お母さんと童話
僕は、こうたです。
僕のお母さんのお話をします。
僕のお母さんは、しっかりものです。
計画をたてるのが好きで、真面目な人です。
僕にも「努力しなさい、結果が出るまで諦めずに努力しなさい」といいます。
そんなお母さんは、三年前に離婚しました。
だから、お母さんは、シングルマザーになりました。
僕と弟とお母さんの3人暮らしです。
お母さんは、仕事に家事に育児に、毎日毎日追われて忙しそうでした。
でも、疲れていても弱音ははきません。
疲れていても、ちゃんとご飯は作ってくれるし、
ときどき遊びにも連れて行ってくれました。
そんな頑張り屋のお母さんが、僕も弟も大好きです。
ある連休の初日、お母さんは、男の人を連れてきました。
その男の人は小次郎くんといいました。
小次郎くんはかっこいい人で、話し方も優しくて、気さくな人でした。
初めて会った僕に「よろしくな」と頭をポンポンとしてくれました。
小次郎くんの手は僕の頭をすっぽり包むくらい大きくて、
お母さんの手とはまた違う、温かな心地よさがありました。
今度は、じっと警戒して見ている弟の方に行って、ひょいっと抱き上げました。
「たかい・たかい」といって弟をあやしました。
弟は少し怒った口調で「赤ちゃんじゃない」と言っていたけれど、
顔は笑っていて、すごく嬉しそうでした。
こんなふうに、僕も弟も、一瞬にして小次郎くんに心を許したのでした。
連休中はずっと小次郎くんと過ごしました。
たくさん遊んでもらって、美味しいものも食べてとっても楽しかったです。
僕も楽しかったけれど、お母さんがとても楽しそうにしていたので、ぼくは嬉しかったです。
それからは週末になると小次郎くんが家に来るようになりました。
小次郎くんが来ると、僕は嬉しくて、お母さんも嬉しそうです。
僕は、いつの間にか週末を待ち遠しく思うようになりました。
ある日、お母さんは僕たちに聞きました。
「小次郎くんと一緒に住みたいと思うけどどう思う?」
僕も弟も迷わず賛成しました。
楽しい週末が毎日になるのですから、断る理由がありません。
「じゃあ、次の週末に小次郎くんを迎えに行くからね。」
そう言って、週末には本当に小次郎くんが荷物を抱えてやってきました。
いつものように「よろしくな」と言って、頭をポンポンします。
僕は、小次郎くんがこのままお父さんになってくれるといいのに、と思いました。
小次郎くんは、期間従業員という仕事でした。
それは、地方からでてきて、工場で働く人です。
でも、ずっと工場で働けるわけではなくて、期間限定なのだそうです。
最初に決められた契約期間が終わったら、契約を更新して延長してもらうか、そのまま辞めるかどちらかになるそうです。
小次郎くんはそのタイミングで僕の家にやってきたのでした。
僕の家から、小次郎くんの働いていた工場はすごく遠いので、
小次郎くんは契約を更新しなかったのです。
小次郎くんはとても面白い人だったので、毎日が楽しく過ごせました。
お母さんは真面目な人だから、普段は冗談を言うことがなかったけれど、
小次郎くんが来てからは、冗談を言うようになりました。
小次郎くんは、「ありがとう」と照れずに言える人だったので、
お母さんに「いつもありがとう」と言ってくれました。
お母さんは「そんなの当たり前だから、いちいちありがとうって言わなくてもいいよ」って照れくさそうに言うけれど、やっぱり嬉しそうな顔をしていました。
そんなお母さんを見ていると、小次郎くんが来てくれてよかったと思うのでした。
小次郎くんは、仕事を探すために職業安定所に行ったりしていました。
なかなか見つからずに、日中は家で過ごしたり買い物に行ったりしているようでした。
僕や弟が学校から帰ると小次郎くんは家にいることが多かったです。
僕は、学校から帰って、家に家族がいることがなかったので、特別嬉しく感じていました。
僕は小次郎くんにいい所を見せようとして、すぐに宿題を終わらせて、ついでに弟の世話なんかもしていました。
そうすると小次郎くんは「こうたは偉いな」と褒めてくれるのです。
それは、僕にとってとても嬉しいことでした。
大人に認められるのは、気分がいいものです。
ついでに小次郎くんは「お母さんには内緒な、男同士の秘密だぞ」と言って、お菓子をくれることもありました。
僕は、「男同士の秘密」という言葉に罪悪感を抱きながらも、一人前に扱われている気がして嬉しく思っていました。
新しい生活はこんなふうです。
お母さんは夕方5時に仕事を終えて、6時頃には家に帰ってきます。
小次郎くんは料理ができないから、お母さんは帰ったらすぐに料理の支度をします。
小次郎くんはお母さんのそばでタバコを吸ったり、お酒を飲んだりしながら、お母さんとお話するのです。
お母さんは楽しそうに笑っています。
僕は、小次郎くんがご飯を作れるといいのにと密かに思っていました。
でも、お母さんは嬉しそうなので、このままでいいのかもしれません。
それでも、なんだかモヤモヤするものがありました。
お母さんは仕事もして、ご飯も作って、前とあまり変わりありません。
小次郎くんは仕事もしないで、ご飯もつくりません。
お母さんばっかりが大変なのです。
これが毎日毎日続いて、2ヶ月が過ぎようとしていた頃、
「どうして仕事しないの?」と言ってやりたくなりました。
でも、嬉しそうなお母さんを見ていると、僕にはとても言えそうもありませんでした。
それに、言ってしまうことで、僕が嫌われたくなかったという気持ちもありました。
だから、いろいろなモヤモヤがうやむやにされていました。
ときどき、お母さんは、お友達を家に呼んでごはんを一緒に食べます。
そんな時でも、小次郎くんは気さくでカッコよく振る舞います。
料理を取り分けたり、話を盛り上げたりします。
お友達の前で、お母さんのことを褒めることもあります。
お母さんは照れながらも嬉しそうです。
誰から見ても素敵なカップルでした。
お友達も「素敵な彼ね」と太鼓判を押すのでした。
その度に、お母さんは小次郎くんをますます好きになるようでした。
いつしか。小次郎くんはお酒を飲みながらこう言うようになりました。
「会社を立ち上げて、商売をする」と。
お母さんはその話を聞いて「小次郎くんならできる。応援するから頑張ってね」と大きく頷きます。
小次郎くんは「いまは会社を立ち上げるための準備をしているところだから、正社員ではなく、アルバイトを探している」と言っていました。
昼間は、家でごろごろしているのかと思ったら、会社を作る準備をしているのだというのです。
確かに、僕が帰ってくると、パソコンを触っていることがあります。
お母さんもそれを知っているようです。
なかなか仕事に就かないのには理由があったのだ、と僕は納得しました。
小次郎くんは、小次郎くんなりに考えていたのです。
きっと、貯金がたくさんあって、それを使いながら生活しているのだと思いました。
あの真面目なお母さんが「小次郎くんなら大丈夫」と言っているのです。きっと大丈夫なのだろう。
僕のモヤモヤは少し晴れました。
それからはあまり深く考えることはなくなりました。
そういう生活に慣れてしまったのです。
お母さんは変わらず忙しそうです。
小次郎くんは小次郎くんのペースで何やら進めているようです。
それぞれにできることを頑張っているという感じでした。
いつも笑顔や笑いが絶えなくて、楽しい毎日でした。
ある日、小次郎くんはお母さんと大事な話をしているようでした。
お母さんが真剣に話を聞いています。
それから、まもなく、お母さんはこれまでの仕事を辞めて、
夜勤の仕事ばかりをするようになりました。
子供たちの面倒を小次郎くんが見ることにし、
お母さんは夜勤で効率的にお金を稼ごうというのです。
お母さんは夜勤中に「ちゃんといい子にしている?」と確認の電話をしてきます。
小次郎くんは「大丈夫だよ」と説明します。
僕たちは、お母さんが作っておいてくれた夕飯を食べて、
適当に宿題をし、ゲームをして、寝るという毎日が続きました。
小次郎くんは、遊んでくれたりはしましたが、以前ほど気にかけてくれる様子はなくなりました。
朝、僕たちは勝手に起きて、朝ごはんを食べて学校に行きます。
帰ってくると、小次郎くんはまだ寝ているなんてこともあります。
お母さんは、こんな小次郎くんに何も言わないのでしょうか?
あんな真面目なお母さんが、こんな不真面目な生活をしている小次郎くんを許すはずがありません。
お母さんは、帰ってきて家事をして、少し仮眠をとってまた出勤してしまいます。
僕が帰ってすぐに出勤してしまうのです。
「お母さん、小次郎くん、ずっと寝ているけどいいの?」
出勤前のお母さんに聞いてみます。
「今、業者とのやり取りで疲れているから寝かせてあげて」とこう言うのです。
お母さんは、小次郎くんのことを信じています。
もしかしたら、お母さんもうすうす分かっているのかもしれません。
でも、仕事を急に辞めたりできないし、何よりも小次郎くんに嫌われるのが嫌だったのかもしれません。
僕と弟を引き寄せて、「寂しい思いをさせてごめんね、今が頑張りどきだからね」とギュッと抱きしめました。
僕は涙が出そうでした。
お母さん。お母さんとの時間がほとんどなくなってしまいました。
お母さんと一緒にいたいけれど、僕にはどうすることもできません。
この先どうなってしまうのだろうという不安で胸が張り裂けそうでした。
僕の隣で、弟はわんわん泣きました。
僕も本当は泣きたかったけれど、お兄ちゃんだから我慢しました。
僕まで泣いたら、お母さんは仕事に行けなくなってしまうから。
お母さんの休みは、これまでの休日と同じように、遊びに行ったり、外食したり楽しく過ごしました。
お母さんも疲れてはいるけれど、「仕事は好きだから」と言って、苦ではないようです。
小次郎くんは、お母さんに「いつもありがとう」と欠かさず言います。
お母さんは「大丈夫よ」と笑顔で答えるのです。
僕はもっとお母さんといたいけれど、それを言ってしまうと「男らしくない」と思われてしまうのが嫌なのでいいません。
弟はお母さんにべったりで、膝に座ったり、抱きついたりしています。
でも、こんな楽しい日は、あっという間に過ぎてしまい、また寂しい日々が続くのです。
こんな生活が何ヶ月も続いて、慣れてきた頃、小次郎くんは夜になると起きてパソコンで作業をするようになりました。
大きい声で電話をしたり、時にはテレビ電話で話したりしています。
時には乱暴な言葉を使うこともありました。
お母さんの前では、小次郎くんはこんな言葉を使うことはありません。
僕にも乱暴な友達がいるから、きっと小次郎くんにも乱暴な友達がいるのかもしれません。
でも、なんとなく、怖いなと思いました。
あんなに優しくて面白い小次郎くんにも、乱暴な一面があるのかもしれません。
小次郎くんに何か言うと、怒られるかもしれません。叩かれるかもしれません。
もしかしたら追い出されるかもしれないのです。
弟も同じように思っていたのでしょう。
弟はお母さんに言いました。
「小次郎くんが怖い」と。
泣いて、自分の思いをお母さんに伝えたのです。
お母さんは、その頃から、小次郎くんと距離を取ることを真剣に考え始めました。
でも、小次郎くんは、生活のなかに深く入り込んでいました。
鍵は持っていましたし、近所の人とも顔なじみになっていました。
その頃、小次郎くんから家族を紹介されました。
小次郎くんの実家は遠く離れているので、テレビ電話での紹介です。
小次郎くんのお母さんは外国人でした。
僕は小次郎くんが日本人とは違う感じの顔をしていると思っていたので、合点しました。
その後は、ときどき小次郎くんの家族から電話がかかってくるようになりました。
家族ぐるみの付き合いになったのです。
お母さんは、「小次郎のことをよろしく頼みますね」と言われて、「わかりました」と返事をしました。
お母さんは困っている人を放ってはおけません。頼られて断ることもできないのです。
心は離れていくけれど、なんとなく一緒にいるという生活がつづきました。
お母さんはお人好しです。
でも、僕も弟もお母さんが大好きです。
数ヵ月後、学校から帰ると、小次郎くんが荷物をまとめています。
「しばらく帰れないから。頑張るんだぞ」と言って、僕の頭をポンポンした。
弟にも同じようにポンポンした。
弟が「どこ行くの?」と聞いたら、「実家に帰るんだよ」と言った。
小次郎くんのお母さんの兄弟が病気になって、お母さんは母国に帰りたいんだけど、一人だと心細いから、一緒について来て欲しいと言われ、帰ることにしたらしい。
小次郎くんは外国に行く。
そう思うと、僕は少しホッとした。
まとまった荷物を持って、小次郎くんは帰っていった。
弟は「またね」と言ったけれど、
僕は「バイバイ」と言った。
それから小次郎くんは戻ってくることはなかった。
小次郎くんの家族からも電話がかかってくることはなかった。
お母さんは昼間の仕事に戻って、僕たちは元の生活に戻った。
お母さんのいない日には、おじいちゃんや、お母さんの友達が来てくれて、僕たちが二人きりにならないようにしてくれた。
僕はやっぱりこの生活が一番だと思う。
後日、お母さんは、公営放送を見て泣いた。
童話を見て泣いた。
「こんな話、嘘っぱち」と怒った口調で言った。
僕も弟も驚いた。
お母さんは、二人を正座させて、「よく聞きなさい」と語り始めた。
「悪い人は、いかにも悪さしますっていう顔した人ばかりじゃないの。
優しい顔した悪い人もいるの。
『いい人』を装って近づいてくることもあるの。
だから気を付けないと。
一人で判断する前に、誰かに必ず相談して。
そうしないと、自分だけでなく、いろんな人に悲しい思いをさせるから。」
お母さんは僕たちを悲しそうな目で見て言った。
僕は、優しい顔でいい人を装う人は、小次郎くんのことだろうと思った。
小次郎くんはいい人を装った悪い人だったのだ。
ずっと後でおじいちゃんに聞いたけれど、小次郎くんはお母さんからたくさんお金をもらっていたらしい。
お母さんが一年働いて稼げるくらいの大金を。
お母さんのように真面目で善し悪しの分かる人でも、
悪い人に騙されてしまうのだから、人を好きになるというのは恐ろしい。
それにしても小次郎くんという人は、ろくでなしだ。
ぼくたちと過ごした時間は、あんなに楽しそうだったのに、それは嘘だったのか?
あんなに世話になったのに、お母さんに申し訳ない気持ちはないのか?
家族まで紹介しておいて、家族もみんな悪い人なのだろうか?
お母さんのこと、本当に好きだったのか?
お母さんは、童話を見てこう言いたかったんじゃないのかな。
正直者が救われるとは限らない。
悪いものが裁きを受けて、懲らしめられるとは限らない。
小次郎くんは、またどこかで、お母さんのような優しい人の気持ちを踏みにじっているかもしれない。
このお話はほぼ実話です。小学生くらいのお子さんから読んでいただけるように、子供の視点で書いています。
歴史は勝者の歴史(記録)と言われたりします。「勝ったもの=正義」で、「負けたもの=正義に刃向かったから悪者」という考え方です。正義も悪も、結果次第で覆ってしまうと言えます。
私たちが小さな頃から親しんできた童話では、正義と悪がはっきり区別されています。
しかし、実際には、正義も悪も覆る可能性はありますし、正義と悪のはっきりとした区別もありません。
現実にはグレーゾーンも、グレーな人も、グレーな対応もたくさんあるわけです。
子供が、複数のエピソードの結末を知っておくことで、判断が必要となった時に、考える材料の1つとなって欲しいと思い書きました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。