モザイクが間に合わない!2
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翌日。三日連続撮影の二日目。早朝にもかかわらず、スタッフは全員集合。勿論、友引・先負も集合。今日は屋外ロケだ。天気は良好。絶好の屋外ロケ日和となっている。
「今日は屋外ロケだ。だが、屋外だからといってもこの天気だ。特に気をつけることもないだろう」
楽天的なことを言う仏滅。過度なプレッシャーを与えないようにしているのかもしれないが。
「今日は友引ちゃんに頑張ってもらおう」
「え?私?」
「やった、僕は頑張らなくていいんだ」
心底嬉しそうな声をあげる先負。よっぽど昨日はつらかったのだろう。
「どんな特別な演技になるんですか?」
さすがの友引も、昨日の先負のありさまを見て、若干の警戒をしている模様。
「何。演技自体は普通さ。演技自体はね」
もったいぶった言い方をする仏滅。はっきりと言ってほしいところだ。
「言うまでもないが、君たちは代役だ。先負君は池君の、友引君は狼垓さんのね」
今さら何を言う。
「だから、がっつりと顔は映せない。少しぐらいなら編集でどうとでもなるが、正面の顔がはっきりと映っているのは、修正しようがない」
これも今さらのことだ。
「はい」
友引は少しじれったく思いながらも先を促す。
「だから、こうやってもらう」
仏滅は何かを取り出した。
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撮影が始まった。場所は街の中。今回のドラマで初めて街中で撮影をする。いつもどおりの仏滅のスタートの掛け声とともに始まる撮影。
「確かこのあたりだったわよね」
これは友引のセリフ。カメラはバックショットで友引をとらえている。友引は、無意識のうちに狼垓の動きがコピーできるようになっていた。もはや狼垓のコピーについては達人の域になっていた。
友引は、路地を曲がった。怪しげな裏通り。場末の赤提灯や、何を売っているのかよく分からないお店が軒をつらねる。その通りの中に、異彩を放つ小屋があった。看板には「怪しい占い」と書いている。見るからに怪しい。
「『怪しい占い』これね」
友引は、再び独り言を言った。勿論、セリフだ。友引は軽く居住まいを正してから小屋の中に入った。小屋の中。薄暗く雰囲気のある内部だ。いかにもな占いの館である。
「いらっしゃい」
小屋の中からしわがれた声がかかる。見ると、奥には年齢不詳の女が座っていた。やはりこちらも怪しい。この女が占い師なのだろう。とはいえ、勿論、この女も役者である。
「迷っていますね」
占い師は友引の姿を見るにつけ、言葉を発した。
「なぜそれを?」
友引は驚愕の表情を見せる。占いに来る時点で、迷いがあるに決まっているだろうに、というツッコミは野暮というものである。
「この水晶にあなたの迷いがくっきりと映されています」
「水晶に?」
友引がのぞき込むも、水晶には何も映っていない。
「何も映っていないようですが」
「映っています」
占い師は断言する。
「あなたがここに来ることも分かっていましたよ。この水晶にくっきりと映っていました」
友引がのぞき込むも、やはり何も映っていない。だが、そんなことは気にせずに、
友引は朗らかな顔を見せる。
「やはり、噂通りあなたはすごい占い師なんですね」
「それで、どのようなご用件で?」
占い師は問いかける。
「単刀直入に言うわ」
友引は、ぐっと占い師に詰め寄って言った。その顔はとても切実なものであった。
「私、結婚できますか?」
そう。友引の役・御壺寧々は署内で、ものすごいお局ぶりを発揮しているために、男性署員からドン引きされ、完全に婚期を逃し、自分が独身であることをコンプレックスに思っている設定なのである。はっきり言って自業自得なのであるのだが、そんなことは本人は気づいていない。
「結婚できるか、ね。それでは、見てみます」
占い師は水晶玉の上で両手を広げ、ぶつぶつと何かを言いながら、水晶玉を食い入るように見つめだした。友引も見つめだした。
「出ました」
ごくりとつばを飲み込む友引。
「ずばり、今の段階では100パーセント結婚できません」
なんてこった。露骨にがっかりする友引。
「でも大丈夫。こうすればいい」
「こうすれば?」
占い師は、足元から何か物を拾い上げた。それは、半透明で向こう側があまり見えないガラスであった。いわゆる擦りガラスというやつだ。
「擦りガラス?」
「そう」
「これがどうかしたんですか?」
友引が問う。
「これが幸運のアイテム。今のままでは100パーセント結婚できない。でも、これを持っていれば100パーセント結婚できる」
「100パーセント!?本当ですか?」
友引は前のめりになって訊く。
「100パーセント間違いなし」
「それはすごい」
「でもね、一日12時間、手で持っていないといけないの」
「手で」
「そう、手で」
結構重みがある。これをずっと持ち続けるとは正気の沙汰とは思えない。日常生活に明らかに影響が出る。だが、100パーセント。それは魔法の言葉。
「それぐらいで100パーセント結婚できるならお安いものだわ」
「そう。前向きでうれしいわ。でもね、これは特別な力が込められた擦りガラスなの。だから、少しばかりこれがね」
指で上向きの輪っかを作る占い師。
「おいくらで?」
「3にゼロが6つつくわね」
「買った」
まさかの即断。御壺寧々はこの手の話においては、金に糸目をつけない人間であるのだ。
「じゃあ、ここにサインして」
占い師は準備よく契約書を取り出した。金額はまごうことなき300万円。友引は血走った目で契約書にサインした。
「ありがとうございました」
友引はほくほく顔で占いの館をあとにした。
「この擦りガラス、手放せないわ」
友引は、ひとり呟いた。
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「だから、今日は常にこれを持ってもらおう」
撮影前日、仏滅が取り出したのは擦りガラスであった。
「え?これって」
「擦りガラスだ」
知ってる。
「これをどうするんですか?」
「これで顔を隠すんだ」
「顔を?」
「そうだ。常に」
「どうやって?」
「こんな感じに、常に顔の前で持っているんだ」
仏滅は、片手に擦りガラスを持ち顔の前に掲げた。なるほど、確かに顔はモザイクがかかったかのようにはっきりと見えない。
「常にですか?」
「常にだ」
「でも、それって無理ありません?」
友引は当然の疑問を口にした。
「大丈夫。昨日のトリプルアクセルをやり続けるのも、十分無理があるから」
それを言っちゃおしまいだ。
「脚本では、いんちき占い師に買わされることになる。そこからは常に擦りガラスを手に持ち続けるんだ」
なんともやっつけな脚本だ。
「無理を承知で頼む」
そう言われたら、はい、と答えるしかない立場の友引。釈然としないまま、撮影に臨むことになった。
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昼食のシーン撮影。友引は、お洒落なオープンカフェにいた。御壺寧々はオープンカフェで昼食をとるのが好きで、ちょくちょくシーンにも出てくるカフェである。目の前にはコーヒーと軽食。友引はこれを食べるだけである。
「スタート」
号令がかかった。友引は、黙々と食べる。しかし、友引の前には例の擦りガラスがある。カフェのテーブルに立てかけてある。友引は、擦りガラスを意識しながら黙々と食事をとった。少し猫背気味にならないと顔が擦りガラスから出そうだったので、そこだけを意識した。
「はい、オッケー」
あっさりとオッケーが出た。
「なかなかだった」
「どうも」
なかなかも何も、擦りガラス越しにご飯を食べるだけだ。演技らしい演技ではない。これなら楽なものだ。
「では、次のシーンへいこう」
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次のシーンもやはり街中である。いわゆる繁華街で、人もごった返している。
「ここで捕り物をしてもらう」
仏滅は言った。
「捕り物?」
「そうだ。逃走した犯人を追いかけて、取り押さえるんだ。警察らしいだろ?」
仏滅は無邪気に言った。そうは言うが、この人の多さである。みんなエキストラなのだろうが、この人たちをよけながら、犯人を追いかけるのは、なかなかに難しそうなものだ。ましてや―――
「もちろん、この擦りガラスを持ってだ」
現れたのは例の擦りガラス。こうしてみると、結構でかい。1メートル四方ぐらいある。これを小脇に抱えるのは、だいぶ重そうである。
「それでは、撮影行くよ」
スタート、の掛け声とともに撮影が始まった。もうやけだ。とりあえず、やってみるしかない。友引は覚悟を決めた。前方には逃走犯。全速力で逃げている。あたりは雑踏の中。普通に走るだけでも難しい。ましてや、友引は手に擦りガラスを持った状態である。人にぶつかったらガラスが割れてけがをさせてしまうかもしれない。友引は、そのことに気をつかいながら走っている。当然、全速力で走れるわけでもなく、みるみる前方との差が開いてしまった。
「カット」
当然止められた。
「やっぱり走るのは厳しい?」
「厳しいです」
当たり前だ。
「もう一度いこう」
二度目の挑戦。しかし、やはりだめだった。友引の身体能力に問題があるわけではなく、物理的にきつそうである。
「もう少し逃走犯がゆっくり逃げるとか無理ですか?」
友引は聞く。
「僕は、本気の演技を撮りたい。本気で逃げる逃走犯を本気で追いかける友引君が捕まえる。そんな本気の演技をね」
そんなこだわりを見せる仏滅。とはいえ、今の状態では物理的に不可能だ。
「困ったときの脚本変更だ。赤口君呼んで」
仏滅は人を召喚した。
ややあって、一人の男が現れた。妙におどおどとした男であった。
「紹介しよう。脚本家の赤口剛君だ。急な脚本変更に対応できるよう、撮影に帯同
してもらっている」
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
赤口と呼ばれた男は、ぎこちなく挨拶をする。
「こんなだけど、頼りになる男なんだ」
そうは見えない。
「急ですまないが、書き直しをお願いしたい」
「無理ですよ、無理無理」
「擦りガラスを持ちながら走るのはきつそうなんで、なんとかしてほしい」
「なんとか、って、そんな雑な指示無理ですよ」
どうやら、「無理」と言うのが口癖のようだ。
「大丈夫。できるさ。一時間でなんとかして」
「二時間じゃないと無理ですよ」
赤口は無理無理言いながら去っていった。
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一時間後。赤口が帰ってきた。手には原稿らしきもの。
「おかえり。できたようだね」
「ほとんどやっつけですけどね」
手渡された原稿に軽く目を通す仏滅。
「よし、これでいこう」
友引にも渡された。
「これうまくいくんですかね?」
内容を見てつぶやく友引。
「うまくいくかどうか分からないけれど、時間がない。やってみるしかない」
仏滅はこれでやりとおすつもりだ。
「これで大丈夫なのかなあ」
だんだん不安になってきた友引。
撮影が再開。逃げる逃走犯。それを追いかける友引。手にはやはり擦りガラスを持っているが、そのせいで早く走れない。
「ああ、じれったい!」
友引はセリフを発した。
「ちょっと、あんた、これ持っといて」
友引は、近くにいたエキストラを捕まえて言った。
「え?あ?え?」
通行人役のエキストラは戸惑いを見せる。
「ほれ、あんたも」
友引は別のエキストラ2人にも声をかける。
「え?なんで私が」
「いいから」
無理やり擦りガラスを3人に押し付ける友引。
「それ持って私についてきて」
友引は駆け出した。
「え?え?」
わけもわからず、擦りガラスを抱えながら追いかけてくる3人。身軽になった友引は、あっさりと逃走犯に追いついて身柄を確保した。友引の身体能力をもってすれば、たやすいことである。大捕り物成功である。
「オッケー」
うまくできたようだ。
「いい感じだ。迫力もあった。擦りガラスで完全に隠すことはできなかっただろうから、多少の編集は必要だろうがね。三人もありがとう。ご苦労様」
編集。便利なものである。
「ていうか、擦りガラスなんか使わなくても、編集で私の顔があまり映らないようにすればいいんじゃいですか」
今更ながら、友引が提案する。
「それはだめだ。とにかく時間がない。できるだけ編集作業は少なくしたい」
よっぽど切羽詰まっているらしい。
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捕り物シーンも終えて、一向は移動。警察署内のロケとなった。ようやく屋内の撮影である。
「さあ、次は御壺寧々が御壺寧々らしくなるシーンだ」
なんのこっちゃ。友引は首をかしげる。
「御壺寧々が本領を発揮するシーンだ」
「本領?」
「そうだ。新人いびりだよ」
そうだった。御壺寧々はお局さんだった。
「好きだろ?新人いびり」
「いや、私は別に」
役柄と役者の素を混同されたら困る。
そうこうしているうちに、新人役の女優が現れた。二十歳そこそこの新進気鋭の女優である。友引もあまり見たことがない女優だ。とはいえ、役をもらえる以上、友引よりは上のステージにいる女優と言っていいだろう。
シーンの中身は単純明快。友引が新人を激しく叱責し、新人がひどく落ち込む。簡単なシーンである。―――何もなければ。
「だーかーらー、何度も言ってるでしょう!部長はブラック、課長はミルクのみ、課長代理はミルクと砂糖!」
友引が激しく新人をなじっている。勿論、手には擦りガラス。
「は、はい。分かりました。部長はブラ、ブ、ぶふふふ!」
「カーット!」
新人役は、手に擦りガラスを持ちながら叱責するというシュールな光景に耐えられなかったようだ。思わず吹き出してしまった。
「笑っちゃだめ」
「すみません。つい…」
新人役は申し訳なさそうに謝った。笑ってしまうのも無理はない。客観的に見れば悪ふざけ以外の何物でもない。
「もう一度」
テイク2。しかし、これも結果は一緒だった。
「すみません、本当に」
新人役は本当に申し訳なさそうだ。
「仕方ない。別撮りにするか」
仏滅は言う。別撮り―すなわち、友引と新人役を別々に撮るというわけだ。とはいえ、不自然な編集が増えるわけだから、あまり好ましいやり方ではない。仏滅もあまり気乗りはしていない様子。
「こんな感じではどうですか?」
友引は、仏滅に提案した。
「なるほど。それはいいかもしれない。赤口君、赤口君」
「またおよびですか?」
赤口は面倒くさそうに出てきた。
「脚本の書き直しをお願いしたい」
「いやです」
「何分でできる?」
「とても無理」
「30分でできるな」
「絶対無理」
「早速とりかかってくれ」
「ったく」
赤口はぶつぶつ言いながら去っていった。なんやかんや言いながら書き直すつもりなのだろう。仏滅と赤口の会話だけを聞いていればかみ合っていないようだが、実のところこの二人は阿吽の呼吸なのだろう。
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30分後。赤口はやはりぶつぶつ言いながら戻ってきた。なんやかんやできっかり30分で戻ってきた。やり手の脚本家である。
「できましたよ、ほれ」
赤口は、仏滅に原稿を渡す。仏滅はそれに軽く目を通した。
「ふむ。いいんじゃないか」
仏滅は、友引と新人役にも原稿を渡した。
「へえ」
「これでうまくいくんでしょうか?」
新人役は不安そうだ。
「なに、これでもダメだったらまた書き直してもらうさ」
「げえっ」
赤口はそれは勘弁という顔をする。
撮影が始まった。さっきと同じように友引が新人役を叱責するシーンだ。
「あんた、何もわかってないわね」
と友引。
「えっ」
と新人役。
「ちょっとこれ持ってなさい」
擦りガラスを手渡す友引。
「え、あのちょっと」
新人役は驚きうろたえる。手にはずっしりとした重量感。そう、擦りガラスは重いのだ。
「う、お、重い…」
そんな新人役を気にかけず、いびり始める友引。
「だーかーらー、何度も言ってるでしょう!部長はブラック、課長はミルクのみ、課長代理はミルクと砂糖!」
「は、はい、わかりました。部長はブラック、課長はミルクのみ、課長代理はミルクと砂糖」
復唱する新人役。今度は笑い出さなかった。重くて笑う余裕がないのだ。今までよくこんなの持って演技していたな。新人役は、感心しながら演技を続けた。
結局、その後も擦りガラスの重さのせいで吹き出すこともなく、無事に収録は続いた。
「オッケー」
無事乗り越えられた。
「よくやった」
安堵の表情を見せる友引と新人役。
「見事ないびりっぷりだった。さすが、普段からやっているだけのことはある」
「だから、普段からやっていないですってば」
「よし、次のシーンに行こう」
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次のシーンもやはり屋外だった。場所はテニスコート。この時点で友引は嫌な予感がしていた。
「次はテニスをしてもらう」
「まさか」
「もちろん、擦りガラスを持ったままだ」
嫌な予感は的中した。擦りガラスを持ったままテニス。そんなことが可能なのか。いくら身体能力が高い友引とはいえ、かなり心配である。
「できそう?」
そう簡単にできないと言うわけにはいかない。
「やってみるしか」
「いい返事だ」
友引にはテニス経験はない。ルールがなんとなくわかる程度。
「大丈夫。そんなに上手くなくてもいい。作中でも、気分転換にやる程度だ」
そう言われたら若干は安心する。
練習がてら軽くラリーをすることになった。とりあえず、擦りガラスは脇に置いておいて、普通に両手を使ってラリーをした。なるほど、テニスというのはこんな感じなのか。ラケットの感覚、ボールを打つ時の反動、コートの感触などを確認した。結構爽快な感じだ。趣味でやってもいいかもしれない。友引は思った。
「じゃあ、次はガラスを持って」
問題の擦りガラスを持ちながらである。当然片手はラケットで塞がる以上、片手で擦りガラスを持たなければならない。今まで両手で擦りガラスを持つことが多かったが、これからは片手で持たなければならないのだ。片手で持つ友引。ずっしりとした感触が右手に広がる。左利きの友引は左手でラケットを持つ。
「これは結構しんどいぞ」
何もしなくてもそう思う友引。これでラリーなんかできるのか。
「じゃあ、ラリーを」
そう思っているうちにボールが飛んできた。くそっ、よたよたと不細工な走り方をしてボールに追いつこうとするが追いつけない。続けてボールが飛んでくる。千本ノックかよ。今度は追いついたが、空振りしてしまった。
「厳しいか」
仏滅は残念そうな声で問いかけた。
「もう一度」
友引は自分を奮い立たせながら言った。再び地獄の千本ノック。なんとかボールに追いつけるようにはなったが、追いつくのが精一杯。ラケットの先っちょでボールをこずくのが関の山。とてもじゃないがラリーはできそうもない。
「ダメか」
ダメそう。友引も自分で思った。そう思いながら分析した。なぜ、ボールに追いつくのが精一杯なのか。それはもちろん、走るのが遅いから。なぜ遅いのか。それは、擦りガラスを持っているから。なぜ擦りガラスを持っていると走るのが遅くなるのか。それは擦りガラスが邪魔になって走りにくくなるから。なぜ走りにくくなるのか。それは足が擦りガラスに当たるから。
「そうか」
友引は何かに気づいたようだ。
「もう一度お願いします」
「いいのか」
「はい」
仏滅は驚きながら言うが、ラリーは再開された。
飛んでくるボール。友引はカニのように横歩きで走り出した。これなら、擦りガラスを抱えたままでも走ることができる。足がガラスに当たらないのだ。一般人はカニ歩きでは高速で走れないところだが、友引は違った。
「ぬおおおおおお」
友引は不細工な声を出しながら、ボールに追いついた。追いついただけではなく、ボールをきっちりと返球した。一度ならず何度でも。完全にラリーとして成立した。
カニ歩きをするのは横移動のときだけではなく、前にボールで飛んできて縦移動のときも、体を横に向けてカニ歩きでボールに追いついた。驚異の身体能力だ。そこらへんは、流石の友引である。
「うーむ」
仏滅は腕組みをしながら友引の努力を認めざるを得なかった。
「よし、それで撮影いこう」
カニ歩き撮影が始まった。友引は練習時と同じように不細工な声、不細工な姿をさらしながらラリーを数度行った。問題なくラリーはできた。
「よし、ラリーはそんなものでいいだろう」
ラリーは。ラリー以外にも何かやらせるつもりか。
「次はサービスを打ってもらう」
サービスとな。友引はサービスの打ち方など知らない。
「何、てきとうでいいさ」
そういわれても、見本が見てみたいものである。
「見本を」
友引は頼んだ。
「分かった。田中君」
仏滅は、さっきまで友引とラリーをしていたエキストラにサービスの手本を見せるよう言った。スパーン!鮮やかなサービスが決まる。
「彼はテニス経験者なんだ」
道理で上手いはずだ。友引は感心した。
「ここまで上手くなくてもいいから」
そういわれても、この擦りガラスを抱えたままでサービスなぞ打てるものなのだろうか。
「とりあえず、練習の時間を」
友引は頼んだ。
「いいだろう。納得いくまでやってくれ」
許可も下りたことなので、心おきなく練習することにした。まずは、トスだ。普通は、ラケットを持つ反対の手で上げないといけないが、右手が擦りガラスで塞がっているので、ラケットを持つ左手であげないといけない。かなり器用な動作が必要である。友引は、左手でトスを上げ、左手でサービスを打とうとしたが空ぶった。
「ダメか」
仏滅は残念そうに言う。
「いえ、もう一度」
あきらめの悪い友引は練習を続ける。が、なかなかうまくいかない。空振りをしたり、あさっての方向に飛んで行ったりする。
「仕方がない。ここは編集でごまかすか」
「まだまだ」
もういいと言われているのに、友引はなおもサービスをしようとしている。
「そう簡単に編集には逃げさせませんよ」
奇妙な自信の表情を見せ、友引は言う。
「でも、もうだめだろ」
「あきらめるのはまだ早い」
友引もなかなか頑固な人間である。考えろ。考えるんだ。今までもそうやってピンチを乗り越えてきた。よく考える。いい方法がないか考える。考えることが重要なのだ。
「あの、もう一回見本を見せてもらっていいですか」
友引は、ラリーの相手役のエキストラに訊いた。
「いいけど」
もう一度見れば何か思いつくかもしれない。淡い期待を胸に、友引はサービスを見ることにした。スパーン!やはり鮮やかなサービスが決まった。鮮やかなサービスを打つにはやはり、鮮やかなトスが必要。無駄な動きなしにトスを上げていた。さすがテニス経験者。自分はテニス未経験なのであのような鮮やかなサービスは打てないだろう。あのような鮮やかなトスは上げられないだろう。あのような鮮やかなトスは。
このとき友引の頭に閃くものがあった。鮮やかなトスなど上げる必要はない。自分は片手が塞がっているのだから。
友引は所定の位置に戻り、トスを高々と上げた。そう、高々と。無駄に高々と。どうしようもないぐらいに高々と。トスを高々と上げることにより、サービスを打つまでに余裕が生まれる。余裕が生まれればきれいなサービスが打てる。今までトスを普通に上げていたから、失敗していたのだ。高く上げればよかった。高く上げたトスを、友引は目いっぱい振りかぶった。が、空振りした。空振りした後に、ボールが落下した。
「ははは、少し早すぎたようだね」
早すぎるぐらいだったようだ。これならいける。友引は確信を持って高々とトスを上げた。
「おんどりゃー!」
これまでの苦労を思い、怒りをぶつけるつもりで、ラケットをボールにたたきこんだ。ボールはつぶれそうな勢いで相手側コートに突き刺さった。
「できた」
「よし、これでいこう」
仏滅は嬉々として、本番撮影にとりかかった。本番においても一発OK。これで、今日の収録分は終了となったようだ。
「助かったよ」
仏滅は満足げだ。
「なんとか乗り切れましたね」
「あとは編集を頑張ってもらえば、なんとか放送できるレベルにはなるだろう。これで当面の間乗り切れる」
「3週間分ですね」
「池君も狼垓さんもそのうち復帰するだろうから、今後は本人に頑張ってもらわな
いとな」
仏滅は暢気に言った。だが、その発言はすぐに甘い認識であったことが明らかになる。