第一章 学生派遣実習イベントと他世界派遣会社③
開いた窓から春の夜風が時折入り込んでくる。風呂あがりにはちょうど良い涼しさだが開けっ放しで寝ると寒い、そんな冷たさ。
風呂から上がった亮治は髪を乾かすこともせず、寝間着姿で自室のベッドに仰向けになり無言で天井を見つめ思考にふけっていた。
頭の中をめぐるのは花月のこと。
一週間の実習も、もうすでに二日目が終了していた。
外装はともかく、花月の内装はアキラに電話するほど酷いものではなかった。平凡な定食屋レベル。
ホールに関しては広いと思えたほどで、四十人は座れる作り。その割りに社員はおろかバイトやパートすらおらず、店長ひとりで全てをやっていると聞いて驚いたがそれもそのハズ。お客は数えるくらいしか来ないのだ。
この二日間、亮治がやったことといえばその数少ないお客を席へ案内し、水を運び、オーダーを受け、料理を運び、ありがとうございましたと頭を下げ、食器を片付けることくらいである。
一応、二日目である今日は店前の看板を新調しようしたり、店付近で呼び込みをしてみたりと努力してみたのだが結果は実らず。
これではキャンペーンボーイでも宣伝社長でもなんでもない、ただの学生バイトであることは亮治自身が一番よくわかっているのだが、それまでひとりでやってきた店長はそれでも心の底から喜んでくれた。
聞けば何年も一人でやってきたという。気休めではなく本当に嬉しかったのだろう。
しかし、亮治にはそれが余計に辛かったのだ。
「実習は残り五日間。後たった五日間しかないのか……」
初日の朝、家を出る時は適当に流してとっとと一週間を終わらせてしまおうと思っていた亮治の心境には明らかな変化が生じていた。
原因は純真無垢すぎる店長の人柄と、料理の腕前である。
びっくりなことに、店長が作る料理は美味かった。そんじょそこらのファミレスや定食屋には負けないだろう。亮治的に価格設定はいまいちだが、味だけなら隠れた名店と雑誌で特集されてもなんらおかしくない質であった。
あの味であれば、自分が上手くやれば多くの人が店にきてくれるようになるかもしれない。しかし、自分にはどうやっていいのか、何から始めればいいのかがわからない。
実習二日目にして、そんな歯がゆい思いが亮治の中を支配し始めていた。
「だーくそっ! もはや扱いやすいとかそういう問題じゃなく、放っておけなすぎるぞあの店長」
店長が良い人であれば良い人であるほど、亮治は自分の不甲斐なさが許せなくなってくる。
奉仕貢献という名目の学生派遣実習イベントが聞いて呆れる自分の体たらく。優秀な他の参加者はきっと結果を出しているのであろう、などというらしくもないネガティブな妄想もしばしば頭をよぎる。
「はぁ~……どうしたもんかねぇ」
ぽつりとまたひとり言をつぶやく。
寝返りをうちながら特に理由もなくケータイを開くとディスプレイに未読メールの存在を知らせるアイコンが表示されていた。
「あぁ、そういや実習初日の朝になんか来てたっけか」
あの時、亮治が削除を中止して未読のままになっていたメール。件名は人材派遣会社CPU。
ここ二日間のドタバタで記憶の彼方に忘れ去られたそれを、ボーっと何気ない気持ちで開く。
「……なんだこりゃ。『どんな人材でも一秒単位でお貸しいたします』?」
開かれたメールの内容はいたってシンプルなもので、亮治が読み上げた『どんな人材でも一秒単位でお貸しいたします』という奇妙な一文の下に短いURLが一つ書かれているだけ。
おかしいといえばそのURLもである。通常、頭の部分は”http”から始まるものだが、このメールに関しては”hhttp”と”h”が一つ多いのだ。
「打ち間違え? それとも俺が知らないだけで、最近はこういう形のURLもあるのか?」
普段ならよくある広告業者からのスパムメール、あるいはURLを踏ませようとしているあたり、架空請求詐欺などにつながるウイルスメールかとすぐさま削除していただろうが、現状の打開を求める今の亮治には、この胡散臭い一文にすら強く惹かれるものを感じていた。
数秒の思考の後、hの一つ多い怪しさ全開のURLにカーソルをあわせ、携帯電話の中央のボタンにあてた親指に力を込める。
「さーて……鬼が出るか蛇が出るか……」
<<"hhttp://owww.cpu.co.cd"へ接続します>>
次の瞬間、工藤亮治という人間の世界は白い光に包まれた。
邪悪な極黒の闇すら切り裂くような鋭い光が亮治の目に突き刺さる。
目を開けていられないほどの閃光。思わずケータイを放り出し両腕で顔を覆ってしまう。
「ぐっ……」
マイナスイオンも真っ青なレベルで体に良い聖なる力でも帯びているのではないかというほどまばゆく白い光。その光源は先ほどまで亮治の右手に存在していた携帯電話のディスプレイだった。
数秒間続いた発光現象がおさまり始め、亮治が薄目を開ける頃、部屋には亮治以外にもうひとり、人間が存在していた。
「ごアクセス感謝する」
聞こえてきたのはしゃがれているが堂々として安心感を覚えるような女の声。ハスキーボイスというよりも、渋いという表現が近い。
「驚かせてすまないね。こっちの端末を媒介にまたぐ時はどうしてもこうなっちまうんだよ」
「なんだなんだ!? 新手の強盗か宗教勧誘か!?」
「ははっ安心しな。そんなくだらん目的で他世界にゃ来ないよ」
「他世界だあ? いきなり人の部屋に現れといてワケのわからんことを……」
視界を取り戻した亮治の前には六十歳から七十歳くらいの女性が立っていた。
小じわは目立つが端正な顔立ちに長く真っ直ぐ伸びた白銀色の髪。漆黒色のフォーマルスーツに包まれたスレンダーな体は惚れ惚れする仕上がりだが、その姿を見たものに与える印象は”美しい”よりも”カッコ良い”が強いだろう。
特徴だけを挙げると一見、男と見間違いそうなものだが、着崩したスーツの胸元から覗く豊満なバストが彼女が女性であることを物語っていた。
「……そんで? 誰なんだアンタ」
低く、威嚇するような声で尋ねる。
そのまま亮治はゆっくりとベッドを降り側に立てかけていた金属バットを手にとると、どこからともなく現れた訪問者を睨みつける。
「至極当然の反応だとは思うが私を呼んだのはアンタだよ。なんでまずは危害を加えるつもりはないとご理解いただけると助かるんだがね」
「はっ、どこの誰かも、何が目的かもわからん奴を信用なんかできっかよ」
「これは失礼した。自己紹介がまだだったね。私はメモリアル・タイムメイク。人材派遣会社CPUの最高責任者を務めている」
柔らかな口調でメモリアルと名乗る女性は語りだす。目付きは先程までと変わらず鋭いところを見ると、平常時からこうなのだろう。
「CPU……ってことはあのメールの?」
「ああ。アンタがあのURLにアクセスしたことでこの世界と私がいた世界が完全につながり、こうして商談にやってきたってわけだ」
「世界がつながる? 商談?」
頭上にいくつも?を浮かべる亮治の問いかけにメモリアルは答えず、部屋の中央からベッドの隣にある机まで移動すると、それにもたれかかり腕を組む。
「すぐ商談に入ってもいいんだがその前にまず、名前くらい確認させてくれないかね」
「待てよっ、俺の名前も知らないってことは、本当にただの迷惑広告メールだったのかよアレ」
「申し訳ないがそのとおりだ。特定の条件を満たす人間が対象だが、複数の送信先候補の中からアンタが選ばれたのは単なる偶然でしかない」
特定の条件ってなんだ。と質問を重ねようとした口の動きを止め、どうにか言葉を飲み込む。
聞きたいことは山ほどあるがどうやら発端は自分があのURLにアクセスしたためらしい。
それに相手はこっちの要求どおり名乗ったんだ。ならこっちも名乗らないと不義理だな、などと考えを巡らせながら亮治は金属バットを置きベッドに腰を下ろすと、あらためてメモリアルに向け口を開く。
「工藤亮治。私立ヴァルフォード学園の二年生、科は商業科だ」
「クドウリョウジ。良い感じの響きじゃないか」
メモリアルがニヤリと笑う。
「さて、本題に入ろうか。単刀直入に言う。亮治、アンタ、ウチの取引先になる気はあるのかい?」
「……どういうことだ?」
メールの内容、目の前にいる相手が人材派遣会社のトップということから亮治の中にもある程度の予想はあったが、やはり訝しげな顔をしてしまう。
「アンタも気づいているとは思うが、私は別の世界の人間なのさ。CPUもその世界に存在する会社だね」
メモリアルは続ける。
「簡単に説明すると、私のいる世界”シード・ライヴ”はとある事情から人口に対して働き口が圧倒的に不足していてね。その解決策として、人材派遣という形で他世界で働き口を作り出しているわけさ」
「他世界なんて誰もが一度は想像する夢のあるファンタスティックな響きだってのに、なんでそんな世知辛いんだ……」
「現実なんてそんなもんさ」
「その話を信じるとしても夢のねえ他世界情勢だな。正直、聞きたくなかったわ」
表情にこそ出さないものの、夢も理想もへったくれもない他世界のリアルな部分に触れ、亮治は内心思いの外ダメージを受けていた。
サンタクロースなる超人は存在しないと知った時とはまた違う。そう、例えるならば幼き頃、雲の上には乗れないと気づいた時と同じ痛み、龍は空想上の生き物だと教わった時と同じ痛みといったところか。
「働き口の問題だけじゃないよ。環境問題や高齢化社会、年金問題や組織の腐敗に食料問題などなど問題は山積みさ」
「だからそういう生々しいのはいらん! どうせならもっと夢のある話を聞かせてくれよ!?」
「心配するな。そういう話ももちろんある。じゃなきゃこうして商談に来た意味がないからね」
メモリアルが本気で嫌がる亮治をクックッと笑いながら、もたれかかっていた腰を机から離し、数歩移動した次の瞬間―――どこからともなく彼女の前の空間に立体ディスプレイが浮かび上がる。
いつの間にか手元には半透明のキーボードまで出現しており、宙に浮く光るキーは片手で操作するメモリアルの指が触れるたびに色を変えた。
「こんなものかね」
タンッとEnterキーらしきものを叩き、操作が終了するとメモリアルの周囲にいくつかのウィンドウが出現する。
「ユビキタスコンピュータといってね、シード・ライヴで普及しているコンピュータネットワーク技術さ」
「……特許の申請ってどうやってやるんだっけな」
「これを見せられて真っ先に出る言葉がそれなのは人間としてどうなんだいアンタ」
先程までの半信半疑の態度が嘘のようにユビキタスコンピュータを真剣に見つめ、金に変えようとしている目の前の男にメモリアルは人選を間違えた気がしてならなかった。
「冗談だよ冗談。しかしすげえな。確かにこれは金にな……じゃなくて夢のある話だ」
「アンタの目が冗談に見えないんだよバカタレ」
もはや白々しいだけの感嘆の声にやれやれ、と呆れ顔でため息をつきメモリアルは捕捉する。
「それに残念だけど特許申請しようとしても無駄だよ。セキュリティの関係上、これはシード・ライヴでも特殊な手続きを済ませた人間だけが扱える代物さ」
「チッ……なんだよ、ぬか喜びさせやがって」
舌打ちする亮治に「やっぱり冗談じゃなかったのか」と決してよくはない目付きを更に細め、眉間にシワを寄せるメモリアルの脳内データベースに、工藤亮治という人間は油断ならない、金に汚いという情報が登録されていく。
「はあ……そうじゃないだろう亮治。言ったハズだよ? 夢ならちゃんとあるって」
「どういうことだ?」
板書してくれ言わんばかりに頭に?マークを浮かべ、亮治は天井から吊るされたバナナの取り方がわからないゴリラのような表情で尋ねた。
「まったく、手のかかる子だねぇ」
ひとつ。私の世界”シード・ライヴ”は人口に対して働き口が不足している。
ふたつ。その解決策として、人材派遣という形で他世界に働き口を作り出している。
みっつ。工藤亮治は広告メールの送信先に偶然選ばれ、人材派遣会社CPUの取引先になってくれないかと話を持ちかけられている。
よっつ。ユビキタスコンピュータを扱う力や、私がアンタの前に突然現れた力はシード・ライヴの人間固有のもの。
話すのと同時に、メモリアルはキーボードで同じ内容を箇条書きしていく。
亮治が座る位置は自然とベッドの上からメモリアルの前の床に移り、彼女の周囲に浮かぶウィンドウに表示された内容を反芻していた。
「どうだい亮治? 念のために断っておくが、メールから今までの話すべて、私は本気だよ」
「ああ、確かにこいつぁは夢のあるおいしい話だ」
ようやくすべてを理解した亮治は興奮を抑えきれず立ち上がり、不敵な笑みを浮かべる。
「つまり、だ。俺がアンタの会社の取引先になれば、そっから雇った人間の超常的な力を俺が間接的に使えるってことだろ?」
「そういうことだ」
亮治の返答にメモリアルも満足気にニヤリと笑った。
「さて。それでは本格的な商談に移ろう。どういうタイプの社員をご所望だい?」
鈍い電子音とともに開かれていたウィンドウが一斉に閉じられ、新たなウィンドウが開かれる。
「ウチは老若男女、素人からエキスパートまで様々な用途の社員がいるから、要望に答えられないってことはまずないと思ってくれていいよ」
「そうだな……」
考えるよりも前に、亮治の頭に店長の顔が浮かぶ。
当然、答えは決まっていた。
「よし、頼む! 客の来ないさびれた定食屋を立て直したいんだ! 経営、経理、管理とかその辺の能力に長けた人間を紹介してくれ!!」
「へぇ、面白そうじゃないか。詳しい話を聞かせとくれ」
こうして記念すべき亮治と他世界派遣会社による最初の人材派遣商談が始まった。