夏の思い出
ヒュ〜……ドドン、パラパラパラパラ……
「きれいだねぇ。花火なんて久しぶりぃ」
「ああ、きれいだな」
祭りの締めくくりは、打ち上げ花火だ。家で見る人、最後まで残って見る人、様々だ。三十分という短い時間だが、上がる花火は立派なもので決して捨てたものではない。
「初めてだね? 学さんと見るのって」
「そう言えばそうだな。彩花、楽しかったかい?」
「うん! もうね、表現できないくらい楽しかったよ。もう、いろいろ有りすぎて。ふふっ」
「まあ、それに関しては俺もだよ」
花火が夜空にきれいな花を咲かせると、隣で見上げる彩花の横顔がくっきり見える。何よりも大事なカメラは、バッグに閉まったままだ。
「彩花。花火、撮らなくていいのか」
「うん? 学さんと一緒に見てるから、カメラはお休み」
そんなことを言われたら、不覚にも感動してしまう。肝心なとき、ここぞって時に限って彩花は学の心をぎゅっと掴むのだ。
「はぁ〜。それにしても、彩花のアレはマジですごかったな」
「もう……忘れて」
◆
「まっ、まっ、まーなーぶーさぁぁぁん」
藤崎隊長の斜め後ろで、同じく褌を締めた学がケミカルライトを両手に持ち、キレッキレに踊っていたのだ。
彩花の声はここ一番の大きな声で、踊っていた隊員たちの半分はギクッと一瞬肩を上げてしまう。学も、遠くに響く自分の名を聞きながら、マジでヤバいと冷や汗を流した。
ところが、見物客は違った。
「ねえ、すごい。うちらもやってみよう」
「え、なんて叫ぶ?」
「なんでもいいやん、せーのっ」
「「大隊長ぅぅーーっ!! ハイッ! ハイッ! ハイハイハイ!」」
音楽に合わせて若者たちが、まさかの合いの手を入れ始めたのだ。それを聞いた大隊長は、更にキレッキレに手を回す。ケミカルライトのオレンジが、赤くなったり黄色くなったり変化する。それに合わせて隊員たちも、キレッキレのキレッキレに腕を振る。
ブンッ! ブンッ! と、風を切る音があちらこちらから聞こえ始めた。
「さとるぅー!!」
「よしたかぁぁー!!」
「おとうさーん!!」
合いの手は、彼氏の名前や夫の名前、そして子どもたちのお父さんコールへと変わった。初めは女性だけだった合いの手コールに、男性たちも混ざり始める。
「空挺団、ハイ! 大隊長! ハイハイ!」
盛り上がりはピークに達した。
驚いて声を出せないのは彩花だ。まさか自分の叫び声がこんな事になるとは思わない。
(やだ、大変なことになっちゃった……どうしよう)
そうしているうちに、エンドに向けてフォーメーションが変わり、中央で踊っていた大隊長が最前列までやって来た。見物客は腕を上げてジャンプする。でも、彩花はどうしたらいいか分からない。
とうとう第1空挺団司令でもある大隊長が、彩花の目の前に立った。
「あ……」
彩花を見下ろすように立ったかと思うと、次の瞬間には彩花の視界はぐんと高くなっていた。
「えっ、えっ、え!」
音楽が止まった。
ビシッ! と、ポーズを決めて静止した褌軍団が見渡せる。その奥で、学が控えめに手を上げた。
「ご主人をお借りしました。ありがとうございます」
「いえ、とんでも……あああっ、すみません。重いです! おろっ、下ろしてください。ごめんなさい」
「おっと、失礼。このあとは花火があります。ご主人はお返ししますので、一緒に見て帰ってくださいね」
すっと、地面に足がついた。彩花は驚きすぎてその場に座り込む。なんと彩花は大隊長の肩に担がれていたのだ。たくさんのカメラとスマートフォンのフラッシュが彩花を照らしていた。
「幸田さん! すごいわね。あなた有名人よ!」
「やだ! どうしよう」
婦人の藤崎に言われて、彩花の顔は火を吹きそうなくらい真っ赤になっていた。
◆
花火が照らすまばらな光でも分かる。彩花の顔は真っ赤だった。なんでもポジティブに物事を捉える彩花でも、あのときの自分を思い出すと恥ずかしいようだ。
「彩花、真っ赤だな」
「だって、本当にびっくりしたの。学さん、空挺の人になっちゃったのかと思った。それに最後……大隊長さんに担がれちゃって」
そこまで言うと、恥ずかしさがこみ上げたのか、彩花は両手で顔を隠した。くぐもった声で「明日から学さん、大丈夫?」と、夫のことを心配しはじめる。
「なんで俺の心配?」
「だって、あんなに目立っちゃって。いっぱい写真とられたと思う。SNSとかで出回っちゃうよ〜。幸田の奥さんヤバいなんて思われたら、学さんお仕事しづらくなるよぉぉ」
「なんだ、そんなそとか」
自分が目立ったせいで、夫の仕事に支障が出たらどうしよう。妻としてやってはいけないことをしてしまったと、彩花は気にしていた。
「彩花のお蔭で、いい写真が撮れたって広報が言ってた。新聞部もあれはいい見出しになるってさ」
「きゃーー! やだー、どうしよう」
「どうもしなくていいよ。空挺団のお墨付きなんだから、むしろ、仕事もやりやすいかも」
「……ほんとう?」
学は柔らかや笑みを見せて、「助かった」と言いながら彩花の頭をなでた。最強軍団の懐に、引き込まれた学と飛び込んでしまった彩花はこれでもうしっかりと習志野駐屯地の仲間となった。
もうすぐ花火も終わる。ラストスパートをかけたように、連発して夜空を飾る。「すごい」という観客の歓喜の声を聞きながら、学は彩花に口づけた。ピクッと揺れる彩花の手を、学はしっかりと握っている。
「学さんっ、こんなところで。見つかったから叱られちゃうよ」
「大丈夫だって。みんな上ばかり見てるんだから、俺たちのことなんて見えてない」
「もーうっ」
学は真面目なくせにこんなときは大胆で、彩花の気持ちを鷲掴みにする。通信競技会のときも素敵だったけれど、今日の褌姿もかっこよかった。ケミカルライトを持って踊る姿はちょっと、いや、かなり衝撃的だったけれど、手を抜くことなくやり抜いた姿勢が何よりも素敵だった。こんなに何にでも一生懸命な人だから、何があっても支えたいと思う。だからこそ、と彩花は何かを決心する。
「学さん」
「うん? ど、どうした」
いつになく真剣な眼差しを向けられた学は、なぜか心臓がドクドク音を立てて焦らせる。この眼は何かを決めたときの、そしてそれは何があっても覆らない強い意志を持っているものだ。
(まてよ、これなんかの時もこんな眼をしていたぞ……なんだっけ)
「あのね、お願いがあるの」
「お願いっ、て?」
「わたし! 心の準備はできているからっ、だからーーっ!!」
なんだか思いつめたように、体を乗り出して学に迫ってきた。芝生についていた彩花の手が、学の膝の上に乗せられる。
(この迫り方……ああっ、顔面偽装のやり方教えてくれって! あの時のに似てるな! 待てよ。もしかして、私も自衛官になる! とか、そういう!?)
「彩花、落ち着いて。俺は彩花の願いならなんだって叶えたいと思ってる。だけど、その、じっくりーー」
学は彩花に、もう少し落ち着いて考えてから決めようと言おうとした。すると彩花は、やはり学の予想の遥か斜め上の言葉を投げつける。
「赤ちゃん作ろう!!」
「……」
自衛官になりたい! そう言われると思っていた学は、返す言葉が行方不明になってしまう。頭の中の情報処理が追いつかないのだ。
「いつでも、どんなときでも真剣に取組む学さんは、きっと素敵なお父さんになれると思うの! ねえ、赤ちゃん作ろう? 私、頑張って産むから。何人でも学さんが、欲しいだけ!」
「さっ、さいっ……」
彩花の溢れる想いはピークに達したのか、気づけば学は芝生の上に押し倒されていた。
ヒュー、ヒュー……ドンドドン!
パッ、パラパラパラパラ……
ヒュー、ドン! パーッ
学が見上げる先には、最高潮に達した彩花の火照った顔と、夜空を舞う大玉花火が花を開く。こんなふうに子作りを迫られるとは思わなかった。学のショートしかけた回線が、ゆっくりと修復されて、ようやく彩花に視線を戻す。
「学さん! 赤ちゃ……ん」
上から見下ろす彩花を学は両手で引き寄せて、その顔を胸に引き寄せる。もう、なんで今、このタイミングなんだよと、心の中で苦笑いだ。
「彩花」
「学さん……赤ちゃん」
「わーかったって。まったく、何を言い出すかと思えば」
「だって、私。学さんとの赤ちゃん欲しい」
喜んでー! と、叫びたいのを我慢して、学はゆっくりと起き上がる。そして、彩花の汗で張り付いた前髪をそっと指先でよけてやる。
「ありがとう。俺も、彩花との赤ちゃん欲しいよ。だから、ここでそんなに熱くならないでよ。帰ったらゆっくりと話そう。俺、明日は休んでいいって言われているんだ」
「それって……」
「俺、今夜、めちゃくちゃ頑張るかも」
「ま、ま、学さんっ」
あんなに赤ちゃん欲しい、赤ちゃん作ろうと言っていたのに、いざ学が答えると恥ずかしそうに顔を隠してしまう。言ってることとやってる事のギャップに、学はメロメロだ。
「あー、参った」
「え?」
「彩花には、勝てないなぁって思ってさ。ずっと、そのままでいてくれる?」
彩花は、何をどうそのままなのかと首を傾げる。だけど、学はにこやかな表情のまま彩花の頬を手の甲で撫でた。
「彩花、何つけてんの。お転婆だなぁ」
妻が可愛すぎでどうにかなりそうで、付いてない埃を払うフリしてごまかした。いくら花火が終わって、人が疎らになったって、薄暗さが戻ってきたからって、やっていい事と悪い事はある。なんて、不埒な考えをかき消した。
(さすがに駐屯地の広場で、押し倒すわけにはいかないでしょー)
「さて、帰ろうか」
「うん」
なんだかんだと振り回されがちな学も、赤ちゃん作りは主導権を握るつもりだ。期待に添えられるかは神のみぞ知る。
「あのね、学さん」
「ん?」
「タイミングとしては、今夜がいちばんいいみたいなの」
「へ?」
女性の体は神秘的だ。いつがいいとか、よくないとか分かるらしい。
「今月がだめでも、チャンスは毎月必ず来るから大丈夫っ」
「お、おう」
やっぱり主導権は彩花が握っているのだと、思い知らされた夜だった。




