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第四章 消える者、現れる者⑤



「はい、わかりました。伝えておきます。こちらも特に異常ありませんので、後はルートに任せてください」


 丁寧に受け答え、ユティーがレジ側に設置してある固定電話機の受話器を戻す。

 ランチタイム真っ只中の喫茶店”花月”では彼女と亮治、そしてミラの三人と、CPUから派遣されてきたメカクレ少女達がお客の対応に追われていた。

 金髪の少女の姿は変わらず無く、普段はキッチンで店長の補佐を務める小生意気な栗色髪の少女までその姿を消している。


「ユティー、誰からだ?」


「橘さんからです。たった今、犬塚さんが生徒会室の中へと入った、と」


「そっか。これで作戦の第一段階はほぼ成功したようなもんだな」


 作戦の進行がひとまずの良好状態を迎えていることに亮治は頬をほころばせた。


 昨晩考案された打開策は二つの段階に分けられ、実行が決定された。

 おおまかに分けると第一段階がデータを奪い返す作業に入るまでの作業で、第二段階が実際にデータを奪い返す作業である。

 橘拓郎に与えられた役割はその第一段階において必要なもので、ひとつは犬塚英理子の足を止めること、そしてもうひとつは生徒会というつながりを利用し、犬塚英理子をトゥエルブへ呼びつけるよう倉科真葵奈へ依頼することだった。

 そのため亮治達にとって重要なのは犬塚英理子が生徒会室へと足を踏み入れたという部分であって、彼女がその中で何をするのかに関してはまったく気に留めていない。

 ましてや自分達を窮地に追いやっている宿敵が、今頃は人生初のポールダンスに挑戦しているなど思いもしないだろう。



「……問題は第二段階ですね」


 ユティーがやや表情を引き締めつぶやく。


「ああ。けど”アイツ”ならきっとやってくれるさ。お前だってそう思ってるんだろ?」


「もちろんです」


 目を合わせ、力強く頷く。

 そこに”アイツ”と呼ばれる人物への疑いは微塵も存在していない。


 だが二人は知らなかった。

 作戦の第二段階において、すでにトラブルが発生しているということを。

 自分達が信頼を置いているその人物は今現在、夢の中にいるということを。




  * * *




 少女は夢を見ていた。

 過去の情景。

 今よりほんの少しだけ背が低く、ほんの少しだけ幼かったころの出来事。


『いいですか――――、あなたもこの家に生まれたからにはそれ相応の能力と振る舞いを身につけ、家名に恥じない人間にならなければいけませんよ』


『はい、お母様』


 少女は名家の生まれだった。

 古くからその名が知られる由緒正しき家系。

 その家の三女として生を受けた少女は、彼女の姉達がそうだったように、幼い頃から様々な教養を高めるため厳しく躾けられた。

 学力、魅力、運動力、そして最も重要視される技術力。

 普通の家庭に生まれた子と比べると、少女が自由に過ごせる時間は少なかった。

 とはいっても度が過ぎたスパルタというわけでもなく、適度に飴と鞭が使い分けられた教育。

 少女自身も母や家庭教師の教えは苦にならなかったし、二人の姉とも仲が良かった。


 しかしそうやって周囲の人間が優しかったからこそか、少女は成長するにつれ自身の弱さを痛いほど味わうことになる。




『ごめんなさいお姉様……わたしのせいで……っ』


『ううん、あなたのせいじゃないわ。単純に相手がより優秀だっただけよ。それに、準優勝だって十分立派な成績でしょ?』


『で、でもわたしがあんなところでミスしなければ……』


 少女が十歳の頃、二番目の姉とともに出場したとある発表会。

 練習では特に問題なかったのだが、少女は本番でつまらないミスを犯してしまった。

 それが直接の原因かはわからないが結果は準優勝。

 自分が優秀な姉の足を引っ張ってしまった、姉一人だったら優勝していた、と少女はひどく悔やんだ。

 こういう場面は一度や二度ではない。

 優秀すぎる姉の存在が原因か、名高い家名が原因か、少女は必要以上にプレッシャーを感じ、本番になるといつも失敗してしまう。

 普段の明るく元気な振る舞いとは裏腹に、少女の精神は繊細で、とても脆かった。



『――――、あなたはもっと自分に自信を持つことね。あなたはあなたなんだから、変に私や姉さんと自分を比べなくても良いのよ?』


『ええ、年も少し離れているんだし、あなたはまだまだこれからよ。それも私達よりずっと大きな才能を秘めている。ただ少し花が開くのが遅れているだけ』


『お姉様……』


『ほら、涙を拭いて』


『いつものように笑ってみなさい、――――』


 失敗する度に少女はひどく落ち込んだ。

 周りが優しく温かければ温かいほど、少女は自身の不甲斐なさに悔し涙を流した。

 次は失敗しないようにもっと努力しよう。

 もっと色々なことに挑戦して、強い人間になろう。

 姉達の言うとおり、時間が経つにつれ少女が涙を流す回数は減り、少女にも自信というものが芽生え始める。

 心身の成長。

 肩ほどまでだった髪は腰に到達するまでの美しい長髪へと変わり、平だった胸も少しだけふくらみ始めた頃、少女はひとつの決心をする。


 自分の力を試すため、さらに自分を高めるため、困っている人を助ける仕事をやってみようと。




  * * *




「う……ぅう、ん……」


 瞳を開く。

 ぼんやりとした意識が段々と正常な動作を取り戻していく。

 甘く苦い夢の世界から倉科真葵奈は帰還した。


「ここは…………」


 クリアになった視界で辺りを見回す。

 そこは見知らぬ場所であった。

 薄暗く、冷たく、窓もついていない六畳ほどの密室。

 倉庫だろうか。

 そう思うも周りにはダンボールひとつ存在しておらず、密室内には彼女一人。

 眠りにつく前まで一緒にいた胸の大きな従姉妹の姿はどこにも見当たらなかった。


「あ……そうか、エリコは……」



「!」


 足音。

 何者かがこの部屋へと近づいてくる。

 真葵奈は思い出したかのように小さな我が身を確認した。

 やや埃で汚れているも真紅のゴシックドレスに乱れはなく、身体中を見回しても特に違和感を覚える部分はない。

 ひとまず安心する。

 だがここへは何者かに眠らされ連れて来られているのだ。

 その事実だけで、これからやってくる人物が真葵奈に対して(よこしま)な感情を持ってることは明らかだった。


「………………」


 きっちりと扉の前で止まる足音。

 自分の身に何が起こっているのか。

 相手の目的はなんなのか。

 何もわからぬ真葵奈は顔を強張らせ扉が開くのを待った。




「おっ、ようやく目覚めたみてぇだな」


 現れたのはある意味想像どおりの風貌をした男だった。

 黒の短髪に日焼けした肌、上は黒のタンクトップに下は年季の入ったジーンズ。

 太い二の腕には刺青が彫られており、耳には無数のピアスをつけた悪人面。

 わかってはいたが、真葵奈はあらためて自分が危機的な状況におかれているということを再確認する。

 だがそれでも、怯えたりうろたえたりはしなかった。


「……やれやれ、こんなことをしてタダで済むと思っているのかい。いかなる場合においても、拉致監禁は立派な犯罪だよ」


「んなこたぁ百も承知でやってんだよ。俺達は明確な目的があってお前ら二人をさらったんだ、か、ら……!?」


 言い終える直前で男は言葉をつまらせると、驚きながら薄暗い部屋の中へと目を凝らす。

 左隅、右隅、天井。

 二度三度念入りに部屋の中を見回し、そこに地味色な床に映える真紅のドレス姿の少女しかいないことを確認すると、男は細い瞳を吊り上がらせた。


「……おい、もう一人の女はどこへ行った」


 明らかに怒気が含まれた声。

 先程までの穏やかな表情は完全に消え失せており、男は脅すように真っ直ぐ真葵奈を睨みつけてくる。


「もう一人、というと?」


「とぼけんな。お前が一緒にいた犬塚とかいう乳のでかい女のことだよ」


「……知らないね。悪いけど私はたった今、目が覚めたばかりなんだ。こっちが知りたいくらいだよ」


 それは嘘だった。

 飄々と答える少女は男が探している人物の行方も、何故彼女がこの密室から消えたのかもわかっていた。

 だがそれを言うわけにはいかない。

 言えない理由がある。

 自分の倍は大きい体をした男に混じりっけなしの敵意をぶつけられ、瞳を背けそうになりながらも倉科真葵奈は偽りの言葉を紡ぐ。



「そもそもこの部屋には外から鍵がかけられていて、その鍵は今あなたの手によって開けられた。となると魔法でも使わないと出られないんじゃないかな?」


「じゃあなにか、お前のお友達は魔法が使えたってのか?」


「ふふっ、かもしれないね」


 臆することなく微笑を浮かべ、真葵奈は答える。

 その態度が不味かった。



「あー……あんまり手荒に扱うなとは言われてるんだが、こりゃしょうがねぇか」


「なっ…きゃっ……!」


 部屋の冷たい床に腰を落としていた真葵奈の身体が強引に持ちあげられ、宙に浮く。

 男が胸ぐらを掴み、強引に自分の方へと引き寄せたのだ。

 屈強な大人の力に軽い真葵奈の身体は簡単に操られてしまう。


「いいか。ぶっちゃけると俺達の本命はあの犬塚っていうガキで、お前に関しちゃ割りとどうでも良いんだよ。簡単に言えば、この場でお前を殺しちまっても俺達の目的は達成できる。わかるな?」


 低く、ドスの利いた声に真葵奈は凍りついた。

 男の目は本気だった。

 下手な受け答えをすれば殺されてしまう。

 まるで心臓を鷲掴みにされているような感覚。

 それまで努めて冷静な態度をとっていた倉科真葵奈という少女のメッキが、恐怖という感情によって剥ぎ取られていく。


「返事はどうした」


「ひっ……は、はい、ごめんなさい……っ!」


「ならもう一度聞く。女はどこだ」


「し、知りま、せん……っ……ほ、本当に知らないんです……っ」


「…………そうか。悪かったな、脅すような真似して」


 男の腕から力が抜け、紅いバンプスを履いた小さな足がストンと床へと下ろされる。

 真葵奈はそのまま力無くへたり込んでしまった。


「チッ……扉に鍵はかかっていたし、この部屋にゃ窓どころか通気口すらないってのにどこに消えやがったんだ……」


 吐き捨てるように独り言をつぶやくと、男は真葵奈を残し再び扉へと錠をかけた。

 薄暗い密室の中に静寂が取り戻される。

 途端、真葵奈の身体に震えが走った。


「ど、どうしよう……怖い……怖いよ……っ」


 真紅のゴシックドレスは埃っぽい部屋のせいで薄汚れ、可愛らしいツインテールは震える身体とともに恐怖で揺れる。

 部屋の隅で身体を縮こまらせ、二つの大きな瞳に涙を浮かべるその姿にもはや普段の余裕は欠片も残っていない。

 今ここにいるのは、己が身に降り注ぐ脅威に怯える無力な少女でしかなかった。




「僕……どうしたらいいの、リョージ……」




 倉科真葵奈――――


 ――――に扮したカトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドはすがるように雇い主の名前を呼んだ。




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