映画が間に合わない!
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数か月の時が流れた。この間、少し大安吉日事務所に変化があった。仕事が少し増えた。先ごろ先負マケルと友引ケイコが無難に代役をこなしたことは、業界内にも多少は広まっているのだろう。だが、それらの仕事の多くは代役の仕事であり、本来の役者としての仕事は限られていた。大安は、不承不承ながらもそれらの仕事を受け付けていた。不本意ではあるが、役者としての仕事が以前より増えていることは事実。二人のステップアップにもなるし、経験を積ませる意味でも代役の仕事を受けた方が良いとの考えであった。大安の代役に対する考えは以前に比べ軟化していた。
代役の仕事は基本的に短いシーンのものが多かった。当たり前のことだが、あまりに長いカットのシーンでは、いくら芸達者の二人とはいえ、代役であることがばれてしまうリスクが高い。なので、どうしてもCMなどでの代役が多かった。春日部ナナのようなドタキャンは、さすがに少なかったが役者のスケジュールの関係などで、意外と都合がつかなく代役を頼まれることが多かった。先負も友引もそれら代役の仕事もある程度こなしていた。仕事をこなしていくうちに、二人とも確実にスキルと自信を身につけていった。
そんなある日、仕事の依頼がやって来た。代役の仕事である。例によって、三隣亡が仕事を持ってきた。もはや、ほとんど彼は大安吉日芸能事務所の一員であると言ってもいいだろう。
「聞いて驚くな。次は映画の仕事だ」
「映画!?」
驚く一同。ドラマの仕事は多いが、映画は滅多にない。
「なんでまた映画で?」
「へっぽこ映画じゃないのか」
口々に疑問を口にする一同。微妙にディスる言葉も出てきた。
「まあ、映画といっても予告編なんだけどね」
「予告編?」
「予告編だけわざわざ別撮りなんですか?」
「そういう映画もあるにはあるそうだ」
三隣亡が答えた。
「誰の映画だ?」
大安は疑問を口にする。
「それが」
三隣亡は、友引の方をちらりと見て言った。
「仏滅武雄監督だ」
「仏滅?」
友引はきょとんとしながら言う。
「おいおい、分からないのかよ」
三隣亡は、わざとらしくずっこけるふりをする。ずっこけるふりだけど、床が微妙に湿っていて、本当にずっこけそうになったことは内緒だ。
「『ママヤツ』のディレクターだよ」
「あ」
これにはさすがにピンと来たのだろう。忘れたくても忘れられない。あの狼垓のクソババア.
今でも腹が立つ。
「役者なんだから、監督の名前ぐらいは勉強しとけ」
大安は呆れながら言う。
「え、でも『ママヤツ』はテレビドラマだし」
「人によっては、テレビドラマのディレクターも映画の監督もどちらもやることもある」
「そうなんですか」
知らなかった。なんとなく、自分の中にテレビドラマは映画の下、といった序列が存在していたので映画監督がテレビドラマの仕事をするとは思っていなかったのだ。
「まあ、そこらへんは、おいおい勉強するということで今日はご勘弁をお願いします」
友引は頭を掻きながら言う。
「よりによって、『ママヤツ』のディレクターさんか。奇妙な偶然ね」
「偶然じゃないよ」
三隣亡はぴしゃりと言った。
「仏滅監督直々の指名だよ」
「え」
「仏滅監督からの是非出てほしいというオファーだよ」
監督直々の指名。それはこれ以上ない名誉だ。代役だけど。
「『ママヤツ』で、大分友引さんの腕を買っている感じだったよ」
「やったじゃないか」
大安は目を細める。
「この調子でいけば、監督直々に正規の役の指名を受けることになるかもしれない」
大安は打算的なことを言った。
「受けなさい」
「はい。それはそのつもりです」
友引は背すじを正して言う。
「今回は、友引さんだけじゃないんだ」
「え」
「先負君にも来てる。これも監督直々の指名だ」
「本当ですか」
先負は驚きながら言った。
「なんでまた」
「今回は、男女ペアで代役が必要らしい」
「二人も欠員出てるんですか?」
相変わらず欠員の多い業界である。
「仕事内容はどんなのだ?」
肝心なことである。大安吉日芸能事務所はなんでも屋ではない。しかし、仕事内容もロクに聞かずに、受けなさいとか言うなよ。
「映画のタイトルは、『プロジェクト・コンコルド』。アクション映画です」
「仏滅監督が、アクションか珍しいな」
『ママヤツ』とは大違いの作風である。
「どうした、先負?」
先負が、がたがたと震えている。
「アクション…。代役…。」
勘が良くて気の弱い先負は察した。
「それって、スタントじゃないですか。高いところは嫌ですよ」
激しい拒絶を示す。
「スタントじゃないよ。二人に求められるものは本物っぽい演技力。形態模写と声帯模写だ」
三隣亡はなだめる。
「本当ですか。ならいいんですけど」
安堵の表情。
「どういうシーンですか?」
友引は訊ねた。
「まだ決まっていないらしい」
「らしいって…」
いつもどおりいい加減な業界だ。
「主演は、悪書ハイユ。助演は、見目ウルワシ。この二人の代わりをやってもらう」
「悪書ハイユと見目ウルワシ」
悪書ハイユと見目ウルワシ。どちらも有名な俳優である。悪書ハイユは、アクションシーンに定評がある俳優である。危険なシーンでもまったくスタントを使わず、自分の体一つでやりとおすことで有名である。見目ウルワシについては超大企業の令嬢でありながら、庶民の生活を知るために女優の道を志し、若手ながら見事人気女優の座をつかみ取ったという、変わった経歴の持ち主である。非常におしとやかで上品であり、雰囲気はまさに大正時代の深窓の令嬢。
「僕が見目ウルワシの代わりで、友引さんが悪書ハイユの代わりですよね」
「なんでそうなる!?逆に決まってるでしょ!」
「えー」
先負はアクションシーンをやりたくないようだ。それもそのはず、
「僕、高いところ苦手でして。いわゆる、高所恐怖症ってやつです」
「大丈夫。アクションシーンを代わるわけではない。先負君がやるのは、あくまで演技の部分。多分」
「多分。今、多分って言ったよ!」
先負は、じたばたする。
「なんで二人も欠員が出たんだ?」
大安が訊ねた。
「これですよ」
三隣亡は写真週刊誌を取出し、机の上に置いた。その写真週刊誌は有名なゴシップ誌であった。下世話な話題の多い写真週刊誌である。週刊誌にはこのような見出しが付いてあった。
『悪書ハイユと見目ウルワシ。深夜の100均デート!』
「なんじゃこりゃ」
友引は、記事を読みだした。―今、飛ぶ鳥を落とす勢いの悪書ハイユ(30)と見目ウルワシ(27)。今冬公開予定の映画『プロジェクトコンコルド』で二人が共演するのはご存じだろうか?今まで特に浮いた噂のなかった二人だが、深夜の100均から仲睦まじく出てるところを発見(次ページ写真)。100均の買い物袋には何が入っているかは定かではないが、二人はそのまま夜の街へ消えていった。二人をよく知る知人のAさんはこう語る。「これは、もう完璧できてますよ、はい。だって見て分かるもん。隠そうとしてるけど、絶対見て分かるもん。」また、共演者のBさんもこう語る。「前からねえ、怪しいと思ってたんですよ。だってよく二人は会話してるし。話してるところ2回見たことあります。あと、一緒に食事してるの見たことあります。嘘じゃないですよ。ロケ弁一緒に食べてましたもん。」と、このように二人の関係を裏付ける証言も多々ある。今後、二人の「プロジェクト」はどのように進展していくのか!?映画の内容以上に目が離せない!―なんという中身のない記事。こんなのが売れるのか?友人A・共演者Bというのもおそらくでっちあげ。架空の人物であろう。
「しょうもない。よくあるスキャンダルじゃないですか」
友引は、雑誌を投げ出しながら言った。
「でも、なんでこれぐらいで、二人とも撮影できなくなったんですか?」
「見目ウルワシは、社長令嬢だ。噂では、大企業の社長の息子との婚約が控えていたらしい。見目ウルワシの父親がカンカンでね。記事が出回った途端『こんな悪い虫につかれるぐらいなら、女優なんかやめてしまえ!』って怒り心頭に発したらしい。なんでも見目ウルワシは現在、実家に幽閉状態で、最悪このまま降板どころか引退の可能性もあるらしい」
「27歳にもなって、親がそこまで干渉してくるなんてね」
「それだけ厳しい家なんだろう」
見目ウルワシが出られないのは分かった。
「では、悪書ハイユは?」
「悪書ハイユは、あれで結構真面目で繊細なところがあってね。自分のせいで、
見目ウルワシが引退させられるかもしれないことに強く責任を感じているらしい。それで、引きこもってしまって連絡もつかない状態だとか」
強く責任を感じているのなら、その責任感を映画制作にまわしてもらいたいものだが。
「幸い二人が出るシーンは、クランクアップ状態で、差し替えが必要なシーンにだけ出てほしいってことだ」
『ママヤツ』と同じような感じか。
「それならまだやれるかも」
先負は安堵したようだ。
「じゃあ、二人とも引き受けてくれるということで?」
二人は首肯した。
「よかった、よかった」
三隣亡は、そう言いながら出て行った。
「大丈夫?」
友引が心配そうに先負に問う。
「大丈夫って何が?」
「悪書さんの代役でしょ?」
「アクションシーンではないみたいだし、難しいことはやらされないでしょ」
先負は油断しきって言う。
「だといいんだけど…」
友引の心配は的中することになる。
12
撮影日。先負はガタガタと震えていた。
「こ、こ、これは、何ですか…」
これは屋上です。ビルの屋上です。風も吹いてます。足場も悪いです。そんなところに、友引・先負の二人はいた。
「やっぱり。嫌な予感がしてた」
友引は言った。
「お、お二人さん、来てくれたんだね」
仏滅監督がにこやかにやって来た。
「お久しぶりです」
友引が仏滅に会うのは『ママヤツ』以来である。約半年ぶりだ。
「『ママヤツ』のときにはどうもありがとう。私も狼垓のばあさんには手を焼いていたんだ。君がビシッと言ってくれたおかげで、撮影もすんなり行った。正直、もう撮影は続けられないと思っていたんだよ」
「いえ、そんな、大したことしてないです」
そう言いながらも、友引の顔を得意満面である。
「ところで、隣の彼は大丈夫かな?」
そう言われた先負の顔は蒼白顔面である。
「だ、だ、だ、ダメかもしんない」
まだ何をするかも聞いていないのに、非常にネガティブな発言をしている。なんとなく、何をするかは想像つくが。
「ひょっとして高いところ苦手かい?」
「大変に苦手です」
既に先負は半泣きである。そんな先負を更に叩きのめすかのように絶望的なことを話す仏滅監督。
「そうか。それは困った。このビルを屋上から、下まで駆け下りてもらいたいのに」
正気か?スタントマンでもそんなことしないぞ。
「大丈夫。命綱はつけるから、よっぽど運が悪くない限りどうということはない」
よっぽど運が悪かったらどうなるんだろうか?
「い、い、いのちづななな…」
もはや喋ることもままならないありさま。
「なんでまたこんなシーンを撮りなおしに?」
「ばっちりOKテイクだったんだけどね。あとでよく見返してみたら、微妙に命綱が映っていたんだ」
ありがちなミスである。
「今回は、カメラの角度を考えて、映らないようにする」
仏滅監督は撮りなおす気満々である。しかし、肝心の役者が、
「カメカメカメの映らななな…」
およそ使い物になりそうもない。
「これは困ったな」
「ぼぼぼ僕が一番困っててて…」
友引は意を決して言った。
「私では無理ですか?」
「君がやるのかね!?」
仏滅も驚いたようだ。
「しかし、君は女。いくらなんでも、女がやるとばれそうな気がするが」
「いつも通りバックショットが中心ですよね?オリジナルの命綱が映っていない部分の映像と混ぜてしまえば、それっぽくなりませんか?」
「確かに編集次第で上手くいくかもしれん」
仏滅は右手で下あごを覆いながら考えた。
「よし、それで行こう。おい、今すぐ友引さんを着替えさせろ」
仏滅はスタッフに友引の身柄を引き渡した。
13
ややあって、友引が着替えて出てきた。本来、先負が着る予定だった衣装に身を包んでいる。すなわち、悪書ハイユが映画の中で着た衣装に身を包んでいる。男装である。
「似合っているな」
仏滅が褒めているのか皮肉を言っているのかよく分からないことを言う。
「ごめんね、友引さん」
ようやく平静さを取り戻した先負が謝った。
「まあ、いいってことよ」
「では、友引さん、こちらへ」
助監督に促され、屋上の際のところへ近づく。柵はない。下を覗き込んだ。なるほど、ビルとはいえ、完全に壁が垂直になっているわけではなく、スロープ状になっている。屋上から下まで『落ちる』ではなく、『駆け下りる』と仏滅が言ったのはまさしくそのとおりなのだろう。高さは、30~40メートルといったところだろうか。
「できそうですか?」
助監督は訊ねた。
「なんとか」
「練習はいる?」
「いえ、1回で決めてみせます」
高いところは苦手ではない。遊園地の絶叫マシーンは得意だし、故郷の新潟では、山中にあるため、ちょくちょく屋根に昇って雪降ろしもしていた。命綱だってある。なにより、悪書ハイユはできていた。いくらアクション俳優とはいえ、同じ人間だ。できないはずはない。
友引は、大きく深呼吸した。
「オッケーです」
「よし、シーン48、スタート!」
意を決してビルの壁面を駆け下りた。
「とりゃあああ!」
思わず掛け声をあげながら走り始めた。スロープ状になっているとはいえ、傾斜はかなりきつい。尻餅でもつこうものなら、そのまま下まで滑り台のように行ってしまうだろう。走る。しかし、転んではいけない。そのような微調整の必要性を直感的に感じた。壁面は意外と走りやすかった。ただ、ところどころに窓があり流石に窓の上を走るのはまずいので、若干蛇行しながら駆け下りていった。最初は慎重に走っていたが、慣れてきたので少しスピードを上げてみる。だが、それが失敗だった。上げてみたスピードは僅かだが、重力の力を侮っていた。予想以上に一気に加速がつく。足腰には自信があったが、スピードアップに耐えきれなかった。最初はなんとか、スピードについて行っていたが、それもすぐ限界になった。こける、といった感じではなく、自然と膝から崩れ落ちていった。膝→腰→胸ときて最後には顔。全身が壁面に張り付いてしまった。傾斜のために滑り落ちていく全身。摩擦が痛かった。
「がっ!」
思わずうめき声を出してしまった。滑り落ちながらも、なんとか立ち上がろうともがくが、上手く立ち上がれない。このままでは立ち上がれない。何か手でつかめるものはないか、目をせわしなく動かすと、右の方に窓の庇があった。これならば、と手を伸ばした。しっかりとつかめた。幸い、利き手の方向。滑り落ちながらとはいえ、手に力が入りやすい。
「くーっ!」
渾身の力を込める。肩に痛みが走ったが、こらえて足にも力を入れる。右足、左足と順番に。天地がひっくり返るような感覚を受けながらも、なんとか立ち上がることができた。
そのまま再び走り出した。鼻が熱い。おそらく鼻血が出ているのだろう。そんなことを気にしている暇はない。とりあえず壁を駆け下りる。それが自分の仕事。そこからは早かった。一気だった。地面に足をつけたとき、えもいわれぬ達成感があった。
「オッケー!」
助監督の声がこだまするのと同時に、
「大丈夫かー!?」
仏滅の心配する声が飛んできた。
友引は何も答えない代わりに、右手の親指を立てた。
14
「良かった、良かった」
心底ほっとした表情の仏滅。もう、ここはビルの屋上ではない。安全なところに降りている。
「こけたときはどうなるかと」
少し涙ぐんでいるのは先負。自分の代わりなので、友引に何かがあってはいけない、と責任を感じていたのだろう。
「お見苦しいところをお見せしまして」
友引はベロを出しながら言った。
「いや、いい。よくやった。転んだ方がリアリティがある」
「思いっきり声も出しちゃいましたし」
「声ぐらい、音響がいくらでも差し替えてくれるさ」
仏滅はまったく意に介していない。とにかく、ビジュアル的に迫力があるものが撮れればそれで良かったのだろう。
「このシーンはこれでオッケーだ。次行こう、次」
次。いったい何があるのか。
「怖いのじゃなければいいんだけど」
先負は怯えながら言った。
「怖いのでもいいんだけど」
友引は得意そうに言った。
「移動だ」
友引と先負はロケバスに乗せられ、移動となった。
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場所は変わって屋内。古い屋敷の中である。本当の屋敷であった。いわゆる、「お屋敷」である。屋敷のダイニングルームである。長いテーブルに純白のテーブルクロス。もちろん、卓上には美味しそうな料理の数々。いやがおうでも二人の心は期待に満ちてくる。
「食事のシーンですか?」
「そうだ」
「本当に食べるんですか?」
「当たり前だ」
「うっほー」
さっきとは打って変わって、ぬるそうな撮影現場である。ぬるそうなだけになんとなく不安が出てくる。
「大丈夫ですか?」
「何がだ」
「毒とか入ってません?」
「入ってるわけないだろ、死ぬぞ」
「ならいいんですけど」
さっき死にそうな目にあったんですが、と友引は言いかけたがやめた。考えてみれば、映画の撮影はほとんど安全なものばかりだ。さっき体をはったので、どうしても危険がありそうな方向に考えてしまうが、それは考えすぎというものであろう。仏滅から告げられた言葉も、いたってまともなものであった。
「ここは、本来見目ウルワシが出演するところだった。友引君が言ったとおり食事のシーンだ」
「見目さんの」
「そうだ。だから、必然的に友引君が出演することになるな」
「また私のターン」
飯が食える。ただで。友引はガッツポーズをした。
「悪書さんは出ないんですか?」
タダ飯を食うために、先負はしつこく聞く。
「残念ながら、見目さんだけだ」
仏滅はちっとも残念じゃなさそうに言った。出られるのは友引一人だけのようだ。
先負はタダ飯を食えない。
「で、シーンの説明だが」
仏滅は淡々と言う。
「見目ウルワシは、深窓の令嬢、『マドミお嬢様』の役」
深窓の令嬢役、って、めちゃくちゃ当て書きじゃないか。
「その『マドミお嬢様』が食事を摂るシーンだ」
「ふむふむ」
友引は、説明に聞き入っている。
「問題はその『マドミお嬢様』なんだが、父親にものすごく厳しくテーブルマナーをしつけられており、完璧な所作で食事を摂るわけだ」
「テーブルマナー」
「そうだ。できるか?」
「テーブルマナー、テーブルマナー、テーブルマナー」
友引は壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返す。
「どうした?」
友引の様子がおかしい。
「いえ、なんでも」
友引は笑顔で言う。だが、明らかに顔はひきつっている。
「テーブルマナーテーブルマナーテーブルマナー」
念仏のようにぶつぶつ唱えている。
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若干の不安を抱えつつも撮影が始まった。友引の目の前にはホカホカのご馳走が。なんでも、一流のシェフに作ってもらったらしい。
「シーン47、スタート」
友引は、ナイフとフォークを手に取る。左手にナイフ、右手にフォーク。
「カーット」
さっそく止められた。
「友引君って左利き?」
「いえ、右利きですけど」
「じゃあ、なんでそうなるの?」
「そうなる?」
「普通、ナイフは右手に持たない?」
友引はようやく気付いたようだ。
「あ、いっけね。ついうっかり間違えちゃった」
「つい、うっかり、ね」
仏滅の不安は強くなる。
TAKE2。今度はちゃんと右手にナイフ、左手にフォークを持っている。好きなものを好きな順で食べていいということなので、とりあえずライスから食べてみる。友引は、ナイフでライスとり、フォークの背にこすりつけた。
「カーット」
また止まった。
「何やってるの」
「いや、こうやってご飯を食べようかと」
「食べにくいだけでしょ、そんなことやっても」
「婆ちゃんがこれが正しい食べ方だと」
「今はそんな食べ方はマナー違反扱いだよ。フォークで普通にすくって食べればいい」
そうだったのか。友引は赤くなる。
TAKE3。もう失敗は許されない。とりあえず、ライスを改めて食べてみよう。
今度は、フォークの腹ですくってみる。これでいいんだろうか、不安そうな顔で監督の顔を見る。
おいおい、あまりこっちを見るな、めちゃくちゃカメラ目線になってるじゃないか、仏滅は心の中でダメ出しする。
仏滅は若干渋い顔をしているようだが、撮影は続行。これでいいのだろう、友引は安堵した。次に友引は、肉を食べることにした。というか、一番最初に肉を食べたかった。むしろ肉だけでも良かった。でも、あまりがっつきすぎると下品な女だと思われるので自重していた。本命は二番目にとっておく。それが、がっついていると思われない秘訣である。友引は、ナイフで肉に切れ込みを入れる。そしてそのまますーっと、ナイフで真下に引いていく、のをイメージしていたが、現実は違った。予想よりも肉が硬かった。何度も何度もナイフを引くが、糸状の肉が左右を結び付けており、それが何本もある。しまいには、のこぎりのようにナイフを前後にやった。切れない。切れない。焦りが生じる。友引は不安になって、監督の方を見てみる。仏滅は、手で顔を覆っていた。絶望を感じながら、友引はナイフとフォークを右手の親指と中指で挟んで持ち、そのまま箸のようにして食べ始めた。
「カーット」
そら止まるわ。
「ナイフとフォークでご飯食べたことないでしょ」
「ないです」
正直に答えた。友引は、ナイフとフォークで食事をしたことが皆無であった。
「結婚式とかで食べたことないの?」
先負が驚きながら言う。結婚式。友引は一度だけ参加した結婚式のことを思い出した。結婚式とは言っても、披露宴のようなものではなく、行きつけの喫茶店で貸切でやったことを思い出す。仲間と一緒に特攻服を着て店の中でウンコ座りしながら肩を組んで歌を歌った。そんなお店だから当然、ナイフとフォークを使うような料理は出ない。
「ないね」
仏滅も先負も驚きを禁じ得ない。
「なぜ一度も使ったことがないと言わなかった?」
流石に仏滅もいらいらしている。
「そんなことを言ったら仕事が逃げてしまう。やったことないこと、苦手なことでも率先してやらなきゃ。仕事を選べる立場ではないんだから」
と、殊勝なことを言った。
「言うことは立派でも、そのナイフとフォークの使い方じゃなあ」
「すみません」
友引は、へこみながら謝った。さて、どうする。時間はない。新しい役者を手配する余裕もない。となると―
「僕がやります」
おずおずと先負が手を挙げた。
「先負君」
「先負」
仏滅も友引も驚きの色が露わである。
「大丈夫なのかね?」
「大丈夫です。ナイフとフォークを使うのは得意です」
「いや、そうじゃなくて女の役なんだよ」
「それも大丈夫です」
「女装しなきゃいけないんだよ」
女装、そう言われたら少し抵抗が出てくる。あいにく、というか当然、先負には女装癖はない。
「それも…大丈夫です」
先負は先ほどの友引の言葉を聞いて耳が痛かった。「やったことないこと、苦手なことでも率先してやらなきゃ。仕事を選べる立場ではないんだから」―まさしく自分のことではないか。高いところが苦手という理由で、飛び降りのシーンを降板してしまった。結果として友引が上々の演技をしたから良かったものの、本来は自分が受けなければならない仕事であった。そうだ。自分は仕事を選べる立場でない。がむしゃらに、来た仕事を一つ一つこなしていく、それが自分に求められているのだ。
「このままでは僕の存在意義がありません」
先負は強く言った。
「分かった。君の責任感の強さは伝わった。」
仏滅は根負けしたようだ。
「君を男にしてやろう」
女装するんですけど。先負は思ったけど、空気を読んでやめた。
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数分後。そこには女装した先負がいた。まあ、醜悪なものです。ひどい有様です。先負は激しく後悔した。仏滅も後悔した。
「顔は映らないようにするから」
仏滅は言った。というか映したくない。カメラが穢れてしまう。カメラマンは思っていた。
「シーン47、スタート」
撮影が始まった。先負は腹ペコだった。待望の食事のシーン。文字通り指を咥えて見ていることしかできないと思っていた。だが、こうやって自分に役が巡ってきた。
自分が関われそうな仕事は全部積極的に受け入れていくというこれまでの友引の姿に感銘を受け、同時に焦りを感じていた先負は、ハングリー精神に満ち満ちていた。そして胃袋の中もハングリーだった。がっつきたい衝動をなんとかこらえ、丁寧にナイフとフォークを動かしていく。
美しい所作だった。先負にはテーブルマナーが身についていた。先負がいいところのお坊ちゃんだった、というわけではなく、過去にマナー講習のモデルとしてDVDに出演したことがあったのである。マナー講習である以上、下手なことはできない。これまで箸の持ち方すら汚かった先負は徹底的に練習をする必要があった。マナー講習のビデオを10本ぐらい見て、完全に頭に叩き込み実践した。マナー講習に出演するために、マナー講習のビデオを見るというのはなんとも本末転倒な感じがするが、そのような泥臭い努力を厭わない部分が先負にはあった。
「オッケー」
高らかに仏滅はオッケーを出した。
「見事だった。その外見からは想像できないほど、素晴らしいテーブル作法だった」
「ありがとうございます」
深々と先負は頭を下げた。でも、外見の話はしないでほしい。
「顔は編集でどうとでもなる。手の使い方が重要だ」
「はい」
「立派だった。本当にどこぞのお嬢様だと思ったよ。その外見を除いては。分からんもんだね、外見からでは」
「良かったです」
仏滅は本当にほっとしているようだった。でも、外見の話はしないでほしい。
「二人ともお疲れさん。今日はこれで終わりだ」
どうやら終了のようだ。友引も先負もほっとした表情を浮かべる。
「明日も同じ時間に来てほしい」
「明日もあるんですか?」
「ああ。言ってなかったっけ?」
「てっきり今日で終わるとばかり」
先負はさっと顔色を変えた。
「むしろ明日が本番だ」
「えーっ?」
あんな高いところから飛び降りたりしたのが、前哨戦だとは。いったい何をやらすつもりだ?
「何をやるか聞きたいか?」
「そりゃ、もちろん、聞きた―――」
先負の言葉の途中で、友引が遮った。
「いえ、楽しみにしたいんでいいです」
「えーっ?」
抗議の声を上げる先負。
「ま、いいんじゃないの。どんな仕事でも粛々とこなすまで」
「でも、心の準備があるし」
「じゃあ、先負君にだけ」
仏滅は少し離れたところに先負を連れて行き、耳打ちした。
「えーっ?」
「声が大きいぞ」
またもや抗議の声を上げる先負。どうやらあまりよろしくないことをするようだ。まあいい。さっき言ったように与えられた仕事を粛々とこなすまで。友引は強く思った。
18
翌日。日はまだ高い。昨日に続いて屋外での撮影になる。アクション映画だからどうしても屋外の撮影になるんだろう。仏滅が昨日と同じ調子でやって来た。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。昨日はよく眠れたかな」
「はい」
そう答えたのは友引。
「いいえ、全然」
そう答えたのは先負。目の下に隅ができている。
「逃げずに来たか。偉いぞ」
「逃げようと思いました。でも、どこに逃げればいいのか分かりませんでした」
「情けないことを言うなあ」
呆れた声を出す仏滅。
「ま、ちゃんと来たことはほめておこう。でも休養は大事だぞ。なにせ、今日はこの映画で最も大切なシーンだ」
「なんと」
昨日はそんなに大切なシーンじゃなかったのか。愕然とする先負。
「昨日のはいったい…」
「いや、昨日は昨日で大切だったんだが…。昨日はさ、君たちしかいなかっただろ?」
「しか?じゃあ、今日は他に誰かいるんですか?」
「そうだ。まだ来ていないんだが。あ、来た来た!」
仏滅が見た方を振り返ると、男がいた。友引も先負もよく知っている、俳優・池スカナイであった。
「おはようございます。遅くなってすみません」
池が言葉とは裏腹にちっとも悪びれた様子もなくやって来た。
「おはよう」
「おはようございます」
仏滅・友引・先負もそれぞれあいさつをする。
「?こちらの方は?」
池は、見慣れぬ二人に目を留めた。
「こちらは友引さんと先負君だ」
「はじめまして」
二人は頭を下げた。池はあいさつも返さず、依然怪訝な顔をしている。
「いちおう、君の同業者だ。悪書君と見目さんが来れなくなったんで、代役をお願いしている」
「代役?ああ、なるほど」
ようやく合点がいった様子。
「ということは、君が悪書君の代わりで―」
池は、友引を見ながら言った。
「君が見目さんの代わりというわけだな」
池は、先負を見ながら言った。
なぜそうなる?いや、でも昨日は結果的にそんな感じになっていたから、あながち間違ってもいないのか。
「冗談だよ」
と、たいして面白くもない冗談を言った。
なんとなく友引と先負は池をいけ好かなく思っていた。どことなく、自分たち二人を小馬鹿にしているような雰囲気を漂わせていた。
「で、監督。俺は何をすればいいんですか?」
「ここを見て分からんか」
仏滅はニイッと笑った。
辺りは採石場だが採掘場だがよく分からない無人の場所。昔の特撮ドラマで使われそうな場所である。
「爆発シーンだ」
「爆発シーン!」
一同、驚きの声をあげる。
「爆発シーンって言うと、ドカーンってやつですか?」
友引は、意味のない質問をする。
「ドカーンってやつだ」
流石、映画。これまでやってきた仕事とはレベルが違う。
「で、誰が爆発するんですか?」
「君たちだよ」
仏滅は、友引・先負・池の三人を代わる代わる指さした。ここにいる役者全員が爆発する。
「冗談じゃなかったんですね」
上ずった声で言う先負。すでに泣きそうである。
「勿論、本当に爆発に巻き込まれるわけではない。爆破されるフリだ、フリ」
そりゃそうだ。
「爆発シーンなんてあったんですか?」
池は仏滅に訊ねた。どうやら池もここに来るまでどのようなシーンをやるか知らなかったらしい。
「そうだ。『プロジェクトコンコルド』で、残ってるのはこのシーンだけ。ハイライトと言ってもいい。しっかり頼むよ」
よりにもよってえらいシーンだけ残ったものである。悪書ハイユと見目ウルワシが降板したのは、このシーンに出たくなかったからでは、と邪推してしまう。
「今どき、CG処理ではなく本当に爆発させるんですね」
「私のこだわりだ。CGの炎や爆発なんて所詮はニセモノ。予算の少ないテレビドラマでは許せるが、映画でやってはダメだ。スポンサー相手にごねてごねてごねまくって、何とか予算を引っ張って来れたよ。2回分だけだけど」
「2回分!?撮り直し1回しかできないじゃないですか!?」
「君たちの責任は大きいよ」
「プレッシャーかけないでくださいよ」
震えあがる先負。
「まあ、大丈夫。見た目の割には安全だよ。さて、流れだが…」
仏滅はシーンの段取りの説明を始めた。流れはこうである。シーンとしてはバイクでの追撃シーンとなる。逃走者である池を友引と先負が追走する。バイクで逃げる池。バイクで追いかける先負。先負の後部には、友引が座っている、という具合だ。先負たちは、テロリストから狙われており、グレネードランチャーをぶっ放される。ランチャーの爆撃をかいくぐって追撃をする、という具合だ。
「無理無理無理無理。スタント使いましょうよ」
激しく顔の前で手を横に振る先負。
「予算の都合で雇えない」
また予算の話か。景気の悪い話だ。
「僕、バイクの免許持ってませんし」
「私有地だから大丈夫」
「車の免許すら持ってません」
「私有地だから大丈夫」
「原付の免許しかありません」
「私有地だから大丈夫」
先負の運転できないアピールも仏滅は意に介さない。つくづく、この人も頑固な人だ。
「バイク…。代わりに私ができませんかね」
舌なめずりしながら訊くのは友引。
「そそそそ、友引さんが適任だよ。なんせ、友引さんは元・暴…」
「バイク好きなんです!私!」
ものすごく大きな声で遮った。
「それでもいいけど、だとしたら先負君が後ろに乗ることになるよ」
「え?乗らなきゃいけないんですか?」
「そりゃ、他に人いないし」
役者陣は、友引・先負・池の三人。それ以外は全員スタッフである。
「少しでも怖くないんだったら、後ろの方がいいです」
ということは、再び二人の性別が入れ替わることになる。すなわち、友引が本来、悪書がやるはずの役をやり、先負が本来、見目がやるはずの役をやるということになる。
「では、衣装を着てもらうか」
衣装チェンジタイムとなった。
着替えてやって来た二人。友引は男装。先負は女装。
「うぐっ」
「むうっ」
先負の女装姿を見て、仏滅と池は低い悲鳴をあげた。
「クるなあ」
「キますね」
二人はできるだけ先負の方を見ないようにしている。
「気を取り直して、撮影に入ろう」
仏滅は努めて大きな声を出した。
「君たちが乗るバイクはこれだ」
「ゼファーか。いいバイクじゃないか」
友引は、しげしげとバイクを眺める。
「軽く慣らし運転をしよう」
友引と池はバイクにまたがった。
「ほれ、お前も乗るんだ」
仏滅は尻込みしている先負にも、乗車を促す。
「ええっ?慣らし運転なのに?」
「慣らし運転だからこそだ。お前が後ろに乗らないと友引さんも加減が分からないだろう」
「うう…。安全運転で頼むよ」
「任して」
先負は、友引の後ろに乗った。友引は、意気揚々とエンジンをかけた。
「うっひょ、ひょひょひょひょひょ」
友引はいたく興奮している。
「これこれ、この感じ。久しぶり」
友引は、めっちゃくちゃエンジンをふかしまくっている。
「あのう、安全運転…」
「ぶっ放すぜー!!」
友引は、ウイリーをしながら発進した。
「えー、ちょちょちょっと!?ぶげ!!」
先負はあっさりとバイクから振り落とされてしまった。
「いやっほうううう!!」
友引は、そんなこと気にせず水を得た魚のように縦横無尽に走り回っている。
「友引さん、ストップストップ!」
仏滅が必死に友引を制した。
「あれ?あなたはひょっとして仏滅監督ですか?どうしてこんなところに?」
などと意味不明な発言をしている友引。
「落ち着け。今は撮影中だ」
「さつえい?」
そう言われてきょろきょろ見廻す友引。そして我に返ったかのようにハッとした表情を浮かべた。
「確かに」
「いいか、今は撮影中。仕事中だ。バイクが好きなのは分かるが、プライベートで乗っている訳ではない。仕事で乗っているだけだ。そのことを忘れるな」
「はい」
言いながら、友引は顔から火が出る思いだった。正気を失っていた。しかも、大切な撮影中で。気を引き締めねば。
「では、もう一度、慣らし運転といこう」
そう言い終わる前から、友引はエンジンをふかし始めていた。友引の目は既に正気を失っていた。
「ちょっと」
仏滅が慌てて制しようとしたが、間に合わなかった。
「いやっほほほほうううう!!!!」
友引は再び急発進した。なんか小高い山とかを積極的に攻めている。すごいスピードで。誰も彼女を止められない。後ろに乗っている先負がえらく静かだなあと思ったら、白目を剥いている。気絶しているらしい。よく振り落とされないなあ。ある意味一番すごい。
「いい加減にせんか!!」
仏滅が出せるだけの大声を精一杯張り上げて言った。その声が届いたのか、バイクは急に減速した。いたく凹んだ様子で、友引は仏滅の元へ近づいてきた。
「すみません」
「もういい。君にバイクはダメだ」
ついに見切りをつけられた友引。となると当然、
「運転はやはり先負君にしてもらう」
となってしまう。
「運転!?」
はね起きる先負。
「僕がですか?」
「そうだ」
「ここでですか?」
「そうだ」
既に先負は泣きそうな顔をしている。
「いやです」
「だめです」
「うう、お腹が痛い」
「正露丸があるから大丈夫」
「うう、歯が痛い」
「正露丸があるから大丈夫」
「うう、頭が痛い」
「正露丸があるから大丈夫」
正露丸でも大丈夫じゃないような?
「ほれ、君も男なんだから、やるときはやる。覚悟を決めなさい」
「うう…」
先負は大分嫌がっている。
「ごめん、先負君。私がふがいないばかりに」
謝る友引。とはいえ、本来は先負の役である。本来やるべきことを本来やるべき人間がやるだけの話だ。
「運転方法は原付の免許があるなら、分かるだろう?一緒だ」
先負は覚悟を決めたのか、バイクにまたがりエンジンをかけた。が、エンストした。
「あれ?」
先負はもう一度エンジンをかけたが、やはりすぐにエンスト。
「あー、それはミッションだからね」
「ミッション?インポッシブル?」
「あんたの運転がインポッシブルなようね」
友引がため息をつく。どうやら、基本からレクチャーが必要な様子。
「すみません、30分ほどお時間いただけますか?」
友引がみっちり教えるとのことだ。
「ああ、かまわんよ」
仏滅は快諾した。しかし、傍らに控えている池は少しむっとした表情を浮かべた。
「すみません」
友引と先負は謝り、練習スタート。
「バイク狂なところまで教えなくていいぞ」
笑いながら仏滅はパイプ椅子から立ち上がった。
「休憩」
19
30分後、仏滅が戻ってきたら、先負がなんとか走行できるようになっていた。
「やればできるじゃないか」
「まあ、なんとか」
先負は頭をかきながら言った。
「先生が良かったからね」
友引は鼻高々である。
「そんなことより、早く収録を始めましょう。時間が押している」
池は若干いらいらしながら言った。
「そうだったな。配置につきなさい」
配置についていく役者陣。準備は整った。先負なんかは一丁前にエンジンの空ぶかしまでしている。
「シーン85、スタート」
いよいよ、撮影が始まった。逃走する池を先負が追いかける、バイクチェイスのシーンだ。池は偉そうなことを言うだけあって、華麗な走行テクニックで荒れ地を疾走する。普段バイクに乗っているのか、あるいはこのようなシーンを何度か経験したことがあるのだろう。
「やるね、池さん」
バイク狂のお姉さんも、感心している。
「結構スピード出さなきゃ」
先負は加速する。と、そのときである。先負達の右後方1.5mの辺りで爆音と共に赤い炎と黒い煙があがった。
「うわ!」
驚いた先負はスピード落とす。またその直後、今度は左前方1mの辺りで爆発。耳をつんざくような激しい爆音が轟く。
「ひいっ!」
完全に臆した先負。さらにスピードが落ちる。
「スピード落としちゃダメ!」
友引は先負を窘めたが、一度心に宿ったチキンさは、そう簡単に振り払えるものではない。爆発のたびにスピードを緩め、最後にはほぼ徐行ともいえるスピードまで落としてしまった。
「カーーット!!」
やはり止められた。それもそうだ、まったくバイクチェイスのシーンになっていない。シーンの最初よりも、はるかに距離を開けられて、カメラの中に2台のバイクが収まらないまでになっていた。
「ダメだよ」
「すみません、びっくりしちゃって」
「爆発シーンは初めて?」
「はい。あんなにすごいものだとは思いませんでした」
「仕方がない。いったん心を落ち着かせようか」
再び休憩になった。放心状態で腰を落とす先負。
「どうしたもんかな」
腕組みをする友引。と、そこへ池がやってきた。
「さっきからなんだ、君たちは」
腹を立てた様子でやってきた。
「すみません、どんくさくて」
友引と先負は謝った。
「全然撮影が進まない。バイクや爆発が怖いんだったら、役者なんてやめちまえ」
悪態をついたあと、池は去って行った。
「いけすかないねえ」
友引は言う。
「でも、池さんが言うことももっともだよ。僕たちが撮影の足を引っ張っていることは確かだし」
先負は凹みながら言った。
「さて、どうするかだ。一度爆発を見てみてどうだった?」
「どうもこうもないよ。怖いよ」
「なんとかできそうな怖さ?」
友引が問うと、先負はうーんという感じで宙を仰ぐ。
「なんとかできなくても、なんとかしなくちゃ」
「その意気」
「でもどうする?」
「要するに運転中にびっくりしないようにすればいいんでしょ?それならば…」
「それならば?」
「とりあえず、バイクに乗ってみよう」
「バイクに?」
「そそ」
「それからどうするの?」
「乗ってから説明するよ」
バイクのもとへ向かう二人。そしてまたがった。本番どおり、前が先負。後ろが友引。
「で?これから?」
「エンジンかけて」
言われたとおりエンジンをかけた。
「では、出発出発」
後輪の辺りを足でゲシゲシ蹴りながら、友引は言った。
「…」
釈然としない面持ちで発進させる先負。
「で、そうするの?」
「どうもしない」
「え?」
「いいからこのまま走らせて」
そう言われたら走らせ続けるしかない。友引は何を考えているのだろう?そう思いながらバイクを走らせ続ける先負。そのまま沈黙の時間が過ぎる。友引は一言も言葉を発しない。何だよ、何か喋れよ。先負は少し気まずい思いをするようになった。そんな先負の気持ちを察したのか、友引は、
「運転に集中して」
と一言。へいへい分かりました。集中すればいいんでしょ、集中すれば。ここで悪態をついても仕方がない。何か友引に考えがあるのだろう。先負は、友引を信じることにした。
数分後、二人は一言も会話をしないまま。おかげで、運転に集中できる先負。少し運転にも慣れた。そうか。バイクの練習が狙いなのか。そう考えるようになった先負。その矢先のことであった。
「ドカーン!」
後ろから大音声が発された。勿論、発したのは他でもない友引である。ただ、完全に不意をつかれた形である先負は、驚いてバイクがよれてしまった。
「ダメ!よれちゃダメ!」
友引の声に慌ててハンドルを握り直し体勢を立て直す先負。
「びっくりしたよ」
「びっくりしちゃダメ」
なるほど、そういう訓練なのね。合点がいった。とそう思った矢先、
「ドカーン!」
先負はまたよれた。
「びっくりしちゃダメだったら」
「急に叫ばれたもんで」
「そういう訓練なんだし。いつ大声が出るか分かっていたら、訓練にならないでしょ」
それもそうだ。
「ドカーン!」
また大音声。しかし来ると思っていた先負は動じない。
「やはり続けすぎると、意味がないね」
「心の準備ができてるからね」
「もっとランダムにやった方が良さそうね」
「できたら、もっと小声で」
「それじゃあ意味ないじゃない」
あくまでも、爆発音に慣れるため、突発的な大音量に慣れるための特訓だ。小声では意味がない。
「そこは我慢する」
「我慢して」
それからは、沈黙の時間が流れた。友引は一言も話さない。先負が油断する隙を伺っているようだ。このまま、油断せずに気を張り詰めていたら、友引は何もできないのではないのか。仕方がない、少し油断したふりをするか。そう思いながら、先負はあくびをするフリをした。が、友引は依然沈黙を決め込んでいる。どういうことだ。寝てるのか。先負は軽く首をひねって、友引を確認しようとした瞬間、
「ドカーン!」
「わわっ」
しまった。油断してしまっていた。なるほど、こういうパターンもあるわけね。上等だ。もう、油断しないぞ、油断しないぞ。油断、しないぞ。先負は、バイクの体勢を立て直しながらそう思っていた。
数分が経過した。やはり一度も声を発しない友引。その間は集中していた先負。いつにない集中力。そこへ突然、
「ドカーン!」
例の大音声。が、今回はびくつかなかった。先負の集中力が上回っていた。まったく驚いた様子を出さなかった。ちっ、面白くない。友引は心の中で舌打ちをした。ちょっとは驚いてくれた方が面白いものを。
「お、やるね」
くやしまぎれに友引は言った。
「集中してたんで」
集中ね。集中力ぐらいで乗り切れると思うなよ。友引は、再び先負が油断するタイミングを窺い始めた。
数分後、友引はここだというタイミングで大絶叫。が、まったく先負は動じない。何事もないかのように平然としている。
「ちょっとは驚きなよ」
「無茶言うなあ」
「面白くない」
「僕の成長が見れていいでしょ」
確かに成長してもらわないと困る。だが、友引は変に意地になっていた。どんな手を使って驚かせてやろう。そのようなことばかり考えていた。今度はランダムで大声を出してやろう。
1分後、先負は淡々と運転に集中してそうだったので、大声を出してみた。しかし、やはり無反応だった。
「ちっ」
「甘いな」
今度は30秒後に、
「きぇ~~~っ!」
と、奇声を発してみた。もはや爆発音ですらない。それでも、先負は落ち着いている。それではと、2分後に
「バズクエッロ!」
と、謎の言語を発してみたけれど、先負には通じない。もはや、叫ぶだけではダメか。友引は次なる手段に出てみた。不意に脇をくすぐってみる。
「アヘヘヒャヒャヒャ!」
今度は先負が奇声を発し、バイクのスピードはダウン。
「よっしゃ」
友引はガッツポーズ。
「よっしゃ、じゃないでしょ」
先負は抗議の声を挙げる。
「くすぐるのは反則だよ」
「なんで?」
「爆発音に慣れる特訓だよ。くすぐりは関係ないよ」
そうだった。友引は、完全に本来の目的を忘れていた。とはいえ、しつこく絶叫したおかげで、大分先負は大音量に慣れたようである。
「大声には慣れたようね」
「慣れたかも」
「本物の爆発音はこんなもんじゃないよ」
「分かってるよ」
大声に慣れてしまったら、訓練をやる意味がない。ここいらが潮時か。これ以上時間をもらうのも悪い。友引たちは訓練を終了した。
20
またまた集う人たち。
「やあ、時間がかかったね」
仏滅がにこやかに語りかけてきた。
「すみません、遅くなりまして」
友引と先負は深々と頭を下げた。
「いやいや、別にいいよ。あんな怖いシーンなんて初めてだろうから、心の準備が必要だろう」
仏滅は意に介していない。対して、池の方は明らかにいらいらとしている様子だ。
「まったく。これぐらいのアクションシーンでびびってしまうなんて、役者として恥に思ってほしい」
「すみません」
友引と先負は深々と頭を下げた。
「まあまあ、いいじゃない。二人とも、爆発シーンなんて初めてだし。ましてや、先負君はバイク未経験だ」
仏滅がなだめる。
「プロとしての自覚をもっと持っときなよ」
微妙に天然のダジャレを言いながら、池は引き下がった。
「さて、何もしていなかったわけじゃないよね?」
仏滅は、声のトーンを変えて言った。
「勿論です。特訓してました」
「よろしい。成果を見せてもらおう」
改めて撮影の準備に入った。
「改めて言うけど、このシーンの撮影、これが最後だからね。爆薬は2回分しかない。さっきの失敗でこれが最後だ。プレッシャーをかけるわけじゃないけど」
と、仏滅はプレッシャーをかけるようなことを言った。
「失敗は許されないのか」
それを聞いて先負はびびったようだ。
「上等ってなもんよ」
それを聞いて友引は燃えてきたようだ。
「責任重大だよ」
「どうせ失敗したところでCGを使うようになるだけよ」
友引は余裕を見せているが、運転するのは自分だ。ほとんど全責任は自分にあると言ってもいい。
「気楽なもんだ」
「気楽にやろうぜ」
先負は深呼吸する。
「準備はいいか?」
仏滅は、遠く離れた監督席からメガホンを使って、問いかけてきた。
先負は改めて深呼吸して、答えた。
「大丈夫です!」
撮影が始まる。バイクの運転にはもう慣れた。数時間前とは大違いの安定した走りを見せる。しかし流石の池である。大口たたくだけあって、先負以上に安定し、無駄のない走りをしている。このままではなかなか差を縮めることができない。結局シーンとしては、ダメになる。
「もう少しスピードを出すか」
少し焦りを感じた先負はスピードを上げた。そのタイミングのことであった。ドカーン!!辺り一帯に爆発音がこだました。友引の「ドカーン!」とは比べ物にならないぐらいの大音量である。
「くっ!」
先負は一瞬ひるんだが、先ほどのように極端にスピードを緩めることはなかった。耳がキーンとなり視界も真っ白になり、何も見えない聞こえない状態になったが、それがかえって良かったのか、先負は冷静な心理状態を保つことができた。
「お、特訓の成果が出たかな」
友引が嬉しそうに茶々を入れるが、その声も聞こえなかった。先負は前しか見ていなかった。
二回目の爆発。だが、所詮は一回目の爆発と同規模である。一回目の爆発に耐えられたのなら問題はない。辺り一帯は真っ白になり、耳もやはり使い物にならなかったが、構わず白煙の中に突っ込んでいった。
三回目、四回目――爆発は続くが、もはや先負の中に恐怖心はなかった。一刻も早く池との距離を縮めたい、その一心でバイクを操っていた。数回、爆発の煙を抜ける。その前方には池がいた。煙を抜けるにつれ、その影は幾分か大きくなってきている。確実に距離を縮めてきている。このまま追いついちまいなよ、友引は心の中でエールを送った。前方の池がこちらを振り返るのが見えた。確実にこちらを意識している。が、追撃もここまで。池は、予定していたゴール地点に到達した。
「オッケーイ!」
仏滅が遠く離れた監督椅子からメガホンを使って叫んだ。これでこのシーンは終わり。
「終わったのか」
「終わったね」
始まる前はどうなることかと不安だらけだったが、終わってしまうとあっけなく感じるものだ。
「走り足りない?」
「少し」
「これを機会にバイクの免許取ってみる?」
「興味出てきた」
でも、君のように暴走はしないよ、と笑顔を見せる友引を見ながら先負は思った。
21
「いやー、良かった、良かった」
撮影終了後、帰りのロケバスの中である。仏滅は、安堵の笑顔を見せながら上機嫌である。
「最初の走りを見たときはどうしようかと絶望的な気持ちになったんだが、上手くできて良かったよ」
「あれはなかったですよねー」
友引が笑いながら言う。
「もともと、友引さんがバイクに乗ったときにアレだから、僕にお鉢がまわってきたんじゃないか」
不満げにぶーたれる先負。
「まあまあ、上手くできたから良かったじゃないか」
三人は笑顔満面である。
対照的に苦虫をかみつぶしたような顔でこの三人を見つめるのが池であった。なにせ、最初バイクに乗れないことをバカにしていた男に、最後は追いつかれかけたのだ。面白くない。池は、普段からバイク乗りで、長距離ツーリングにもガンガン行くような人間であった。
バイクの運転にもかなりの自信があった。それが一日足らずであんな何の知識もないひょろっちい男に追いつかれようとしている。池のプライドはズタズタであった。ほとんど逆恨みの域にまで、先負に嫉妬していた。
「池君もおつかれ。良かったよ」
仏滅は池にも声をかけるのを忘れていない。
「あ、いえ、どうも」
池はてきとうにかわす。
「池君と先負君が本気でバイクチェイスをやってくれたおかげで、迫力のあるいいシーンになったよ。良かった、良かった」
「別にあれぐらい普通ですよ」
またてきとうな返事。
「池さんの走りすごいですね。痺れました」
「普段からよくバイク乗られてるんですか?」
友引と先負が目を輝かせながら言ってきたが、今の池にとっては社交辞令としか受け取れなかった。
「まあね」
無愛想に答えるだけである。もういい。この空気は嫌だ。早く家に帰りたい。友引と先負を見ているだけで、どうもいらいらが募ってくる。生理的にこの二人が受け付けられないようだ。
「今度バイクの乗り方教えてくださいよ」
「十分できてるよ」
せっかく先負がコミュニケーションをとろうとしているのに、池は目も合わせずに、ふてくされたような答えしかできなかった。平静を装っているが、心中は穏やかではない。相当な動揺をしている。結果的にいい画が撮れたのは確かだが、気持ちは複雑であった。バイクの素人相手にデッドヒートを演じたとあっては、自分の俳優としてのキャリアに傷がついたような気がしてならない。とげとげとしたしこりのようなものが、心の中に残っている。そのような不快感を池は抱えていた。
ロケバスはそれぞれの役者のそれぞれの思いを抱えながら、帰路をひた走っていた。