「ボクの考えたなろう系小説の特徴」
ここ数日、「小説家になろう」にユーザー登録させていただき、中編小説をひとつ、最後まで投稿させていただいていた。その際に気づいたこととか、「なろう系」小説について以前感じていたことと、今感じていることを、書いておく。もし興味があったら、参考にするといいだろう。
まず、なろう系というと、私にはこんなイメージがあった。
1「異世界」
2「イケメンと美少女」
3「勇者」
4「チート」
5「緊張感の欠如」
6「設定の説明だけで話の半分が割かれるバランスの悪さ」
7「わかりやすいキャラの思考」
このうち、1から4はただの特徴であり、第三者が別に、良いとも悪いとも言えないもの。5から7は、私がそう感じるというだけで、万人にとってもそうだと、言えるものではない。むしろそれを好んで、なろう系を読んでいる方もいるかもしれないし、そもそも、5~7が私の勝手な先入観でしかない可能性だってある。
と、ちょっと異論がある人もいるかもしれないけれども、上記1~7を、たたき台とさせていただき、自論を展開してみよう。
1「異世界」
なぜ異世界なのか。これはたぶん、現実世界を舞台とした小説など手垢がつきすぎてしまっていて、新しい小説を生む余地などないのであろう。文壇では一時期、若い人の受賞が相次いで、さわやかな風で閉塞感を吹き飛ばしてくれたが、それさえも一時しのぎのもの。そういう、「古風な現実世界」から逃げ出し、「異世界」に生きる人達が出始め、賛同者が増え、やがて「現実世界」がみるみる枯れ始めた時に、「異世界」にはまだ美しい自然が残り、楽しい人生、夢や未来や、希望が残されていた。かろうじて「現実世界」にしがみついて生きていた人達も、そのことに気づき、やっと「異世界=現実」だと理解し、そこに足を踏み入れはじめた。そう、それが現在の、出版業界の状況。
2「イケメンと美少女」
なぜイケメンと美少女なのか。これは、「なぜ男性は鼻毛の手入れをするのか」、「なぜ女性はわき毛の手入れをするのか」、と問うのと同じであろう。高いお金を払って映画を見てみたら、ヒーローもヒロインも、鼻毛ぼーぼー、わき毛ぼーぼーでした。なんやそれ金かえせーー、ですよね。
3「勇者」
主人公が勇者。これは言うまでもなく、ドラ●●・●●ストの流れ。ドラ●●では、そこそこのプレイ時間内に、プレイヤーに壮大な冒険を楽しんでもらうことをコンセプトとしている(と思われる)。一人の主人公が、スライムをチマチマと倒してこずかい稼ぎをするレベルから、この世を滅ぼそうとする魔王を倒すまでに成長するためには、いくら経験稼ぎをしたとしても、追いつけない。あまりに非現実的である。そこで登場するのが「勇者」というエクスキューズ。「ゆうしゃのかぶと」、「ゆうしゃのよろい」、「ゆうしゃのまんと」、「ゆうしゃのつるぎ」、という、チート武器なのですね。これがないと、リアルすぎてかったるく、つまらない。つまり「なろう系」では、リアルさよりも、スピード感、爽快感、疾走感を重視するがゆえに、「勇者」が多用されるのではないだろうか。
4「チート」
これも「勇者」と同じ。スピード感、爽快感、疾走感を求める「なろう系読者」への、より高いサービスを提供するためには、どんどんチートを提供していかねばならない。より強い刺激を提供していかなければならない。そんな新しい刺激を、どうあがいても提供できなくなった時に、「現実世界」同様、「異世界」も崩壊するのでしょう。
5「緊張感の欠如」
これは、3の「勇者」とも絡む。なろう系の読者が、活字やマンガではなく、コンピューターゲームの世界から生き様を学び、そのようなコンテンツを小説にも求めているとするならば、戦闘における緊張感、とりわけ、「死の恐怖」などというものは、求めてはいない。むしろ「死んだら生き返るから、ま、いっか」、くらいの軽いノリの死が、望まれるのだ。
と、ここまで読んで、気づいた人もいるだろう。「ライトノベルとはどうあるべきか」、「なろう系とはどうあるべきか」、などという議論には、あまり意味がない。軽いゲーム感覚で楽しめる小説を、なろう系読者は求めており、逆に言えば、そういう小説を求めて人々が集まるのが、なろうである、と考えることも出来るのだ。だから、「こんな緊張感のない戦闘シーンを書くなんて、とんでもなくレベルの低い作者だな!」、というような批判は、的外れである可能性があるのだ。なぜなら、読者が求めているものを、作者は提供しているに過ぎないかもしれないからだ。
6「設定の説明だけで話の半分が割かれるバランスの悪さ」
これも実は、ドラ●●の話と関係してくる。ドラ●●には、コンピューターRPGをやったことがない人にも、操作が段々と理解できるようになっていくような、工夫がされていたことを、ファミコン世代の皆さんはご存じでしょう。このような「操作を覚えさせるための会話やイベント」は、ストーリー的には不要なものだけれど、それがないと、すんなりドラ●●には入っていけない。キャラをどう操作すればいいかわからない不安から、少しずつ解放され、やがてプレイヤーはゲームに馴染み、ストーリーに没頭していく。
こういう、「ストーリー」とは別の部分にある、「プレヤーの成長を促すための要素」を、「ナラティブ(物語)」と呼ぶことにします。通常の(なろう系以外の)小説では、このナラティブな部分をいかに短くすませるかに、作者の技量が問われるのですけれど、「なろう系」では逆。むしろその「ナラティブ」な描写で、いかに読者を楽しませるかが重要。つまり「なろう系」読者は、「新しい世界に放り込まれたもどかしさと、そこからの解放」を、楽しみたいのですね、たぶんですけどね。
7「わかりやすいキャラの思考」
はい、これもこれまで同様、ドラ●●の話と関係しています。もうわかりましたね? これも「ナラティブ(物語)」重視なのです。せっかく「ナラティブ」で楽しもうとしてるのに、妙に主人公の思考が屈折していて、先が読めない。なぜそう考えるだよもっとがんばれよ、ともどかしくなる。主人公の複雑な心のひだをうまく描写することにより、「ストーリー」は盛り上がりますが、「ナラティブ」の楽しみは、逆にスポイルされてしまうのですね。このバランス感覚が、重要なのです。
と、いくつかのテーマでつらつらと書いてきましたが、あくまで私が発見した(と思いこんでいるだけかもしれない)「なろう系」の法則ですので、あまり信じないよう、お願いします。
(おわり)