驚き
春菜の様子がおかしい。
急に黙り込んで、しかも肩が微かに震えてる。
僕は、春菜の顔を覗き込めば、今にも泣き出しそうな顔をしてる。
「春菜。どうしたの?」
そう声をかけたら。
「ううん。何でもない」
弱々しい答えが返ってくる。
普段と異なる声に僕は心配になり。
「何でもないって事はないよね。何かあった?」
優しく声をかければ、我慢していたのかポロポロと大きな瞳から、綺麗な涙が溢れ落ちた。
「えっ…。は、春菜。ちょ…何泣いてるの…。何か辛いことでもあった?」
僕は、オロオロしながら、どうしたら泣き止んでくれるかわからず、春菜の前に立ち、優しく壊れ物を扱う様に抱き締めて。
「春菜。泣き止むまでこうしてるから…」
頭を撫でた。
昔からこうすると安心するのか、春菜が泣き止むのを知ってたから…。
春菜は、僕にすがるように声を殺して泣いた。
「急にごめんね」
春菜がそう言って、僕から離れた。
顔を覗き込めば、目許は赤く頬には涙の筋が出来ていた。
「ん。何謝ってるの、春菜?謝ることなんて何もないよ。何かあるなら言って。僕、春菜の力になりたいよ」
僕は、春菜に安心して欲しくて、ニッコリと微笑んだ。
「あっ君。取り敢えず、私の家に来てくれる?」
春菜が、小さな声で言う。
「うん、良いよ。春菜のご両親にも挨拶したいしね」
明るめの声でそう答えたのだけど、春菜の顔色は冴えなかった。
あの頃と同じ、変わらない風景。
春菜が玄関の鍵を開けた。
あれ?おばさん居ないの?
こんな時間に何処に言ってるんだろう?
写真のお礼を言いたかったんだけど…。
春菜が玄関の戸を開けて、室内の電気を点ける。
「どうぞ」
僕は、春菜に促され中に入る。
「お邪魔します」
春菜が出してくれたスリッパに履き替えて、奥に進む。
「その辺に座って、待ってて」
そう言って春菜は、自分の部屋に行く。
僕は、言われた通りに鞄を床に置き、ソファーに座った。
昔のまま、変わってない。
僕は、室内をキョロキョロ見渡していた。
何でおばさんが居ないのだろう?
もしかして、学校が終わってから、春菜はこの家に一人で過ごしていたのだろうか?
「あっ君。これに着替えて。そのシャツ、洗うから…」
春菜が、Tシャツを手に戻ってきた。
おじさんのシャツだよね。
「ん、大丈夫だよ。これぐらい…」
春菜の涙が染み込んだシャツぐらい、幾らでも我慢できるよ。
「私が気になるから、着替えて欲しい」
そう言われたら、着替えるしかないか…。
「…ん、わかった」
僕は、それを受け取り着ている制服のシャツのボタンに手をかけたら。
「あ、えっ…」
春菜が慌ててキッチンに逃げていった。
年頃の女の子なんだな。
でも、慌てて逃げていかなくても、僕傷つくよ。
僕は、見られても何ともないのに…。男だからね。
僕は、さっさと着替えて制服のシャツを鞄に仕舞い込んだ。
その間に春菜がキッチンで、カチャカチャと音を立てて何かしてるようだった。
「紅茶でよかった」
春菜は、両手でお盆を持ちその上にカップが載っていた。
「う…うん」
突然の事に驚きながら、僕のために春菜が淹れてくれたんだと嬉しくて、不自然な返事になってしまった。
それに対して、クスリと笑った春菜。
やっと、やっと笑ってくれた。
僕は、そっちの方が嬉しかった。
春菜には、笑ってて欲しいから。
春菜が僕の前にカップを置き、もう一つもテーブルに置くと。
「シャツ、貸して。洗濯してくるから…」
って僕の前に手を出してきた。
「そんなの良いよ。それより、おじさん達は?」
僕は、気になってた事を口に出した。
春菜は、困った顔をしながら僕の前に座り。
「う…うん。お父さんは、遅くまで仕事してて、何時帰ってくるかわからないんだ…」
って、空元気なのが丸わかりな声で言う。
「まぁ、そうだろうね。おばさんは?」
僕の言葉に春菜が固まった。
「春菜?」
僕が呼び掛けると。
「…お母さん、五年前に突然居なくなっちゃったんだ」
力なく答える春菜。
僕はその言葉に衝撃を受けた。
そんなの嘘だよね?
つい最近の春菜の写真もおばさんから母上に送られてきたんだぞ。
それなのに五年も前から行方知れずって、あり得ない。いや、あってはならない。
これは、母上に報告せねばいけないのでは。それと、捜索隊も出さなくては…。
僕が頭の中で考えていたら。
「私が、学校から帰ってきたらお母さんが居なくて、夜になっても帰ってこなくて、何か、書き置きがあるんじゃないかって、家中を探し回ったけど、何処にもなくて…。今もお父さん、仕事の合間を見てお母さんを探してるの」
春菜がゆっくりと言葉を紡いでいく。
あぁ、春菜は僕が居ない間に辛い思いをしてたんだね。
今、僕は君を甘やかしたいよ。
「…春菜。顔をあげて…」
僕の声で、肩を少し震わせながら、ゆっくりと顔をあげる春菜。
今にも泣き出しそうだ。
学校に居る間も張り詰めて、気を休めることができないんだろうなと容易に想像できる。
「やっぱり、泣いてる。おいで…」
僕は両腕を広げて、春菜が来るのを待った。
春菜は、戸惑うことなく僕の腕の中に飛び込んできた。
そんな春菜を優しく包み込むように抱き締めた。
「春菜。辛い思いしてたんだね。これからは、僕が傍に居るから、頼って。おばさんは、必ず僕が見つけるから、だから、泣かないで」
僕は、春菜が安心できるように言葉をかける。
春菜が何度も僕の腕の中で首を縦に振る。
そして、泣き疲れたのか、春菜は僕の腕の中でスースーと寝息を発てていた。
顔を覗き込めば、幾筋の涙の後。
僕は、まだ睫毛に残っている涙を指で拭った。
あぁ、本当に可愛い。
これからは、僕が春菜を護るからね。
安心してね。
それにしても、母上はこの事を知ってたのだろうか?
知ってたのなら、もっと早く僕に言ってたと思う。
僕が修行中だったから、言えなかったってこともある。
どちらにしろ、報告と捜索は早急にしなくては…。
僕のためにも…。