【13】いたずらさんの正体
「な……!?」
驚きの声をシオンがあげるのも何ら不思議なことではなかった。
三つの頭を持つ死の国の番犬は、誰がどう考えても危険な魔物であり、怪談に興じるための冗談で済むような生き物ではない。
(地獄の業火を纏う猛獣で、影ごときの噂になっていたのはどうして!?)
だが、考えている暇はない。
相手がケルベロスである以上、プルメリアにとって戦いは不利である。
(いや、その、炎とか熱いとか我慢できるけど……!! いくらなんでも服が燃えたらまずいでしょう……!!)
人前では恥ずかしいというレベルの話ではなくなってしまう。公害としか言えないことになってしまうし、無事に戦いに勝利しても精神が敗北する。それははっきりいって見えていた。
だが、焦るプルメリアに背を向けたままのシオンは一言告げた。
「プルメリア、援護は任せる。石とか、木の枝とかなんでもいいから」
「え……シオンさん!?」
「こういうときのために来てるからな。まあ、何事もなければよかったけど!」
相手に飛び込んだシオンを見て、プルメリアは言われた通り石を探すが、周囲にはダメージを与えられそうな石は落ちていない。あるのは本当の小石か岩ばかりだ。
(でも、そんなこと言ってられないでしょう……!! なにか、何かないの……!?)
そして焦るプルメリアの目に入ったのは、先程シオンが置いたカゴ、そしてその中の果実だった。プルメリアは息を飲み、昔の話を思い出した。
それはまだ、プルメリアが小さい頃の話である。養護院の近くに生えていたオーランの実を木に登って収穫し、持ち帰った際に養護院を経営しているきょうだい皆の養母に言われたことがある。
『ケルベロスっていう魔物は甘いものが大好物で、大の弱点なの』
『好物で弱点なの?』
『ええ。甘味を求める余りに手痛い失敗をしちゃって、それからオーラン恐怖症なの』
実際にそれが本当のことなのかはわからない。
だが、養母からもらった知識をいま使わないでいつ使うというのだ。ついでに言うと非常に投げやすいサイズもしている。
「たとえ苦手じゃなくても、当たったら普通にいたいでしょう!!」
そう気合いを入れて叫びながらプルメリアは一球入魂の勢いでオーランを投げつけた。心の中で食べ物を粗末にする罪悪感も覚えたが、それでもここで負けてしまえばそもそも食べ物を食べることすら叶わなくなる。ならばせめて外さないように集中するしかない――そう強く気持ちを込めた一投は、見事右の頭に命中した。
(やった)
しかし、そう思ったのは短い間で、プルメリアはすぐに目を見開いた。
今しがたオーランをぶつけたばかりのケルベロスの頭が、一瞬透けたように見えた。いや、確実に透けていた。それがプルメリアの見間違いではないと示すのは、同じくそちらを注視したシオンの視線だ。
(……ということは、これは、ケルベロスじゃない……?)
だが、炎を纏う風体はどう見てもケルベロスそのものだ。
一体どういうことなのかと思いながら、プルメリアはケルベロスの足元を見た。ケルベロスは確かに炎を纏っているはずなのに、その足元は決して焦げ付いてはいなかった。
(炎は、偽物?)
まだ状況はよくわからないし、戦っているシオンの邪魔になるようなことがあってはならないと思う。だが、それでもプルメリアはもう一つ気になることを見つけてしまった。それはケルベロスの尻尾だった。
「プルメリア!?」
駆けだしたプルメリアはシオンの静止の言葉も聞かずにそのままケルベロスへと向かい、地を蹴り、その背に乗った。やはり熱さはなく、炎は幻影だ。
だからこそ欲望のままにプルメリアはケルベロスの尻尾を思いっきりつかんでみた。獰猛なケルベロスなのに、尻尾がなぜか鍵しっぽ……こんなに可愛らしいことがあっていいのか!? そう、思ったその瞬間「ニ”ャ」という濁った叫びがあたりに響き、ケロべロスを包むように白煙が上がった。
同時にケルベロスに乗っていたプルメリアは足元がなくなったことに気付き、そのまま尻尾を離さずに体勢を整えて地に足をついた。そして――尻尾の先にはケルベロスではなく、猫耳のある幼女がそこにいた。
「尻尾、離して!! 触らないで!! 尻尾だけは形を変えれても消せないから!!」
「って……えっと……あなたネコマタ?」
人と似たような見目をしているが、ネコマタであれば間違いなくこの猫耳の幼女は魔物の一種族だ。実際にいるということは知っていたが、プルメリアも見るのは初めてである。
戦闘能力が低いが知能とその妖艶さで生き残ると聞いてきたネコマタだが、目の前のネコマタは非常に愛らしく、プルメリアは尻尾を離すと同時に思い切り抱きしめた。
「ちょっと! 離しなさいよ!!」
「尻尾は離した」
「そうだけど、そうだけど!!」
「可愛い。可愛いは正義。異論は認めない」
猫耳を触って幸せを感じているプルメリアだったが、しばらくして呆れた視線を向けられていることに気が付き、軽く咳払いをした。確かに今はそんなことを言っている場合ではない。
「あなた、どうしてこんなところで、人を襲おうとしているの?」
ネコマタが人をだますことはあっても、人を食べることはないのであえて殺しにくるようなことはない。プルメリアが訪ねると、ネコマタは頬を膨らませた。
「ちょっと驚かして追い払ってやろうって思っただけよ! そこの木の実が美味しいから独り占めしようって思ったのに、人間がたまに近くに来るんだもん。だいたいは私の姿遠くから見ただけで逃げるのに、あなたたち逃げないし」
口をとがらせすねるネコマタの言葉に、プルメリアとシオンは目を合わせて頷いた。
もちろんケルベロスの姿に驚き逃げる人もいただろうが、黒い影の噂を聞いたものであれば『あれは嘘じゃなかったのか!?』と、その気配だけで逃げた者もいるだろう。
(冒険者や騎士であれば太刀打ちすることも考えるかもしれないけど、こんなところにくるなんて薬草集めする人くらいだもの)
しかし噂の原因がわかっても、このままネコマタを『わかった、バイバイ』なんて風に無罪放免してしまえば再び人々を驚かしにかかり、対処が必要となってしまうかもしれない。
「うーん……ねえ、あなたはどうしてこんなところにいるの?」
「私は立派な大人だから、ちょっと早いけど独り立ちしなきゃだったの。でも、縄張りとか色々あるから、まずは誰も縄張りを主張していないこの場所を陣取ったの」
「ふむふむ」
「ほら、ここだと食べ物もあるし、一応洞窟もあるし……」
つまりは、寝床があれば問題ないということなのか。
ならば手っ取り早く解決する方法はあるとプルメリアは頷いた。
「よし、もしあなたが人を襲ったり、急に驚かしたりしないって約束してくれたら、私がきみの面倒をみてあげよう」
「え!?」
「ほら、こんな幼子を森に放置するっていうのは人としての良心が痛むっていうか……」
ネコマタが成体と認められる年齢などプルメリアには知る由もないが、本人も早いといっているし、すくなくとも見目は養護院の弟妹たちと重なっている。さすがに城に二人分の食事を要求するのは難しいが、一人分くらいであればプルメリアも用意することもできるだろう。ただし、ネコマタが信じられないくらいの大食漢でなければ、だが。
「でも、ちょっと猫耳は目立つかなぁ。とりあえず私の帽子を貸してあげるから、街にもどったらフード付きの服を探そうか」
なければ手作りでもしてみようかと思っていると、ネコマタは目を輝かせた。
「耳なし、なれるよ! さっきケルベロスの頭を一瞬消したみたいに、色々変化もできるもん!」
「……あれ、やっぱり消したの?」
「だって当たると痛いじゃない」
いや、戦うのであれば果物が当たる痛みを我慢するほうが大事だと思うのだが――プルメリアはあえて何も言うことはなかった。
ただ、得意げにぱたぱたと尻尾を左右に振るネコマタに和んでしまった。
「一回人間に化けて街にいったこともあるんだよ。でも、全然お金っていうの集め方がわからなくてすぐに街から出てきたの。でも、行けるならケーキが食べたい!」
「ケーキ、いいね。私の故郷ではお祝いごとにはケーキを食べてお祝いしていたから、今日はきみがやってきたお祝いでケーキを買って帰ろうか」
「うん!」
故郷でのケーキは本当に薄く切られたものではあったし生クリームはわずかにかけただけだったが、その場にあるだけで非常に華やいで見えて幸せだったのは忘れない。皆で収穫した果物を好き放題に盛って『見た目が悪くなる!!』と養母に怒られることもあったが、それも含めて楽しいお祝い事にはケーキが必要だ。
「奮発してホールケーキ買おうか」
「ホールケーキ?」
「うん、夢が詰まったケーキだよ」
この様子だときっと楽しい反応を返してくれるんだろうな……と、プルメリアは思ったが、しかしそこでふと一つの懸念を思い出した。勝手に話を進めているが、ここに黒い影が現れているという噂をどうにかしなくてはいけないのではないだろうか、と。
「ねえ、シオンさん。この子、人を驚かせてた……てっていうのは、何か大きな問題になったりする……かな?」
「うーん……襲ったのが初めて……っていうか、『姿を見せようとしただけ』で相手が逃げてるなら、凶悪な形相の人をみんな捕まえなきゃいけないからなぁ……」
確かに本当にネコマタが人を襲っていたのなら、噂で済んでいるというわけではないだろう。
「でも、確かにひとまず噂を払拭して、皆に安心してもらえるほうがいいかな……って、あ」
ひとつ、いいことを思いついた。
そう、続きそうなシオンの表情に、プルメリアとネコマタは顔を見合わせた。




