第二章 マルス・プミラの少女達②
一階に下りるも少女達の姿はなく、代わりに酷くうろたえた祖父の息子、つまりは父親が待っていた。グラスを磨く手がプルプルと小刻みに震え、床には元はグラスだったと思われるガラス片が散らばっている。
「あれ? 親父、アイツらは?」
「……亮治」
亮治の姿を見た父は質問に答えず、必死に平静を装い深呼吸をするとガラス片をパキンパキンと踏みつけながら歩み寄ってくる。その目は未だかつて見たことないほど真剣そのもので、まるで薬物に手を出している息子を目撃した瞬間のようだ。
「お、親父?」
あまりの迫力に亮治が聞き返すと、父は再度深呼吸をした後、重い口を開いた。
「父さんな、お前の趣味や好みに関してとやかく言うつもりはないが、さすがに四股っていうのは良くないと思うんだ。仮に相手の女性が了承していたとしても、愛情を注ぎ大事にしてやる女性は一人だけに絞り、他とはすっぱり一線を画する清い姿勢が男らしい男ってものだろう? 生半可な対応はかえって本命以外の女性を傷つけるだけだ。父さんの言っていること、わかってくれるよな?」
「いきなりそんなことを語られてもすごく反応に困るんですけど……」
「何故だ! お前が幼女趣味に目覚めた挙句、四股かけてるって話じゃないのか!?」
「親父の脳内じゃどういうドラマが展開されてるんだよ!?」
「じゃあさっきお前の部屋から出てきたあの子達はなんなんだ!」
「学校の実習で定食屋のキャンペーンボーイと宣伝社長やってるって言っただろ!? あれを手伝ってもらうために俺が雇ったんだよ!」
「か、金であの子達を買ったっていうのか!?」
「脳みそ腐ってんじゃねえのかオッサン!?」
父は途中から涙を流していた。何が悲しくて朝っぱらから自分の父親に泣きながら身に覚えのない男女交際に関して問い詰められなければならないのか。
泣きたいのはこっちだと言わんばかりに説明と説得を完全に諦めた亮治は錯乱する父を放置し、朝食もとらずにカバンを引っ掛け家を飛び出した。
「遅かったですね社長。準備はお済みですか?」
玄関の扉を開くとそれぞれ黒、栗色、金、ダークレッドの低い頭が待っていた。
こうしてあらためて四人一緒にいる光景を目の当たりにすると、亮治に比べ本当にちみっちゃい。誰が見ても雇用者と労働者には見えないだろう。
もしこの小学生四人+亮治というまだ関係もぎこちない集団が目撃された場合、目撃者は最良で妹か親戚の子の引率をする少年、最悪で加害者と被害者という感想を抱くことが考えられる。
「祝日の早朝で通行人が少ないってことが不幸中の幸いか……」
「もう疲れているようだけど、どうしたの? 亮治くん」
亮治の家の外壁にもたれかかっていたダークレッドの髪の少女に尋ねられる。
「お前ら、親父になにか言ったのか?」
嫌な予感しかしない質問を投げる。
「別に? これからお世話になりますお父様って普通に自己紹介しただけよ」
「僕……私もまだまだ未熟ですが頑張りますって言っただけだよ? じ、じゃなくて、言っただけです!」
「私はふつつか者ですがよろしくお願いします、と」
「お前らわざとやってるだろ」
悪気やおかしなところなど何一つ無いと言った感じで少女達は答える。
恐るべきことに栗色髪の少女を除く三人が派遣早々に核爆弾を投下していた。投下ポイントは言うまでもなく祖父の息子。被害程度は先程のとおり甚大である。
この調子で店長や拓郎達、あるいはその辺の道行く人間に投下されてはたまったもんじゃないと亮治はあらためて小学生女子の恐ろしさを実感していた。
「それでは参りましょうか社長」
「待った」
黒のおさげを揺らし歩き出す褐色の少女を引き止める。
「えーと、ユティー・リティーだっけ? 悪ぃけど出発前にもう一度全員の名前を把握しておきたいんだが」
「そういえば部屋では頭に入ってなさそうだったわね。良いわよ。私はアーミラ・カスペルスキー。亮治くんのボディーガードを務めさせてもらうわ」
全身黒色の衣装で包まれたダークレッドの髪の少女は亮治を見上げ、ニコリと笑う。同じ黒のスーツでもキャリアウーマンという印象を受けたメモリアルとは違い、その姿はどちらかといえば確かにSPやシークレットサービスを彷彿させる気がする。
「ボディーガードぉ? お前が?」
「ええ。バンバン頼ってくれていいわよ。あ、呼び方はアーミラでもミラでもお好きにどうぞ。私もそうするから」
亮治より遥かに低い身長にも関わらず、ミラは胸を張り自信あり気に答える。
「名前にくん付けってなんかむず痒いな」
「ふふっ、慣れよ慣れ。それじゃ、次はレイヤね」
ミラがセミロングの髪を揺らし、隣の少女に視線をやる。
「う、うん。僕、じゃなくて私は……」
「なんかお前さっきからしゃべり辛そうだなー。別に無理に敬語とか使わなくても良いぞ」
「え? 本当に?」
予想していなかったクライアントからの言葉に金髪の少女はきょとんと聞き返してしまう。
目深に被ったつばと耳あてがついたスキーキャップの隙間から覗かせた青い瞳は不思議そうに亮治を見上げていたが、亮治が再度頷いてみせるとパァッと明るさを見せた。
「それじゃあ……僕はカトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルド。技術関連の仕事なら大体なんでも任せて!」
カトレイヤと名乗った少女はさっきとは打って変わって活き活きと話しだす。
「”カトレイヤ”だから”レイヤ”か。技術関連って、具体的には何が得意なんだ?」
「だから”作る”ことなら大体なんでも、だよ」
亮治の質問に至極当然といった感じに答える。
「それじゃ建築とか裁縫とか修理とか工作は全部できるってことか?」
「うん」
「できるわね」
「そうなるな」
「レイヤなら問題ないでしょう」
レイヤ本人をはじめとし、他の三人もあっさりと言い放つ。
「マジかよ……」
少女達の言うことが本当ならとんでもない話だ。四人で五日間1000円という契約だが、この金髪の少女一人だけでお釣りがくる。亮治は心の中で密かにメモリアルに感謝の言葉を贈ってもいい気分だった。
「ユティーのことは覚えてるみたいだから私で最後だな。名前はルート。担当は運搬。以上」
玄関先に座り込みブーツの紐を結んでいた長い栗色髪の少女は、亮治に顔を向けることもせず淡々と説明を終え、そのまま靴紐を結ぶ作業を続ける。ショートパンツから伸びる二本の白い太ももは年不相応な艶かしさを醸しだしていた。
「待て待てちょっと待て。契約の時からずっと気になってたんだが運搬ってなんなんだ」
「昨日ボスがお前の部屋に来ただろ?アレだよ」
「どれだよ。後、オマエ呼ばわりすんな太ももって呼ぶぞ」
「呼ぶな。なんだよ、お前が無理に敬語を使わなくても良いって言ったんだぞ」
「だからって舐めた口聞いて良いとは一言も言ってねぇんだよ太ももチャイルド!」
「誰が太ももチャイルドだ誰が!」
「はいはい二人とも落ち着いて」
亮治とルートによるしょうもない口喧嘩が本格的に始まる前にミラが仲裁に入る。
「亮治くん、ルートは”リンク”の力が使えるのよ」
「リンク?」
「ええ。社長の部屋とシード・ライヴがつながった昨晩のように、今いる場所から離れた場所へ一瞬で移動できる。例えるなら瞬間移動のような力のことです」
「会社から人を派遣する際はもちろん、僕達が使ってるユビキタスコンピュータのシステム設計の根底もリンクの力。だからリンクを使える人はシード・ライヴではすごく貴重なんだよ」
ユティーとレイヤによる補足に亮治が唸る。どうやら四人の中の頭脳担当はこの二人らしい。
メモリアルから説明を受けた際、間接的にとはいえシード・ライヴの人間固有の超常的な力を使えるようになるとはわかっていたが、実際に瞬間移動なんて非現実的な力を突きつけられても、その使用方法など咄嗟に浮かびはしなかった。
ただ亮治が言えることは、四人で五日間1000円という契約はリンクとやらの力が使えるのルートと、技術全般が得意というレイヤの二人だけで大当たりな契約だということくらいである。
「ってことはお前テレポーターみたいなもんなのか!? すげぇな!」
「ま、実際は色々手順が必要だったり、制限があったりするからそこまで万能なもんじゃないけどな」
ブーツの紐を結び終え、ショートパンツについた砂を払いながら立ち上がるルートは冷ややかに言い放つが、それとは対照的に亮治は湧き上がる高揚感を抑えきれずにいた。
(なんだよ、いくら小学生とはいえこんなすげぇのが四人もいるなら本当にどうにかなりそうじゃねぇか!)
亮治が人材派遣会社CPUと派遣契約を交わしたユニット名”マルス・プミラ”を構成する四人の少女。
ビジネスマネジメントアドバイザーのユティー。
”リンク”の力が使えるルート。
物作りのスペシャリストであるレイヤ。
護衛を担当するミラ。
ポーカーにおいて絶望的な手札をオールチェンジしたらフォーカードの役が転がり込んできたような気分だった。まさに起死回生の一手。定食屋”花月”へと続く道も、学生派遣実習イベント三日目になる今日は光輝いて見える。
「よし、それじゃそろそろ行くか!」
「社長」
光輝いて見える道へ進もうとした亮治をユティーが引き止める。先程とは逆パターンである。
「なんだよ?」
「そんなにのんびり歩き出してて宜しいのですか?」
「………………え?」
即座に制服のポケットに手を入れケータイを取り出し、恐る恐る開く。
ユティーに言われた瞬間、背中に嫌な汗が滲むのを感じた亮治の目に飛び込んできた数字は8と5と4。
それは、現在時刻である八時五十四分を表すものであった。
「うぉぉぉおおおおおおおぉおおおおーーーーーー!?」
思わず絶叫する。
「えーと……、亮治くん? お店への集合時間って九時って聞いてたんだけど……」
「あと五分くらいしかないじゃん!?」
「だから私は社長が出てきてすぐに出発を促したのですが」
もはやそんなユティー達の声など今の亮治の耳には入らない。
既に間に合わないのはわかりきっているのでいっそのこと休みの連絡を入れ、体調不良か何かを理由にサボってしまいたい気分になったが、本気で心配した店長がお見舞いに来るところまで想定できるので却下した。
頭を抱える亮治の中で「どうする」と「ヤバい」が無数に飛び交う。学校で担任に叱られても平然とし、大抵の面倒事は空返事や平謝りで流す問題児が間違いなく今年一番焦っている瞬間である。
「おい、パニクってる暇があるなら走るかタクシーでも呼ぶかしろよ」
その言葉に一瞬時が止まり、脳内では言い訳の変わりに名案が浮かぶ。声の主は艶やかでみずみずしい太ももを持つ栗色髪の少女だった。
「そうだルート! お前のリンクって奴の力で花月まで飛べば良いんじゃねぇか!」
灼熱の砂漠でオアシスを発見したかのように亮治の表情が明るくなる。しかし、次にルートから発せられる言葉はそんな亮治の希望を容易く打ち砕いた。
「できねーよ」
「よっしゃ!……って、なんでだよっ!?」
「さっき言ったばっかだろ? リンクには色々と手順が必要だ。思い浮かべただけでどこでも好きな場所に行ける便利で都合の良い力じゃないんだよ」
「嘘だろ……」
耳の奥あたりでガラガラと何かが崩れる音が聞こえる。亮治が捕捉したオアシスは蜃気楼が見せた幻だった。
そしてこの後、タクシー代をケチった亮治は小学生の少女四人を引き連れる姿どころか、小学生の少女四人と一緒に全力疾走する姿を近所の人間に目撃されることになる。