Chapter 5
それはおそらく手描きの、淡いピンクのバラと蔓草が描かれていて、カップとソーサーの縁は藍色に彩色された上に金が載せてある、かなり手の込んだものだった。滑らかだが少しぽってりとした手触りは、機械で大量生産されたものではないように思えた。
まるでままごとのように私はそれを手に取り、午後のお茶を楽しむふりをした。すると傍らの空の椅子に、顔立ちの整ったやせぎすの少年が一人、座っているのが見えた。
少年は何も言わず、足が床に着かないのでぶらぶらさせながら、しばらく私を恥ずかしげに見つめていたが、私が声をかけようとした瞬間、にっこりほほえんで目を伏せ、消えてしまった。
幽霊と思うには辺りは明るすぎたし、柔らかな光が照らし出すそのテーブルは、少しも厭な感じがしなかった。
幻覚、と一言で言ってしまえばそれまでだけれど、それを幽霊と取るか聖霊と取るかで全然感じ方が変わってくる。神様と悪魔もそんなものなのかもしれない。私は物事をひたすらポジティブにねじ曲げて考えるのは好きではないけれど、幽霊と聖霊のどちらかを選べと言われたら、迷わず聖霊を取る。それぐらいの楽観主義は持ち合わせていた。
気が付くと、今テーブルの上にあったティーセットは消え失せていた。つい今さっき手にとった質感も重さもまだ記憶に新しいのに。
幽霊にしろ聖霊にしろ、それまでの私の頭の中では「動くもの」という概念だったが、なるほど物質の幽霊や聖霊があってもおかしくない。
ふと私の頭につまらない現実的な考えが浮かんだ。これはいわゆるプロジェクション・マッピングのようなものではないか。百年以上前の廃墟と最新テクノロジーが融合した、新しいタイプのエンターテインメント。
そう思うことはもしかしたらとても合理的なのかもしれないけれど、この場所にいるとそんな考えは全く陳腐であり得ないように思えた。もっと合理的に考えるならば、たかが週末に50人足らずのツアー客を集めるためにそれだけの投資をするとは思えなかった。
それに、ティーカップの質感や重さまではさすがのハイテクノロジーでも再現できないに違いない。
私はそこで面倒なことを考えるのをやめにした。せっかくこんなに美しい場所にいるのに、何も頭の中であれこれ考えることはない。生まれて初めてあらゆるものから開放されて、自分の行きたいと思った場所にはるばるやってきたのだ。
そこで私はもう一度リラックスしてテーブルに肘をつき、そこから見える眺めと、そこにいる時間をゆっくりと味わうことにした。
これだけの空間が人によって作られ、忘れ去られて、自然の手にゆだねられ、この姿になった。その奇蹟のような美しさに、ただ身をゆだねている自分が、今まで過ごしてきたあらゆる時間から突然切りはなされて、祝福されているように思った。
どのくらい、そこで過ごしただろう。気が付くと、日が翳り始めていた。オレンジ色の西日が窓から斜めに差し込んで、さらにここを幻想的な風景に演出していた。
ずっとここにいられたらいいのに。
そう思いながら、私はのろのろと立ち上がった。階段を下り、池のほとりを通って、ポーチから外に出た。
森の向こうの荒野の輪郭線が、紫色にぼうっとかすんでいた。いつの間にか、夕闇が近づいていた。風がほんの少し肌寒かった。
荒れ果てた庭らしき広場には、さっき止まったはずのバスが見あたらなかった。もちろん人影も全くない。私は階段を下り、館のまわりをそぞろ歩いた。けれども、どこまで行っても、人の気配はなかった。
いつのまにか、バスは人々を乗せて帰途についてしまったらしい。私の存在を忘れたまま。




