CMが間に合わない!
1
工場。古い。暗い。埃っぽい。むさ苦しい男が震える手で、羽交い絞めした若い女にナイフを突きつけている。ナイフは禍々しく銀色の光を発している。
相対するは、刑事らしき男二人。こちらはしっかりと拳銃を男に構え、正確にナイフ男を撃ち取らんとしている。
「く、来るな。この女がどうなってもいいのか?」
震える声で男は、刑事二人に対して威嚇をする。女は、真っ青な顔で突きつけられたナイフから少しでも頬を離そうと身をよじっている。が、かなりの力で抑え込まれているのか、あまり動くことができないようだ。
「井口、これ以上罪を重ねるな」
「その人は関係ないだろ。今すぐ離すんだ」
刑事二人は、懸命になだめている。なだめながら、半歩ずつ井口に近寄っていくのも忘れていない。
「うるせえ!一人殺すも二人殺すも一緒だ!」
罪の重さを考慮すれば、この発言は間違っている。だが、犯罪者というものは、概して冷静で適切な発言や行動ができないものである。
「こんなことをして、亡くなったお袋さんが喜ぶと思っているのか?」
「妹さんも悲しんでいるぞ」
刑事二人は、井口に対して精神攻撃を続けながら、依然井口に近づいていく。
「く、来るなって言っただろう!マジでこの女もぶっ殺すぞ!」
井口は、ナイフを更に女の頬に近づける。
切っ先がわずかながら、女の顔に当たった。と、そのときである。それまで真っ青に震え続けていた女だが、まるで何かのスイッチが入ったかのように目に凛としたものが宿った。蒼い顔は一瞬のうちに真っ赤になり、がんじがらめに羽交い絞めされていた、二本の腕は、一気に緊張状態になり強烈なエルボーを井口の肺の下に叩き込んだ。
「ガホッ―」
思わぬ反撃を受けた井口は声にならぬ声をあげ、強くせき込みながらうずくまった。激しくせき込みながら、表情は動揺している。
「こんなの台本にねえだろうが!」
女は、粗野な言葉を吐きながら、うずくまった井口にヒールを履いた足で回し蹴りを食らわす。
井口は完全にのびていた。
刑事二人は呆気にとられながら、この光景を見つめていた。
「カーーーット!」
監督が怒りを露わにしながら女に近づいていく。
「どういうことだ、これは!?」
監督は怒り心頭だ。
「大山さん!」
撮影スタッフが、殺人犯井口―もとい殺人犯井口役の俳優・大山サトルに駆け寄る。
「大山さん、しっかり!」
「救急車ぁ!」
撮影スタッフはがやがやしている。
女―もとい端役女優・友引ケイコは、顔を真っ赤にして興奮していたが、周りの騒動で、事の重大さに気づき、我に返った。監督は、女の襟首をつかみながらがなり立てた。
「てめぇ、どうしてくれる!端役がメインに怪我させやがって!」
「すみません、台本にはナイフが刺さるとは書いていなかったもんで、驚いてしまって、つい…」
「つい、って何だあ!?つい、であんなに綺麗な回し蹴りが入るか、普通!?どれだけ足癖が悪いんだ!?」
「面目ありません…」
平謝りする友引。
「監督、続きどうしましょう?」
おずおずと尋ねる助監督。
「続きもクソも、主役が病院送りじゃ話にならんだろう!今日はこれで終わり!!」
監督は、高々に撮影終了を宣告しながら、大山の容態を確認に向かった。友引は、針のむしろ状態でいたたまれない気持ちになった。
2
数日後―ところ変わってここは、大安吉日芸能事務所。こじんまりとした事務所。社長席にいるのは、他ならぬこの事務所の社長・大安吉日である。何やら、電話をしている。
「はい、ええ、それは分かります。分かっていますとも。ええ、それは本当に申し訳なく思っています」
受話器を持ちながら平身低頭で謝る大安。だが、その平身低頭ぶりは受話器の向こう側には伝わらない。
「はい、え!?取り引きを打ち切る?それだけはご勘弁を!これだけ謝っているじゃないですか!謝ればいいもんじゃない?それはそうですけど―」
社長の謝罪の電話を心配そうに眺める一人の女と一人の男。女は他ならぬ、この事件の張本人友引ケイコである。もう一人は、友引と同じ事務所に所属するこれまた売れない俳優、先負マケルである。
「だからその件は謝っているじゃないですか!ええい分からず屋め!お前なんかこっちから願い下げだ!二度とお前んところには頼まねえよ!あばよ!!」
大安は受話器を激しくたたきつけ通話終了。備品は大切に扱いましょう。
大安は怒りを露わにしながら、ソファに座っている友引と先負を見た。そして、二人の心配そうな表情を見た瞬間、自戒と後悔の念でいっぱいになった。
「またやっちまった…」
「社長…」
呆れた表情の二人。
「すぐカッとなるんだから…」
溜息をつきながら、社長にダメだしする友引。もっとも、他人のことは言えない。
「また、取引先を一つ失ってしまった。付き合い長かったのに」
「大山さんの容態は?」
ノックアウトされた大山サトルの容態を心配する先負。
「すぐ回復してロケに戻ったようだ」
「それは良かった」
一安心する先負。しかし、友引はもうロケに戻れない。友引ケイコは有象無象の端役。降板となったところでいくらでも替えが利く。
「社長、今回は本当にすみませんでした」
土下座をせんばかりの勢いで頭を下げる友引。一応反省はしているようだ。
「もういい。相手にも怪我はなかったんだし」
そうは言うものの、全然良くなさそうな表情を浮かべて社長席に深く座り直す大安。
ここは、大安吉日芸能事務所。吹けば飛ぶような弱小事務所。数人のタレントを抱えているが、友引ケイコを始めとしてまったくの無名揃いである。友引と向かい合って座っている先負も同様だ。アンケート用紙の職業の欄に「俳優」と書いてよいものか、自分でもためらってしまう、そんなレベルの仕事しかこなしていない。仕事のないときは、このようにソファでのんべんだらりと過ごすか、事務仕事をしている。事務員を雇う余裕もないのだ。
「これで更に仕事が来なくなりますね」
自嘲的に笑う先負。その先負の言葉に二人は無言で宙を見つめるしかなった。勿論、そこには肯定の意味が込められている。
「仕事は、何とかする」
力のない声で頼もしい言葉を言う大安。
「何とかって?」
「営業だ」
おもむろに傍らにあった電話番号リストを広げた。受話器を取り上げ、力強く番号ボタンを押す大安。
「私、大安吉日芸能事務所の大安と申します。お世話になります。ウチの所属俳優のことで―間に合ってます?そこを何とか…今忙しい?お話だけでも…。ちょっとちょっとちょっと、そんなあしらい方ないでしょ?こっちも仕事でやってるんだから。コラコラ、切るな切るな切ろうとするな。ふざけんなよ、てめえ!誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!責任者出しやがれ!もういい!お前なんかガチャ切りしてやる!」
大安、ガチャ切りをする。
辺りに気まずい空気が流れる。
「またやっちまった…」
頭を抱え込む大安。しかし、すぐにパッと顔を上げ、
「営業先なら他にもあるさ」
再び電話をかける大安。
「あのー…」
声をかけようとする先負、が、それより先に電話はつながったようだ。
「お世話になってます。私、大安吉日芸能事務所の大安と申します。そちらでは、エキストラに困っていたりしませんか?ああそうですか、大丈夫ですか。でもウチのエキストラは一味違いますよ。そちらさんが契約してる事務所とはワケが違います。え?子会社?それは、大変失礼を…。まあまあ、そう怒らずに…。てめえ、こっちが謝ってるんだから、ちょっとぐらいはトーンダウンしてくれていいんじゃねーの?ふざけやがって!ええい、お前に話してても埒があかん!責任者呼んでこい!…切れた。ふざけやがって」
再呼ボタンを押す大安。
「てめえ、話の途中に電話を切るとはどういう了見だ!こっちはクソ忙しいのに手間取らせるんじゃねえ!明日から嫌がらせしまっくてやる!無言電話毎日100回かけてやる!着拒しても無駄だからな!毎日こっちの番号変えてやる!私に逆らう者は皆こうなるのだ!!ガーッハッハ!!」
電話を乱暴に切る大安。
「あーすっきりした。…ハッ!」
気が付いたときには、目の前に怖い顔をしたお姐さんが立っていた。
「てめー、この会社潰す気か!」
友引は、社長相手だが、大安の机を激しくたたく。
「いやほんと、それは申し訳ないです」
大安は、平謝りである。序盤からよく人が謝る小説である。
「営業の電話でケンカに売っちゃだめですよ」
たしなめる先負。
大安は、頭をかきながら
「電話営業はどうも苦手なんだよな」
「だからってそんな電話じゃ、かけない方がマシですよ」
「そうだな。電話はやめよう。やはり営業は足で稼ぐものだ」
鞄を手に持ち立ち上がる大安。
「今日は遅くなるかもしれん。お前たちも、てきとうなタイミングであがってくれ」
大安は、営業に出かけた。
「僕たちはどうする?」
「帰れと言われたものの」
顔を見合わせる二人。
友引は卓上の電話を、先負は携帯電話を取り出した。社長が先ほどまで見ていた電話番号リストを指さし、
「あたしはここからやる」
「じゃあ、僕はここからだ」
めいめいが電話をかけ始めた。どうやら、二人で電話営業を始めたようである。二人ともそれなりに腰が低く無難な電話会話を始めた。少なくとも社長よりは。
数時間後、事務所には憔悴した二人がいた。結果は、言うまでもなく、なのだろう。そもそも飛び込みの電話営業なんて成功するはずがない。まさに梨のつぶて。
「駄目だったか」
社長ほどではないが、電話があまり得意でない先負は天井を仰いだ。
「そりゃ、あたし達で上手くいくんだったら、『マンション買いませんか?』って、なぜか仕事場の電話番号を知っていて売り込んでくる業者は今頃大金持ちだよ」
ぼやく友引。
「とりあえず、今日はここまでにしておくか」
「ちょっとは力になりたかったんだけどね」
あきらめて二人は帰って行った。
3
その翌日。事務所には、例の三人。社長が電話をしている。営業の電話だ。様子を見るに、苦戦気味のようだ。昨日のように大炎上はしないものの、成果は得られていないようである。
「ここもダメだったか」
電話を切り、溜息をつく大安。
「電話じゃなかなか難しいですよ」
慰めなのか、それとも自分が電話が苦手だからなのか、そのようなことを言う先負。
友引は、昨日、社長が営業に出かけたことを思い出し、
「外回りの方もダメだったんですか?」
と訊ねた。
「あ?ああ、ダメだったよ」
と口ごもりながら答える社長。
「仕事しばらくなさそうですね」
先負は残念そうに言う。
「バイトしようかな」
と友引が言った途端、大安は目を剥いて強く言った。
「お前は女優。それはダメだ」
妙なこだわりがある男である。
「でも、仕事ないですよ」
と反発する先負。そんな先負に対して大安は、
「仕事なら俺がとってくる」
と自信を示しながら言う。
「でも、これまでの様子を見た感じでは…」
先負は心配そうだ。
「今までも何とかなったんだ。何とかなるだろう」
楽天的な大安。社長業を務める人間は、多少なりとも根拠のない自信が必要なのかもしれない。おもむろに立ち上がり、出かける準備を始める。
「営業ですか?」
「そうだ。今日も遅くなる。二人ともあがっていいぞ」
そう言いながら大安は出て行った。
「どうする?」
残された二人。
「することないし、あれでもしようか?」
「そうだね」
事務所中央の応接テーブルを片付け始める二人。応接セットの真ん中にぽっかりとフリースペースが現れた。
「じゃあ、今日は僕からだ」
「新作?」
「新作」
友引はソファに腰かけ、頬杖をついた。
すると、突如先負は、これまでの表情を崩し、ひょうきんな笑みを浮かべながら、漫談を始めた。最近はやりのお笑い芸人のネタである。ネタはオリジナルであるものの完成度は高く、しゃべり口調から声までまるっきり本人の生き写しのようであった。そんな先負を見て、友引は笑い転げる。
「すごい!すごいよ!ありそう!!絶対言いそう!」
友引は涙を浮かべながら、先負を絶賛する。
「これで終わり」
「次は私ね」
今度は、友引が立ち上がりフリースペースへ。友引は、これまたはやりのアイドルユニットの歌を歌い始めた。これも相当なクオリティで、ソロパート部分も完璧に歌い分けている。
「イヤッホー!!パサリン!!」
先負は、夢中になりオタ芸を始めた。
そう、彼らは役者志望ながら、抜群のモノマネセンスを持ち合わせていた。暇を持て余したときに、時折このようにして二人でモノマネ合戦をしているのであった。
「フィー、まあこんなもんでしょ」
友引は、いい運動でも終えたかのような清々しい表情を浮かべながら、ソファに腰かけた。
「またレパートリー増やしたわね」
「それはお互い様、だろ?」
二人は一息ついた後、応接セットを元の場所に戻し始めた。二人がこのようなことをやっていることは、社長には秘密である。
「こんなことをやってるのを社長が知ったら、どう思うかな」
「『お前たちは役者だ。役者がこのようなお笑い芸人のようなマネをするんじゃない』と、激怒するだろうね」
「社長は、役者を神聖視しすぎなんだよな~」
「そして、お笑い芸人をバカにしすぎ」
このような具合で、社長に隠れてやっているのだ。
「さて、本格的にすることなくなった」
「帰るか」
こうして二人は帰って行った。
4
数日後。いつもの事務所。いつもの配置でいつもの三人が座っている。いつもどおり仕事もないようだ。電話をしている社長。終話し、大きくため息をつきながら、受話器を置いた。
「だめだなあ」
一人つぶやく社長。
「やっぱりバイトを…」
友引は退屈で仕方ないようだ。
「何度も言わせるな。副業なんかしてはいけない」
「なんでバイトしちゃダメなんですか?」
友引は食って掛かる。
「役者であることに誇りを持て。役者は役者だけをやればいい。バイトなんてもってのほかだ」
「だって仕事ないし」
「仕事は俺がとる」
「とれてないじゃないですか」
痛いところをつく友引。社長は顔をしかめながら言う。
「これからとる」
「あ、社長!」
社長は、逃げるように外回りに出て行った。
「また営業か」
「営業に行くのはいいけど」
「成果が全然だもんね」
友引と先負は肩をすくめる。
そんな中、突如インターホンが鳴った。
「帰ってきた?」
「いやいや、自分とこに帰ってくるのにインターホンは鳴らさないでしょ、普通」
ツッコミながら友引は応対に出た。
ドアを開けると見慣れぬ男。営業マンのようだった。どことなく不安げな面持ちでたたずんでいる。
「あの、大安社長はいらっしゃいますか?」
社長を知っている!ひょっとしたら仕事の話かも。しかし、このびくつきよう。怪しい。
「どちらさまでしょうか?」
不審に思った友引は訊ねる。
「失礼しました。私、こういうものです」
『火事場のクソ力芸能 コーディネーター 三隣亡実』
名刺入れから取り出した紙切れにはそう書いてあった。
「火事場のクソ、力芸能」
ユニークな名前のせいで、思わず切ってはいけないところで切って読んでしまった友引。
「芸能事務所さんですか?」
「はい、小さいところですが…」
芸能事務所=仕事
友引の頭の中で図式が完成した。
「どうぞどうぞ、奥へどうぞ」
さっきまでの疑いの表情から一転して、歓待の態勢である。
事務室では、先負がぼんやりとソファに座っていたが、居住まいを正し、座り直した。
「どうぞ、おかけください」
「はい…」
ソファを勧められて恐縮しながら座る三隣亡。どことなく所在なさげである。そんな所在なさげな三隣亡を見たせいで、向かい側に座っている先負まで所在なくなってきた。
「お茶淹れてきますね」
そんな二人の気持ちを知ってか知らずか、お茶を淹れにはける友引。それを手伝うふりをして追いかける先負。
「いいの?」
「何が?」
ティーパックの入った缶カンを開けながら聞き返す友引。
「社長留守だよ」
「せっかくの仕事の話だし」
友引は、さっき渡された名刺を先負につきつけた。
「芸能事務所じゃないか」
「そうよ」
「だったら、社長がいないと尚更まずいんじゃないの?」
先負は心配そうだ。
「話聞くだけでもいいじゃない」
友引は意に介さない様子で、お茶を持っていく。先負は黙ってついていくしかなかった。
「どうぞ」
「おかまいなく」
一連のやりとりを交わしたのち、三隣亡は先ほどから疑問に思っていることを問いかけた。
「あの、大安社長は…」
「大安はあいにく留守にしています」
「そうですか」
三隣亡はどことなくほっとした表情を浮かべた。お目当ての人間が不在なのに、安堵するとは不思議な話である。
「お話だけでもお伺いしますが」
友引は、簡単には帰しませんよ、とばかりに本題に入ろうと話を促す。
「そうですか。―実は、お願いがありまして」
お願い?仕事の依頼じゃないのか?ここにきて初めて警戒の色を浮かべる友引。しかし、易々と引き下がるわけにはいかない。
「お願い?」
「はい、勿論お仕事の話なんですが」
なあんだ、やっぱり仕事じゃないか。心の中でにやけながら、友引は身を乗り出した。
「大山サトルさん、ご存知ですよね?」
思わぬ名前が出てきた。
「え、ええ、まあ。人並みには」
ここからどう話は展開していくのだろう。友引は少ししどろもどろになった。
「大山さんが、CM撮影をボイコットしたんです」
「ボイコット?」
先負は頓狂な声で聞き返した。
「なんでまた?」
「一言で言えば我が侭です」
三隣亡は、声を潜めながら話した。
「大山さん、オイ・コーラのCM出演が内定していたんです」
「オイ・コーラの」
言わずと知れたコーラの最大手メーカーである。
「最初は、ノリノリでした。『俺は、コーラ大好きだからな。水代わりに毎日4ガロンぐらい飲んでいる』と」
水でもそんなに飲んだら体に悪そうだ。
「途中まで撮影は順調でした。15秒CMのうち、12~13秒分までは撮れています」
微妙な撮り方をするCMである。
「最後のワンカット。コーラを喉を鳴らしながらゴクゴク飲んで、セリフを一言、『We Cola、オイ・コーラ』、このバックショットだけが撮れていないんです」
We Cola、オイ・コーラ―これは、オイ・コーラの公式キャッチフレーズである。Weとオイをかけているのだ。上手くできているよネ。
「なんでそこのシーンだけ?」
「『俺はコーラと言ったらヘブシ・コーラ派だ。オイ・コーラはヘブシ信者にとっては敵。オイ・コーラを飲むシーンなんか出演したくない。オイ・コーラは大嫌いだから毎日1ガロンぐらいしか飲まない』ということだそうです」
嫌いなのに1ガロン飲むのか。
「メチャクチャだなあ」
「代役を探しているもののなかなか見つからない状態でして。このままでは納期に間に合いません」
ここまで話せば、よほど勘の悪い人間でなければ分かるだろう。
「つまり、僕たちに代役をやれと?」
「そうです。こんな言い方をすると失礼ですが、背に腹は代えられない状況なんです」
友引と先負は顔を見合わせた。オイ・コーラと言えば大手メーカーである。そんな大企業のCMに出られるなんて、願ってもいない幸運だ。
「ただし、一つ条件がありまして」
三隣亡は、ここからが重要なポイントだ、と言わんばかりに口調を変えた。
「あくまでも大山さんの代役としての出演、です」
三隣亡は強調して言う。
「代役として、ですか」
「オイ・コーラは大手中の大手メーカー。CMには有名な俳優を起用したいとのことです」
「無名な人間は使いたくないと」
「そうです」
「じゃあ、なぜ私たちのところに?」
二人とも無名もいいところである。
三隣亡は、先負を見ながら言った。
「お見受けしたところ、先負さんは大山さんと背格好が近い」
「確かに言われてみたら」
ついこの間まで、大山と仕事をしていた友引は頷く。
「まさか、代役って…」
「はい、文字通り大山さんの代役をしてほしいわけです」
意味ありげにいう三隣亡。
「私は、火事場のクソ力芸能のコーディネーター。芸能事務所の人間ですが、ただの芸能事務所ではない。急な欠員が出たときに代役を手配する、そのような仕事をしています」
変わった芸能事務所である。
「つまり、大山さんのフリをしろと?」
「無茶なお願いしているのは承知です」
三隣亡は懇願する。
「その話はお断りしたはずですが」
いつの間にやら、大安が立っていた。
「忘れ物を取りに帰ってきたら、こんな話をされているとはな」
「大安社長、火事場のクソ力芸能の三隣亡です」
三隣亡は恐縮しながら立ち上がった。
「先日はどうも」
大安は、むすっとした顔を三隣亡へ向ける。どうやら顔見知りの関係らしい。
「大山さんのフリをしろだなんてとんでもない。先負は先負だ」
「そこを何とか、社長。大山さんとよく似た格好の人が他になかなか見つからないんです」
どうやら、この話が出るのは初めてのことではないらしい。
大安は社長椅子に座りながら話を続ける。
「先負は、俳優だ。モノマネ芸人ではない」
「それは十分分かっています。こちらも勝手なお願いだと思っています。しかし、どうしても他に人がいなくて。」
三隣亡は、気の毒なほど頭を下げる。
「幸い撮れていないのは、バックショットだけなんで、髪形やたたずまいをそれっぽくすれば、なんとかなりきれるかと」
「でも、セリフはどうするんです?セリフも撮れていないんでしょう?」
大安は呆れながら言った。
「そうなんです。セリフはアフレコなんで、なんとかそのセリフだけでも大山さん本人から収録したいんですが」
「都合はつきそうなんですか?」
「それが、まったく、です」
三隣亡は肩を落としながら答えた。
「声とたたずまいが必要なんですね?」
先負は、目に力を込めて言った。
「何をするつもりだ?」
大安は嫌な予感を覚えつつも問いかけた。
先負はすっくと立ち上がった。顔をしっかり前に向け、何とも言えない威圧感を三隣亡に向けた。そこには、いつもの先負はいなかった。
「We Cola、オイ・コーラ」
一言だけだった。しかし、一言で十分だった。他の三人は、何も言えなかった。大山だった。完全に大山だった。何度も繰り返し聞けば、なんとなく大山と違うことが分かるのかもしれないが、不意に一度聞くだけなら完全なコピーであった。そこには、大山の声があった。
「すごいですよ。本物のようだ。いやむしろ、本物よりも本物寄りです」
三隣亡は、意味不明なほめ方をした。
「やるじゃない」
友引は、どことなく得意げな気持ちでほめた。
一方、しかめっつらをしている大安。先負と目を合わせないように、視線は友引と三隣亡の間をさまよっている。
「社長、すごいですよ」
「これならなんとかいけますよ」
友引と三隣亡は、興奮しながら大安を見つめる。
「だめだ」
大安は冷たく言った。
「なんで?」
つめよる友引。
「先負、お前は俳優だ。もっとプライドを持て。モノマネなんか、お笑い芸人のやることだ」
「別にいいじゃないですか」
「良くない。それにさっきも言ったが、先負は先負として売りたい。大山さんの代役として売りたくない」
「でも、仕事ないじゃないですか」
「仕事なら俺がとる」
「とれないじゃないですか」
やいのやいのとケンカを始める大安と友引。
三隣亡はとめるべきかどうか困った様子でそんな二人を眺める。
「僕、やるよ」
引き締まった顔で言う先負。
「たとえ代役でも構わない。僕は、僕ができることをする」
「先負君!」
「先負さん!」
目を輝かせる友引と三隣亡。
「社長、ここまでやる気満々なんです。やってもいいですよね?」
大きくため息をつく大安。
「やる気があればいいってもんじゃない」
「でも、社長!」
大安は、先負に向き合って言う。
「本当にいいんだな?」
「はい」
「お前のこれからの仕事が変質してしまうかもしれないんだぞ」
「このまま消えてしまうよりはマシです」
先負は真摯に答えた。
「元はと言えば、仕事をとれなかった私のせい。とやかく言える立場ではないな。いいだろう、しっかりとモノマネしてこい」
とうとう許可が出た。
ほっとする先負。
今にも小躍りしそうな友引と三隣亡。
「それでは、さっそく段取りを…」
仕事の打ち合わせが始まった。
5
それから数週間後―。いよいよ、オイ・コーラCM放映開始日である。これまで滞りなく撮影はこなされた。あとは、CMの出来栄えを見るだけである。
事務所の応接セットにあるテレビの前に集う面々。
「楽しみですね」
発言どおりわくわくした表情を浮かべている三隣亡。
「予定では8時15分過ぎです」
「ほら、社長もこっち来て座って」
「ここからでも見える」
社長席から動かない社長。とはいえ、目はテレビに釘付けである。
「ちゃんとできてるかな」
少し蒼い顔をしている先負。
「この間の試写のときはできてたじゃないですか」
三隣亡は、明るく言う。
いよいよ放映開始時間が迫ってきた。日本中探してもここまでこのCMを楽しみにしている人間はいないだろう。CMに入った。一本目は別のCM。テレビCMは15秒単位で放送される。通常版で15秒、ロング版で30秒、といった具合だ。このCMの15秒後か。じっと見守る四人。
来た!オイ・コーラ!画面に大写しで現れた大山サトル。どう見ても本物の大山サトルである。大山ファンなら狂喜しそうなイメージシーンが流れ、ついに、ラスト数秒。大山サトルらしき人物のバックショット。右手にはオイ・コーラの500mlペットボトルを持ち、勢いよくコーラを飲み干す。そして一言、
「We cola、オイ・コーラ」
大山サトルらしき声で決め台詞。しかし、これらの「大山サトルらしき」部分は勿論、
「先負君だよね?」
先負は、首肯した。
違和感はまったくなかった。ラスト数秒とはいえ、ニセモノの大山サトルが紛れ込んでいるとは思えなかった。この企画を知っている人間でもそう思えるのだ。何も知らない一般視聴者なら尚更であろう。
「やったじゃない。先負君!完璧だよ!」
手放しでほめちぎる友引。
「いやあ、ここまでうまくいくとは思いませんでした」
頭をかきながら安堵の表情を浮かべる三隣亡。
「社長、どうでした?」
問いかける友引。しかし、その先には瞑目した社長が。
「すまん、よく見ていなかった」
この期に及んですっとぼけた発言をする。
「またそんなこと言って。録画はしています。何度でも見せますよ」
リモコンを手に取りながら話す友引。
「いや、大丈夫だ。ちゃんと見ていた」
「ちゃんと見ていたなら、ちゃんと感想を言ってください」
「…」
大安は腕組みを解きながら言った。
「よくやった」
今度は素直にほめた。
「ありがとうございます」
頭を下げる先負。
「いいスタートを切れたな」
「はい」
「でも、これで満足してはいけない。お前の本職は俳優だ。今度はお前の名前で役をつかみとれ」
偉そうに言う大安。そもそも自分の営業活動が不十分であるがために、このような仕事しか来なかったのではないか?それでも口答えせずに分かりました、と答える先負。いいやつである。
こうして、先負のCMデビューは地味に成功して終わった。日本人の99.9%は特に気にも留めないであろう。そもそも、先負マケルという俳優が出演していたということすら気づかれないであろう。しかし、大安吉日芸能事務所の面々にとっては、限りなく小さいが確かな第一歩となったのだ。