修行編
35
二週間後。いつもの事務所。いつものメンバーがくつろいでいる。どうやら、仕事はないようだ。
「大変だ!大変だ!」
青い顔をしてやってくる三隣亡。
「いつも大変そうですね」
友引が冷やかして言う。
「いや、今回はまじで大変なんだ」
「まじで」
「番組存亡の危機だよ」
「『警視庁捜査一課・磯山浩介』のですか」
「そうだよ」
それは尋常ではない。
「ここまで収録しておいて、今更番組存亡の危機になるんですか」
「まあ、聞いておくれよ」
三隣亡は応接椅子に腰かけながら言った。
「昨日、『磯山浩介』の収録があった」
「昨日」
「そうだ。それでようやく池さんと狼垓さんが揃って収録に参加した」
「よかったじゃないですか」
「それが問題大ありなんだよ」
どういうことだろうか。
「まずは狼垓さん」
まずは、ということは二人ともに問題があることになる。
「狼垓さんに役どころを説明したんだ。とは言っても、二話目まではいたんだから、役どころは十分理解していると思っていた」
「ベテランですしね」
「狼垓さんが主人公や新人をいびることがメインであることを説明した」
「お局役だからね」
「その役どころが非常に不満だったようで」
「不満?」
「『誰、この脚本を考えたの?私はこんないびる役なんてやりたくないわ!この優しくてエレガントな私がよりによって、いびる役なんて!』と激高したんです」
適任じゃん。
「それでぶちぎれでまさかの収録ボイコット」
「気難しい人だなあ」
大安が呆れながら言う。
「脚本は事前に渡していたんですよね」
「勿論だ。昨日今日の話じゃない。事前に分かっていたはずなんだ。それなのに、
『ここまでひどい役だとは思わなかった。私の良心が痛む』だってさ」
良心なんてあるのか?
「あくまでも芝居の中の話であって、本当にいじめるわけじゃないって、説明してもまったく聞く耳持たない感じで。弱り切っていたところに今朝電話があった。恐ろしい電話だ」
「何ですか?」
「『磯山浩介を降板する』とのことだ」
「なんと」
一同は驚く。
「ここまでやっておいて降板ですか」
「もっとも、本人がちゃんと収録に参加していたのは二話目までだけどね」
三隣亡は苦笑する。
「今までそんなことはあったのか?」
大安が聞く。
「あの性格ですからね。ボイコットはちょくちょくあったそうです。とはいえ、頭が冷えたら戻ってきてくれていたみたいですけど。今回もそのパターンだと思っていたらまさかの降板。さすがに降板は初めてみたいです」
「そうか。プロ失格だな」
大安は言う。よくみるとわなわなと震えている。
「だいぶ、怒っていますね」
「当たり前だ」
大安は強く言った。
「与えられた役をまっとうする。それがプロの務めだ。たとえどんなに嫌な役だったとしてもだ」
「みんな大安さんのような考えの人ばかりだといいんですが」
三隣亡は寂しそうに言った。
「で、話はこれだけではないんです」
「まだあるのか」
「残念ながら」
残念な報告なんか聞きたくない。
「池さんもです」
「池さんもなんかあったのか」
「はい。こちらも謎の理由なんですが」
「謎の理由」
「ストーリー上、御壺寧々こと狼垓さんに激しくなじられるシーンがありまして」
「狼垓さんは基本誰でもいじめる役だからね」
狼垓さんの役をやっていた友引が言う。
「ええ。そのことを説明したら『いじめられるのは嫌だ』と言って、収録をボイコットしたんです」
困った大人たちだ。
「なんてこった」
大安は頭を掻きながら言った。
「いじめられる、って劇中の話だろう」
「はい。そうなんですが、池さんは意外に繊細なところがあって、劇中と現実の区別がつかない感じになっているんです。」
「池さんにそんなところが。意外だなあ」
先負が言った。
「役者は繊細な人が多い。特に男の俳優はな」
大安が言った。
「そうなんですか。知らなかった」
と、繊細な先負が言った。
「とはいえ、度が過ぎた繊細さだと思うが」
大安がいぶかしげに言った。
「はい。そんなキャラではなかったと思うんですが」
三隣亡は肩を落とす。
「そして、今朝方連絡がありまして」
「降板する、か」
「そうです」
主演が二人とも同時に降板。これは番組存亡の危機である。
「やばいな」
「やばやばです」
三隣亡は顔面蒼白である。
「おまけに無期限休業すると」
「無期限休業!?」
一同は驚く。 無期限休業って、そんなタマじゃなさそうだが。一同は思ったが、事実なんだから仕方がない。
「なんとういうことだ」
頭を抱える大安。
「ね、やばいっしょ」
やばいわりには、口調に余裕のありそうな三隣亡。
「これは打ち切りやむなしか」
「せっかく頑張ったのに」
友引と先負はがっくりうなだれる。
「それはありません」
きっぱりと言う三隣亡。
「と、いうと」
「スポンサーの意向です」
「ああ」
大安は、面白くなさそうな顔で納得した。
「大口スポンサーの社長が『磯山浩介』の大ファンなんだったっけ?」
「そうです」
「なんとしてでも一クールやりきらないといけないんだったか」
「そうです」
最初、そういう話をしていたことを大安たちは思い出した。繰り返しになるが、スポンサーの意向は絶対。民放でやる以上は、スポンサーあってのテレビドラマなのだ。
「でもこのままでは」
友引が心配そうに言う。
「そうです。続行不能です。プロデューサーは泡を噴いて倒れそうになってます。勿論、仏滅ディレクターも」
心中お察しする。
「この降板騒動はスポンサーの耳には」
「今のところは入ってません」
「今のところは、か」
「でも、いずれ報告はしないといけないと思います」
「そうだな」
誰が報告するのかは知らないが、損な役回りである。
「スポンサーの耳に入ったら」
「それでも番組は継続しろと言うでしょう」
「だろうな」
スポンサーの意向は絶対。
「となると」
三隣亡は、友引と先負の方を見た。
「へ?私?」
友引は、自分を指差した。
先負は、ソファーの陰に隠れた。
「隠れるな」
「お二人さんの力を再び」
「ということになるな」
友引と先負が、再び、いや三たび代役として出演ということになる。だが、これまでとは意味が違う。
「前まではちょい役でしたけど、大丈夫なんですか」
不安げに言うのは先負。当然の不安だ。これまではあくまでも一時しのぎとしての代役。だから何とかごまかせた部分はある。
「確かにそれは不安があるが」
三隣亡は頭をかく。
「でも、ほかに方法がない」
「社長」
友引は大安に声をかけた。
「私たちの今後のスケジュールって」
「ああ、スッカスカだ。見事なまでに」
大安はニカッと笑う。
「それじゃあ」
「好きなだけ暴れてこい。そして、最後までやりきってこい。それがお前たちの自信になる」
友引と先負は顔を見合わせる。
「はい」
「えーっと」
「はい」と言ったのは友引。「えーっと」と言ったのは先負。
「そこは声を合わせて『はい』というところでしょ」
友引がツッコむ。
「僕も快諾したいところなんだけど」
「何が不満なんだ」
大安が訊く。
「不満というより不安なんです」
「不安?」
何が不安なんだと訊きたそうな大安。
「不安ですよ。これまでは何とかごまかせましたが、それはあくまでもちょっとした代役だからであって。がっつり主演をやったら、流石にばれてしまうんじゃないかと」
「それはまあ、そうだけど」
三隣亡は苦笑いする。
「そこはばれないように何とかするよ」
「ほんとに?」
「ほんとに。心配いらないよ」
そう言いつつも、三隣亡は内心冷や汗をかいていた。
「本当にできるんだろうか?」
三隣亡もそう思っている。不安に思っているのは先負だけではない。何しろ、かなりイレギュラーな状態だ。
「じゃあ、早速報告してきます」
三隣亡は立ち上がり、部屋を出て行った。
「忙しい奴だ」
大安は言う。
「忙しくなるのは俺たちも一緒だな」
大安は椅子に座りながら言った。
「社長はえらく余裕そうですね」
先負は恨みがましい表情で言う。
「不安があるのは俺も一緒さ」
「そうなんですか」
「俺もこんなに大きな仕事を請け負ったことはないしな。情けない話だけど」
大安は先負に向き直り言った。
「でもこれはチャンスだ。ピンチはチャンス。試練を乗り越えられるかどうかが、後々の自分への評価につながる」
「そうですね」
友引は自信満々で答える。どこから来るんだその自信。その性格がうらやましいよ、とでも言わんばかりの先負。
「私だって緊張ぐらいするわよ」
友引は口をとんがらせて言う。
「でも、失うものがあるわけでもないし。リラックスしてやればいいんじゃないの」
「いいこと言うな、友引」
大安は笑顔を見せる。
「こんな大きな仕事もう二度と来ないかもしれない。だったらそれでいいじゃないか。たくさん色んな人に迷惑かけても、もう二度と会わないわけだし。仕事には開き直りも必要だ」
「開き直り」
「そうだ。仕事に対して責任感をもってやるのも大切だが、責任感が強すぎるのもダメ。疲れてしまうだけだ。肩の力を抜いててきとうに。てきとうさ加減が必要なんだ。友引君のようにてきとうに」
「私はてきとうなんですか」
「いい意味でてきとうなんだよ」
「私だって色々悩みながらやっていますよ」
「そうは見えないが」
「見えないだけで、頭の中は悶々としているんです」
「そうか。それは悪かった」
大安は笑いながら言った。二人のやりとりを聞きながら、先負は少し自信を取り戻した
ようだ。
「僕、やりますよ」
「覚悟できたか」
「いえ、覚悟はできてません。でも、やる気にはなりました」
「それはいい。やる気があればなんでもできる」
大安は椅子に座りなおす。
「仏滅さんのことだ。なんとかしてくれるさ」
「だといいんですけど」
自分たちの能力では限界がある。ていうか無理だ。普通にやっても絶対ばれる。なんとかうまく視聴者をごまかすしかない。どのような手をつかっても。もはや背に腹は代えられない。もはや、三人の思考はいかに上手くモノマネをするかではなく、どうやってごまかすかにシフトしていた。
「明日からいそがしくなるぞ」
「ですね」
「今日のところはこれで」
お開きとなった。
自宅に帰った先負。ベランダから夜景を見る。ベランダとはいっても、四畳半のオンボロアパートから見る汚らしい夜景だ。役者を目指して上京してからずっとここに住んでいる。最初はどんな気持ちで役者を始めたんだっけ、と自問自答している。元々中学・高校と演劇部だった。そのころは特に役者になりたいとは思っていなかった。なんとなく、趣味程度だった。高校卒業後、特にやりたいこともなく、大学に行きたいとも思わなかったので、アルバイトをしながら役者でもやってみるか、という感覚で上京。思えば、特に強いこだわりをもって役者を始めたわけではなかった。失敗したらそれはそれでいいんじゃないか、何事もやってみなければ分からない、その程度の気持ちで役者を始めたのだ。そ
のときは演じることがとても楽しかったように思う。軽い気持ちで始めた役者を始めたのだが、いつしか本気にのめり込むようになっていった。これしかないと思うようになっていった。それと同時に演じる楽しみがなくなっていった。それまでは演技は楽しいこと、演じることは面白いことだと思っていたが、次第にそれはプレッシャーになっていった。いつからだろうか、演じることが楽しくなくなったのは。
「楽しく演じたいなあ」
先負はひとりごちる。楽しく演じる。簡単そうだが、なかなかできない。できそうだが、
なかなかできない。
「簡単にできたら苦労しないよな」
いちおうはプロだ。演技で給料をもらっている身。好きなことだけで生きていくなんて
都合のいいことは存在しない。必ず何かしら嫌な思いをするものだ。
「だからといって、あまり気負いすぎてもいけないな」
てきとうさも必要だと大安は言っていた。大切なのは、ほどよい緊張感ということなのだろう。
「ほどよい緊張感」
もうあれこれ考えるのはやめだ。人生なるようになる。今日は明日に備えて寝ることにしよう。先負は床に就いた。
36
翌日。先負は収録場所に時間通りに着いた。既に友引はいた。
「早いね」
いつも時間ギリギリに来る友引にしては珍しい。
「まあね」
すかした態度をとる友引。友引も昨夜はいろいろと考えていたのだろうか。ややあって仏滅ディレクターもやってきた。
「どうも。悪いね」
特に悪びれた様子もなさそうだ。
「今回のドラマは最後までべったりになってしまったね」
「いえ、社長はたくさん仕事がもらえたので嬉しそうでした」
「そうか。そりゃどうも。で、今後の予定なんだが」
いきなり本題。
「そもそもやり切れるものなんですか」
「私も聞きたいぐらいだ」
仏滅もあせっている様子。
「監督生活30年で、最大のピンチだ」
そこまで!?
「そうなんですか」
「そうなんだよ」
ベテランディレクターさえをも焦らせる展開。
「これは熱い」
血が滾っている友引。
「B型だなあ」
「血液型は関係ないです」
ほんと、関係ない。
「冗談はともかく、本題へ」
「そうだった、本題へ」
軽く咳払いする仏滅。
「もう聞いていると思うが、主役級の池君と狼垓さんの降板が決定した。それも理不尽な理由で、だ」
「ウチの社長なんか、プロ失格だ、って怒ってましたよ」
「それについては、私も同感だ」
仏滅は怒っているというよりも、少し悲しそうな表情を浮かべて言った。
「私の演出方針が気に入らなかったのだろうか」
「そんな、ディレクターのせいじゃありませんよ」
先負は慌てて言う。
「多分」
友引は慌てて付け加える。
「しかし、降板してしまったものは仕方がない。現有戦力で戦うしかない」
「みんな、偽物ですけどね」
「偽物じゃない。ここまで来たんだ。君たちが『本物』だ。そこは自信を持っていい」
仏滅は毅然と言う。
「それはモノマネの技量だけではなく、演技力についてもだ」
嬉しいことを言う。
「おだてても何も出ませんよお」
友引はまんざらでもない様子。
「何か出してくれ。この窮地を脱する何かを」
うーむ、どうすればいいのか。
「とりあえず、脚本の書き直しは必要なので、書き直しておいた」
「また、回転するんですか」
「また、擦りガラス持つんですか」
「いや、それはないようにしている」
仏滅はそう言っているが、何をやらされるか分かったもんじゃない。二人はごくりと唾を飲み込む。
「新しい脚本を見てもらおう。おおい、赤口君」
呼ばれて飛び出て赤口。言わずと知れた、脚本家・赤口である。目にはクマができている。クマっちゃうなあ。
「まったく、ひどい目に遭いました」
「これからもっと遭うよ」
ひどいことをさらりと言ってのけながら、仏滅は二人に脚本を渡した。
「私も初めて読むんだよね」
ひどい話だ。
「あ、一行目。『これは』が『これわ』になってるね」
ひどい話だ。
「まあよくある話」
よくある話だ。
脚本に目を通す一同。
「あの、本気でこれをやるんですか」
よほど、すごい内容なのだろう。さすがの友引も引き気味に訊いている。
「やる」
「さすがにこれは」
「やる」
強い意志で答える仏滅。
「何かあっても責任をとる」
大きい声でそう言った仏滅。
「誰かが」
この部分は小さい声で言った。
37
ロケ地へ移動。今日も外での撮影となる。天気はいい天気。撮影には問題ない。
「では、修行のシーン始めるよ」
でも撮影の内容には問題がありそう。
撮影が始まった。
「はああああああああ!!!!」
超高速で動き回る友引。
「はああああああああ!!!!」
同様に超高速で動き回る先負。
二人とも超高速で動き回っているので、カメラは二人をきれいに追えない。もっとも、これは狙い通りのことで、はっきりと二人の顔が見えないようにしているのだ。勿論、偽物であることが分からないようにである。
「はい、オッケー」
オッケーサインが出たが、二人は既に青息吐息である。
「これ、回転してるのとあまり変わらないですよね」
不満を口にするのは先負。
「うん?そう?」
とぼける仏滅。
「次行こう、次」
押し切られてしまった。
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次もやはり修行のシーン。山に移動させられた。ていうか何の修行だ?
「え?そりゃ強くなるためだよ」
「強くなる?」
「そ。強くなって『天下一警察暗黒武術会』で優勝するの。そのための修行」
「そんなシーン、原作には…」
「勿論ない。もはや、今の状態で原作通りやるのは不可能だ。ここは開き直るしかない」
開き直りすぎのような気がするが。
「大丈夫。何かあっても責任をとる」
またそれを言う仏滅。
「誰かが」
勿論、小声で付け足すことも忘れていない。
「さあ、修行のシーンだ。修行といったら滝行よね」
目の前には轟々と滝が流れている。ものすごい水量だ。
「まさか滝に打たれるわけじゃないですよね」
「打たれるよ。だって滝行だもん」
「修行僧じゃないんだから」
「修行のシーンだもん」
修行=滝行というのは、えらく安直なような気がするが。
「さあさあ、二人ともさっさと着替えて滝行する」
二人は白装束に着替えさせられた。季節はもうすでに秋だ。滝行をするには快適な季節ではない。
「あそこいって打たれてきなさい」
仏滅が指差した方向にはちょうど二人分座れるスペースが。言われるがままに二人はそこへ向かって座った。
「あた!あたたた!あた!」
悲鳴をあげる二人。しかも
「冷たい!死ぬ!」
この季節に滝は冷たい。
「冷たくて当たり前。夏にやっても気持ちいいだけで修行にならないでしょ」
仏滅はにべもなく言う。
「視聴者は季節なんか分からないでしょ」
友引は抗議の声を挙げる。
「まあ、それもそうだけど。リアリティは大切だからね」
やはりどうでもいいところでこだわりを見せる男、仏滅。
「もういいですかあ?」
先負はとうとう我慢の限界に達したようだ。
「だめ。まだ撮れ高が出ていない」
これ以上、何を撮ると言うのか。
「もう十分だと思いますけど」
「だめだめ。何というか、苦悶の表情しかできていない。これは修行だ。辛いことでも立ち向かうという強い意志を伝えないと」
難しい注文だ。
「強い意志。強い意志」
先負はキリッとした表情を見せる。
「おお、いいねえ。その表情。その表情だ」
しかし、その表情は一瞬だけで、長続きしない。
「すみません、やっぱり無理です」
「まあいい、一瞬だけでもいい表情が撮れた。それだけでもよしとしよう」
ようやく撮影終了だ。
「うーさむー、絶対風邪ひく」
体をバスタオルで拭きながら友引が言う。
「まだまだこれからだよ」
まだあるのか。
「むしろこれからが本番だ」
嫌な笑いを浮かべる仏滅。
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場所は変わってここは寺院。先ほどの滝行の場所から1キロほど北上したところにある。お寺、修行。勘のいい読者はもう分かったであろう。
「はあ、立派な仏像ねえ」
大きな仏像を見上げながら友引が言った。
「では、ご住職、お願いします」
呼ばれて出てきたのはお坊さん。手には棒状のようなものを持っている。これはどう見てもアレだ。
「まさか。滝行の次は」
「そのまさか。座禅だ」
「私、別に仏門に入りたいわけじゃないですけど」
「分かってる。あくまでも修行のシーンの一環だ」
そうは言っても滝行に座禅。えらくステレオタイプな修行である。勿論、こんなシーンは原作にはない。
「こういう分かりやすいものも入れなくちゃ、視聴者はついてこれないよ」
仏滅は楽しそうに言う。お前の趣味でやってるだけなんじゃないのか。
「ささ、二人とも早速座禅を組む組む」
しぶしぶ二人は座った。と、ほぼ同時に棒状のものが先負の右肩にたたきつけられた。
「座禅になっとらん」
先負は膝がほとんど横に広がっていない。言わば、体育すわりを崩したような格好になっている。
「何じゃその格好は」
住職はご立腹だ。
「体が硬くてこれ以上曲がらないんです」
膝が45°ぐらいしか曲がっていない。いくら何でも硬すぎる。
「それではいかん」
住職は両膝を手にかけ、地面に押し付けようとした。
「あだだだだ!」
先負は涙目になって抵抗する。
「どうやらこれ以上、曲がらないようだな」
「だからそう言ってるでしょう」
「まあいい。座禅で重要なのは、座り方ではなく雑念を振り払うことじゃ」
じゃあ、なぜ無理やり膝を地面に押し付けようとしたんだろう。先負は文句の一つでも言ってやりたかったが、面倒なことになりそうなので黙っておくことにした。
座禅が始まる。二人は瞑目してひたすら心を無にしようとしていた。だが、何も考えないように意識することによって、かえって普段は考えもしないようなことを考えてしまうものだ。
突如、友引の右肩に棒状ようなものが振り下ろされた。
「お前、何を考えておった?」
「はい、今日は家に帰ったら何をしようかと」
雑念以外の何物でもない。
「馬鹿者。今考えることではないだろ」
「すみません」
友引は肩をすくめる。
10分経過。二人は一見雑念なしで座禅を組んでいるように見えるが、住職はまたもや友引の右肩に棒状のものを振り下ろした。
「お前、何を考えておった」
「はい、今日は家に帰ったら何を食べようかと」
帰ることしか考えていない。
「馬鹿野郎。もうちょっと真面目に仕事しろ」
今度怒ったのは、仏滅の方だった。
「すみません」
友引は舌を出す。
さらに10分経過。二人は一見雑念なしで座禅を組んでいるように見えるが、住職は今度は先負の右肩に棒状のものを振り下ろした。
「お前、何を考えておった」
「はい、なぜ人間は争うんだろう、なぜ人間から戦争がなくならないんだろうと」
住職も仏滅も何も言えなかった。
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そんなこんなで1時間ほど座禅を組んでいた。
「よし、これでいいだろう」
「ふーっ、疲れた」
と友引。
「なぜ、人間はかくも醜いのだろう。私が人間を正しい道に導かねばならない。それができるのは私だけだ」
と先負。
「何か変な宗教に入りそうなんですけど」
「むしろ、変な宗教の教祖になりそうだな」
しばらく先負は使い物にならなそうだ。
三人は、住職にお礼を言い、山を下りた。
「まだ修行はあるんですか」
「まだまだ続くぞ」
「次はどこへ」
「山ときたら、次はどこだと思う?」
仏滅は嫌な笑みを浮かべた。
場所は変わって、今度は海。白い雲、青い海――――というには若干季節外れだ。
「寒い」
肌寒さを感じる季節。こんなところで何をしようというのか。
「スイカ割りをしてもらいます」
「スイカ割り?」
おうむ返しに聞き返す二人。
「知らない?スイカ割り」
「スイカ割りは知ってます」
「じゃあできるよね」
「できます、けど」
釈然としない二人。
「もはや修行になってないような」
ただのゲームである。
「ちゃんと修行になるぞ」
数分後。そこには、砂浜に埋められ、頭にスイカを載せられた友引の姿が。
「なんですか、これ」
「スイカ割り」
「いや、それは分かりますけど」
「ただのスイカ割りじゃ面白くないでしょ」
面白い面白くないの問題ではない。
「割るのは」
「当然、君」
仏滅は、先負を指差す。
「失敗したら、分かってるんだろうなあ、てめえ」
友引は、ものすごい顔で先負をにらんだ。先負は戦慄を覚えながら目隠しをした。
「では、スタート」
先負は震える手を抑えながら、まっすぐスイカの方向へ向かっていった。
「違う、違う、後ろ後ろ」
友引の声が轟く。どうやら正反対の方へ向かっていったようだ。先負は慌てて回れ右をする。そして、今度こそまっすぐに向かっていった。
「左、左」
どうやらまたずれていたらしい。なかなか目隠ししたまままっすぐ歩くことは難しいようだ。先負は左方向へ体を向ける。
「行き過ぎ行き過ぎ、気持ち右」
今度は微調整が必要なようだ。5°ほど右方向へ直す。
「ようし、それでいい。そのままそのまま」
言われたようにそのまま歩いてくる先負。だが慎重すぎる性格のせいか異常に小股で歩く。
「遅い。そんな遅さじゃ日が暮れる」
檄を飛ばす友引。その言葉を受け、今度はやたら大股で歩き出した。友引の想定外の大股さだ。一気に友引のところまで詰め寄り、友引が静止の言葉を言う前に足で友引の顔に砂をかけた。
「てめえ、ワザとやってるんじゃなないだろうな?」
すごい顔でにらみつける友引。そのにらみ顔が見えていないはずなのに大慌てで否定する先負。
「そんな。そんなわけないよ」
「もっと真面目にしろよてめえ」
自分はいたって真面目にやっているのに。と思いながら二、三歩引いたところで立ち止まった。
「よし、そこでいい。そこから真っすぐに棒を振り下ろすんだ」
真っすぐ、ね。そう言われてもどこまで勢いよく振り下ろせばいいか分からない。一歩間違えればスイカの中身の赤い部分以外の赤いものが出てしまう。それは嫌だ。多分友引に殺される。最悪殺される。最低でも殺される。
「何センチぐらいかなあ」
「何センチ?」
「だから、何センチぐらい振り下ろせばいいかなあ」
「さあ、5センチぐらい?」
絶対てきとうに言ってるだろう。これはもう、友引の声を頼りにスイカの位置を推し量るしかない。精神集中。これは先ほどの座禅の経験が生きてくる。なぜ人間は争うんだろう、なぜ人間から戦争がなくならないんだろう。なぜスイカは友引の頭上にあるんだろう。なぜ友引の頭上からスイカがなくならいないんだろう。
「チェスト!」
先負は真っすぐ12時の方向に棒を振り下ろした。そしてスイカの真ん真ん中に命中し、スイカの表皮はきれいに二分され、見事に中身は果肉の肉塊と化した。棒はちょうどスイカの上部3/4ほどのところでピタリと止まった。
「て、てめえ」
さすがの友引も棒がスイカに接触する瞬間は目をつぶってしまい、青い顔をしていた。
「ブラボーだ。オッケーだ」
仏滅は興奮して叫んだ。周りのスタッフも思わず拍手をしてしまった。そんな雰囲気に、目隠しをしたままでも、先負は成功したことを確信した。
「すごいじゃないか。完璧だ」
「いえいえ、どうも」
先負は照れながら目隠しをはずす。
「よくできたなあ」
仏滅は拍手喝采である。
「まあ、修行の成果です」
「修行?」
「いえ、こちらの話です」
「今日の撮影はこれで終わり。お疲れちゃん」
仏滅は上機嫌で引き揚げていった。
「なあ、おい」
友引はスイカの果肉を顔から払いながら、立ち上がった。
「どんなインチキ使ったんだ?」
友引はにやにやしている。
「インチキって」
「やってるんだろ、インチキ」
「してないよ」
「ホントか?」
「本当だよ。修行の賜物だよ」
「修行?」
仏滅と同じリアクション。
「もういいよ」
このやりとりめんどくさい。
とりあえず今日の撮影は乗り切った。これからどんな難題・珍題があるか分からない。今日できることは、今後に備えてゆっくり休むことだ。二人はまっすぐ家に帰り、十分な休養をとった。
41
翌日である。相変わらず天気はいい。撮影にはもってこい。撮影場所は屋外。だだっ広い平地である。撮影場所自体は何の変哲もない場所だが、二人の目には信じがたいものが映っていた。
「何だこれ」
「何だこれって、見たら分かるでしょ」
「分かるけど」
「じゃあ、訊かないでよ」
「訊きたくなるだろ、こんなもの見ると。友引さんにとっては日常的に見るものだったのかもしれないけど」
「てめえ、あたしのことを何だと思ってんだよ。あたしは割と普通の人間だ。さすがのあたしもこんなもの見ねえよ」
普通の人間は、自分のことをつかまえて、さすがとは言ったりしない。
「しかしまあ、なんとも立派な」
リングがそこにあった。プロレスで使われるやつだ。
「すごいだろ。急ごしらえながらもよくできてる」
現れたのは仏滅。
「あれも今回の収録で使うんですよね」
訊ねたのは友引。
「もちろんだ」
「修行シーンの一環ですか」
「もちろんだ」
「何するんですか」
「もちろん闘ってもらう」
「闘うって」
「リングなんだ。当然だろ」
仏滅は、何を当たり前のことを、といった顔だ。
「闘う、って怖いです」
びびりまくってる先負。
「ああ、流石の私も有刺鉄線電流爆破流血デスマッチは怖いな」
言葉とは裏腹に少し楽しそうな友引。
「誰もそんなことをやるとは言っていない」
手で待ったをかけるような仕草をしながら仏滅は言った。
「とはいえ、リアリティはないといけないからね」
「リアリティ?」
嫌な予感がする。そして、その嫌な予感はここ最近、ことごとく的中する。
「皆さん、お願いします」
呼ばれて出てきたのは、いかにもいかつい人たちだらけ。胸に傷がついていたり、中には、片目が潰れているものもいた。
「うわ」
友引も低く唸ってしまった。
「この人たちは、地下格闘技の人たちです。言わば、裏の世界のプロね」
「どうやって呼んできたんだよ!」
「一流のディレクターたるもの、裏の世界と多少のパイプがあるものさ」
そんなことはない気がするが。
「それでは」
仏滅は、地下格闘家集団に向かって言った。
「あいさつ」
「おんしゃーす!」
ドスのきいた声であいさつする一同。
「ね、一見怖そうだけど、ちゃんとあいさつもできる普通の人たちだよ」
あいさつぐらい小学一年生でもできる。友引も一団のもとへ向かい、軽く会釈を返す。
「怖くないの?」
ささやく先負。
「怖いか怖くないかで言えば、怖いさ」
でもね、と続ける友引。
「舐められるわけにはいかないからね」
この人も根っからの武闘派である。そして、撮影が始まった。シーンの内容はいたってシンプル、ひたすら1対1で戦い続けるというものだ。ただひたすらに。
「女だからって、容赦しないぞ」
一人目の筋肉ムキムキで上半身裸の男が言った。胸には大きな古傷。
「ああ、全力を出しな。撮影であることを忘れて」
「いいこと言うねえ。男前だねえ。でも、数分後、お前はマットに沈んでいることになるんだぜえ」
数分後、マットに沈んでいるのはその男だった。ていうか、顔がマットにめり込んでいた。
「次」
友引は、パンパンと手を払いながら言った。
「お嬢ちゃん、そんな舐めた真似してたらいつか後悔することになるぜぇ」
現れたのはモヒカンヘッドの男。上半身は裸。ゴングがなった。数分後、
「ごめんなさい。貴女と戦うんじゃなかった」
後悔していたのはモヒカンヘッドだった。
「ネクスト」
「ブヒヒヒヒ、お姐ちゃん、ぶっ殺してやるかんね」
現れたのは巨漢の男。体重200キロぐらいありそう。上半身は裸。
「殺されるのは勘弁」
そう言いながらも不敵な笑顔を見せる友引。
「ブヒヒヒ、どりゃあああ!!」
襲い掛かる巨漢男。友引は闘牛士のように軽やかに攻撃をかわし、背後から延髄切りを
お見舞いする。リングに伏せる巨漢男。
「ブヒヒヒヒ、やってくれたなあ、お姐ちゃん。ぶっ殺してやるかんね」
立ち上がり、再び襲い掛かる巨漢男。友引はこれもあっさりかわし、背後から延髄切りをお見舞いする。リングに伏せる巨漢男。リングに伏せた巨漢男に延髄切りを連発する友引。
「ブヒヒヒヒイヒィー、ぶっ殺されるー」
半泣きになる巨漢男。
「勝負あった」
Vサインをする友引。
「よし、いい感じだ」
満足げな仏滅。
「すごいよ、友引さん」
目を輝かせながら言う先負。
「本当、向かうところ敵なしって感じだったね。僕ではとてもじゃないけどできないよ」
「何、他人事のように言ってるの」
「え?」
きょとんとする先負。
「勿論、君も闘ってもらう」
「ええー?」
「だって修行のシーンだし」
「だって、あの、あの、あの人達ですよー」
地下格闘家集団たちを指差す先負。まだまだ怖そうな人たちはたくさんいる。主に上半身は裸。
「無理無理無理無理ですよー」
「無理を道理に変えるのが修行だ」
理不尽なことを言う仏滅。
「そう。修行に安息の瞬間などない」
さらに理不尽なことを言う友引。この二人、グルなんじゃないのか。
「何を言ってるの二人とも、僕は帰るからね」
回れ右をして帰りかける先負。
「へえ、帰るんだ」
回れ右をすると怖い顔をした友引がいた。あれ、さっきまで相対して喋っていたはずなのに。
「そんなに延髄切り食らいたいんだ」
お姐さんは延髄切りの素振りをして見せる。
「食らいたくないです」
「じゃあ、リングに上がりな」
もはや強迫の域である。先負は震えながらリングに上がった。地下格闘家集団からは歓声が上がった。
「兄ちゃん、意外と勇気あるじゃないの」
目の前の地下格闘家が言った。モヒカンの頭。上半身は裸である。勇気なんかじゃない。ただの強迫観念である。
ゴングが鳴る。モヒカン男が襲いかかってきた。体格に似合わず猛烈なスピード。あっという間に先負は捕らえられた。
「ぐげ」
羽交い締めにされ、思わず変な声が出てしまう先負。
「ギブアップ」
早くも降参宣言。
「あきらめるのはまだ早い」
なぜか敵であるモヒカン男がそう言い、さらに締め上げる。首と肩の骨がきしみをあげた。
「い、いぐあっぐ」
もう、ギブアップの声も出ない。タップをする先負。モヒカン男は、そのタップする手を止め、腕ごとねじあげた。
「ギブアップはさせないぜぇ」
どうやら、この男、根っからのサディストのようである。地下格闘家になるぐらいだからまともな人間ではないのだろう。
「もういい」
ストップをかけたのは仏滅。
「ちぇっ。もっと遊びたかったのに」
モヒカン男は心底残念そうだ。先負からしたら、たまったもんじゃない。むせながら仏滅に抗議する。
「何で事させるんですか。もう少しで死ぬところでしたよ」
「いやあ、火事場のくそ力でなんとか窮地を脱出できるものだと思って」
「なりませんよ。マンガじゃないんだから」
俳優を何だと思っているのか。しかも、自分は代役の俳優だぞ。と思いながら、激しく怒りをあらわにする先負。
「ごめんごめん」
あまり反省が見られない謝り方をする仏滅。
「私ももっとやれるもんだと思ってた」
口をはさんできたのは友引。
「ごめんね、私のせいでもある」
「友引さん」
友引は本気で反省していそうな顔だ。
「私の頼みをきいてくれて、リングに上がったんだもんね。私のせいでもあるよ」
「そんな。友引君が気にすることではない」
仏滅が慰める。
「先負君ならもう少しやってくれるもんだと思ってた。でも、それは私の身勝手な思い込みだった。ごめんなさい」
「友引さん」
急にしおらしくなって、先負もどうすればいいのか分からない様子。
「ごめんね。私のせい。私がワガママだったばかりに、先負君を危険な目に遭わせてしまった」
友引は真っ青な顔。よく見ると目じりには光るものが。
「友引君」
「友引さん」
あの友引がここまで思い詰めているなんて。なんてこった、女の人を泣かせてしまった。先負は悔恨の念にかられた。
「僕、やります」
ハッとした顔で先負の顔を見つめる友引と仏滅。
「僕、このまま続けます」
「しかし、危険だよ」
「覚悟の上です」
「痛いよ」
「それも覚悟の上です」
「場合によっては死ぬかも」
「そ、それは…」
そればかりは覚悟の上ですとは言えない。
「お手柔らかに」
先負は、地下格闘家集団に頭を下げて頼み込む。地下格闘家集団から笑い声が上がった。
「大丈夫?」
友引は、リングに上がろうとする先負に声をかける。
「大丈夫じゃない」
先負は、歯をガチガチいわせながら言った。
「でも、やるしかない」
先負は、リングに上がった。
それに合わせて、友引は回れ右をする。胸ポケットから目薬を取り出しVサイン。
「作戦通り」
「友引君…」
全部見えてる仏滅は、絶句している。何も知らないのは先負だけ。
「さあ、出てこい。3分で片づけてやる」
何も知らない先負は言った。
「もう出てきてるぞ」
モヒカン男が再びあらわれた。上半身は裸のままであった。
「え?あんた?」
「当たり前だ」
さっきやられた相手が現れたことで、すでに先負の平常心は失われた。
「さあて、次は泡をふくまでキメちゃおうかな」
「それは勘弁」
ほんとに勘弁。切に願った。
ゴングが鳴る。今の先負にとって、一番聞きたくない音だ。さっきのトラウマがよみがえるような気分。モヒカン男はほえながら、先負に向かってきた。ものすごいスピードだ。が、先負は軽やかにそれをかわした。
「なっ!?」
驚愕するモヒカン男。
「すごいじゃないか」
歓声があがる仏滅と友引。まあ、かわせたのはたまたまだったんだけどね。振り返ると、そこには目を血走らせたモヒカン男がいた。中途半端なことはするものじゃないな、今更反省する先負だった。再び襲い掛かってくるモヒカン男。しかし、怒りのせいか攻め方が一本調子。迫力だけはあるが、同じような攻め方では、いくら武術の素人の先負であろうとやすやすとは捕まらない。間一髪のところで攻撃をかわすかわす。
「やり返せ、先負君」
「逃げているばかりでは勝てんぞ」
好き放題言う二人。しかし、中途半端にやり返したところで、却って怒りを増幅させるだけだし、どうしたものか、と考えながら攻撃をかわす先負。
何度も攻撃をかわすうちに、だんだんと疲れが蓄積していった。それは、こちらの話だけではなく、相手もそうであった。見れば、モヒカン男、かなり息があがっている。
「何やってんだ、おい」
「さっさと終わらせちまえよ」
怒号があがる地下格闘家集団。あっちもあっちで好き勝手言われて大変だ。こういうのは、当事者にならないと分からないものだ。
「うるせえ、分かってるよ」
モヒカン男は外野に叫ぶ。しかし、その表情には余裕がない。向こうも苦戦していることに焦りを感じていることは確かだ。しかし、焦らせているだけでは勝てない。なんとか勝機を見出さなければ。先負は色々と考えを巡らせる。友引は見事な延髄切りで、これまで対戦相手をのしてきた。なら、自分も―
モヒカン男に真っすぐ向かっていく先負。そんな先負を見て若干ひるんだ様子を見せたが、すぐに平常心を取り戻し、先負の攻撃を受けて立とうとしているモヒカン男。
「せいっ」
先負はモヒカン男に延髄切りを食らわせた。どうだ、効いたか!?先負はモヒカン男を見る。
モヒカン男は口の端を歪めながら、笑みを浮かべた。
「いい蹴りしてるじゃないの」
ダメだ、全然効いていない。先負の頭に絶望の二文字が浮かび上がる。
「それじゃあ、こっちからも行くぜ」
モヒカン男の反撃が始まろうとしている。殺される。先負は戦慄を覚えた。
「よし、そこまで」
場の空気を読めない大きな声がこだました。仏滅から発されたものだ。
「えっ」
先負とモヒカン男は同時に声を出した。
「いい感じだ」
仏滅は、なぜか満足げだ。
「これでいい」
これでいい?どういうことだ?
「おいおい、監督さんよ、それはないんじゃないの。これからお楽しみの時間が始まるというのによ」
「君は私の映画を何だと思っているんだ。残虐非道な行為を淡々と撮影するドキュメンタリーじゃないぞ」
「せっかく好き放題できるっていうから、参加したっていうのによ」
抗議の声をあげるモヒカン男。やはりこの男、真性のドSだ。
「私は、友引君と先負君二人の成長の物語を描きたいんだ。君たちが好きなように暴れまわっているシーンを撮りたいんじゃない」
「そんなの関係ねえよ。俺は暴れたいんだよ」
引き下がらないモヒカン男。
「君はあくまでもエキストラだ。主役はこの二人。そのことをはき違えないように」
「俺も主役になりてえよ」
「君は主役になれない」
「なんでだよ」
「あの二人を見たまえ」
モヒカン男は、友引と先負を見る。
「それがどうした」
「何か感じることはないか」
「感じること?ねえよ」
「何もか?」
「ああ、なんとも…」
そう言いかけて、モヒカン男は硬直する。
「目か」
「ああ、そうだ目だ」
モヒカン男は、友引と先負をまぶしそうに見た。二人の目は、若者特有の希望とやる気に満ち溢れた目をしているように見えた。モヒカン男にとって、二人の目は極めて美しいものだった。
「ところが、どうだい俺の目は。いや、俺だけじゃねえ。俺たちの目だ」
モヒカン男は、自分の仲間たちの目を見る。
「濁ってやがる。ドロドロに濁ってやがる。あるいは、死んだ魚のような目をしているやつもいる」
「そうだ、よく分かった」
仏滅は満足げに言った。
「それが、君たちが主役になれない理由だ」
「俺たちは汚れちまった」
「生きていくうえで多少の汚れは必要だ」
「だが、あまりにも汚れすぎちまった。俺の手を見てくれ」
「ボロボロだな」
「ああ、でもそれは見た目の話だけじゃねえ。完全に汚れきってやがるんだ。今まで対戦相手を必要以上にぶちのめしてきた。本能の赴くままにな。俺の手はもはや腐ってやがる」
「かもな」
「ああ、何だか急に胸糞悪くなってきた」
モヒカン男は、両手で顔を覆った。
「いつからなんだろう。こんなに手が汚れちまったのは」
「まだ、遅くはない」
仏滅は、モヒカン男の裸の肩に手を置いて言った。
「自分の手が汚れていることに気づいただけでも一歩進歩だ」
「監督…」
「大切なのは、今の自分を知ること。今の自分を知るには少しばかりの時間と勇気が必要だがな。それから解決策を考えればいい」
「監督…」
「今、お前は自分が汚れていることを知った。それから、解決策を考えればいいわけだ。何も焦ることはない。何かを始めるにあたって、遅いということはあっても、遅すぎるということはない。更生しようと思うのが遅かったかもしれないが、遅すぎるということはないわけだ。今から更生すればいい。お前の人生だ。お前が幸せになれるように生きろ」
「監督…」
仏滅とモヒカン男は強く握手をした。なんだ、この茶番は。
とりあえず自分は、ぼこられずに済んだので、ほっと一安心する先負。
「フゥー、よかった」
「お疲れ」
「ひどい目に遭ったよ」
「まあ、そう言わずに」
「殺されるかもしれなかったんだぞ、僕は」
涙目になって訴えかける先負。
「それはまあ、すまなかった」
頭をかきながら言う仏滅。
「でも、殺すもつもりはなかったよね?」
モヒカン男に問いかける仏滅。
「え?う、うん」
こりゃあ場合によっては殺すつもりだったらしい。改めて背筋に冷たいものがつたう先負。
「さて、続きを撮りますか」
「え?」
まだする気なのか。
「こんな大層なリングまで用意したんだ。これで終わるというわけにはいかない」
「これで終わる感じの流れだったでしょうに」
声を挙げる先負。
「俺もこれで終わったら不完全燃焼ってもんよ」
モヒカン男は舌なめずりをしながら言った。あれ?改心したんじゃなかったの?根っからの野蛮人め。
「流石。それでこそ、漢ってもんよ」
友引がテンションを上げながら言った。野蛮人がもう一人いた。
「では、撮影続行だ」
「続行と言われても」
「なに、もう君一人で戦わせたりしないよ」
「えっ」
「君一人で戦うシーンの撮れ高は十分だ。もう一人で戦うシーンはいらない」
「とすると」
「今度は君と友引君が共闘するシーンを中心に撮っていく」
よかった。本当によかった。先負は心底そう思った。
「よっしゃ、私の番だね」
気合十分で言う友引。根っからの野蛮人め。
友引と先負二人でリングに上がった。先負にとっては、これほど頼もしいことはない。何せ、あの延髄切りである。あの最高の延髄切り。バッタバッタと相手をなぎ倒していくことに違いない。
対戦相手が現れた。一人は例のモヒカン男。それともう一人、頭部の真ん中がはげていて、側面がフサフサの男、いわば逆モヒカンの男が現れた。二人とも上半身は裸。
「こりゃまた対照的な二人だね」
友引が言う。その表情は自信に満ちている。
ゴングが鳴った。モヒカン・逆モヒカンの二人が襲い掛かってきた。ターゲットはもちろん先負。
「えー?僕?」
弱いものがターゲットになるのは当然のことなのに、なぜか心の準備ができていなかった。その油断しきった先負の前に、ガーディアンが現れた。もちろん、友引のことだ。友引は先負がターゲットになることを読んでいたようだ。
「友引さん」
歓喜の声をあげる先負。
「せいっ」
得意の延髄切りを放つ友引。まず、逆モヒカン男がリングに沈んだ。一撃死。まさに瞬殺。
「友引さん」
再び歓喜の声をあげる先負。
「やるねえ、姐ちゃん」
味方がやられたというのに、スカスカの汚い歯を見せながら笑うモヒカン男。根っからの野蛮人め。
「でもこっちも簡単にやられるわけにはいかねえんだよ」
フン、と気合を入れるモヒカン男。裸の上半身の筋肉が意思を持ったようにうごめいた。血管が何本か浮き上がって見える。どうやらここから本気を出すらしい。
「行くぜ、姐ちゃん」
今度は友引に襲い掛かるモヒカン男。
「よかった、僕じゃない」
脱力する先負。が、その脱力した状態は長くは続かなかった。あろうことか、あっさりと友引はモヒカン男に組み伏せられてしまったのである。
「え?あれ?」
わけが分からない先負。
「く、くそ」
友引は苦悶の表情を浮かべている。
「げへへへ」
下品な笑みを浮かべるモヒカン男。
「うりゃ」
モヒカン男は友引を締め上げた。
「ぐふっ」
友引は口から泡を噴いている。あまりの光景に先負は、あっけにとられている。友引は、マットに突っ伏した。どうやら気を失ったようだ。悪い夢を見ているんじゃないか。先負は思った。
モヒカン男は先負の方を見る。
「え?次、僕?」
「もちろん」
心の準備がまだできていない。でも、そんなことはどうでも良かった。モヒカン男は真性の野蛮人である。モヒカン男は、一直線に先負目掛けて襲い掛かってきた。先負は、逆方向に逃げた。こうなれば、逃げるしかない。
「逃げんじゃねーぞ」
「つまんねーもん、見せんじゃねえ」
外野の地下格闘家集団が騒ぎ立てる。くそっ、言いたい放題いいやがって。先負は憤りを覚えた。そんなことを直接言う勇気は、もちろんない。
逃げたところで、リングは狭い。すぐにモヒカン男に回り込まれる。捕まったら終わりだ。リング上でのびている友引の姿がそれを表している。
「こうなったら」
逃げていてもいつかは捕まる。先負は思い切って、攻撃に転じてみることにした。先負は、後ろ向きに駆け出した。先負にリングロープが迫る。狙いは一つ。ロープの反動でモヒカン男に飛び蹴りを食らわせる。多少のダメージは与えられるだろう。体が、思ったよりも硬くて反発係数の高そうなロープに触れる。そこから体を反転させ、モヒカン男に対して正面を向いた。左足で強くロープを蹴り、右足でモヒカン男に痛烈な飛び蹴りを食らわした、はずだった。実際には、ロープの弾力に上手く合わせられず、弾かれてリングに突っ伏している先負がいた。
「ゲハハハ」
「かっちょワリー」
地下格闘家集団にこけにされている。羞恥で顔を赤くする先負。しかし、顔を赤くするのも一瞬だった。モヒカン男に締め上げられ、たちまち顔が青くなったのだ。
「この光景…」
さっきも見たぞ。なんというワンパターンなやられ方。ああ、今度こそ本当に自分は死ぬんだ。悔恨の念が広がる先負。意識が朦朧としてきた。気のせいか友引の姿が見えたような気がした。そうかこれは走馬灯。本当に人生の最期に走馬灯って見えるんだ。よりにもよって、走馬灯に現れるのが友引だとは。それにしても、リアリティのある走馬灯だ。まるで本物のようだ。走馬灯の中の友引は、大きく振りかぶって延髄切りを先負の後ろに目掛けて食らわせた。
「ぐげっ」
先負の背後から汚らしい悲鳴があがる。
「先負、目を覚ませ」
走馬灯の友引は、パンパンと先負に平手打ちを食らわす。痛い走馬灯だなあ。
「しっかりしろ、先負」
もう一度平手打ち。これでようやく先負も我に返った。
「あれ、友引さん。死んだはずではお富さん」
「何言ってんだお前」
もう一度平手打ちをする仕草を見せる友引。
「だ、大丈夫。もう大丈夫だから」
気が付いてみると、すでにモヒカン男の締め上げがなくなっていた。
「あれ?」
背後を振り返ると、そこにはのびたモヒカン男が。
「これ」
先負は友引を指差した。
「そう」
言われてみれば、走馬灯の中の友引が延髄切りを食らわせていたような気がする。
「すごい」
「あたぼうよ」
ふんぞり返る友引。
「さっきやられていたのは」
「やられたふり」
「えっ」
驚く先負。
「本当に改心したか。疑っていたんだ。だから、それを確認したくて。一度やられたふりをしてみたの」
「なんと」
そこまで考えていたとは。
「でも、案の定改心していなかったみたいだね」
「残念ながら」
「許せない」
友引は怒りをあらわにした。どうやら裏切られたということが、彼女の正義感に火をつけたようだ。
「こういうやつは、少しぐらい怖い思いをしないといけないんだよ」
「えっ」
友引はモヒカン男の背後にまわり、羽交い締めを始めた。
「ガフッ」
再びモヒカン男は汚い悲鳴をあげる。
「!?」
モヒカン男は目を覚ました。すぐに現状を把握したようだ。
「ガガガ」
必死に抗いを見せるモヒカン男。が、脱出は不可能のようだ。友引は羽交い締め箇所を徐々に上にあげていく。やがて首を絞めている形になった。
「ガガガ」
モヒカン男はどうしようもない。
「どうだ?自分が締め上げられる気分は?」
「ガガガ」
モヒカン男は何かを喋ろうとしているが言葉にならない。口からはよだれが溢れている。
「苦しいか?苦しいだろう」
友引は依然手を緩めない。
「お前は同じことを先負にしていたんだぞ」
「ガガガ」
「先負だけじゃない。きっと多くの人間にしていたんだろう」
友引は周りを見ながら続けて言った。
「お前だけじゃない。お前たち全員もだ。この戦闘狂どもめ。人の苦しむ姿を見て喜ぶ変態どもが」
静まり返る地下格闘家集団。
「よく覚えておけ。この姿を。苦しむのは皆同じだ。苦しいときは皆同じ姿を見せるんだ」
「ガガガ」
とうとうモヒカン男はタップした。降参のサインだ。
「ギブアップね。でも、さっきあんたは先負がタップした手をどうしたんだっけなあ」
わざとらしく言い、タップした手をねじあげた。
「確かこうしたんだよなあ」
「アガガガ」
モヒカン男は涙を見せ始めた。
「ギブアップくらいは自由にさせてやれよ」
友引が言う。
「アガガガ」
「いいな?」
「アガガガ」
「分かったか?」
涙を流しながら縦に大きく頷くモヒカン男。
「よし」
友引はようやくモヒカン男を解放した。
「ゲボッ、ゲホゲホ」
モヒカン男は目を充血させながら激しくえずく。
「この戦闘狂のサディストが。少しは痛みを思い知れ」
傍から見てると、友引さんも戦闘狂のサディストなんですけど。と先負は思った。が、怖かったので黙っておいた。
「悪かった。俺が悪かった」
モヒカン男はむせながら、声を振り絞って言った。
「改心したか?」
「した。した」
「本当にか?」
「本当に」
このやりとりを見ていると、一見モヒカン男は改心したように思える。だが、この男はさっきあっさりと翻意した前科がある。
「もし、お前がまた裏切ったら」
友引は、指をポキポキ鳴らしながら言った。器用にいいタイミングで鳴らせるよなあ。
「どうなるか分かってるんだろうな?」
「はい。分かってます」
「お前だけじゃねーぞ。お前らもだ」
友引は、地下格闘家集団に向かって言った。他人事だと思っていた地下格闘家集団はピシッと一斉に背筋を伸ばした。
「これからは必要以上に対戦相手をボコるんじゃねーぞ」
「はい!」
「分かったか!?」
「はい!!」
「じゃあ、声に出して言え」
「これからは必要以上に対戦相手をボコったりしません!」
地下格闘家集団は声を揃えて言った。
「もう一回!」
「これからは必要以上に対戦相手をボコったりしません!」
まるで軍隊の上官と部下のようだ。
「お前も言うんだ。この野郎」
友引は、モヒカン男の襟首を掴みながら言った。
「これからは必要以上に対戦相手をボコったりしません!」
「もっと気持ちを込めて!」
「これからは必要以上に対戦相手をボコったりしません!」
「もっと滑舌よく!」
「これからは必要以上に対戦相手をボコったりしません!」
「ようし、いいだろう」
友引は、満足げに言った。ここまで多くの男たちを自分の意のままに操れたら気持ちいいものだろう。
「もう、その辺にしておけ」
ここでようやく仏滅が登場した。
「彼らも重々反省したはずだ」
「でも、一度裏切ってるんですよ」
「もう裏切らないだろ、この様子を見たら」
地下格闘家集団一同はうんうん、とうなずく。
「ほら」
「でも信用できません。ここは、私が常時監視を」
友引はとんでもないことを言い出した。
「信じることも大切だ。もう許してやれ」
「信じること」
「そうだ。相手を叩きのめすことだけが正義ではない。許して、信じること。これも正義だ」
「許して、信じること」
友引は、この言葉何度も口の中で繰り返した。
「そうですね。私は少しやりすぎていたかもしれません」
友引は冷静になったようだ。
「すみません、やりすぎてました」
友引は地下格闘家集団に謝罪した。
「いいです、大丈夫です」
地下格闘家集団はそう言った。そう言わざるを得ない。
「なんだ、このやりとり」
先負は思った。思ったけど口には出せない。実際、友引に大分助けてもらったし。
以上、今日の撮影は終了となった。先負は疲れ切っていたのでちょうどよかった。
「この撮影が、まだ続くのか」
帰りのロケバスでひとりごちる先負。
「なあに、折り返し地点までは来た」
仏滅が言った。
「そういや、僕たちが代役だということがばれないように、どうするつもりなんですか?もはや編集ではごまかせないレベルだと思うんですけど」
「それな」
腕組みしながら仏滅は言った。
「考えていなかった」
「考えていねーのかよ」
友引・先負は吉本新喜劇ばりにずっこけた。
「こういうときは」
「こういうときは?」
「君の出番だよ」
仏滅は一人の男は見つめた。見つめられた男はぎくりとなる。
「君の仕事だよ。赤口君」
「無茶ぶりはやめてくださいよ」
「無茶ぶりではない。君ならできると信じている」
「信じていることと、丸投げをすることは別のことです」
「君の腕にかかっているんだ」
「だいたい、今日の撮影もほとんど僕の脚本関係なかったじゃないですか。地下格闘家を恫喝するなんて、そんなこと書いてないですよ」
「まあ、そうなんだけど」
そうだったの!?
「でも、もはや編集ではごまかしきれない」
「それは監督のせいですよ」
「ストーリー上でごまかすしかない」
「くぅ」
赤口はバスの天井を仰ぎ見る。
「もう一度言う。このドラマは君の腕にかかっている」
赤口は依然天井を見たまま。しかし、何も考えていないわけではなさそうだった。
「赤口君」
「分かりました。分かりましたよ」
「何とかしてくれるんだね?」
仏滅は微妙に涙目になりながら言った。
「保証はできませんが」
「前向きに検討してくれるんだね?」
「やれるだけのことは」
「そうか。なら決まりだ」
「善処するだけです」
赤口はあくまでも予防線を張る。
「前向きに検討する、としか言ってません」
「その言葉で十分だ」
仏滅は穏やかな表情をたたえながら言った。このやりとりの中で、二人の信頼関係が見え隠れした。