんだ。俺はその手を使った」
なるほど、シオンの言葉にはそういう理由もあったのか。
だが、ルドベキアがそう言ったからにせよ、今の状態が良好であるなら素晴らしいことだろう――と思う反面、子供と同じ手を使っていいのかとプルメリアは葛藤する。
しかし先にシオンが白旗を上げた。
「わかった。わかった。これでいいだろう。客人を不快にさせれば本末転倒だ」
「ありがとうございます」
プルメリアの言葉に、シオンは苦笑していた。
「そろそろ謁見の時間だな。だが、陛下のところに行く前にひとつ、ルドべキアに聞いておきたいんだが」
「ん?」
「なんでお前はあそこにいたんだ」
シオンの目は据わっていた。
ルドベキアはそのまま目を反らしたが、ぼそぼそと言葉を紡いだ。
「ビオラが、虹色草がみたいって言ってたんだよ。満月の夜にその花にお願いすれば、願い事が叶うから欲しいとかなんとか聞いたって……。今日、満月だし」
「ビオラが?」
「あの、ビオラさんとは?」
「病気がちの俺の妹だ」
眉根を寄せながらルドベキアは小さく応えた。
「虹色草はハルヴの樹の下にしか咲かないし、この時期はないって、皆が言うし……だから、俺が見に行ったんだ」
「しかし虹色草なんて……あれは高級な薬草でもあるだろ。朝一番に摘んですぐにすり潰さないと効果は得られない草だ。保存もされているにしても既にペースト状態で、花の形状は保っていない」
「だから探しに行ったんだ。そんな、粉々のやつでもいいかって聞けないだろ、兄としては」
しかしその結果が邪竜との遭遇だ。
ふてくされながら言っているのは、その辺りの反省もあるからだろう。
だが、そんな様子をみていたプルメリアは少し悩んだ。
妹のために頑張る兄。それは、とても微笑ましい光景だ。
だが、虹色草なんてこの時期咲いているものではないことは薬師であるプルメリアにもはっきりわかる。だから、生花を手に入れるのは不可能だ。
しかし――。
「押し花でよかったら持っていますよ」
「え」
「ちょっと待っていてくださいね」
プルメリアは自分の荷物の中から一冊の本をとりだし、そしてそのほぼ真ん中で薄紙に包まれていたそれを取り出した。
「すり潰したものよりは、たぶん、花のイメージに近いでしょう?」
少し古いし押しつぶされてはいるそれは薬の効力としては意味がないものになってしまっているのだが、虹色草の特性上色はあまり褪せていない。
ルドベキアの目は、それを見て輝いた。
「ただ、一応、これ、お姉さんの大事なしおりだから、ちょっとただで譲るのはあれなんですが」
「お金か!?」
「いえ、そうじゃないです! いくら王子様とはいえ、ルドベキア様はまだ子供です。私は子供からたくさんのお金をとったりはできません。ですから、ひとつ、代わりにお約束をしてほしいのです」
「約束?」
「はい。ルドベキア様、いくら妹姫様のためだとはいえ、勝手に森に行かないとお約束してくれたら、お譲りしますよ」
「う……わ、わかった! だから、それ、譲ってくれ!」
「はい、いいお返事でした」
そう言いながらプルメリアはルドベキアに手渡した。
「シオン、俺、すぐ戻ってくる! これ、ビオラに渡してくる!」
「わかった、でも、走るなよ」
「走らず急ぐ!」
そうして出ていったルドベキアに、プルメリアは肩をすくめた。
大事にしていたものだが、きっとあの花も人の役に立てる方がうれしいだろう。
「よかったのか? 薬の価値としても高いのに、わざわざ押し花にしていたというのは、相当大事なものだったんじゃないのか?」
「ええ。でも、きっとお役に立てると思いますから」
それに、もうあげたものなのだ。
いまさら『やっぱりやめた』なんてプルメリアに言えたことではない。
そう苦笑したプルメリアに、シオンは跪いた。
「この度、ルドベキア、そしてビオラに貴重な花をお譲りいただきましたこと、私からも御礼申し上げます。虹色草が咲く季節になったら、私が必ず新しいもの摘み、あなたのもとへと届けさせていただきます」
先程の約束から外れ、最上位の形式に則った挨拶を行うシオンにプルメリアは驚いた。
「本当にそんなに気にしないでくださいってば! たまたま、持っていたものですし」
「それでも、約束するよ。旅に出るなら、また、行き先を教えてくれ。ちゃんと届ける。それに『皆さん』じゃなくて俺が探すから気にしないで」
「え、でも」
「だって、『皆さん』が見つけたら薬にするだろう? そういう、貴重な草だってことはわかってる」
「あ、ありがとうございます」
力強く言われれば、プルメリアは断ることはできなかった。
王子の従兄が王族なのかどうか、プルメリアにはよくわかっていない。しかし立場ある人間なら、なかなか自分で探すなど時間はないとは思う。
ただ、それでもシオンの言葉からは本当に花が届いてしまうような気がしていた。
(また顔が熱くなってきてるし……! 落ち着け私、落ち着け!)
そう願うプルメリアとは対照的に落ち着いた様子のシオンは、しかし少し難しい表情を浮かべていた。
「ただ、できれば『森に行くとき』ではなく、『城から出るとき』って約束にしてほしかったな」
「え?」
「ルドベキアへの、譲る条件。約束は守るけど、あの調子じゃまだまだ抜け出す気満々だ」
それを言われてしまえば、プルメリアは困りながらも笑って見せるしかできなかった。
なにせ、そうは言いつつも、シオンの表情は『まったく手のかかる弟だ』と、そのお忍びを容認しているようであったのだから――。