過去に
本当は、知られたくなかったのかもしれない。
彼が、家に来る事で心配させてしまうかもという思いが、あったからなのかもしれない。
母親が、五年前に失踪してるだなんて、言えない。
父親も、仕事の合間を縫って母を探してる。
母親が、何も言わずに出て行くなんて、考えられなかった。
だから、何処かに書き置きがあるんじゃないかって、家中隈無く探したが、何処にも何も見つける事が出来なかった。
途方に暮れる私に父が。
「春菜。母さんは必ず帰ってくるから、俺たちは、待っていよう」
と笑顔で力強く言うから、私もそれに頷いた。
それから、不馴れながらも家事を行い、勉強と剣道を続けてきた。
未だに母は帰ってきてないけど…。
「春菜、どうしたの?」
隣を歩くあっ君が、私の顔を覗き込んでくる。
「ううん。何でもないよ」
「何でもないって事は無いよね。何かあった?」
あっ君が、優しい声で聞いてきた。
その声で、今まではりつめていたものが、涙として現れた。
「えっ…。は、春菜。ちょ…何泣いてるの…。何か辛いことでもあった?」
あっ君の戸惑いながら、一生懸命に慰めようとする姿に余計に涙が、溢れてくる。
突然目の前が暗くなった。
「春菜。泣き止むまで、こうしてるから…」
あっ君に抱き締められ、ぎこちない手付きで頭を何度も撫でていく。
私はは、あっ君の胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
泣き止むまでずっとあっ君は、抱き締めてくれた。
泣きすぎて、不細工な顔を見られたくなくて、俯いたまま。
「急にごめんね」
そう口にすれば。
「ん。何謝ってるの、春菜?謝ることなんて、何もないよ。何かあるなら言って。僕、春菜の力になりたいよ」
ニッコリと笑って言うあっ君。
あっ君になら、言っても良いのかと思った。
「あっ君。取り敢えず、私の家に来てくれる」
私の言葉に。
「うん、良いよ。春菜のご両親にも挨拶したいしね」
あっ君の屈託の無い笑みにズキッと胸が痛んだ。
家に着き玄関の鍵を開けて中に入る。
いつもの光景。
誰も居ないから、部屋は真っ暗。
私は、廊下の電気を点ける。
「どうぞ」
私は、あっ君を招き入れる。
あっ君の顔を見れば、不思議そうな顔をしてる。
私は、先に廊下を歩き、リビングの電気を点けた。
「その辺に座って待ってて」
私は、あっ君にそう告げて自分の部屋に鞄を置きに行き、父親の部屋に入りTシャツを拝借して、リビングに戻った。
「あっ君。これに着替えて。そのシャツ洗うから…」
私の涙で濡れたシャツのままで居て欲しくなかったから、そう言ったのだけど。
「ん。大丈夫だよこれぐらい」
って、平気な顔で言うあっ君。
「私が気になるから、着替えて欲しい」
って頼めば、
「…ん、わかった」
渋々Tシャツを受け取って、着替え出そうとする。
「あ、えっ…」
私が狼狽える破目になり、あっ君に背を向け、キッチンに逃げ込んだ。
お湯を沸かし、お茶の準備をしてリビングに戻れば、着替えを終えたあっ君が、居心地悪そうにソファーに座っていた。
「紅茶でよかった?」
私がそう声をかければ、肩をビクリと微かに震わせ。
「う…うん」
何処か、緊張気味なあっ君が居て、なんだか可笑しくなった。
私は、あっ君の前にカップを置き、自分の分も置くと。
「シャツ、貸して。洗濯してくるから…」
そう言って、あっ君の前に手を出したが。
「そんなの良いよ。それより、おじさん達は?」
断られて、逆に質問された。
私は、テーブルを挟んであっ君に対面するように座ると。
「う…うん。お父さんは、遅くまで仕事してて、何時帰ってくるかわからないんだ」
変なノリでそう告げる私。
「まぁ、そうだろうね。おばさんは?」
もう、黙ってられないよね。
あっ君は、知ってるんだもの。専業主婦だったお母さんの事…。
暫く何も言わなかった私に。
「春菜?」
優しく名前を呼ぶあっ君。
「……お母さん、五年前に突然居なくなっちゃったんだ」
私は、然も平気ですみたいな言い方をした。
そんな私の言葉に、あっ君が驚いた顔をする。
そりゃあ、そうだよね。
何年も会わない内に、知り合いの母親の失踪なんて、聞きたくないよね。
でも、私はあっ君に淡々と告げることにしたんだ。
「私が、学校から帰ってきたらお母さんが居なくて、夜になっても帰ってこなくて、何か、書き置きがあるんじゃないかって、家中を探し回ったけど、何処にもなくて…。何で突然居なくなったのかわからなくて…。今もお父さん、仕事の合間を見てお母さんを探してるの」
私は両手でスカートを握りしめて、言葉を紡いだ。
あの時から、ずっとずっと一人だった。
お父さんは居る、けど頼れなかった。私の為に働いて、お母さんを探してる。これ以上頼れないって思って一人が寂しいなんて言えなかった。私の我が儘で、お父さんを困らせたくなかったから…。
「…春菜。顔をあげて…」
あっ君の優しい声。
ゆっくりと顔をあげると、優しい眼差しのあっ君と視線が絡まる。
「やっぱり、泣いてる。おいで…」
あっ君が、腕を広げて私に優しく言う。
あっ君に言われれば、私は自然と従ってしまう。
あっ君の腕に収まる自分。
「春菜。辛い思いしてたんだね。これからは、僕も春菜の傍に居るから、頼って。おばさんは、必ず僕が見つけるから。だから泣かないで」
あっ君の優しく力強い言葉に私は、何度もコクコクと首を縦に振った。
あっ君の温もりに包まれ、泣き疲れた私はそのまま眠りについた。