Chapter 9
あなたのような方に来ていただいて嬉しいわ。老女は再びそうささやいた。初めての人にこんな風に丁寧に受け入れてもらえたことが、私はとても嬉しかった。なんて居心地がいいんだろう。私はどんどん自分をほどいていく。廃墟のはずのこの空間が、何の努力もしない私を受け止めてくれていた。
私もここに居られて、とても嬉しいんです。そう、老女に伝えた、心の声でそのまま。
老女は嬉しそうにうなづいて、キャロライン、と名乗った。私も初美、と告げる。苗字は必要ない。それは社会的なものだから。ここには私的なもの以外存在していなかった。
ようこそハツミ、どうぞゆっくりして行ってね。ええ、キャロライン、もちろん。まるで映画のワンシーンのようなやりとりで私たちはすっかりうち解けあった。
キャロラインは彼女の人生をとても魅力的に語ってくれた。彼女がここに住み始めたのは、彼女の父の代からだった。一人娘だったキャロラインは、家付き娘として、鉱山主の二代目である若き実業家と結婚した。結婚生活はそれなりに順調だったが、途中に哀しい戦争があった。私の乏しい歴史の知識からすると、それはたぶん南北戦争だろうと思う。二人の息子が戦いに行き、戻ってきたのは兄の方だった。キャロラインはどちらかというと弟の方と馬が合っていたらしい。だが、運命だから仕方がない。残った息子は、落ちぶれかかった鉱山の維持のため、かなり離れた町から資産家の娘を迎えた。この嫁がキャロラインとそりが合わなかった。初めのうちこそ、母親の肩を持っていた息子も、父親が亡くなってからは自分の妻を立てるようになった。その方が妻の実家からの援助を受けやすかったからでもあるが、もともとあまり母親と趣味や感性が合わなかったのも一因らしい。それで、キャロラインは年老いてから自分の部屋にほとんど閉じこめられた状態で、足腰が弱くなると食事も忘れられがちになり、ある日何となく苦い食事を取った後息が苦しくなってあっけなくこの世を去ってしまった。
それって、いわゆる殺人事件じゃないのか、と、ちらと私の頭をかすめたのをキャロラインは耳ざとく拾って、そう思う?私もよ、と言って笑った。
自分が不当に殺されたことを笑えるなんて。そんな私の思いもキャロラインには筒抜けだった。
いいのよ、もう死んじゃったんだもの。それに、どうせいつかは人は死んでいくものだから。
そう言って無邪気な笑顔を見せるキャロラインを見ていると、私の心に巣くっていた、何となくの「不当感」は、ひどくばかばかしい、どうでもいいもののように思えてきた。
大丈夫よ、ハツミ、あなたも何一つ失ったものはない。キャロラインのしわだらけの手のひらが私の手の甲にそっと乗せられた。全てのものは去っていくの。そしてまた、訪れるものもあるわ。
私はとてもすっきりした気分になった。穏やかな日差しが、ダイニングルームの窓から差し込んでくる。窓ガラスは全て抜け落ち、ガラスの破片がキラキラと床を被っていた。庇から伸びる緑の枝葉がそこから幾筋も入り込み、微風にゆらゆらしていた。
ここはとてもいいところですね、と私は心からそう思ってキャロラインに告げた。
ありがとう。ここには、私の全てがあるの。だって私は、この館からほとんど出たことがなかったんですもの。もちろん、日中街へ用足しに行ったことや、たまには旅行にも出かけたけれど、いつも必ず帰る場所はここだったの。私の魂はここに根っこをはやしているの。キャロラインはそう言って幸福そうに目を閉じた。
きっと、その薄い瞼の裏側には、両親や使用人のいた子供時代や、夫や子供達と過ごした後半生のいろいろな風景が残像を結んでいるのだろう。私はうらやましく思った。




