第36話 魔界の魔女
日の光が気持ちいい。
どこまでも澄み渡る青い空に、中世のような街並み。
今日はアリオーシュに案内された錬金術師のところへ行くつもりだ。
街の雰囲気は相変わらず賑やかで、数日前の戦闘が嘘のようだった。
人って案外どんなことにも適用できるもんなんだよな。
現代世界から異世界に連れてこられた摩訶不思議な体験。
こんな体験をしたにもかかわらず、その現実をすっかり受け入れている自分がいる。
だからこそ、ここで生活している人の気持ちもわかるような気がした。
露店に並んでいる何の肉だかわからない串焼きを買い、頬張る。
お、この肉もうまいぞ。
また帰りにでも買い食いするか。
いい気分になりながら、教えられた区画へとだらだらと歩いていく。
昨日はクラスでの話し合いがあった。
召喚されてから右も左もわからない状態のうえ、本来の目的である魔族が攻めてきたのだ。
焦らずにはいられないことだろう。
内容はもちろん街から離脱する件だ。
いよいよ本格的に迫ってきた魔族との闘い。
つまりは戦争になるといって間違いない。
数週間前まで高校生だった人たちが戦場に赴くというのは酷というもの。
話し合いの結果、ひとまず大半の人がこの街を出ていくこととなった。
避難先は、南部に存在する学園都市といわれる場所。
有能な魔法使いや騎士も多く住んでいるため、比較的安全なところだということだった。
無論この街ラウムが突破されれば世界が滅亡するらしいから、どこへいても変わらない気はする。
それでも、ここで起こる戦いには巻き込まれないというのは大きな利点だろう。
そんなわけで残ったメンバーはダンジョン攻略を目指し戦いに備えるという計画だそうだ。
飛騨、東雲、桜田はもちろんのこと、俺のPTメンバーだった下地や末永もダンジョンに潜るといっていた。
他にも何人かいたはずだったんだが、話が長かったため途中で寝てしまって聞いていなかった。
あとで飛騨にでも聞いておこう。
城下町の道をするすると抜けていく。
相も変わらず人が多い。
よく観察してみると、ネコミミやしっぽが付いた獣人というものもちらほら見かけた。
かわいい。
ただし男は除く。
長い耳をした人もいた。
これはエルフってやつかな?
あとめずらしいところでは頭に触覚を生やし、透明な羽とお尻に大きなまるっこいしっぽみたいなものがついている不思議なやつもいた。
特徴的な黄色と黒の縞々。
しっぽのようなものの先端には棘が生えていた。
まさかハチ……とかじゃないよな?
そんな平和な光景が続いている街だが、ひとつ気に入らないこともあった。
話には聞いていたがこの世界では奴隷というものがいるらしい。
人でありながら人ではない。
物と同じように売り買いされ、物のように扱われ、物のように捨てられる。
ここに住む人々にとっては当たり前の日常なのかもしれない。
だけど、消耗品のように使い捨てられる彼らの気持ちはどうなるのか?
あたりまえだから。
と、簡単に済ましていいものではない。
歩いている途中にも首輪をつけられている人達を見た。
ボロボロの服に痩せこけた体。
そんな彼らの姿を見るだけで心が締め付けられる。
彼らも人として必死に生きているのに、どうしてこんなことが許されているのだろうか。
俺は自分の力で立ち直ることができたが、彼らには立ち直るための機会さえ設けられない。
魔法の真理にたどり着き、才能があるものたちと比べても対等以上に渡り合える力を得た。
この世界に来て自分の力で魔法を使うという夢もかなえられた。
そういう意味では自分は幸せ者という部類にはいるだろう。
だから、なんとなく思うのだ。
家から追い出された自分と彼らを重ね、抜け出せない地獄にはまってしまった。
そんな彼らを救ってあげたいと。
まぁそれは世界の滅亡を防いでからの話。
今は自分ができることをこなさないと。
錬金術師とはどんなものなのか。
少し期待が高まる。
アリオーシュの話では天使の像が置かれた噴水の広場が目印と聞いていた。
聞いたところによればもう少しのはず。
少し影った裏路地を通り抜け、大きな通りに出る。
お、あったあった。
遠目に何の変哲もない石の天使像が見える。
あそこの広場にお店があるんだな。
空気が変わった。
ピリッっと皮膚に伝わる存在感に、ただならぬ違和感。
急激に周囲の気温が下がっていく感覚。
数日前に戦ったカノープスに似たプレッシャー。
思わず胸の鼓動が早くなる。
まさか、もう戦いに来たっていうのか?
いやそんなはずはない。
俺の特注の魔法を掛けてやったんだ。
簡単に解けてしまうわけがない。
じゃあこれはいったいなんだ?
気配を辿っていくと、建物の屋上に一筋の光がなぞられた。
その軌跡に合わせて切り裂かれる空間。
あれはなんだ?
魔法でも似たようなことはできるが、魔法ではない。
それが言い表せぬ違和感を際立たせる。
そして空間がねじ切れられ、一人の女が現れる。
「あら、気付かれていましたか? こんにちは、期待の新星さん」
一言で言い表すなら妖艶な魔女と言う言葉が一番しっくりくるだろう。
ウェーブのかかったブラウンベースの長い髪。
とんがり帽子に魔法使いのような魔導士の服。
グラマラスなボディ。
……こいつまさか話に聞いていたデネブってやつか?
敵意は感じられなかったって言ってたけど、敵意むき出しじゃないか。
「ふふ、あまり警戒しないでください」
「警戒しないでって言うならもう少し平和的に来て欲しいんだがな」
「私もそうしたいところなのですけれど、やはり初対面だと舐められるのは嫌じゃないですか? だから少し威嚇させていただきました」
圧倒的強者が持つ余裕。
彼女からはそんな表情が伺える。
カノープスの側近みたいなものだと聞いていたのだが。
やはりただものではない。
「私はデネブと申します」
目的はなんだ?
あいつの仇討?
それもちがうか。
少し戦っただけだが、そんな性格のやつではない。
あいつはただ戦いたいだけなのだ。
こんな周りくどい方法で、自分の獲物を倒すことなど考えにくい。
「混乱しているようですね?」
「そりゃあそうだろう? 城を吹き飛ばしたり、聖騎士隊を全滅されたりした、そんな奴の仲間を簡単に信じるほど馬鹿じゃないんで」
「ふふ、それは最もな答えですね。 少し威嚇させてもらいましたが、私は敵ではないので安心してください」
「敵ではないとしても俺がお前に関わる道理はない」
「そうですね。 おっしゃるとおりです。 ただ、私には気になることがあるのです……」
どこからともなく現れる単一のレンズで形成されているモノクル。
それを片目にかけ、こちらを覗き込む。
「ふむふむ……やはりあなたからは脅威となるような情報を得ることができません。 私のアーティファクトが悪いのか、それとも測定項目が間違っているのか、その両方なのか……。 何にせよ、私はあなたがカノープス様に相応しい人物なのか見極めなければなりません。 ですので、少し実験に付き合っていただきます」
石畳に閃光が刻み付けられる。
魔法陣……ではない。
とても似ているが、もっと何かべつなもの。
紫色の炎が立ち上り、電撃がほとばしる。
形成されていくなぞの物体。
人間の腕ほどもある大きな爪。
形成されていく体はガイコツのそれだった。
しかし、ただの骨とはいいがたい。
容易に攻撃をはじくような金属のような光沢。
纏われていく甲冑と両腕にはカットラスと呼ばれるような湾曲した刃を持つ。
頭部は羊のような曲がりくねった禍々しい角が生え、炎の鬣がゴオゴオと燃え上がる。
発声器官などないはずなのに、その怪物は咆哮を周囲にまき散らした。
「さあ、私にあなたの力を見せてください」