第五章 現代における召喚魔法②
そして時間は経過し現在。
事態は悪化の一方をたどっていた。
どうしよう。
どうすれば良いのかわからない。
ただただ、ミスを犯したという事実だけが胸を抉っていく。
また自分のせいで周りの足を引っ張ってしまうのか。
そんな思いでカトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドの視界は真っ暗に、頭の中は真っ白になっていた。
「どうしよう……どうしよう……っ」
泣きそうな顔が見つめる先には一人の少女が横たわっている。
クセのある長い髪にトゥエルブ指定の制服。
胸部が大きくふくらんでいるその身体の持ち主は、紛れもなく”本物の”犬塚英理子に他ならなかった。
彼女がレイヤの前に姿を現したのは数分前のこと。
再び扉が開かれたと思えば数人の男により眠った状態の犬塚英理子が運ばれてきたのだ。
絵だけを見れば振り出しに戻った状況だが、目の前の少女は先程レイヤが眠っている間に他世界へと帰って行った時間制限つきの偽者ではなく、正真正銘、犬塚英理子本人。
つまり犬塚英理子をターゲットとした男達の目的はほぼ達成されたようなものだった。
(ダメだ……このままじゃダメだ……もう一回、あいつらが来る前に僕がどうにかしないと……っ!)
泣いている場合じゃない。
一人より二人だ。
そう思いレイヤは犬塚を起こそうと身体を揺さぶるも反応はなし。
薬による睡魔からかその眠りは深く、二つの大きな脂肪が艶かしく揺れる様を見せつけられるだけという結果に終わる。
「あらためて見てもすごいなぁこれ……なにが詰まってるんだろ……じゃなくて! ほら、エリコ起きてよ、エリコってば!」
反応なし。
その後も身体を揺さぶってみたり、頬をペチペチと叩いてみたり、興味本位で胸を揉みしだいてみたりするもやはり起きる気配はない。
「あーもー! リョージといいエリコといいどういう神経してるんだよっ!」
一向に目を覚まさないふてぶてしい眠り姫に痺れを切らし、つい叫んでしまう。
しかしそこでレイヤはようやく気付いた。
他世界シード・ライヴが、自身の生まれ故郷が誇る技術の結晶の存在に。
「……そうだ! ユビキタスコンピュータを使えば……!」
レイヤは慌てて両手をかざしそれを起動させる。
すぐさま出現した立体キーボードと立体モニタの蒼色が、薄暗い部屋によく映えた。
(とりあえずユティーに連絡を……)
立体キーボードに指を走らせチームの参謀へと連絡を試みる。
現状を、自らが置かれた状況を伝えなければ。
慣れた手付きで立体キーボードを操作しすぐさまメールソフトを立ち上げる。
が、か弱き両手はそこで止まってしまった。
「…………がっかりさせちゃうかな」
ぽつり、とつぶやく。
続いて訪れる沈黙。
本日の作戦における第二段階「PCから目的のデータを削除する」は、もはや完全に失敗したと言っても良いだろう。
実行役である自分はPCがあるミラーチェではなく、どこのどこかもわからないここにいるのだから。
一度失敗した人間に与えられた、汚名返上のチャンスだというのにこの体たらく。
ふいに落胆する雇い主の姿が頭をよぎり、心臓の鼓動が加速する。
今のレイヤにとって、それは何よりも恐れていることだった。
「どうしよう……せっかくまた、リョージに任せてもらった、の、にっ……!」
焦りと悔しさで涙が溢れだす。
やらなければ、伝えなければさらに事態を悪化させるだけということはわかっている。
わかっていても、立体キーボードを操作する小さな指は震えて動かない。
(落ちつかなきゃっ……落ちつかなきゃ……! 今、この状況を知りうるのは、どうにかできるのは僕しかいないんだ。それならやるべきことは決まってるじゃん……っ!)
涙をこらえ、深呼吸を繰り返しながら諭すよう自らに言い聞かせる。
ひとつ、またひとつとゆっくりと震える指を動かし、中空に存在する綺羅びやかなパネルを操作していく。
そんな気の遠くなるような作業がようやく送信フォームの立ち上げに差し掛かった時、レイヤの視界にあるモノが映りこんだ。
「…………あれ?」
画面上方にて出現と消失を繰り返し点滅するアイコン。
幾度と無く見てきたそれは、未読メールの存在を知らせるもの。
反射的に受信フォルダを開く。
驚くことに未読メールの数は十を超えている。
今朝、倉科真葵奈として行動を開始した時、未読など一件も無かった。
何故? わずか数時間の間に一体誰が?
決まっている。
From ユティー / Subject 社長より / date 05/08 13:51
From ルート / Subject 無題 / date 05/08 13:42
From ミラ / Subject 大丈夫? / date 05/08 13:37
From ユティー / Subject 私です。 / date 05/08 13:30
From ユティー / Subject 私です。 / date 05/08 13:22
From ルート / Subject 無題 / date 05/08 13:19
From ミラ / Subject やっほー / date 05/08 13:11
From ユティー / Subject 私です。 / date 05/08 13:02
From ルート / Subject 無題 / date 05/08 12:54
・
・
・
「……ははっ。まったくもう、仕事中なのにデバイス触りすぎだよ、みんな……っ」
立体ディスプレイに表示された一覧を目にし、レイヤは思わず切なげな笑みをこぼした。
十二時~一時といえばランチタイム真っ只中で忙しいだろうに。
こんなに何度も何度もマメに連絡を入れて、どれだけ心配してるというのだろうか。
お節介、過保護にも程がある。
しかし、どうしようもなく温かかった。
「みんな……ありがと…っ……心配かけてごめん……っ!」
仲間へと感謝と謝罪を済ませると、濡れた瞳をごしごしと袖で拭う。
潤みが消え、見開かれた両の眼にもはや迷いはなかった。
凄まじいスピードで返信用のメールが完成されていく。
伝えなければ。
自分の置かれている状況を、そしてこの危機を乗り切るためのSOSを。
(そうだ、僕は一人じゃないんだ。僕が駄目でも”マルス・プミラ”が駄目になったわけじゃない……!)
わずか数秒とかからず打ち終えたレイヤの指がEnterキーを弾く。
それと同時に中空に存在するウィンドウが音とメッセージで作業の終了を告げた。
<<メールの送信が完了しました>>
「リョージ、ユティー、ルート、ミラ……お願い、僕に力を貸して……ッ!!」
電子の手紙は飛翔を開始する。
打たれ弱い金髪の少女の想いを乗せ、仲間の元へと。
* * *
時刻は午後ニ時頃。
定食屋”花月”は大混乱状態に陥っていた。
正確には、そこにいる一人の少年と三人の少女が、だが。
「あ~~~くっそぉ~~~っ……!」
「社長、レジ前をうろつかれると邪魔です。仕事してください」
「わーってるよ! けどレイヤも犬塚も行方がわからなくなってるんだぜ!? どう考えてもおかしいだろ!?」
定位置にちょこんと立つユティーに対し亮治は声を荒げた。
無理もない。
当初の予定であればとっくに作戦は終了し、レイヤも帰還している時刻なのだ。
にもかかわらず連絡の一つすらない。
それに加え、心配したルートがミラーチェへと偵察に行けばレイヤどころか犬塚英理子本人まで行方をくらましている始末。
作戦を立てた際にある程度の変更パターンや失敗パターンは想定していたが、これはもはや理解の範疇を超えていた。
「ラインは閉じたままだしメールの返信もなし。……あまり考えたくはありませんが、何かトラブルが起きたと考えるのが自然ですね」
「冷静に言ってる場合かよっ! もう俺は探しに行くぞっ!」
「どこをどう探すつもりですか。明確なアテもないのに飛び出すなんて許可できません」
「ユティーの言うとおりだ。少しは落ち着けって。ここでお前が喚いてもなんにもならないってのはわかってんだろ? ほら、ミラもなんか言ってやれよ」
「ルート、それ私じゃなくてお店の観葉植物」
明後日の方向を向き話しているルートをミラがたしなめる。
亮治と同様、彼女達もレイヤからの連絡を待ちきれずここに集結しているのだ。
明らかな動揺が見えるルートはともかく、ユティー、ミラの両名も平静を装いつつ表情が硬い。
レイヤとの付き合いでいえば亮治より長いのだから、心配しているのはきっと彼女達のほうだろう。
「……社長もルートも落ち着いてください。レイヤの所在に関しては社に連絡入れ、調べてもらっています」
軽く目を伏せ、ユティーが口を開く。
「せめて、レイヤが一度でもユビキタスコンピュータを起動してくれればすぐにでも位置を特定できると思うんだけど……」
「CPUからの連絡がまだ無いってことは起動してないんだろ。……私達が送ったメールの返信もないしな」
ユティーが言う”社に調べてもらっている”というのは、もちろん人材派遣会社CPUのこと。
様々な世界に派遣される彼女達CPUの派遣社員は、他世界で迷子にならぬためその身に発信機を宿している。
それがユビキタスコンピュータ。
どこでも呼び出せるその超テクノロジーデバイスは起動時にCPUへと位置情報を送り、社員達が今現在、どの世界のどこにいるかを報告する。
なのでレイヤの位置も簡単にわかりそうなものなのだが、CPUへと伝わっている彼女の現在位置情報は工藤亮治の自宅になっていた。
これは、レイヤが最後にユビキタスコンピュータを使用したのが亮治の家ということを表している。
「んじゃあ結局待ってるだけしかできないんじゃ――――
<<メールの受信が完了しました>>
「!!」
亮治が言い終える前に聞き覚えのある電子音が鳴り響く。
視線が音の出処に集中すると同時にユティーがユビキタスコンピュータを呼び出した。
「レイヤからかっ!?」
すかさずユティーの後ろに回りこむ亮治とルート。少し遅れミラもそれに続く。
「ユティー、なんて書いてあるんだっ!?」
「今読みます。落ち着いてくださいルート」
「ん、これで少なくとも、レイヤの無事と位置はわかったようなものね」
「ええ。再度社に連絡を入れ、位置情報の確認を行います」
「んなことより今はメールが先だろメール!」
「わかりましたからどさくさに紛れて体を擦りつけてくるのはやめてください社長。セクハラは犯罪です」
「お前が俺にもたれ掛かって来てんだろがっ!?」
言葉どおり、張り詰めていた緊張が和らいだのか、ユティーは背を亮治に預けていた。
安心するのはまだ早い。
そんなことはわかっている。
だがそれでも、待ち望んだ相手からのメールに亮治達は表情をほころばせざるを得なかった。
「それでは開きます」
ユティーの指がパネルの上を跳ねる。
モニタに表示されている未開封のメールから飛び出すのは良い知らせか悪い知らせか。
一秒にも満たないであろうレスポンス時間に亮治は息を呑んだ。
「………………なんだこりゃ?」
開封を待ち侘びたメールの文面に間の抜けた声が漏れる。
それは予想していた内容と、モニタに映しだされた内容があまりにもかけ離れていたから出たもの。
びっしりと現在の状況やそこに至るまでの経緯が書かれていると思っていたメールには、ただ一文、亮治の見慣れぬURLが貼り付けられているだけだった。
「お、おいっ、ユティー」
「見ていればわかります」
うろたえる亮治の方を振り向かずユティーは答え、内封されていたURLへアクセスするためキーボードに指を走らせる。
指が触れる度に色を変えるパネル。
時折、耳に入ってくる電子音。
無言になったからか、ふと小さな背中が未だ密着したままだということに気付く。
そこから伝わる温かさに亮治がやや照れくさくなってきた頃、画面に変化が現れた。
<<Utiさんが入室しました>>
<Layer> あ! 待ってたよユティー!
<Uti> 良かった……。無事でなによりですレイヤ。
<Layer> うん……心配かけてごめん。
「これは……」
「ユビキタスネットワークを利用したチャットルームです。レイヤが構築した、私達四人専用の雑談場所と思っていただければ」
説明している間にも画面上にはリアルタイムでレイヤからのメッセージが紡がれていく。
ミラーチェにて睡眠薬を盛られ眠らされたこと。
どこかわからぬ暗い部屋で犬塚英理子とともに監禁されていること。
敵の詳細はわからないが、目的は犬塚英理子に関する何かだということ。
ユティーの的確な質疑とレイヤの簡潔な応答により、両者の情報交換はスムーズに行われ、数分程度で終わりを見せた。
<Layer> と、僕が置かれている状況はだいたいこんな感じ。連絡するの遅れてごめんね。支離滅裂な文になってなかった?
<Uti> いえ、十分です。位置情報の確認も終わりましたので、すぐにでも救出に向かいますね。
<Layer> ありがとう……でも気をつけて。詳しい数はわからないけど、犯人は僕が目にしただけでも三、四人。間違いなくグループによるものだよ。
<Uti> はい。ミラが「任せて」とのことです。
<Layer> うん! 頼りにしてるよっ! あ、ちょっと待って!
<Uti> ?
<Layer> 今、エリコから聞いて知ったんだけど、オギワラも僕たちと同じように監禁されているかもしれないって。
<Uti> 荻原さんが?
<Layer> うん、エリコは『オギワラと一緒にいるところを襲われて、二人して車に乗せられた』って言ってる。
<Uti> わかりました。報告、ありがとうございます。
<Layer> それじゃあ待ってるからねっ、リョージ、ユティー、ルート、ミラっ!
鈍い電子音と共に、立体モニタに映しだされていたチャットルームが閉じられる。
レイヤとの通信により明らかになった現状。
彼女は何者かの手によって囚われている。
ならばすぐにでも動き出さなければ。
ようやく浮かび上がった明確な目的を燃料に、亮治たちの頭と体にエンジンがかかる。
「社によって調べてもらったレイヤの現在位置は、同じ区内にある廃墟ビルのようです」
ユティーのユビキタスコンピュータにユティーの位置とレイヤの位置。
すなわち現在地と目的地を示すマップが表示される。
「えーと、花月がここだと俺ん家がこの辺で駅がこっちだから……一番近いのはミラーチェだっ!」
「よし、ならすぐにでも私がミラーチェまで飛ばして……!」
「待ってください」「ちょっと待って」
重なる声。
今にも”リンク”の力を使い救出へと向かおうとしたルートを制止したのはユティーとミラだった。
「五分だけ時間をください。レイヤから得た情報を使い、現状を整理しておきたいです」
「やってる場合かよ! レイヤの話によれば敵の目的は犬塚で、用のない”倉科真葵奈”はどうなるかわからねーんだぞッ!?」
「だからこそよ亮治くん。この件、不可解な点が多すぎるわ」
いきり立つ亮治をそっとミラが諭す。
本日も愛らしいメイド服に身を包んでいるこのボディーガードの少女は、参謀であるユティーと同様、今回の犬塚英理子誘拐に関して違和感を覚えていた。
「ねぇ亮治くん。なんで犬塚英理子は誘拐されたと思う?」
「なんでって……そりゃ当然、金目的だろ? アイツ社長令嬢だし」
大手企業グループの社長の娘をさらう理由など他に存在しないだろう、と亮治はあっさりと答える。
「それはないと思うわ。営利目的の誘拐なら一人でいるところを狙うもの。わざわざリスクを犯してまでターゲット以外の人間をさらう理由がないし」
今日一日で、”犬塚英理子”という少女はすでに二回もの誘拐に遭遇している。
一度目は倉科真葵奈とミラーチェ内のPCを操作している際に。
二度目はトゥエルブからの帰り道、荻原イヅルと共にいるところを。
片方は亮治達が用意した偽物なので、正確には二人の少女が一度ずつさらわれたことになるのだが、二つの誘拐には奇妙な共通点が存在した。
「何故、敵は関係のない倉科さんや荻原さんまでさらったのか。問題はそこです」
覗きこむと吸い込まれそうなほど澄んだ翡翠色をつり上げながら、ユティーは疑問点を口にした。
ミラの言うとおり、単なる営利誘拐であれば犬塚英理子が一人になるまで待ち、実行に移せば良い。
だがどういうわけか、レイヤを監禁している犯人達はそれをやらず、周囲にいた人間ごと犬塚英理子をさらうという強行手段にでている。
それも一日に二度だ。誰が聞いてもおかしいと思うだろう。
ならば導かれる解答はひとつ。
「…………急に犬塚を誘拐しなきゃいけない理由が出来た?」
ユティーの提示した論理パズルへの解答を亮治はおそるおそる声に出す。
「と、なるとその理由は相手にとって一刻を争うもので、悠長にタイミングを伺ったり計画を練っている暇はなかった……」
男勝りな口調とは裏腹にぷっくりと膨れた少女らしい口唇を開き、ルートが亮治の解答に付け加える。
「タイミングから考えて、誘拐のきっかけとなる出来事が起こったのは昨日の午後から今日の午前の間かしら」
「偶然にも私達が作戦を立案、実行した時間帯と一致しますね」
「お、おいおいちょっと待てよ。まさか誘拐の原因が昨日のハッキングだって言いたいのか?」
「断言はできません。なんの証拠もありませんし、あくまでも私の推測です。ただ……」
「ただ?」
「――――もし、この推測が当たっていれば、誘拐の首謀者、要は黒幕候補ですね。は、一気に数人にまで絞ることができます」
チラリと時計を確認し、まだ五分経っていないことを律儀に確認するとユティーは語りだす。
犬塚英理子が誘拐された理由を。
そして犯人が誰なのかを。
あくまで推測でしかない論理展開。しかし、まるっきり「ありえない」とは言い切れない。
小柄な褐色肌の少女から語られた内容に、亮治は耳を疑った。
「マジかよ……」
「正直、信じられないほどトンデモな話だが辻褄は合うな」
口唇に親指を当て、亮治の横でルートも唸る。
「今、話したのはあくまでも憶測。もしかすると、犬塚さんが誘拐された原因はまったく別のところにあるかもしれません。なので私はここに残り、これを裏付けるデータの確認を行おうと思います。全員がお店を離れるわけにもいきませんしね」
抑揚のない口調で言い終えるとユティーはミラへと視線を送る。
近くに置いてあったアナログ時計の長針はきっちり五歩、先ほどの位置から移動していた。
「ん、ならそっちはユティーに任せて、私達はレイヤ達の救出に向かいましょう。出来れば亮治くんには残って欲しいところだケド……」
おそるおそるミラが視線を斜め上へと向けると、そこにはやる気満々と言わんばかりに手をパキパキと鳴らす守銭奴の姿。
身体能力的には普通の男子高校生でしかない亮治が同行したところで危険しかないのだが、どうやら残る気はさらさら無さそうだ。
「……やっぱりきっかりどうしても着いてきちゃう?」
「やっぱりきっかりどうしても着いて行く」
あらら、やっぱりね。
雇い主からの予想どおりの返答にミラは苦笑いを浮かべる。
ボディーガードの立場からすると無理矢理にでもここで待たせるべきだろう。
しかしこの目がすわった少年にそれをやるのは困難を要することを彼女は知っていた。
「えーと……あのね、亮治くん?」
「…………行っても邪魔になるだけってのはわかってる。だけど、レイヤを倉科真葵奈に変装させたのは俺だ。そのせいでアイツは巻き込まれなくていい事件に巻き込まれちまってる。だから……その、助けてやりてーんだよ」
「亮治くん……」
説得しようと試みた矢先に呟かれた殊勝な言葉。
ますます断り辛いな、と困っていたミラに割って入ったのはルートだった。
「仕方ねーな。なら私が面倒みてやるよ」
ポニーテールにしていた長い栗色髪をほどき、ルートはミラに提案する。
「危なくなったら私が”リンク”を使ってこいつを逃がす。それでいいだろミラ?」
「ルート……う~ん……そうね。あなたがそこまで言うなら反対するわけにもいかないわ。一緒に行きましょ、亮治くん」
彼女(ルート)もわかっているのだろう。
普段はケチくさく軽薄な少年が、いかに真剣にレイヤのことを考えているのかを。そして、彼を連れて行ったほうがレイヤも喜ぶということを。
雇い主に対し今まで散々ツンケンとした態度をとってきた少女が見せた優しさに、ミラは穏やかな微笑みを浮かべた。
「本当にいいのか? 自分で言うのもなんだが、俺お前から好かれてた記憶がねーんだけど……」
思わぬところから出た助け舟に、亮治は少なからず困惑していた。
「別に好きじゃねーよ。今回はレイヤのためだから仕方なく連れて行ってやるんだ。感謝しろよ」
「……そっか。ワリィな、恩に着るぜホント」
唇を尖らせそっぽを向くルートに対し、亮治は依然としてらしくない、しおらしい返事をする。
いつもなら茶化したり反論が飛んでくる場面だがそれが来ない。
あろうことか申し訳無さそうに感謝の意を込め見つめてくる。
洗脳か人格変異でも起きてるんじゃないかと疑いたくなるほど似合わぬ雇い主の態度に、とうとう耐え切れなくなったルートが頬を紅潮させながら何か言おうとした時だった。
「あ、あの――
「亮治くん。ルートは照れてるのよ。だから”好きじゃない”なんて嘘ついてるの」
「ちなみに今のルート語をレイヤ語に翻訳すると『リョージのこと好きだから連れて行ってあげる!』になります」
あらかじめ打ち合わせしていたかのような鮮やかな連携。
否定と解説のコンビネーション。
図ったようなタイミングでミラとユティーから茶々が入り、ルートは思わず言いかけていた言葉を飲み込み顔を真っ赤にする。
「ばっ……ち、違う! 違うからな!」
「んだよ、それならそうと早く言えよ。素直じゃねーなーお前」
「違うって言ってるだろ!? 信じるなバカ! アイツら私とお前をからかってるだけだ!」
思わぬ不意打ちに平静を装うこともせず、ルートは赤面したまま亮治を見上げ、ニヤニヤと笑うユティーとミラを指さす。
「違わないでしょー」
「相違ないです。否定しながらさりげなく社長のシャツ掴んでるとこもポイント高いです」
「お~~ま~~え~~ら~~!!」
とうとう羞恥と怒りが臨界点に達したルートがユティーの襟元を掴み、真っ赤な顔で睨みつける。
ここに来てようやく歳相応な小学生同士のやり取りを見せられた亮治はやれやれ、と溜息をつき話を戻す。
「いつまでじゃれあってんだよお前ら。時間ねーんだからとっとと行くぞ」
ため息をつき、呆れつつも亮治は口元を笑わせていた。
「まったく、この状況だというのに緊張感のカケラもありませんね」
「ねー」
「誰のせいだ誰の!?」
未だおさまらぬ頬の紅潮に少し泣きそうになりながらルートはユティーに詰めよるも、ぷいっと視線を逸らされる。
「ありがとルート。おかげでみんな緊張がほぐれたわ。変に気負ってたら失敗しちゃうかもしれないしね」
「ほ・ぐ・れ・て・な・い。ったく、私の心臓はまだバクバクいってるぞ……」
「それは緊張から来てるものじゃないからダイジョーブ」
やはり納得行かないように口を尖らせ不機嫌そうな顔をするルートの頭を、ミラは嬉しそうに撫でた。
「では三人とも、そろそろ出発してください。”四人”揃ってのお帰りをお待ちしております」
まるで夫を戦地へと送り出す新妻のように、礼儀正しくユティーがおじぎをする。
「わーってるよ。レイヤと犬塚を助けたらとっとと帰ってくるさ」
「社長はくれぐれも無茶をなさらぬよう。いいですね?」
「へいへい」
「返事は『はい』です」
「だぁーもー! わかってるってーのっ!」
「社長」
「……はい」
「まったく、世話を焼かせないでください」
若干心配気な表情を見せるユティーに対し、亮治は面倒くさそうに手を上げ答えた。
やがて”リンク”の設置地点である休憩室へと消えていく三人。
それを見送り、ひとり残されたユティーも自らの役割を果たすために店長室へと向かう。
(本音を言えば社長を同行させるのは反対でしたが、ミラとルートがいれば大丈夫でしょう)
(そう……きっと大丈夫…………)
「………………………」
心の中でそう呟くも、考えれば考えるほど胸騒ぎは強まっていく。
言いようのない不安感。
自分らしくもない。
弄ばれているかのような強弱で胸が締め付けられる感触に、ユティーはきゅっと身体を縮こまらせた。
「……心配しているわけではありません。こちらの世界にミラと対等に戦える人物などいないでしょうし、いざとなればルートの”リンク”もあります。……でも、念のため保険をかけておくとしましょう。人事を尽くすのが私の役目ですし、”約束”もありますしね」
律儀に言い訳がましい、理由付きの断りを入れる。
誰かが聞いているわけでもない。十二歳の少女による、ただのいじらしいひとりごと。
雇い主の身を案じる想いから、ユティーは来た道を引き返すのだった。




