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第四章 消える者、現れる者④



「橘拓郎ォ…ッ!」


「相変わらずだなお前。そうやっておおっぴらに敵意を向けられると傷つくんだが」


「黙れッッ!!!」


 人気の少ない祝日午前の学園。

 その校門にて睨み合うのは橘拓郎と犬塚英理子。

 やや小高くなっている校舎側から拓郎が、校門をくぐってすぐの位置にいる犬塚を見下ろす形。

 見上げる犬塚の瞳は今にも飛びかかりそうなほど吊り上げられ、冷たくギラついていた。


「今更アンタが私になんの用だっていうの? 返答次第じゃ張り倒すわよ」


 思わずたじろいでしまいそうな威圧感を与えながら犬塚は一歩、また一歩と拓郎へと、その後ろにある校舎へと近づいていく。

 下手な答え方をすると彼女は本当に拓郎の身体を地につけるだろう。

 男女の違いなど関係ない。

 やると言ったらやる。

 犬塚英理子とはそんな少女だ。


「確かに今まで意図的に避けてたのは悪かったさ。だからこれまでの侘びも兼ねて、お前のからのリベンジを受け付けようと思ってな」


「はぁ? それこそどういう風の吹き回しよ?」


「別に。ただのきまぐれだ。それよりもやるのか? やらないのか?」


 思いもよらぬ拓郎の問いかけに犬塚は足を止め考えこんでしまった。



 無理もない。

 目の前にいる男は、彼女にはじめて土をつけた”同い年”の男なのだから。



「さて、どうする犬塚」


「こんのォ……腐れ橘ァ…………ッ!」


 あくまで余裕を崩さない拓郎の姿勢に犬塚は舌打ちし、怒りを募らせる。


 橘拓郎が工藤亮治に向け、犬塚英理子には注意するよう言い聞かせた理由。

 工藤亮治が必要以上に犬塚英理子に目をつけられた理由。

 二つの疑問を結びつけ、説明するのは簡単なこと。

 橘拓郎と犬塚英理子。

 この二人の間にも浅からぬ因縁が存在するからだ。


 亮治がそれについて知ったのは、昨日の深夜の出来事であった。




   * * *




 辺りはすっかり夜の静けさに包まれ、テレビをつけても砂嵐か例のカラフルな画面ばかりになる時間。

 亮治は携帯電話を手にとり、長年の付き合いである悪友へと電話をかけていた。


「……ってのが明日、俺達が犬塚相手にやろうとしていることなんだが、なにか質問あるか?」


「えーと、んじゃ言わせてもらうが、この時間帯に電話してくるのはちょっと非常識だと思わないのかお前は」


 自室のアナログ時計の短針は「4」をさしていた。

 一般的に多くの人間は眠っている時間帯である。


「お前相手に今更んなこと思うか」

「ちょっとくらいは思えよ。四時だぞ四時」

「というかお前だってこの間、よくわからん理由で寝てる俺を叩き起こしただろ。深夜三時に」

「よくわからん理由とはなんだよくわからん理由とは。俺が今やってるMMORPGで初心者でしか入手できない限定アイテムがだな」


 普段どおりといった風に軽口を叩き合う。

 親しき中にも礼儀ありとはよくいったものだが、この程度のことで遠慮する仲ではない。

 というよりも、亮治にはわかっていたのだ。

 今がゴールデンウィーク中であることから、アイツは絶対に起きている、と。



「――ま、冗談はさておき話は大体わかったよ。お前が俺にやって欲しいこともな」


「頼まれてくれるか?」


 ハッキング騒動でばたばたした一日であったが、マルス・プミラの少女達もようやく眠りにつき、部屋には亮治一人しかいない。

 ルートとミラ、そしてユティーと共にこの時間まで練った作戦も、この悪友なしでは成功しないだろう。

 亮治は拓郎の返答を待った。


「昔馴染みの悪友の頼みだ。断るわけないだろ。それに、犬塚がお前に噛み付いてきた件は俺にも原因があるからな」


「んぁ?」


 思わず素っ頓狂な返事をしてしまう。

 犬塚英理子に喧嘩を売られた原因。

 それは本人も言っていたとおり、実習参加者の中で目立ちすぎた結果、彼女の競争相手となりうると見定められたからではないのか。

 疑問符を浮かべる亮治に対し、拓郎は話を続けていく。


「亮治。一年の頃、俺が何科だったか覚えてるか?」

「何科って……確か電脳科だろ? 二年になってから俺と同じ商業科にきたよな」

「ああ。そして犬塚も一年の時は電脳科だった」

「なっ……」


 私立ヴァルフォード学園。通称”トゥエルブ”。

 普通科がないことで知られるこの学園には商業科、芸能科、電脳科、体育科の四つが存在する。

 生徒たちは本来普通科で行う一般教養に加え、一年ごとに選択する各学科の専門授業を受け力をつけていくのだ。

 総合成績は一般教養を中心とした全学科共通の筆記テストと、学科別で行われる実技テストから算出される。

 2-A、犬塚英理子。

 レイヤをも上回るコンピュータ関連の能力を有していることを考慮すると、間違いなく彼女の本来の専攻分野は電脳科だろう。

 なのに今現在、彼女が商業科に属し、そこで変わらず学年首位の成績を誇っている理由となれば――――



「一年の二学期。たまたま調子が良かったせいか、俺は期末テストの総合成績で犬塚に勝っちゃったんだよ。そしたらアイツ、それ以降ことあるごとに俺につっかかってくるようになってさ」


「やっぱりそういう流れかよ畜生めが!」


 嫌な予感が的中し亮治がボヤく。

 今回の学生派遣実習イベントにて自分が目をつけられるよりもずっと前から、橘拓郎は犬塚英理子にロックオンされていたのだ。

 ゴールデンウィーク前、拓郎から言われた「犬塚には気をつけろ」という言葉の真意をようやく理解する。


「……つまりなんだ、犬塚が無駄に俺につっかかってきたのは全部お前絡みの八つ当たりか」

「アイツからのリベンジマッチを全部断ってきたからな。俺に対するフラストレーションは溜まりまくってると思う」

「? というかなんで断るんだよ。一回受けてやりゃ済む話じゃねーか」

「受けて、もし負けたら、アイツが俺に対する興味を失くしてしまうだろ?」



 一瞬の沈黙。



「お前ひょっとして……」


「――――ああ。あのわがままで、喧嘩っ早くて、向上心と自己顕示欲の塊のような奴のことが好きなんだよ。俺は」




  * * *




 気付けば犬塚英理子と橘拓郎の距離はわずか数歩というまでに縮まっていた。

 踏み込み、拳を突き出せば楽に届く距離。

 そんな場所から想い人の姿を眺め、拓郎はあらためて彼女に惹かれていくのを感じた。

 生まれながらのツリ目、長く美しいまつ毛、小生意気な口唇、粗暴な態度に不釣合いな少女らしい華奢な身体。

 容姿もさることながら、なによりも拓郎の心を鷲掴みにしたのは彼女の飽くなき自己練磨心だった。


 生まれつき器用な人間だった拓郎は努力らしい努力というものをしたことがない。

 勉強も運動も人間関係もそつなくこなし、大きな成功こそないが失敗や挫折とも無縁な人生。

 しかしそのせいか、何か一つのことに熱中したことがなく、勝ち負けに対してひどく無関心な人間に育ってしまった。


 そんな彼が自分とは対照的な、己を磨き顕示することが生きがいのような少女に惹かれるのは時間の問題だった。

 人という生物は、自分が持っていないものを持っている人物に対し、どうしようもなく魅力を感じてしまう傾向にある。

 そのため犬塚英理子に対し、橘拓郎の中で最初に芽生えた感情は”尊敬”だった。

 それが”憧れ”へと変化し、やがて”恋慕”に発展し今に至る。



「……いいわ。受けてあげる」


 数秒の思考の後、犬塚は静かに口唇を動かした。


「わかった。それじゃあ詳細な日取りや内容について話し合いを……うおっ!?」


「ただし、先にあの馬鹿工藤に勝ってからよ。アンタへのリベンジはその後」


 雪辱戦の決定に拓郎が言葉を返そうとした瞬間、思いっきり胸ぐらを掴まれる。

 男女の差があるため拓郎のほうが頭ひとつ分身体は大きいが、下から睨みつけてくる少女の手に込められた力は強かった。


「ああ、構わないよ。もう逃げないからお前の好きな時に向かってきてくれ」


「ふんっ。なんか勘違いしているかもしれないけど、一回くらいで済むと思わないことね」


「え?」


 犬塚の口から飛び出した思いもよらぬ言葉に拓郎が聞き返す。

 そもそも彼がリベンジマッチをことごとく断っていたのは、受ければ自分が敗け、敗ければ彼女が自分に向かってくる理由が失われるからである。

 彼女との唯一の接点や、言葉を交わす機会の喪失。

 拓郎はそれを恐れていた。


「え、じゃないわよ。一回勝っただけじゃまだ1-1の引き分けにしかならないじゃない。最低でも二回は叩き潰させてもらうわ」


「…………そうだな。確かにお前の言うとおりだ」


 思わず笑みがこぼれ出る。

 少年、橘拓郎が一年の頃から抱えていた懸念はたった今、たった一言で簡単に吹き飛ばされてしまった。

 一やられれば十返す。

 自分が満足いくまでは終わりなどない。

 犬塚英理子とはそういう少女だった。



「何いきなり笑ってんのよ気持ち悪いわね」


 拓郎が嬉しそうに口元を緩めていることに気付くと、犬塚は胸ぐらを掴んでいた手をパッと離す。


「なんでもないよ。そんなことより行かなくて良いのか? 倉科会長が生徒会室で待ってるぞ」


「アンタが呼び止めたんでしょアンタが!? ったく、ホントあったまくる奴ね」


「頑張れよ、ポールダンス」


「っっっっっ!!?」


 当初の目的を思い出し、校舎内へと向かっていた犬塚の後ろ姿がピタリと止まる。

 一瞬の間を置き、声の主へと振り返った顔は朱に染まっていた。


「ななな、な、なんで知ってんのよォっ!?」


 動揺と羞恥に満ちた表情で犬塚が叫ぶ。

 そこにもう先程までの鋭さやギラつきはなく、内緒にしていたハズの恋人の存在が親にバレたかのようなバツの悪さがあふれ出ていた。


「俺も生徒会の一員だからな。とある理由からお前が会長に会いに来ることは知ってたし、あんなに目立つポールが生徒会室に置かれていればおのずと察しはつ


「いい!? 誰かに話したら殺すわよッ!?」


 説明の途中で再び胸ぐらを掴まれ締め上げられる。

 余裕の欠片もない表情で同級生を脅す少女の瞳は本気だった。

 仮にここで工藤亮治に電話連絡でもしようものなら、携帯を取り出したその瞬間に破壊されてしまうだろう。



「わかってるよ。……けど、その、なんだ、ほどほどにな」


「? なにがよ?」


「……いや、だってその、ポールダンスってそういうもんだろ? 趣味だからとはいえ過激すぎるのは……」


「別に好き好んでやりに行くわけじゃないわよっっっ!!!!!」


 完全に顔を真っ赤にし、犬塚英理子は怒鳴り散らした。

 近隣住民や校舎内の生徒にも聞こえていそうなほどの咆哮。

 ポールダンスにも拓郎がいう官能的な、性的な動きで観客を湧かせるものと、純粋に演技やテクニックで観客を湧かせるものが存在するのだが、反応を見る限りこれから犬塚が行わなければならないのは前者なのだろう。

 その動きが未熟でも達者でも面白い。

 いかにも意地が悪い倉科真葵奈が思いつきそうな要求である。

 今頃彼女は生徒会室の会長席にて、胸の大きい従姉妹がやってくるのをにやにやしながら待っているに違いない。

 工藤亮治に勝利するための代償とはいえ、犬塚英理子にしてみれば高くついてしまったものだ。


「あー!もういいわよ! 自分で呑んだ条件だしさっさと終わらせてやるわよ!」


「さすが往生際が良いな」


「繰り返すけど、このことを誰かに話したり、ましてやアンタ自身が覗いたりしたらその瞬間に命はないものと思いなさい」


 するりと力が弱まり、胸ぐらをきつく掴んでいた手がほどける。

 その後、拓郎と別れた犬塚は人生初のポールダンスに挑むため校舎内へと姿を消すのであった。




  * * *




 橘拓郎と犬塚英理子がトゥエルブにて対峙しているのちょうどその頃。

 犬塚英理子と倉科真葵奈はミラーチェの事務室にてノートPCを立ち上げ、そこに表示されている画面と格闘していた。


「ふむ……珍しく英理子がこの手の分野で私に協力を求めてくるからどういうことかと思えば、これは確かに厄介だね」


 事務室内に置かれた簡素なデスクチェアーにちょこんと腰かけながら、倉科真葵奈は口を開いた。

 辺りには机、書類棚、ホワイトボードにダンボール。

 広さはともかく、ぱっと見の雰囲気は花月の店長室と大差ない。

 そんな職場空間において彼女のゴシックドレスとツインテールはひどく不似合いだった。


「どうにかデータを入手したのはいいけど、憎たらしいことにアクセスするにはそこを抜けなきゃならないのよ」


 カタカタとノートPCのキーボードを操作する倉科真葵奈の隣に座り、長く美しい足を組む犬塚英理子。

 二人がこの事務室へと入りもう二十分ほどが経過するも、特にこれといった進展はない。

 学生派遣実習イベントの実習地に選ばれると共にトゥエルブから寄贈されるノートPC。

 花月にあるものとまったく同じそれに表示されているのは、パスワードの入力画面であった。


「ん、これも違うか。まったく、面倒な仕掛けを施してくれたものだよ」

「ったく、本当にね」


 入力したワードが弾かれるのを見て二人がボヤく。

 先程から倉科真葵奈の白く小さな指は凄まじいスピードでキーボードの上をすべり、パスワードの解析に努めている。

 繰り返される入力、不一致の反応、入力値の削除のルーチン。

 倉科真葵奈によって瞬きもせず続けられるそれは、事務室の扉を叩く音で一時中断された。



「英理子様、よろしいでしょうか?」


「いいわ。入りなさい」


 犬塚の返事の後、扉が開かれる。

 そこから現れたのはファミリーレストラン”ミラーチェ”の制服に身を包んだ若い男だった。

 年の頃は二十代前半くらいだろうか。

 茶色に染められた髪と日に焼けた肌という見た目の割に落ち着いた言動。

 倉科真葵奈にとっては当然だが、その顔はここを実習地とする犬塚英理子もはじめて見るものだった。


「何の用? というか、アンタ誰よ」

「あ、すみません。自分、学生派遣実習イベントのために雇われた臨時スタッフです。荻原さんに頼まれた仕事をやりにきました」

「荻原の?」

「はい。自分は用事で少し外出するので、代わりに英理子様へいつもの紅茶を出しておいて欲しいと」


 そこまで聞いてようやく犬塚英理子は理解する。

 男は右手にティーポットを、左手に二人分のカップやミルクが乗せられた盆を持っており、犬塚の次の言葉を待っていた。

 恐らくは従業員用の入り口で話をした際に二人が作業をすることを知ったため、荻原が気を利かせたのだろう。

 出来た付き人である。



「そう、ならちょうど行き詰っていたところだしいただくわ」


「悪いね。この店とは無関係な私の分まで用意してもらって」


「いえ、自分は頼まれただけですから。お礼は荻原さんに」


 かしこまった男によりカップへと注がれる琥珀色の液体。

 事務室内に安らぎを与える香りが漂ってくる。





 その後、役目を終えた男が退室して十分ほど経った頃だろうか。

 頑なに侵入を拒むパスワード画面へと再び挑んでいた二人の身体に突如変化があらわれる。


 睡魔。


 一般的にそう呼ばれるそれは二人の才女の意識を刈り取り、強引に闇の中へと引きずり込んだ。

 事務室に残される点けっぱなしのノートPC。力を失い、無防備に寝息をたてる少女の肢体。

 彼女達が次に目を覚ました時、果たして瞳に映るのはこの部屋だろうか。

 心安らぐ香りに包まれ、状況を把握する暇もなく犬塚英理子と倉科真葵奈の意識は深い深い眠りの海へと沈んでいった。



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