第二章 マルス・プミラの少女達⑤
(全く……社長はいつまで持ち場を離れるつもりなんでしょう?)
休憩室に向かう一つの足音。褐色肌の少女、ユティー・リティーは黒のおさげと黒のサロペットスカートを揺らしながら歩を進めていた。
レジ打ちと客の席案内を担当していた彼女がこうして移動している理由はもちろん、先程彼女が申し出た財布の管理を頑なに断り、今現在は休憩室でくつろいでいるであろう雇い主を連れ戻すためである。
(サクラを使った作戦はとりあえず成功に向かっているし、あとはこの状態を残り五日間保持することが私の仕事。なので限りのある資金を社長が預けてくれるとやり繰りもしやすいのだけど……)
眉をハの字にしながらユティーは今後の予定を考える。
彼女の作戦により店内には”本物の客”が少しずつだが確実に増えつつある。これからその増えた客を相手に本格的な店内サービスが始まることを考えると、ひとまず土台は整ったと言えるだろう。
しかし実習は残り五日間もあるのだ。完全に軌道に乗るまで安心するのはまだまだ早い。特に資金面に関してはいくら日本円がシード・ライヴでは高価だとはいえ、予期せぬトラブルがあった時のことなども考慮すると不安要素だらけだった。
もっとも、一番の不安要素は言うまでもなく、その資金を管理しているのが工藤亮治という男だということだが。
「社長、私です」
休憩室のドアをノックするも反応は無い。
数秒待った後、やむを得ないとユティーは断りを入れドアノブを回す。
「社長、いつまで休憩するおつもり―――……」
「これは……まずいな……」
「ああ、この威力は少々危険すぎるかもしれん……」
ショートボブの黒髪、程よく日に焼けた肌、小ぶりな胸、やわらかな太ももときゅっ引き締まった足首、そして激しく揺れ動くか細い腰。
扉を開いたユティーの目に飛び込んできたのは、休憩室内で扇情的な姿でベリーダンスを踊る色っぽい少女とそれを精悍な表情で鑑賞する亮治と拓郎だった。
「ったく、いつになく真剣な顔で見せたいものがあるというからなんだと思えば……残りMPは慎重に使えって言ったばっかりだろ亮治」
「そう言いつつお前もガン見してるじゃねぇか」
「今朝から首の調子が悪くてこの位置から曲がらないんだよ」
「奇遇だな俺もさっきから同じ症状だ」
頭の向きを微塵も変えず口だけ動かす馬鹿二人。
表情はこれから仲間の敵討ちのため他校に殴りこみにでも行くのかというくらい引き締まっており、両の鼻の穴からはドロっとした赤黒い液体が滴り落ちている。
ちょっと喧嘩して殴られたと言えば事情を知らない人間は間違いなく信じるだろう。もっとも、今から本当に殴られるかもしれないが。
「しかし、健全が服着て歩いてるような俺達未成年相手にもこういう人材を派遣するってのは感心せんな」
「全くだぜ。後でメモリーの婆さんにクレーム入れてやる」
「言うまでもなくクレームに関しては私からタイムメイク代表に入れておきます。雇い主に対しての不満という形になりますが」
一瞬で凍り付く室内。
「ユティっ……!」
「あら、首は曲がらなかったハズでは? 社長」
真後ろから突き刺さるような冷たい声を受け思わず振り向くと、夫の浮気現場を目撃したかのようなジト目のビジネスマネジメントアドバイザーと目があう。
「社長……先程もおっしゃいましたよね? 安易にCPUを頼ることは避け、必ず私に一言ご相談くださいと」
十二歳とは思えぬ迫力で迫るユティーに思わず拓郎はベリーダンスの少女を見る余裕すらなくなっていたが、それに対して亮治は特に臆することもなく、鼻血を拭いユティーと向かい合う。
「確かに世の中には無駄遣いというものが存在する。だがその中にも必要な無駄遣いと不必要な無駄遣いってのがあるんだよ」
「はいそうですね。しかし今回のケースに関しては不必要な無駄遣いです」
またこいつは真顔でワケのわからんことを、と拓郎がツッコむ間もなく即座にユティーが切り返す。
その表情からは情状酌量の余地を認める考えを微塵も持ち合わせていないことがうかがえた。
「やっぱり財布は私がお預かりしたほうが良さそうですね」
「っざっけんな! 誰が渡すか!」
「わがままを言わないで下さい! これ以上の無駄遣いを防ぐためにも、あなたの財布は私が管理します!」
「わがままも何も俺の金は俺のもんだっつーの! あばよっ」
ここに来て初めて声を荒げる褐色肌の少女を背に、亮治はポケットを抑えながら休憩室を逃亡する。
「あっ、社長!」
開けっ放しになった扉にため息をつきながら、ユティーも亮治を追うため休憩室を飛び出していった。
部屋には拓郎とベリーダンスの少女だけが残される。
「あのぉ~……契約時間的にはまだ五分くらいありますけどどうしましょう?」
「問題ない。続けてくれ」
「はーい!」
鼻血を拭うこともせず拓郎が力強く頷くと、ベリーダンスの少女は短い黒髪を揺らし笑顔で答え、再び腰を振り始めた。
* * *
「ったくユティーの奴、冗談じゃねぇってんだ……」
ボヤきながらホールに戻ると学生服姿の少女達が料理を運んだり食器を下げたりと動き回っていた。
午後四時になったため、予定どおりCPUから制服姿の少女達が派遣されてきたようだ。
現世のセーラー服をはじめとし、少女達は様々な学生服に身を包んでおり、その容姿も店の表にいるウェイトレスやメイド達にも負けず劣らずのもの。おまけに学生服にエプロンというスタイルが、筆舌に尽くしがたいインモラルさを生み出している。
「さっきのベリーダンスの子も良かったがこっちも中々……」
他世界の可憐な少女達に亮治が表情をほころばせながら堂々と尻や太ももを視姦し始めた次の瞬間、
「だぁからッ……! とっとと工藤亮治を出せっつってんのよッ!!」
突如店内に怒号が響き渡る。
自分の視姦行為が咎められたのかと思わず亮治が辺りを見回すが、周囲にその様子はなかった。代わりに別の場所、店の入り口付近に異変を発見する。
「なんだ!?」
入り口付近にはサクラ客による人だかりが出来ており、どこか揉めているようにも見える。
自体の把握をしようとしたところで初めて、亮治はホールにいるハズのミラとレイヤが見当たらないことに気づき、人だかりの中へと走りだした。
「だから何度も言ってるじゃない。亮治くんは今いないわ」
「はぁ? 学生派遣実習イベントよ? こんだけ客が来てる現場を放ってどこに行くっていうの?」
「そう言われてもいないものはいないんだもの。仕方ないじゃない」
人だかりの中心には三人の少女が立っていた。
その内の二人は亮治が雇ったメイド服姿のボディーガード少女と技術担当の金髪少女。
そしてもうひとりは二人より年上、恐らくは亮治と同い年くらいと思われる容姿、背丈をしており、二人に詰め寄っていた。
ミラに関しては堂々と自分より大きい目の前の少女と向かい合っていたが、レイヤの表情からは明らかな怯えが見え、ミラの服を掴み後ろに隠れている。
「どうしようミラぁ……」
(うーん、周りにいるお客さんはほとんどサクラだからとは流石に言えないし、困ったわね……)
などとミラが対応に困っているところでようやく亮治が人だかりをかき分け到着する。
「あ、リョージ!」
「わりぃわりぃ、何の騒ぎだこれ?」
「おかえり亮治くん。……お客様よ」
ミラが亮治に向けた視線をすぐさま戻す。口調こそ穏やかだったが、ミラの表情には少女に対しての明らかな敵意が含まれていた。
「やっとご到着? 随分と余裕がおありのようですこと」
挑発的な言葉を投げる少女と亮治が対峙する。
亮治の彼女への第一印象は”どこか自分と似てそう”だった。
ややクセのある長い黒髪に好戦的な、自信に満ち満ちている瞳。恐らくは勝手に改造していると思われるトゥエルブの学生服に包まれた身体。
その胸の部分は細身の少女には過ぎ物と思うほど柔らかな女の部分を主張しており、男であれば誰もが思わず見惚れてしまうだろう。
「お前ひょっとして……犬塚か?」
顔と胸を交互に見ながら亮治が尋ねる。
犬塚英理子。トゥエルブの第二学年において総合成績トップを誇る才女。
才女かどうかはともかくとして、強烈な性格と巨大な胸は噂に違わぬ代物のようだ。
「何? ひょっとしてってアンタ、同じ学校に通っといて私のこと知らなかったっていうの? "アイツ"と一緒であったまくる奴ね」
肯定すると犬塚は苛立たしく髪を掻きあげ、元から吊り上がっている瞳をさらに鋭角にギラつかせ亮治を睨みつける。
「というか何の用だよ。見ての通りこっちゃ今忙しいんだ。営業妨害で慰謝料請求すんぞ」
「はっ、今まで席を外してた奴が何言ってんだか。まぁ良いケド」
亮治の言葉を犬塚はおどけたように流すと今度はその表情を捕食者のものに変え、まるで歯が尖っているかのような口を開く。
「私、犬塚英理子とレストラン”ミラーチェ”は、今この瞬間、工藤亮治と定食屋”花月”に宣戦布告するわッ!!」
「なっ……」
「へっ?」
「わお」
犬塚の口から発せられた突拍子もない言葉に亮治達はおろかCPUから雇ったサクラ客や、エプロン制服ガール達まで絶句する。
”ミラーチェ”とは全国チェーン展開しているファミリーレストランの一つであり、今回の学生派遣実習イベントにおいて、犬塚英理子の実習地にあたるレストランのことである。
今日日のファミリーレストランにしては珍しく二十四時間営業のスタイルをとっていないが、手頃な価格と料理の種類、広い店内が主婦層には好評を博しているようだ。
「あら、何その顔。学生派遣実習イベントは勝敗を決めるものじゃないとでも言いたいの? そんなことどうでも良いわ。これは私とアンタの個人的な勝負よ」
呆気にとられていると再び好戦的な言葉を投げられる。
身長差では亮治が犬塚を見下ろす形なのだが、犬塚の破天荒な態度と言動がそれを感じさせない。それどころか周囲の人間には亮治が見下されているように映っていた。
「んなもん知らねぇよ。何で俺が急にお前と勝負しなきゃなんねーんだ。今日が初対面の相手に喧嘩売られる覚えはないぜ」
「だって仕方ないじゃない。こんなボロっちくて目立たない店を実習地に指定される奴なんて、どうせ雑魚だと思ってたんだもの」
「……どういう意味だ?」
「また何も知らないみたいだから教えてあげる。学生派遣実習イベントにおける実習地のレベルは生徒のレベルとつり合うよう決定される。つまりこの店とミラーチェの差が、そのままアンタと私の差になるワケ」
「「ああ……」」
「ああ……ってなんだよああ……って!? ハモってんじゃねぇよ!?」
もはや亮治を小馬鹿にすることを心底楽しんでいるように話す犬塚の言葉にレイヤとミラが納得、と言った哀れみの表情で呆れ声を出す。
犬塚の言ったとおり、学生派遣実習イベントにおける実習地の決定は生徒の能力によって左右される。
奉仕貢献という名目で行われる実習だが、例えば大手IT企業からトゥエルブに依頼が来た場合、コンピュータに無知どころか録にパソコンに触ったこともない人間を派遣すると実習が成り立たない。
なのでAクラスの実習地にはAクラスの参加生徒を、Dクラスの実習地にはDクラスの参加生徒をといったように適材適所の人員配置が行われるのである。
仮にAクラスの実習地が三つ存在し、Aクラスの参加生徒が一人しかいない場合などは、選ばれなかった企業への実習イベントは次の機会に持ち越しとなる。
そして言うまでもなく今回の実習におけるAクラスの実習地はミラーチェ、Aクラスの参加生徒が亮治の前にいるメロンのような胸をした少女なのだ。
「実習参加者のリストを見た時から、今回もしょうもない退屈な奴らばっかで私の相手になりそうなのはいないと思っていたわ。でもそんな時にこのビラを知って来てみればどう? 正直驚いたわ。ミラーチェよりお客入ってるんだもの」
「それって初参加の俺の方が客を集めてるってことだろ? レベルの高いってのもアテにならねぇなぁ」
「言ってくれるじゃない?」
「この客の数が俺とお前の実力差の証明ってワケだ」
今現在の時点ではまだサクラ客が全体の八割程度は占めているにも関わらず、亮治は嘲笑気味にサクラを盾にハッタリをかます。
犬塚の挑発に乗らず適当に流しておけば良いものだが、自分だけが損することがこの世で一番嫌いな工藤亮治という人間は、残念ながら一やられたら十返そうとするように出来ていた。
「ふぅん。そこまで言うなら当然、この勝負は受けてもらえるんでしょうね? ま、別に拒否しても良いけど、その時はアンタの家の近所に偶然新しい喫茶店が建っちゃうかもしれないわね」
犬塚が邪悪な笑みを浮かべる。
自分の家が個人経営の小さな喫茶店ということまで調査済みという犬塚の周到さに心の中で舌打ちする。
実際に全国チェーン規模の喫茶店など建てられた日には、個人経営の喫茶店などあっという間に廃れてしまうだろう。
客を引き寄せるためのサクラ策だったが、面倒な人間まで引き寄せてしまったものである。
「やり方がきったねぇな。見習いたいくらいだぜ」
「なに怒ってるのよ。偶然アンタの家の近所に偶然ウチの会社のグループが経営する喫茶店が建つかもしれないってだけでしょ?」
「てンめぇ……!!」
「大丈夫ですよ社長。この勝負、受けてください」
いつからそこにいたのか、刺すような視線で犬塚を睨みつける亮治の脇からひょこっと褐色肌の少女が出現すると、そのまま犬塚の前まで歩いて行き一瞥し、亮治の方を振り返る。
「私達が必ず勝たせますから」
ユティーの言葉にレイヤとミラも力強く亮治に向け頷く。
「ま、確かに勝てば良いだけの話だな」
どこから湧いて来たのか、いつの間にか隣にはルートの姿もあった。
「あれ、お前こんなとこで何やってんだ?」
「バーカ、急にオーダーがぴたりと止まったから店長に言われて様子を見に来たんだよ」
相変わらずの憎まれ口を叩く太もも少女は厨房着に着替えており、長い栗色髪は一つにまとめられポニーテールになっていた。
意外なことにこの小生意気な少女は料理の腕前が達者で、キッチンに入り店長の補佐役を務めていたのである。
「さ、丁度良い具合にそっちのちっちゃいのは乗り気みたいだし、白黒はっきりさせようじゃない?」
「上等だ! 俺が負けたら喫茶店でもなんでも好きなだけ建てやがれ!!」
「面白いじゃない! 私が負けた時はなんでもアンタの言うこと聞いてやるわッ!」
二人の我が強すぎるトゥエルブ生徒が吠え、学生派遣実習イベントを舞台とした勝負の火蓋が切って落とされる。
沸き立つノリの良いサクラ客。ヒートアップする店内。熱気にアテられうっとりとするエプロン制服ウェイトレス。キッチンで一人突然の歓声に困惑する店長。
本当の客がまだそれほど店内にいないにも関わらず、定食屋”花月”は今、最高の盛り上がりを見せていた。
「社長」
歓声の中でも何故かしっかりと耳に届く凛とした声。
”マルス・プミラ”の頭脳担当、ユティー・リティーはこの状況でもいつもどおり落ち着いた表情を保っていた。
「なんだよ?」
「財布の管理を私に任せるか犬塚さんとの勝負に負けるか、どちらが嫌ですか?」
「……どっちも嫌だっつったら?」
「致し方ありませんが第三の選択を取ります」
「第三の選択?」
亮治が聞き返すと同時にユティーがウェイター服の襟を掴み、まるで口づけでもするかのように亮治を強引に自分の方へ引き寄せる。
「私が”あなた”を管理します」
「……はい?」
書き溜めていた分を大体放出してしまったので、更新ペース落ちます。