金属
ねえ、聞いてくれる?
これからトイレットペーパーホルダーカバーを買いに行きたいの。うん、お手洗いのね。
金属の所にね、なんか変なものが見えるから。気のせいだと思うんだけどね。
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え? トイレットペーパーホルダーカバーつけたの? って?
そう、付けて最初は良かったんだけど。
結局、ちょっとでも露出してる金属の所に変なのが映るの。
気付かなきゃ良かったわ。
本当に小さいから今まで気付かなかったのね。全く。
トイレットペーパーホルダーは取り外してね。
後ろのタンクの上にペーパーは置いたわ。
可愛いカゴに入れたの。うふふ。
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トイレットペーパーホルダーを外してカゴを置いた、と美夏が笑った。
何が映ってるのかと聞いても教えてくれない。
こうやってカフェに呼び出されてお茶に付き合ってるんだ。教えてくれてもいいと思う。
「ま、新築一戸建て買ったんだし。好きにカスタマイズするのも醍醐味だよね」
私は無難に笑った。
汗をかいたアイスティーをすする。
ここはお茶もケーキも美味しい。
日曜の今日は激混みしている。
「家を自分好みにするのって楽しいわ、藍子も買ったらいいのよ」
美夏もアイスティーを飲んだ。
「うんうん、楽しそうだよね。ウチは子供が私立行くからなぁ」
「なに、自慢?」
「あはは」
さて、次はケーキだ。
私はカトラリーケースからフォークを取り出した。
ここのミルクレープのクリームは絶妙な甘さとほのかなバニラビーンズの味が最高だ。
「いっただきまーす」
カチャーン!
テーブルの下に私のフォークが転がった。
びっくりしてフォークと美夏を見比べた。
美夏は私のフォークを払った姿勢のまま、ハァハァと荒い息をしている。
「見てる。見てるのよ! 行きましょ、藍子」
強引に私の手を引いて店を出ようとする。
「あ、ちょっと。私のケーキ」
「見られてるのによくそんな事言ってるわね」
私のケーキが食べられなかったのが残念だ。
というか、さっきの店にも行きづらい。
お気に入りのお店だったのに。
「何が見てるって?」
店から十分に遠ざかった所で美夏が振り返った。
血走った興奮した顔だ。
「藍子は見なかったの? フォークが金属だからだわ」
「だから何が?」
自分の使っていたフォークは少なくとも何も異常はなかった。
「フォークから小さい小さい目がいっぱいこっちを見てたじゃない」
あ、結局言うんだ。
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ねえ、藍子。ウチに来てよ。
家中の金属から目がこちらを見てるの。
早く来てよ。
いつも呼んだら来てくれるじゃない。
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美夏はすぐ人を呼びつけるけど、私だって都合がある。
子供が二人いて世話で忙しい。
学校に部活動に習い事に。PTAも断り続ける訳にはいかないし。
他のママ友付き合いも大変だ。
美夏はまだ学生の頃は良かった。ちょっと威張ってて自分勝手な所もあったけど、美術部でお互い絵を頑張っていた。
美夏の絵は自由奔放で明るい絵だった。私のチマチマした面白くない絵とは大違い。
美夏は今は違う。絵もやめてお金持の旦那を捕まえて、毎日優雅な生活送って時々それを自慢するために私を呼んで。
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ピンポーン………。
しつこく美夏が呼ぶから、結局私は美夏の家に来ていた。
「藍子?」
「うん、そーだよ」
ガチャっと家のドアが開く。
ノブには黒い紙がガムテープで巻かれていた。
「入って」
目の下に隈のできた美夏が私を招き入れる。
相当参ってるみたいだ。
家に入ると家の中の金属には皆、黒い紙が貼られていた。
自慢していたシステムキッチン、ホテルのような洗面所、窓の枠。
部屋のノブにも黒い紙が巻かれていた。
リビングへ入ると、すべての家具が木でできていた。
テレビも置かれてない。
私はお気に入りの喫茶店でテイクアウトしてきたアイスコーヒーをテーブルに置いた。
「ありがとう」
憔悴しきった美夏がボソッとお礼を言う。
自分が弱ってる時にはこういうしおらしい態度をとるんだけどね。
顔色が悪い。
………それから、しばらくお互いの子供の話をすると、美夏は落ち着いたようで2時間くらいで私を解放してくれた。
「今日は本当にありがとう」
玄関先で 美夏の見送りを受ける。
私は安心させるようにニコッと笑って見せた。
「私たちずっと友達じゃん」
「藍子………そうだよね」
「顔色悪いから、貧血かもしれないし鉄分摂りなよ。ほうれん草とか小魚とか」
「う、うん。じゃあね」
「うん、じゃあねー」
私のアドバイスに藍子はハッとした顔をしたけれど、私は気づかないフリをした。
足早に近くのバス停に向かう。
ばいばい、美夏。
+++++
ねえ、藍子。
どうしたらいいの?
体の金属から小さい目がこっちを見てるの。
小さい目が私を睨んでる。
何かされる。
殺されるのよ。
殺される。
助けて欲しいの。
でも、藍子にも金属あるし、夫にも金属あるし子供にも金属があるの。
光っていて、目も光っていて小さい目が私を睨んでるの。
私、死にたくないの。
藍子助けて。
藍子助けて。助けて。助けて。
+++++
助けて、と繰り返す美夏をなんとかなだめて電話を切った。
「美夏さん大丈夫か? 藍子の親友なんだろ」
電話を切った私に夫が後ろから声をかけてきた。
学校を卒業してから社内婚した夫だ。
優しくて純粋で私と子供を最優先にしてくれる。
安い分譲マンションに住んでるけど子供の学費のため。
私は十分幸せだった。
美夏はその幸せに水を差す。
連絡が取れるまで色々な友達越しに連絡してくる。
私は幸せなのに、いちいち自分の価値観を押し付けてくる。
もう学校で仲良しだった私たちのステージは終わったのだ。
いくら気にしない性格の私でもうんざりだった。
だから、美夏の新築一戸建てに招待された時にちょっといたずらした。
お手洗いに入った時、子供のシークレットペンがポケットに入っているのに気づいたのだ。
子供がペンで色々な所に書くから、反省するまで預かっていたペン。
シークレットペンは学校で流行っていて、透明なインクで文や絵を描ける。
それにブラックライトを当てると、透明だったインクが光って見えるというものだ。
トイレットペーパーホルダーに恨みを込めて小さい目をいっぱい描いた。
ちまちました絵が得意な私は、小さい目を短時間で何度も描いた。
横暴な美夏を私の代わりに睨みつけてくれるように。
何個も何個も。
私はその絵を描いた後、
「お腹が痛くて」
とお腹を押さえながら出て行くと、美夏は、
「ちょっと! ウチで下痢なんてしないでよ」
と言ってきた。
ちゃんと掃除した、と言っても何かずっとぶつぶつ言っていた。
その後は、しばらく反応はなかった。
けれど、夫とうまくいかないと愚痴を言ったあたりから目が見えると言い始めた。
透明なインクがうっすら見えるのだろう。
私はおかしくておかしくてたまらない。
美夏はその後は、坂道を転げるようにおかしくなっていった。
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その後、美夏は目が見えると言って、自分の片目を刺した所で夫と子供に止められたらしい。
今は、病院に入院している。
うまくいかないと思われた旦那さんも美夏を献身的に世話しているらしい。
他の友達から噂で聞いた。
良かったね、と思う。
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「ね、ママ。この家広いね」
「そうね、美夏おばちゃんにありがとうって言わないとね」
私は子供と笑顔でそんな会話をしていた。
広い一戸建て。美夏に私は家を格安で売ってもらっていた。
美夏の家族たちは病院に近い、もっとコンパクトな家に移るという事だった。
黒い紙は全て剥がされ、ハウスクリーニングでピカピカになっている。
子供の学校にもちょっと近くなった。
もちろん、私には金属に目なんて見えない。
私は気にしない性格だし。
うふふ。
友情って素敵だね。