エピローグ①
5月11日。午前。
一週間もあったゴールデンウィークも終わりを迎え、今日からいつもどおりの日常が始まる。
学生は学校へ。会社員は会社へと向かい、自分に与えられた場所で自分に与えられた役割をこなすのだろう。
しかしここに一人、本来であれば制服を着て登校しているはずの男が私服に身を包み悠々と駅前通りを歩いていた。
流れに逆らう男の名前は無論、工藤亮治である。
ピリリリリ… ピリリリリ… ピッ
「もしもし? なんだよ朝っぱらから」
歩きながらボトムスのポケットからケータイを取り出すと、亮治はぶっきらぼうに応答する。
初期設定から変えていない味気のないメロディーを鳴らしたのは犯人は、彼の悪友だった。
『なんだよじゃねーよ。ゴールデンウィーク明け早々、学校サボってんじゃねーぞ亮治』
受話器越しに聞こえてきた声はどこか嬉しげだった。
「あのな拓郎、お前にはちゃんと俺の身に起こったことを説明しただろ? 大事をとってんだよ大事を」
『ばーか。大事をとるなら出歩いたりせず家で寝てるだろ普通。聴こえてくる音で外ってまるわかりだぞ』
「いいんだよ。どっちにしろサボりや重役出勤なんて俺にとっちゃいつものこった」
『ま、それもそうか。店に行くんだろ? あの子たちによろしくな』
「おう。向こうも協力してくれたお礼を言っておきたいって言ってたから、また今度な」
息をするような自然なやりとりを終え、再びケータイをポケットへとしまう。
「橘からか?」
次いで聴こえてきた生意気そうな少女の声は亮治の隣、やや下方からのものだった。
「ああ。お前らによろしくだとよ」
「律儀だなアイツも。礼を言いたいのはこっちの方なのに」
下方からの少女声の発信者、ルートは、長い栗色髪の後ろで両手を組みながら感心したように言う。
下は彼女のトレードマークともいえる白のショートパンツ。上は長袖のTシャツといったラフな恰好。
亮治より少しだけ狭い歩幅を刻む細い足には黒ストッキングが履かれており、そのまま厚底のロングブーツへと伸びている。
そんな少しだけ口の悪い少女と少しだけ金にがめつい男が目指す先は定食屋“花月”であった。
「ていうか、なんでわざわざ歩いていくんだ? お前のリンクを使えば一発じゃ……」
「ばか、こっちも色々と準備があるんだよ。それにこういうのは行くまでの時間も大事らしいぞ」
「らしいぞって、お前はどうなんだよ」
「わからない。でもユティーたちが言うんだからそうなんだろきっと」
「わからないのに案内役やってんのか……」
「私だってお前と二人でなんで歩きたくねーよ。でも仕方ないだろ? 新ユニットでも“運搬”は私の担当なんだから」
怪訝そうな表情で見下ろす亮治に対し、ルートは口を尖らせる。
こうして並んで歩いていると、初日にビラ配りをやったことを思い出すなと亮治は思ったが、口には出さなかった。
隣で可愛らしく不機嫌そうにする少女がどこか可笑しかったのだ。
自宅付近。住宅街。そして駅前通り。
無言の時間の方が長い道のりで再び口を開いたのは意外にもルートの方だった。
「……そういや、聞いたか? 荻原イヅル達について」
「いや特には。なんかあったのか?」
「代表から聞いた話によるとどうやら私達のことを一切話していないらしい。自分は鷲尾コンツェルの企業スパイとして犬塚グループに潜り込んでいて、その件について仲間と揉めた。みたいな証言をしてるんだとさ」
「意外だな……そりゃまさか、見知らぬ小学生の女の子にぶっ飛ばされたとは言えねぇか」
「荻原イヅル以外のチンピラはそう言ってたらしいぞ。全然信じてもらえなかったみたいだけどな」
「はは、だろーな。俺だって未だに違和感を覚える時があるし」
軽く笑いながら両手を頭の後ろに回し、亮治は護衛担当の少女の姿を思いかべる。
そんな亮治に対し、ルートは仏頂面をさらに不機嫌そうにし口唇を尖らせた。
「それより気に食わないのは鷲尾コンツェルだ。企業スパイ行為に関しては一切関与しておらず、すべて荻原イヅルの独断によるものとか抜かしやがって」
「ドラマでよく見るトカゲのしっぽ切りって奴か……荻原イヅルに同情こそしないが、やな感じだな」
「ああ、組織の末端で働く身としては気分悪いぜほんと。まー代表は私たちにそんなことしないからいいけどな」
「信頼してんだな」
「当たり前だろ。代表は私の恩人だからな」
ルートはぷりぷり怒りながらふりふりと長い栗色髪を揺らし歩く。
ふいにこぼれた恩人という言葉。
亮治はメモリアルと彼女の間になにがあったのかまでは聞かなかった。
ルートに限らずユティーもレイヤもミラも、人材派遣会社CPUに所属するまで色々あったのは間違いないであろうから。
亮治はつい難しいことを考えてしまいそうになったが、その思考は視線の斜め下先に映る年相応のふくれっ面によってかき消される。
黙っていれば本当に美少女だなと口にするのをすんでのところで堪え、亮治は笑いを噛み殺し押し黙ったままルートの隣を歩く。
「……まぁ、お前のことも一応信頼してるよ。ありがとな。私たちをもう一度雇ってくれて」
再び沈黙を破ったのはまたしてもルートの、それも意外すぎる言葉であった。
「ほーう?」
予想外も予想外すぎて亮治はずいっと横からルートの顔を覗き込むように近づけ、聞き返してしまう。
「な、なんだよ」
じぃっとこちらを見つめる雇い主の顔を見上げながら、ルートを足を止め思わず一歩たじろぐ。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
彼女の眼前に広がる男の顔が、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
「いや、“少しだけ素直になったルート”は本当なんだなって」
「なっ……!」
ルートの顔がみるみる紅くなる。釣り上がる瞳。きゅっと握りしめられる小さな手。
そんな彼女に亮治は先ほど押し込めたセリフを投げかける。
「お前さ、黙ってれば美少女なんだからそうやって素直にしたほうが良いぞ絶対」
「う、うるせーよばーかばーか! ちょっと認めてやったからって調子に乗るなよ! いいか! あれはユティーたちに言われて仕方なくつけただけだからなっ!!」
「へいへい了解しましたよ少しだけ素直になった太もも美少女」
「だから太ももはもういいって!」
ショートパンツの栗色髪の少女は顔を真っ赤にしてぎゃーぎゃー怒りながらも、雇い主を置いて自分だけ花月へ飛ぼうとはしなかった。
それは勿論、目的地まで彼を送り届ける“運搬”が彼女の役目だからである。
* * *
「や、待ってたわよ」
ようやくたどり着いた花月のスロープにて亮治とルートを待っていたのは、黒のシークレットスーツに身を包んだ赤黒髪の少女だった。
少女は亮治たちの姿を確認すると壁にあずけていた背をふっと放し、軽やかな足取りで近づいてくる。
「悪いミラ、少し遅くなった」
「んーん。このくらい全然いいわよ。問題なし。お疲れさま、ルート」
シークレットスーツ姿の護衛担当、アーミラ・カスペルスキーは雇い主をここまで連れてきた運搬担当の少女にねぎらいの言葉をかけ、そのままちらりと視線を後ろへと移す。
「亮治くんもお疲れさま。久しぶり」
暖かな、やわらかな笑顔を雇い主へと向けるミラ。
この数日間、メイド服、ナース服、チャイナ服など様々な恰好をしていたため、本来の衣装であるスーツ姿が亮治にはなんだか懐かしく思えた。
「どこが久しぶりだどこが。昨日一日会ってないだけだろ」
「ふふっ、まぁそうなんだけどさー。ほら、こっちに来て毎日一緒にいたじゃない? だから一日でも会わないと変な感じがするというか」
「なんだそりゃ。わかるようなわからんような……」
「いいの。私が勝手にそう思っただけだから。でも、ほんと亮治くんの顔みてホッとしたわ」
そう言うとミラは両手を後ろで組み、少しだけかかんでより一層ふわっとした微笑みを強めた。
「……わりぃな。お前にも心配かけちまって」
「ううん。平気。そんなことより傷の方はもう大丈夫なの?」
「おう。おかげさまですこぶる元気だ。なんなら軽くパンチしてみてもいいぞ」
やや心配そうに見上げてくるミラを安心させようと、亮治は腹筋を固めアピールする。
「んー……、悩むけど力加減がむずかしいからなぁ。素直にやめておくね」
「その感じだと下手すりゃ死にそうだから是非ともそうしてくれると助かるわ……」
口元に指を当て真剣に悩むミラの姿に亮治はひやりとする。
白薔薇の結城やタンクトップのチンピラをふっ飛ばすほどの力だ。一歩間違えば再び病院に逆戻りは避けられないだろう。
「おしゃべりはその辺にしとけよお前ら。ミラ、中の準備はどうなってんだ?」
「たぶん大丈夫だと思うけど、ルート、一応確認してもらえる?」
ミラに促されたルートは花月の入り口へと続くスロープを降り、そのまま店内へと入っていく。
そうして待つこと数十秒。
店の扉が開き、顔を出したルートはスロープの上にいるミラに向け軽くうなずき再び店の中へと戻っていった。
準備完了のオッケーサインである。
「“準備”ってのがなんのことかよくわからんが良いみたいだな。ミラ、行こうぜ」
言いながらスロープの下へと歩きだした亮治の足が止まる。
後ろから引っ張られる力によって。
「ん?」
力がかかっている方向へと振り返ると、赤黒髪の少女の小さな手が私服の裾をちょこんと掴んでいた。
「ミラ?」
亮治が訝しげに尋ねると、アーミラ・カスペルスキーはうつむいたまま呟く。
「……次、あんな真似したら、許さないから」
悲しさ、悔しさ、怒り、愛おしさ。
正負の感情をごちゃ混ぜにしそのすべてを押し殺したようなトーンで放たれたミラの言葉に、亮治の心臓が跳ね上がる。
なんのことを言っているのか、すぐに理解した。
「約束して。二度と、私なんかを護るために危険に身を晒さないって」
ミラによる思いがけぬ方向からのアプローチに亮治は言葉をつまらせる。
スッとうつむかせていた顔を上げたミラの表情にさっきまでのやわらかさはなく、訴えかけるように亮治を射抜く真剣な眼差しをしていた。
アーミラ・カスペルスキーはユニットの護衛担当。
つまりは雇い主である工藤亮治を守ることが彼女の仕事であり役割である。
にも関わらず、彼女は亮治を命の危機に晒してしまった。
それも、傷ついた自分が護られるという最悪な形で。
護衛が護衛対象に護られる、あまつさえそれで護衛対象を瀕死にさせるなど決してあってはならないこと。
事実、回復能力をもつユティーがいなければ亮治がどうなっていたかはわからなかっただろう。
その役割と性格からユニットのまとめ役やお姉さんポジションに収まっていたミラは、弱音を吐いたり、涙を見せることが滅多にない。
いつだって気丈で、落ちついていて、頼られる存在として振る舞っている。
だが今回の件は彼女にとってあまりにショックで、さまざまな自責の念が小さな身体の内側で苛み、蝕み、渦巻いていた。
下手をすれば、犬塚絵理子に出し抜かれたレイヤやユティーがひどく自分を責めた時以上に。
「…………あらためて言うわ。ありがとな、護ってくれて」
亮治はミラの問いには答えず、ただ優しく彼女の頭に手を乗せ、そう言った。
亮治も理屈ではミラに任せ、自分はおとなしくしているのが良いと理解していた。
が、感情がそれを許さなかった。
工藤亮治という少年の価値観では年上は年下を護るべきであり、雇用主は雇用者を大切にしなければならないのである。
ゆえに亮治はあの時、あの場面でああいう行動をとったのだ。
「……やめてよ、私、護ってなんかない」
頭に乗せられた手をミラがやんわりと払う。
「でも俺が撃たれた後、お前がルートやレイヤに迅速で的確な指示を飛ばしすぐにユティーを連れてきたおかげで俺も犬塚も助かったんだろ? だったらやっぱ“ありがとう”で合ってるって」
あっさりと言い放つ亮治の返答にミラは即答せず、納得いってない表情でたっぷり亮治を睨みつけた後フッと視線をそらし、再び黙り込む。
やがてそっぽを向く瞳にうっすらと涙が浮かぶも、ミラは慌ててそれをごしごしとシークレットスーツの袖でぬぐった。
「……もー、亮治くんずるい。私、滅多に泣かないのに……」
感極まったのか、ミラはぎゅっと亮治の腕にしがみつく。
「悪かったよ、ほんと」
「ううん……私の方こそごめんね、護ってあげられなくて。次は、絶対護るから」
「……そっか、んじゃあよろしく頼むわ」
護衛担当の決意表明に口角を上げ答えると、亮治はしがみつかれたままゆっくりとスロープの下へと足を進めるのであった。




