第二章 二節
「よっと」
刀義征はプログラムを利用した電話を起動する。2045年に発生した原因不明の事件によって、現在世界にインターネットというものは存在しない。故に、携帯電話の代わりとしてプログラム同士のつながりを利用して回線を作るというものがある。それは右腕につけられた『プログラムデバイス』――通称デバイスと呼ばれる腕時計状の機械で処理が行われる。
『主人よ、誰に繋ぐのだ?』
義征のプログラムが起動する。彼のプログラムの名は『足利義輝』。足利将軍家が生み出した最強の剣豪である。
「台湾にいる梓時頼に」
己の友人にして、義理の兄の名を呟く。現在、時宗の父親である梓時頼は職場である台湾にいる。台湾は中国に反発し、日本が盟主である勢力の国際同盟に参加している。梓時頼は台湾に常駐し台湾人を守る『台湾衛府』の都督の仕事をしている。
『了解した』
義輝はプログラムを繋ぐ。暫くすると――
《おお、義征か。久しぶりだな》
梓時宗の立体像が出た。
「久しぶりだな、義兄さん、いや、ここは昔どおり時頼と呼んだ方がいいか?」
からかうように義征は軽口を叩く。
《はは、全く。お前は意地が悪い。双子の姉とえらい違いだ》
時頼も、普段息子に見せる表情より柔和な表情を見せる。ホログラフィの技術が進化し、目尻のしわまで鮮明にそれが映る。
「時頼、俺と姉さんを一緒にするな。俺はあんなに優秀じゃない。そこら辺りはお前の方がわかってると思うけど?」
額に指をあてながら、時頼は答える。
《いや、私はお前の才能もかっているぞ? 正直、欲を言えば今すぐ尚武学園を辞めて戦場に戻ってきてほしいくらいだ。刀家当主とあろうものがそこで燻るのは……なぁ?》
それに対して義征はきっぱりと返答する。
「時頼、俺にはこっちの方が性に合ってるよ。あの日、あの時、親豊を俺は救えなかった。だからもう刀を置いた。二度と親友を刃にかけるのは御免だ」
電話の向こうの時頼は、沈んだ声で返す。
《……親豊の件なら、私に責任がある。あの時関わった政清、光維も気に病んでいるが……あの時、親豊を守れなかったのは……私だ》
それに対し、義征は首を横に振る。
「お前は親豊を守る事は出来なくとも、あいつの一番大切なものは守った……それだけでも、誰よりもお前は立派だった」
時頼は少し声の調子を上げて問いかける。
《そういえば、その――あいつの大切なものは、どうなっている?》
義征はにこやかな笑顔で答えた。
「ああ、きちんと俺が守ってる。政府のお偉いさんに働きかけて、もし手柄を挙げればあいつの罪を帳消しにしてもらえるようにも働きかけている。それに、お前の息子と相性がよさそうだぞ、あれは」
それを聞いて、時頼の声に喜色が現れる。
《そうか、なら頑張らないとな。それに、あの愚息とあいつの大切なものの相性はいいだろう。共に劣等感をばねとし、高みを目指す鳳雛と伏龍だからな。ところで、愚息の様子はどうだ? あいつは私に似ず、少々繊細に過ぎる》
義征はクスリと笑って答える。
「時宗君なら問題ない。よほどお前の教育が行き届いているのだろう、礼儀もしっかりしているし、何よりも芯が強く自立心旺盛だ。入学前に不安定だったあの子と同じとは到底思えないほどにな」
時頼はほっとしたような声で言う。
《そうか、ならよかった。ああ、済まない。今からお前の姉と食事をとるから、切るぞ》
「はは、しっかりと姉さんをエスコートしてやってくれ。じゃあな」
そう言って、電話が切れる。
「ふぅ」
そのまま義征は外を見る。月が綺麗だった。
「あの日も、月が綺麗だったな」
義征はそういうと、静かに眼を瞑る。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜。伊勢も、モハンマドも帰った後の病室。
「月、か」
病室の窓から梓時宗は外を見る。美しい月があった。尚武学園は海上に存在する学園であり、それ故に空気が綺麗であった。だからこそ、月が良く見える。
『美しい月ですね、昔を思い出す』
鹿介が呟く。
「ああ、そうだな。お前は月に縁が深い英雄だからな。この美しさに記憶が想起されたか」
『ええ』
梓時宗のプログラム――山中鹿介幸盛。彼の人生は波乱万丈にして苛烈な物であった。滅びた主家を、命を賭けてでも復興させようとする覚悟を持っていた――いわば、烈士であった。そんな彼の始まりは月への誓い。己に苛烈を強いて武勲を挙げる。忠勇にして屈強なあり方だった。
「なぁ、鹿介」
時宗は水を口に含み、問いかける。
『どうしましたか、我が主君』
常に丁寧口調を崩さぬこのプログラムは反応する。
「お前の眼から見て、黒城先輩はどう思う?」
その問いに、鹿介は少し考えてこたえる。
『ふむ、我が主君が某の意見を求めているというのならば答えましょう。某から見た彼女は……体つきは貧相なれど、筋を良く鍛え、鍛錬を良く積んでいると見えます。我が主君の様に、天賦の才の上に想像を絶する努力をした天才ではなく、天賦の才が無い身でありながら膨大な努力を重ねその域に入り込んだ天才かと。更に、比較的腰回りの形が良く、良き跡継ぎを産む母体だと判断します』
それを聞いて時宗は赤くなった。
「な、なんでお前はいきなり跡継ぎとかいうんだ!」
その時宗の叫びに、鹿介の立体像は首をかしげてこたえる。
『何か不味いことでも?』
その態度でさらに恥ずかしく思ったのだろう。時宗は声を荒げて叫ぶ。
「だからっ! 何故にっ! 槍の評価とかっ! 武の評価とかっ! そう言ったものの後にっ! 跡継ぎの話がっ! 出るんだっ!」
己の主君の狼狽えっぷりに、鹿介はますます首を傾けさせる。
『はて? 我が主君――貴方は新しき時代における武の名門の跡取りでしょうに? ならば、良き女性を娶らねばならぬ義務がお有りでしょうな。理想を言えば、某が母の様な女性が理想でありますが……それは難しいと思いますので、せめて我が主君が出会った女性の中で良き女性を選ばんと思い……』
時宗は頭を抱える。このプログラムは出会った女性を自分の嫁としてふさわしいか否かを分析しているかと思うと、頭が痛くなる。
『あの女性は女性らしい体つきではありませんが、その分引き締まっているので武門の家の嫁には最適ですぞ?』
「……あ、そうか」
もう時宗は反論とかを考えず、そのまま深い眠りにつくことにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ん……」
深夜。時宗は妙な気配がしたので起床する。
「……何時だ?」
そう言って電気をつけようとしたときである。
「今は3時だよ、時宗君」
暗闇の中から声がする。
「っ!」
時宗は懐に忍ばしておいた小刀を取り出す。父である時頼から譲られた逸品で、出雲の玉鋼を使っている。ずっしりとした、手に良くなじむものだ。その小刀の腹で急所となる心臓部を守りながら、左腕で喉元を守る。
すると――
「うーん、声でわかってもらえないというのは少し僕も寂しいよ」
その声と共に、部屋に光が満ちる。
「……何してるんですか、黒城先輩?」
時宗は小刀の先端を綾の心臓に向けながら、問いかける。すると綾はにこやかな顔で答える。
「ははは、時宗君。異性の部屋に夜中忍び込むという事実が意味するところ――察さないかい?」
時宗は唾を飲み込み、口走る。
「まさか、枕投げですか?」
空気が凍る。
「……うん、もうそれでいいや」
少し考えて、綾は考えることを止めた。
「?」
時宗は小首をかしげるが、黒城はそんなことお構いなしに椅子を引いて座る。
「よっと。ちょっと時宗君をからかおうと思ったのに……こんな返しで来られるとは」
期待されたものが得られなかったような残念そうな顔をしながら、綾は鞄から茶器を取り出す。その茶碗は、闇夜の如く漆黒だった。
「それは……利休好みですか」
そういうと、綾の顔は輝く。
「あっ! やっぱり時宗君わかる? ふふ、この茶碗は僕が好きな茶碗でね、昔京都の茶器の古市で大枚叩いて買ったんだよ!」
それを聞いて、時宗は少し嫌な予感がした。
「えっと、それ御幾らですか?」
すると涼しい顔で言う。
「二万くらいかなぁ? 市場価格が四万だからお得っちゃお得だけど」
「……」
その返答に時宗は絶句する。
「う、羨ましい……」
利休好みという言葉がすぐ出てきたところからもわかる通り、時宗も骨董品には目がない。それゆえ綾の持つ茶器をひどく羨ましそうに見ていたが、そんな視線など気にするそぶりも見せず、綾は慣れた手つきで茶を点てる。病室の中に芳醇な抹茶の香りが満ちる。
「はい、とりあえずこれ飲みな」
そう言って茶道の礼法に従い綾は渡す。
「どうも、ありがとうございます」
時宗も礼法通り受け取る。そして、静かに、優美に飲む。
「これは美味しい。黒城先輩、茶道の心得があったのですか?」
笑顔で綾が答える。
「うん、父から手解きをね」
その時、時宗は問いかけた。
「黒城先輩の父上はどのような御方なのですか?」
そう聞いた時、一瞬、黒城の顔が曇る。
「……先輩?」
綾はすぐに顔を戻し、わざとらしく明るく言う。
「うん。穏やかな人だったよ。僕のようなお転婆娘に、こんな礼法とかをしつけるぐらいには……最も、今は死んじゃってるけどね」
それを聞いて、時宗の顔が沈む。
「し、失礼しました」
それに対して、綾は言う。
「いや、良いよ。それを知らなかったんだから、僕は怒ったりも気分を害したりもしない。だからさ、あんまり気にしないで」
時宗は静かに礼をする。綾はクスリと笑って言う。
「そのかわりさ、時宗君のお父さんについて話してよ。君のお父さんはあの有名な梓時頼でしょ? あの人が家庭でどんな人なのか、聞いてみたいな」
無邪気に問いかける。時宗は、胸の中の申し訳なさを押し込めて話し始める。
「父上は、良くも悪くも厳格な方です。悪しきことをしたとしてもそれが道理に合う事ならば褒め、良きことを成したとしてもそれが道理に合わぬことなら叱る。感情の赴くままに己の才を使うなかれ、己が内に眠る獣を理知を以て抑え込め、そのような言葉が口癖だけあって理性を重んじる人です」
それを聞いて、綾は何かに納得したように膝を打つ。
「なるほどねー、話を聞いてるだけで理性的な人柄が目に浮かんでくるよ。うん、ありがとう!」
「はい」
その笑顔に、時宗は一瞬見蕩れる。それは昨日彼に槍を突きつけた少女とは全く違う笑顔。そのギャップに、戸惑う。
「それにしても」
その動揺を悟られないように、時宗は問いかける。
「どうしたの?」
綾は顔を微笑ませる。時宗は静かに、相手の臓腑に染み込む様に、問う。
「何故、貴方は私に執心するのですか?」
その問いは当然の疑問であった。入学以来、時宗は綾に付き纏われている。更に、昨日は教師さえも動かして、限りなく実戦に近いことをさせた。それも、自らの体を射抜かせるまでに時宗を本気にさせた。
何が彼女をそこまで突き動かすのか、時宗はそれを知りたかった。
見たところ、彼女は悪人ではない。むしろその精神は理想の騎士や武士に近い高貴な者だと思った。礼節をわきまえ、所作の隅々から育ちの良さがにじみ出る。そのような彼女が、どうして自分の様な『落伍者』に執着するのか。
それが不思議であった。
すると、綾は立ち上がる。そして、時宗の耳元で囁くのであった。
「僕は君が欲しい――僕の願いの為に、ね」
それだけ言うと、時宗が反応する暇も無く彼女は窓をがらりと開けて飛び降りた。
「っ!」
時宗の病室は三階だ。時宗は慌てて窓から下を覗き込む――
「うわぁ……ここから飛び降りてそのまま走ってるよ……」
闇夜を走り去る綾を見つけ、驚きの感情しか浮かばなかった。
「寝よう……流石に傷に悪い」
そう言って時宗は消灯する。そのまま目を閉じて、眠る。疲れからか彼はすぐに眠りに落ちる。覚醒と睡眠の狭間、彼はふっと考える。
黒城綾の目的、願いとは何だ、と。
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黒城綾は雑木林を笑顔で駆け抜ける。その顔は正に喜色満面といった様子だ。
「あははは、本当に――最高だ」
涙を流しながら、彼女は喜ぶ。木々の間を縫うように、人とは思えぬ速度で走りながら。
『綾、確かに彼は必要だ。よくよく見てみたが、あれは規格外だ。君に言われたように彼を観察してみたが、彼は体にブレがない。壮年の兵士の様な鍛え方だ』
平八郎の言葉に、綾は指をちっちと振って言う。
「甘いなぁ、平八郎。それは彼の一面しか見ていないよ――」
そういうと、土をめくるほど強い勢いで綾は止まる。
『彼の一面……どういうことだ?』
綾はすぅと息を吸って言う。
「あそこで彼は真っ直ぐ私の目的を聞いた。あの状況なら、もっと僕を責める。だけど、真っ直ぐ、私の本質を射抜いてきた。僕に足りない真っ直ぐさ――最高だ。彼は最高だ」
そういうと、綾は空を見る。
「ああ、本当に僕は彼に――」
その言葉は月夜に溶ける。
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「ふぅ」
刀義征は自室で一人ウイスキーを飲んでいた。
「親豊……お前は今の俺を見て、どう思う?」
義征の前には一枚の写真があった。そこには三人の少年が映っていた。右側には豪快に笑いながら鞘に入れたままの日本刀を掲げている少年。左側には背中に巨大な弓を背負った真面目そうな少年。そして、その二人に挟まれている少年は、柔和な表情で、照れくさそうに笑っていた。
「俺も、時頼も、変わっちまったよ。歴史が流れて、俺たちが歩んだ道は――」
義征は涙声を詰まらせる。3分ほど義征はすすり泣いていた。
涙をぬぐい、写真に対して義征は言った。
「……だけど、いくら変わろうとも俺は――お前の残したものだけは、守る」
それぞれの思いを月だけが見守っていた――