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Chapter 8

 朝は唐突にやってきた。夢一つ見なかった。サンルームの廃墟に茂った草むらで私は目を覚ました。

 どういう訳で自分が今ここにいるのか、思い出すのにしばらく時間がかかった。昨日一日の経緯を思い出すと、私は何となく安心して急にのどが渇いていることに気がついた。

 階段を下り、広間の池の水を掬って飲んだ。水は思っていたよりずっと冷たくて、変なにおいも味もしなかった。きっとここの水はわき水に違いない。そうでなければ、いくら廃墟とはいえ大広間の真ん中に池が出来ることなどあり得ないだろう。雨水ならこんなに貯まらないだろうし、魚が住み着くほど安定した水量を保てないはずだ。

 そう思うと私は安心してその水で顔を洗い、口を濯いだ。本当は順序が逆だと思うが、私はアウトドアに興味がなかったので危機管理能力にも欠けていた。行き当たりばったりの計画性のなさは、そもそも旅の初めからのことだった。

 人心地つくと、今度は空腹が押し寄せてきた。昨日は昼のサンドイッチと夜のコケだけしか食事を摂っていない。

 とはいえ、ここにあのコケ以上の食べ物があるはずもないので、私は再びサンルームでコケを食べた。

 意外なことだが、ただのコケなのに、少し食べるだけで空腹が満たされるだけでなく、何となく頭がすっきりして気分がわずかに高揚する。ひょっとしたら薬草の一種なのかもしれない。既に名の知れた、世間に出回っている植物なのだろうか。今注目されている健康食品の原材料の一つという事もあり得る。

 ああ、そんなことはどうでもいい。理屈に頭を縛られる必要なんて、もうないのだ。私は憧れていたヴィクトリアンハウスの廃墟に、たった一人で、誰にも気兼ねなく邪魔されることもなく、好きなだけいられるのだ。生まれてこのかた、こんなにすばらしい贅沢な自由を味わったことがあるだろうか。

 私は、昨日見切れなかった全ての部屋部屋をくまなく散策することにした。トイレは一階と二階の角に一つずつあったがどれもからからに干上がっていて使用できる状態ではなかった。屋外に設置された簡易トイレがあったが、これはおそらくあのツアー会社が管理しているものだろう。遠慮なく使わせてもらった。

 ツアーは週末だけだったから、今日はバスの団体は来ない。来るとしたら私がいないことに気づいてツアー会社の人が迎えに来るはずだが、どうだろうか。

 一階の大広間だった池から、左右に二つずつドアがあった。初めに開けたドアの向こうはキッチンだった。レンガ積みのかまどと、陶製のシンクは、埃はたまっていたがそれほど傷んでいなかった。丁寧に使い込まれていたのだろう。壁面には片手鍋が大小一つずつ、竈に大きな両手鍋が一つ置いてあった。ついさっき、ここで炊事をして、きれいに後かたづけをしたばかりのようだった。

 衣擦れの音がして私が振り返ると、そこに一人の女の人が立っていた。年齢は七十代から八十代。白髪を後ろにまとめて結っていた。深い緑色の長いドレスに、白いレースの前掛けをしている。

 彼女はにこやかに微笑んで、私を次の間にいざなった。そこは、ダイニングルームになっていた。

 どうぞかけて、と老女は私に椅子を勧めた。私は黙礼して言われるままにいちばん状態の良さそうなダイニングチェアに腰掛けた。かなり贅沢な木材を使用していたように見える六脚ある椅子の内、半分は残念ながら座ったら足が折れてしまいそうに腐食していた。

 老女は首をすくめてこう言った・・・ように、私は感じた。

ごめんなさいね、手入れが思うように出来なくて。

 それはそうだろうと私は思う、だってもう彼女は肉体を失って久しい。一晩をここで過ごして、私はここにとっての「当たり前」を素直に受け入れることが出来るようになっていた。


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