第二章 マルス・プミラの少女達①
「……長……社長」
夢と現実の間をゆるやかに漂う亮治の意識にノイズのように流れてくる何者かの声。頬には叩かれる感触。
(誰だ……気持よく寝てる人の頬をペチペチと……)
「この人が僕達のクライアントなの?」
「ええ、そうよ。高校二年生で歳は十七……だったかな?」
「しっかし汚い部屋だな」
頬を叩いている(と思われる)人物とはまた違う複数の人間の声がする。
昨日のメモリアル・タイムメイクとかいう変な婆さんといい、一体この家のセキュリティはどうなっているのかと親父を問い詰めたくなる気分だ。
「社長、起きてください。社長」
「起きないね」
「代表の話だと、夜遅くまで商談してたって話だし、仕方ないんじゃない?」
「あーあ、こりゃハズレだな」
(さっきから何だようるっせぇな……親父か……?)
亮治も知らない衝撃の事実! 父は七色の声を持つ声優界のミドルホープだった!
野郎二人のむさ苦しい生活の清涼剤として、とうとう少女の声色を使って息子を起こしにくるサプライズを決行! などと馬鹿げた考えを浮かべていると美少女声の親父の姿が鮮明に脳内に描写されそうになったので亮治は慌てて妄想を止める。
(危ねぇ危ねぇ……何が悲しくて自分の父親に甘い声で囁かれにゃならんのだ)
夢に出そうな危険な考えを振り切り、亮治が再び夢の世界で旅立とうとするも先程から続いている頬への衝撃ははだんだんと強まっており、「もはやこれは張り手ではないのか?」というレベルにまで達していた。
「てか普通に痛ぇよ!!」
ついに痛みに耐えかねた亮治は自分の頬を蹂躙する手を払いのけ、目を開ける。
「おはようございます。随分と遅いお目覚めですね」
瞬間、眠気が完全に吹っ飛び脳の活動が活発になる。
半分寝ぼけ眼だった視界に飛び込んできたのは大きな翡翠色の瞳に透きとおるような褐色の肌。
互いの吐息が触れ合うほどの距離に見知らぬ黒髪の少女の顔が存在していた。
「えーと、誰……?」
「初めまして。私は社長がご所望されたユニット”マルス・プミラ”に所属するユティー・リティーです。社長のビジネスマネジメントアドバイザーとしてお手伝いいたします」
褐色肌の少女は一歩下がり、一礼する。
「え、お前が……?」
「はい」
どうにか絞り出した声にユティーという名の少女は表情も変えずあっさりと答える。
亮治の頭の中ではスーツでピシっと決めたいかにもなビジネスマンが来ると勝手に思っていただけに、今、目の前にいる少女の姿には困惑を隠せなかった。
白のブラウスに映える黒のサロペットスカートと黒の胸元リボンという学生服のような格好はこの際おいておくとしても、背格好が大問題。座っているから正確にはわからないが身長は恐らく立っても亮治の腹、もしくは胸あたりまでしかないであろう。
要するに、目の前にいるビジネスマネジメントアドバイザーを名乗る少女は小学生くらいにしか見えなかったのだ。
「……そっちは?」
見た目に関しては後ろにいる他の三人にも同様のことが言えたが、真実を確認するため亮治は恐る恐る尋ねる。
「同じく”マルス・プミラ”のアーミラ・カスペルスキーです。ボディーガード担当として派遣されてきました」
「僕……わ、私はカトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドです。技術担当だよ。……じゃなくて、です」
「ルート。担当は運搬」
「………えーと、歳は?」
「私を含めて全員十二歳です」
ユティーが答える。
「…………」
犯罪だこれ。
亮治の頭の中に警報が鳴り響く。
この少女達は一階である喫茶店のお客で、開店時間前に入ってきた挙句、関係者以外立ち入り禁止という文句を無視して自宅となっている二階にやってきた可愛い不法侵入者かもしれない。
もしくは何かの手違い、あるいは担任がトチ狂ったかで近くにある小学校の社会科見学の場としてこの家が選ばれ、部屋の見学のため突撃してきただけかもしれない。
可能性は限りなく低いがゼロではないシチュエーションに出くわしているだけなんだと亮治は深く考えることをやめそうになったが、どうにか踏みとどまり携帯電話に手を伸ばす。
「タイムメイク代表であれば、既につながっております」
「は?」
メモリアルに連絡をとろうとすることがあらかじめわかっていたかのように、ユティーは亮治を制止する。
「つながってるってどういう……」
「少々、お待ちを」
ユティーがキーボードのフォームポジションの型をとるように両手をかざすと、綺羅びやかな水色の粒子とともに一瞬でユビキタスコンピュータが出現した。昨晩、メモリアルが現れた時に見た光景と同じである。
そのまま目にも留まらぬ速度でキーボードの上を小麦色の指が走り中空にウィンドウが開かれる。そこに人材派遣会社CPUの最高責任者、メモリアル・タイムメイクの姿が映し出された。
「タイムメイク代表。おっしゃった通りの展開になりました」
『そんなことだろうと思ったよ』
画面越しにメモリアルが答える。
「おいおいおいおいどういうことだよメモリーの婆さん! 昨日きっちり契約して金まで払っただろ!?」
初めて詐欺にあった人間にも勝るほど余裕の欠片もない表情で亮治が画面にかじりつく。
『そうだよ亮治。アンタが依頼した、だから私はその子らを派遣した』
「ちょ、ちょっと待てよ!? 俺はこんな依頼してねぇぞ!?」
『はぁ……落ち着いて昨日の商談をもう一度よく思い出してごらんよ』
「んなこと言われたって俺は別に……」
呆れ気味のメモリアルの言葉に現在進行形で余裕がなくなっている亮治はどうにか脳内に存在する「メモリアルとの商談フォルダ」の検索を開始する。
そしていつの間にか意識は昨日の深夜へと遡行した。
深夜in亮治の部屋。
少し歩けば飲み会帰りのサラリーマンや夜遊びにふけこむ若者で賑わう駅前繁華街に出るが、亮治の家の周囲はまだ住宅街の色が強く、この時間にもなるとすっかり辺りは静寂に包まれる。
そう、普段であれば。
しかし今晩に限っては、そんな静寂をぶち壊す原因が工藤家の中、つまり亮治の部屋に存在していた。
「高ぇよ! いくら優秀だからといって一日で一人に800円も普通の高校生が払えるか! 五日で4000円だぞ!?」
「それじゃあこっちはどうだい? ちょっと趣味が特殊だが容姿端麗、文武両道、悪徳業者やヤクザ相手にも怯まない凄腕ビジネスアドバイザー。一週間で300円」
「ちょっと特殊な趣味ってのは?」
「自分好みの足をした女子に襲いかかり、独断と偏見でその子に似合うと決めつけた靴に履き替えさせる」
「ちょっとどころか雇ったその日に警察が動くわ」
亮治とメモリアルの商談はいきなり難航していた。
亮治の今置かれている状況を聞いたメモリアルは、それに対してビジネスマネジメントアドバイザーを紹介しているのだが、亮治の出した職種以外の条件「できるだけ安くて優秀な人」がネックになり、中々話がまとまらない。
メモリアルが束ねる人材派遣会社CPUには経営、経理、管理能力の分野だけでも数え切れないほどの人間が登録されている。しかしその中で亮治が望むコストの低さで優秀な人材というと限られてくるのだ。
その上、メモリアルが提示する「コストが低く能力も申し分ない人間」は大抵、性格や性癖が歪んでおり、亮治がそれを了承するハズもないので今に至るわけである。
「いい加減ぐだぐだやってないでスパっと決めちまおうぜメモリー」
「誰がメモリーだ誰が。大体アンタの要求コストがわがまますぎるんだよ。どんだけケチなんだい」
「とは言ってもな、そもそもあんまり金持ってないし。いきなり現れた他世界の人間と取引するんだから多少まけてくれたってバチは当たらないだろ」
亮治がボヤきながらベッドに寝転ぶ。
「アンタのは多少って言わないんだよ。それにさっきも言ったけど、この国の貨幣はシード・ライヴじゃ価値が高い。短期契約なら3000円もあれば十分だよ」
「他世界で円高なんてドルもびっくりだな」
「あぁそれとウチは原則先払い契約。貰うもん貰ったら派遣するってスタイルだからを気をつけるんだね」
言いながらメモリアルは懐から煙草をとりだす。
「おいおい、会社のトップが客との商談中に吸うか普通」
「商談中にベッドに寝っ転がってる奴に言われたかないよ。それに本物じゃなくて電子煙草だから安心しな」
メモリアルが一服し、一時の沈黙が流れる。
亮治が迷惑広告メールのURLにアクセスし、メモリアルが出現してからすでにニ時間は経過していた。商談が始まった時はこれで実習もどうにかなると確信していた亮治だが、なかなかトントン拍子にはいかないものである。
「なぁメモリーの婆さん、そういや最初に言ってた人口に対して仕事が足りてない”とある理由”ってなんなんだ?」
「あぁ、それはね……おっ、そうだ!」
言いかけている途中で何かを思い出したのか、メモリアルは手元のキーボードを高速で操作し、新たなウィンドウを開き始める。
「どうかしたのか?」
「いたよ亮治。能力もコストもアンタの希望に添えそうなのが」
「本当か!? さっきまでみたいな「しかし変態、または変人」ってオチはないな!?」
「安心しな。真面目で理知的、世話焼きで少し几帳面っていう経営や管理にはうってつけのタイプだよ」
「それで、契約金は?」
「四人で五日間1000円」
「やっすっ!!」
その破格の内容にすぐさま契約を交わそうとしたが、メモリアルの言葉には聞き捨てならない部分があった。
「……四人?」
無論、契約人数のことである。
「ユニット契約って奴さ。会社の規模が規模だからコンビやユニットを組む人間も出てきてね。この仕事はこういう組み合わせのほうが能率が上がるだとか、こいつと組むと仕事がやりやすいだとかって要望も多いからこういう契約もやってるんだよ」
「はー色々考えてんだなぁ」
「ま、そういうメリットがある反面、コストが高くなったり、単純に人数が増えるからクライアントが把握するのが大変になったりといったデメリットもあるけどね」
後者はともかく、前者のデメリットはケチくさい亮治にとっては由々しき問題である。
メリットに関しても、ユニットを組むことによる効率差のイメージがまだまだ漠然としているため、現時点では抱き合わせ商法にしか思えなかった。
「残りの三人はどんな奴なんだ?」
「それぞれ護衛、技術、運搬の力に長けた社員だね。その四人から成るユニットの名前は”マルス・プミラ”」
「マルス・プミラねぇ……よし、ならそれで契約するか。四人で五日間1000円だな?」
「えらくあっさり決めるんだね。それじゃ履歴書を……」
「いや、そういうのは明日で良いよ。能力、コスト、人格の条件は満たしてるんだろ? それならとりあえず先に契約を済ませてくれ」
亮治の申し出に再びユビキタスコンピュータを操作し、該当社員のデータを表示しようとしていたメモリアルは手を止める。
「いいのかい?」
「仮に騙されたとしても後悔はしねえよ。俺が自分の意志でURLにアクセスし、自分で決めた契約だ。婆さんに1000円賭けてみるさ」
「へえ……年の割に肝が座ってるじゃないか。自分のケツを自分で拭ける男は好きだよ」
思いがけぬ亮治の言葉にメモリアルは思わず感嘆の声をあげる。あまりに予想外な返答だったため、口に加えていた電子タバコを落としかけたほどだった。
「そりゃなんも持ってない人間が都合良く力を手に入れようとしてるんだ。そのくらいのリスクは負うもんだろ」
「亮治アンタ……」
「面倒になってきたからさっさと終わらせたいだけだろう」
「眠たいんだよいい加減。今何時だと思ってんだ」
見直したよ。とでも言わんばかりの視線を向けるメモリアルに亮治が爽やかな笑みを浮かべる構図が一瞬にして崩れ落ちる。
出会って数時間のメモリアルにとっても、今の亮治の態度と台詞はあまりにも胡散臭すぎた。
とはいえ時刻はもう深夜の二時過ぎており、いくら客が少ない花月といえど睡眠不足状態での労働は非常に辛いうえ、万が一、寝坊して遅刻でもした日には店長に合わせる顔がないだろう。
メモリアルを感心させた先程の言動は、要はさっさと契約にこぎつけてしまい、明日に備えたいがために出たものである。
「まぁアンタが望むならそれでいいさ。四人は明日の朝、この部屋に派遣するよ」
「頼む」
「かしこまりました。このたびは人材派遣会社CPUをご利用いだだき、誠にありがとうございます」
メモリアルが変にかしこまった口調で答え、最初の人材派遣商談は終わりを迎えた。
契約の手続きを済ませると粒子化し消えるようにシード・ライヴへ帰っていくメモリアルを見送った後、睡魔からの攻撃に抗う必要がなくなった亮治はすぐさま眠りにつく。
そして今現在に至るのである。
『思い出したかい? 能力、人格、コスト、全部アンタの要望どおりだよ』
「だからって十二歳の子供が四人も派遣されてくるとか予想外にも程があるわ……」
昨晩の記憶の復元を終え、亮治の表情が曇る。この表情をスケッチしたらきっと良い絵が書けるであろう。タイトルは”自業自得”か”因果応報”が堅い。
亮治自身、外見や年齢を知ることができたと思われる履歴書の閲覧を断り、確認を怠った自分が悪いと理屈ではわかっているのだが、どうしても感情がそれの邪魔をする。
「いやでもやっぱ十二歳はないだろ婆さん……まだ「さんすう」や「せいかつ」の授業やってる年齢だぜ……」
『最初に言っただろう。ウチは老若男女、素人からエキスパートまで様々な用途の社員がいるって』
「はぁ~……そりゃコストも安いわけだ……小学生だもんな……」
『まったく、昨日「後悔はしない」とか「婆さんに1000円賭ける」とか言ってた男はどこ行ったんだい』
「辛くなるからそこは掘り返さんでくれ」
カッコ良い台詞と共にメモリアルを信用した昨晩の自分をぶん殴りたくなるやり場のない怒りとやるせなさに、亮治は思わずがくっと肩を落とす。
『落胆してるようだけど安心しな。年齢的にまだ未熟なところもあるが、それでもアンタの学校の実習くらいはなんなく助けてくれる子達だよ』
メモリアルが亮治の隣にいる褐色肌の少女に視線をやる。
「こいつがねぇ……」
「それより社長。そろそろ時間では?」
それまで静観していた褐色肌の少女、ユティー・リティーが口を開く。言われて気づくと部屋の壁にかかっているアナログ時計の針はそろそろ用意を始めないと間に合わない時刻を示していた。
「げっ、もうこんな時間か!」
『さて、どうするんだい亮治? どうしてもこの子達じゃ嫌だっていうなら、キャンセル料は安くしとくよ』
画面越しにメモリアルが亮治を試すようにニヤニヤと笑う。
ユティーをはじめとする四人の少女も緊張した面持ちで亮治の返答を待ったが、亮治の頭の中で行われた「キャンセル料を払ってまで別の人間を派遣してもらうか」という議題の脳内会議は三秒もかからずに終了することになる。
「馬鹿言ってんじゃねえ! キャンセル料なんぞ一円たりとも払ってたまるか! この四人でやってやらぁ!」
立体ディスプレイに映るメモリアルに向かい言い放つ。
脳内会議の結論はもちろんノー。決まり手はキャンセル料金。
基本ケチで金にうるさい工藤亮治という人間が、始める前から余計な金を支払うハズもなかった。
『そうかいそうかい。それじゃユティー、ルート、レイヤ、ミラ、しっかり頼んだよ』
最初から亮治の出す答えがわかっていたかのようにメモリアルは満足気な笑みを浮かべる。
「承知しました」
「ボスの命令なら」
「はい!」
「わかりました」
『亮治も四人と仲良くな。なぁに、別にその子ら使って商売するわけじゃないんだ。年齢に関しちゃ親戚の子が手伝ってくれてるとか適当な理由でどうとでもなるよ』
最後にそう言い残すとメモリアルが映っていたウィンドウは閉じられ、ユビキタスコンピュータも水色の粒子となり消えていった。
「チッ、メモリーの婆さんめ。人事だと思いやがって……」
「それでは社長、私達は外で待っていますので。着替えなどを済ませてください」
「ん? あ、ああ」
ユティーは亮治を見上げそう告げると一礼し、他の三人とともに階段を下りていった。部屋には亮治だけが残される。
メモリアルには勢いで言ってしまったが、正直不安は残る。花月の問題だけでも大変なのに、それに加えて五つも年下の少女を四人も引き連れることになってしまったのだ。
同年代の男友達と馬鹿ばっかやってきた亮治にとって、年下の女の子の扱い方なんてこれっぽっちもわからない。今までに親戚の子や姪など、そういう年齢の子と接触する機会は少なからずあったが、基本的に親や従姉妹任せで面と向かって話したり遊んであげたりした経験は無かった。
気を使いすぎても上手くはいかないだろうし、そもそも年下相手に下手に出るのも気に食わない。しかし普段どおりの調子で接し、拒絶されたり泣かせてしまった日には、どんな事情があろうと周囲には完全に亮治が悪いように映るであろう。
「くそっ、前途多難だなこりゃ」
ため息をつきながら制服の袖に腕を通す。
窓を開くと穏やかな風と朝の日差しが部屋へと入ってくる。ゴールデンウィーク三日目、本日も絶好の奉仕貢献日和である。
「とにかくやるしかないか。まずは名前をもう一度聞いて覚えとかねえと……」
亮治はベルトを締め直しながら自室を後にした。