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第五章 現代における召喚魔法⑦




 工藤亮治は夢を見ていた。


 暗い、暗い、円柱型の塔の中を下へ、下へと落ちていく夢。

 やがて奈落に着いたのか、亮治は極限の闇に一人横たわっていた。


 寒い。

 塔の外では寒波がおとずれているのか、身体がどんどん冷たくなっていく。寒い。痛い。苦しい。

 とても眠れるような状態ではない。

 だがどういうわけか身体は起き上がることをせず、不自然な眠気ばかりを押し付けてくる。

 じゃあいっそ、このまますべてを投げ出し眠ってしまおうか。


 そう思った時、亮治の視界にひとつの影が映った。


 不思議なことに亮治は一瞬、それが自分のよく知るユティー・リティーだと錯覚する。

 が、近づいてきたそれは彼女ではなく、ウサギの耳を生やしながらもウサギと呼ぶにはあまりにも禍々しい出で立ちをしている異形の存在だった。


 どす黒い褐色肌に血だまりのような二つの紅眼。

 頭部から生える大きな黒色のウサギ耳。

 鋭く伸びた爪。悪魔のようなしっぽ。

 闇の中に置いてもはっきりと姿がわかる、異質の闇。


 その異形は仰向けの亮治の上へとゆっくり腰を落とし、ぴたりと身体をくっつけてくる。

 黒色の細い両腕を脇の下に通し、身体を抱きしめてくる。

 小さな鼻で匂いを嗅いでくる。

 濡れた舌を耳に入れてくる。

 冷たい指をシャツの隙間から滑りこませてくる。

 鋭い歯で首筋に噛み付いてくる。


 ――ああ、こいつは、俺を食おうとしているんだな。

 薄れゆく意識と痛みの中で亮治は直感した。


 頭上にホタル色の光がいくつも浮かんでいるのが見える。

 幻覚か、はたまた死ぬ間際に見る情景か。



 どれくらいの時間が経っただろう。

 いつの間にか寒さや痛みは消えていた。

 うさぎ耳の異形は未だ身体中を嬲り、貪り、捕食行為を続けていたがもはやどうでも良かった。



 なにしろ、亮治はこれまでにない温かな心地良さを感じていたのだから。




   * * *




 黄昏時。茜色の光が優しく差し込む病室のベッドで、亮治は目を覚ました。


 ゆっくりと身体を起こす。


 どれくらい眠っていたのだろうか? あれから自分はどうなったのだろうか?

 寝起きで(もや)がかかっている脳にムチを入れ、亮治は思考を開始する。



 あの後、混濁する意識の中で亮治がかろうじて見たのはあの男を倒すミラの姿。

 耳鳴りのように聞こえてきたのは叫ぶようにこちらに呼びかけるルートの声と泣きじゃくるレイヤの声。

 そこでプッツリと記憶は途切れており、どういう経緯でここに寝かせられているのかはわからない。


 ただひとつ、こうして生きて病室のベッドで目を覚ましたということは死んではないのだろう。

 どこの病院の何階の何号室なのかはわからないが、少なくとも天国でも地獄でもない。

 そのことに亮治はひとまず安堵した。



「あら、ようやくお目覚め?」


 よく通る声が聴こえ、ベッドを囲っていた仕切り用カーテンがためらいなく開けられる。


「犬塚……ここは?」


「トゥエルブ近くにある病院よ」


 カーテンの向こう側に立っていたのは、亮治と同じく病院着に身を包んだ犬塚英理子だった。


「無事で良かったわね。お互いに」


 言葉どおり犬塚の身体に外傷はなく、二本の足でしっかり立っていた。

 クセのある長い黒髪も、少女らしいウェストも、両の腕も病院着の下からでも主張する豊満な胸部も健在である。


 亮治も撃たれた頬と腹を確認するも、そこには痛みどころか包帯一つ巻かれていなかった。

 かすっただけの頬ならまだしも、腹部は間違いなく直撃していたはず。


「どうなってんだ一体?」


 まるで撃たれたのが夢だったような錯覚を覚える。


「あの秘書のおチビよ」


 ややクセのある長い黒髪を軽く手で梳き、犬塚はあの場にいなかった少女の名前を口にする。


「ユティーが? どういうことだよ?」


「私が目覚めたのは今朝。アンタより早く起きた分、話を聞く時間があったの」


 亮治のベッドのそばに三脚椅子を置き、犬塚はそこに腰掛ける。


 聞く話によるとマルス・プミラの少女たちは四人全員、昨晩ここに泊まったらしく、犬塚英理子が目覚めた時にもいたという。

 自分が置かれている状況や事情が飲み込めない犬塚に、彼女たちはこの病室に至るまでの経緯を説明したのだ。


「教えてあげるわ。あの後、私とアンタの身に何があったのか」


 ゆっくり一息つくと、犬塚は語り始めた。




   * * *




 犬塚英理子、工藤亮治が凶弾に倒れたあの後。


 悪漢を再度叩きのめしたアーミラ・カスペルスキーはすぐさま運搬担当の少女に向け叫んだ。



「ルートッ!! 今すぐユティーをここに連れて来てッ!!!!」



 鬼気迫るミラの声を受け、ルートは返事をすることも忘れ定食屋花月へと飛ぶ。

 店内は相変わらず個性的な衣装の愛らしいウェイトレスとお客で賑わっており、目的の人物、ユティー・リティーもいつもと同じくレジ前にいた。


 帰還したルートを見てユティーの心臓は大きく跳ね上がった。

 いつも強気な彼女の顔が真っ青で、声も震えていたからである。


「ユティー、今すぐ一緒に来てくれ! お前の“力”を貸して欲しい!!」


 案の定ユティーの嫌な予感は的中していた。

 話を聞くとすぐさま近くのウェイトレスに一言だけ告げ、動揺で固まる足を奮い立たせルートに同行する。


 顔こそ強張っている程度だったが、雇い主の危機を知りユティーは内心泣きそうになっていた。


 無茶はしないって言ったのに。

 四人揃って帰ってくるって言ったのに。

 うそつき。うそつき。うそつき。


 そんな思いがユティーの胸の中でズキズキと渦巻いた。


 リンクによって再び廃ビルに戻った二人を待ち受けていたのは凄惨な光景だった。

 特に、初めて訪れたユティーにとっては目眩がするほどに。


 血まみれで倒れている亮治と犬塚。

 自身も負傷しているにも関わらず二人の出血をどうにか抑えようと苦心しているミラ。

 そのミラの側で涙を流し嗚咽を漏らしながら見守るレイヤ。


「ミラ! レイヤ!」


 “手遅れかもしれない”“間に合うだろうか”などという弱気な考えを思いっきり蹴飛ばし、ユティーは二つのおさげを揺らし走りだす。


「代わります!」


「ユティー! ……ごめん、お願い!」


 すぐさま倒れる二人の元へと駆け寄ったユティーがミラに声をかける。

 ミラはユティーの到着に一瞬だけ安堵した表情を見せた後、ひどく申し訳なさそうな顔を見せ一歩退く。


「りょーじ…えりこ……ひっく……ユティー、おねがいだよぉ……うぅっ……」


「……大丈夫だレイヤ。だから黙ってみてろ」


 泣きじゃくるレイヤを落ち着かせるようルートが抱きしめる。


(落ち着け……落ちついてまずは問題点を洗い出し、優先順位を決めて効率よく的確に……)


 怪我人は複数いる。

 ユティーは真っ先に負傷箇所と損傷具合を確認し、真っ白になりそうな頭を必死に回転させ事態の解決を図る。

 ミラも脇腹を撃たれ出血しているが、キュリティ種ということと彼女自身の特殊体質から大事には至らないだろう。

 問題はただの人間である工藤亮治と犬塚英理子だ。


「ユティー。先に撃たれたのは犬塚英理子で次が亮治くん。被弾箇所はそれぞれ肩とお腹よ」


「はい、先に社長から治療します。ミラは側でサポートを、ルートとレイヤは部屋から外に出て見張りをお願いします」


 飛ばされた指示にうなずき、三人はそれぞれの役割に向かい動き出す。

 事態を一刻を争う事態。皆の祈りがユティーの小さな体へと託される。



(社長……私たちの力不足が原因で、苦しい思いをさせてしまって申し訳ありません……)


 スーッと息を吸い込み、自身の昂ぶりを抑えこむようにユティーは瞳を閉じる。


(あなたは私が絶対に救ってみせます。それがあなたに雇われた者としての責任であり、あなたを慕う者としての意地です)


 ユティー周辺の空間が鈍く歪曲する。

 黒く、邪悪なモノが這い出てくるような感覚に、隣にいるミラもきつく唇を結んだ。


(大丈夫です。安心してください。社長には言ってませんでしたが、実は私には知識・管理の役割の他にもうひとつ、得意なことがあるんです)


 未だ血があふれだす傷口に当てられるユティーの手。

 赤と褐色が触れ合うその隙間から、ホタル色のまばゆい光が湧き出るように広がっていく。




『社長、シード・ライヴには四つの種族が存在しています。テムシス種、ターネット種、メディアン種、キュリティ種の四つです』


『まずはテムシス種。基本的に知識や管理、計算の能力に特化した種族です。政治家や教育者はほとんどこの種族ですね。また、医療能力にも長けているので医者や看護婦もほぼこのテムシス種の人間が担当しています』


『……ユティーはテムシス種とILS種のハーフだよ。あの肌の色はそのせいさ』




 あの夜、ユティーが語った話に嘘はなかったが、すべてを語ったわけでもなかった。

 彼女には自分にILS種の血が流れているという事実以外にもうひとつ、雇い主には伏せていることがあったのだ。



 それは、医療能力に長けているテムシス種の血も流れているため、超常的な治癒能力が使えるということ。



(でも、なんの理由もなく黙っていたわけではありません。使うべきではないんです、私のこの“力”は)



 ただし――治癒能力という生死を左右する“力”は消耗が激しく、己のすべてのエネルギーを行使しなければならない。


 すなわち、全身全霊をかけた全力全開の力。


 ユティーとってはテムシス種だけでなく、ILS種の部分も含めた全体の力。



(事実、シード・ライヴでは私に治療をさせようとする人はいませんでした。だってこの力を使う時の私は、ひどく、醜い、バケモノだから)



 ユティーの瞳がつり上がり、巨大化し、血だまりのように紅く染まる。

 ユティーの褐色肌がより暗い、暗い色へと変色をはじめ、やがて真っ暗になる。

 ユティーの指の爪が鋭いく伸びる。

 ユティーの頭からウサギのような耳が生える。



(私がこの“力”を使うところを、あなたに見られなくて良かった)



 ユティーがその姿を異形へと変えていく度に、亮治へと流れこむホタル色の光が強く、大きくなる。



(――――あなたに嫌われるのは、こわいから)




 そしてユティー・リティーは、完全に己を開放させた。




   * * *




「―――それで?」


 どこか寂寥(せきりょう)感の漂う茜色の病室で聞かされた事実に、亮治は息を呑んだ。


「アンタと私を安全ラインまで治したおチビ達は警察が到着する前に脱出。その後、この病院に運んで残りの治療を済ませたらしいわ」


「荻原はどうしたんだ? ずっといたんだろ?」


「状況が状況だったからあの場に残されて、そのまま警察に連れて行かれたみたい。……どういう証言をするのかはわからないわ」


 本来なら自分が残り、被害者としてこの事件の顛末を語るはずだった。

 しかし撃たれ倒れてしまったことによりそれは叶わず、結果的に加害者しかいない現場が残される形となる。

 湧き上がる懸念を胸に、犬塚は不安げな表情を見せた。


「……ま、大丈夫だろ。あのチンピラ達と繋がりがあったのは間違いないんだし、仮に一人だけ言い逃れしようにもチンピラの証言とケータイの中身がそれを許さない。間違いなく荻原も仲間だとバレる」


「楽観的ね」


「前向きと言え。それに、あの様子じゃ犬塚グループはともかく、お前個人のことは嫌いじゃなかったと思うぞ、荻原は」


「そうかしら?」


「俺が気を使って言葉を選ぶタイプに見えるか?」


「……そっか、そうよね。ならそう受け取っておくことにするわ」


 亮治の言葉に少しだけ気が楽になったのか、犬塚は笑みを浮かべた。



「そんなことより肝心のユティー達はどうしたんだよ? 今朝まではいたんだろ?」


 先程から見当たらない少女たちの姿をベッドの上から探す。

 キョロキョロと辺りを見渡し、不思議そうに尋ねる亮治に対し犬塚は呆れたように返した。


「はぁ、ここにいるわけないでしょ。アンタ、今日がなんの日か忘れたワケ?」


「今日? 今日って……5月8日だろ?」


「ハズレ。そこにケータイあるじゃない。自分の目で確かめてみなさいよ」


 犬塚の言葉どおり、見慣れた柄の携帯電話が枕元に置かれていた。

 あの時タンクトップの男に向け思いっきり投げつけたせいか、思いっきりカバーにヒビが入っていたが、液晶は無事だった。


「ったく、なんだってんだよ一体」


 言われたとおり渋々とケータイを開き、日付を確認する。


 表示されていた日付に亮治は驚愕した。



「ご、5月9日ァ……ッ!?」



 5月9日。

 それはレイヤ救出作戦の翌日。

 ゴールデンウィークの最終日。

 そして、学生派遣実習イベントの最終日でもある日付であった。


「……つまり、なんだ。オレはほぼ丸一日眠りっぱなしだったってわけか」


「そういうこと。だからおチビ達は今あの店でラストスパートを頑張っているでしょうね。アンタの分まで」


 冗談と皮肉が入り混じった言い方で犬塚が笑う。


「うるせ。というかそれはお前も一緒だろうが。売上勝負の最終日なのに、両陣営のトップが入院のため不参加って普通なら不成立モンだろ」


「あぁ……そのことなんだけど、勝負は私の負けでいいわ」


「は? いいのかよ?」


「ええ、いいわ。アンタ達の勝ちよ」


 ゆっくりとそう告げた犬塚の表情に曇りや(かげ)りはない。

 それどころか真剣そのものだった。


「らしくねぇな。お前ってギリギリまで足掻いて『次はこうは行かないわよ!』とかめっちゃ悔しがるタイプじゃん」


「アンタがさっき言ったように、私たちが参加してないのに決着っていうのはナンセンスでしょ? それに私は恩を仇で返すほど薄情な女じゃないの。今はそういう気分にはなれないわ」


 そこまで言うと犬塚は顔を落とし、膝に乗せた両拳に力を込めた。

 音の少ない、殺風景な病室がより静まり返る。

 窓の外から差し込む夕日は徐々に弱まっており、夜の到来を告げようとしていた。


「……正直なところ、まだちょっと実感が湧かないのよ。頭が処理しきれないでいる。だってそうでしょ? 救出から傷の手当まで全部、アンタやあのおチビ達のおかげなんだし、アンタ達がいなかったら間違いなく私は死んでたんだから」


 重々しく開かれた口から飛び出したのは強気な少女の弱音であり本音だった。


 誘拐から脅迫、暴力、銃弾による負傷。そして他世界の存在、現象との接触。

 短時間で色々なことがありすぎた。

 犬塚英理子の明晰な頭脳と気丈な性格をもってしてもすぐに受け入れ、過去の出来事にすることは難しいだろう。


「つまり私が一番アンタに言いたいのは、経緯の説明や敗北宣言じゃないってことよ」


 俯いていた顔をあげ、犬塚がより真剣な表情を作る。

 この病室で再会してから一番の力がこもった瞳に、亮治もただ黙って次の言葉を待つ。


「だから、その、えーと……こういう時、なんて言えば良いのかしら……」


 が、どういうわけか犬塚は照れくさそうに顔を逸らし窓際を向き、何やらごにょごにょ言い始める。


「なんだイキナリ。言いたいことがあるならはっきり言えよ。その仕草はお前に似合わなすぎてかなりリアクションに困るんだが……」


「わかってるわようっさいわね!」


 怒りと恥ずかしさが入り混じった声で叫ぶと、犬塚はいったん深呼吸し、



「工藤、ありがと。本当に助かったわ」



 と、小さな声でつぶやいた。

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