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第四章 消える者、現れる者③



 翌朝、そこにもう金色の髪をした太陽のように明るい少女の姿はなかった。


 空は晴天。

 昨日の雨が嘘のように晴れ渡る学生派遣実習イベント六日目。

 もはや習慣となりつつある定食屋”花月”外周の掃き掃除を行いながら、工藤亮治は携帯電話を片手にとっていた。


「ああ、概要は昨日の夜に話したとおりだ。部活中に悪いがそっちのことは頼んだぜ」


 軽い口調で言葉を交わし、通話を終了させる。

 その表情は引き締まってはいるが決して強張ってはいない。

 何かに対する覚悟が決まり、腹が座った様子とでも言うべきか。


「社長」


 明らかに掃除には似合わない面持ちで枯葉やゴミを集めていると、店前のスロープを上ってくる存在に気付く。

 ユティー・リティーは清楚チックなサロペットスカートに身を包み、自身を見下ろす雇い主を見つめ返していた。


「おう。もうほとんど元の調子に戻ったみてーだな」


「はい、参謀である私がいつまでもあんな調子ではいけませんから」


 歩を進め、亮治の前に到着したユティーは黒のおさげを揺らし、薄く微笑んで見せる。

 もうそこにいるのは昨晩、この世の終わりを迎えたかのように生気を失っていた少女ではない。

 翡翠色の瞳には力が宿っており、彼女の象徴でもある褐色の肌は瑞々しく艶があった。



「……今ならわかります。犬塚さんの目的は、倉科さんを使って私達の注意をノートPCから逸らすことだったんですね」


 見上げていた視線を逸らし、ユティーはわずかに瞳を伏せる。


「ハッキングを成功させるために、か……ん? いやでも、アイツは犬塚から特に何も聞いていないって言ってたぞ?」


「それは本当のことだと思います。恐らく犬塚さんは倉科さんに『花月へ行き、工藤亮治と話をしてきてほしい』程度のことしか伝えてません。それだけであの人が希望どおりの行動をとってくれると確信していたんでしょうね」


「そういや本人もそんなことを言ってたっけな」


 掴みどころのない微笑を見せる年上のゴスロリ少女の姿を思い浮かべる。

 倉科真葵奈の花月来店。

 この事象は犬塚英理子が自身の得意分野において、らしくもなく慎重になっていたことを表している。

 調べても詳細な情報が出てこない四人の少女の存在に得体の知れないものを感じた犬塚は、ハッキングに踏み切る際、保険をかけることにしたのだ。

 相手は凡人・工藤亮治と小学生。

 普通に考えれば難なくハッキングは成功するだろう。

 だがどういうわけか、敵はここまで自分と五分の勝負を繰り広げている。

 万が一があるかもしれない。

 そこで犬塚英理子は倉科真葵奈をけしかけ、亮治本人とそれを取り巻く四人の少女の意識を彼女へと集中させることを考えた。


 結果は見てのとおり。

 トゥエルブが誇る獰猛と気品が同居する才女の選択は正しかった。

 それでも成功がギリギリだった原因は、構築されていた防御壁プログラムが彼女の想像を遥かに凌駕するほど強固だったからに他ならない。

 レイヤの敗北は紙一重のものだったのだ。



「倉科さんがお店にやってきた時、私は彼女を観察し、その意図を探りました。……いくら考えてもわからないはずですよね。倉科さん”には”本当に社長と話をする以外の目的はなかったのですから」


 正面に立つ亮治の方は見ず、ユティーは遠い目で駅前どおりの街並みを見つめていた。

 時刻は午前九時三十分頃。

 花月の店頭には亮治とユティーの二人だけ。

 あと三、四十分もすればお客の列で賑わう眼下に伸びるスロープも、今はガランとしている。



「さて、と。んじゃあそろそろ店の中に戻るとしますかね。アイツから連絡があるかもしれねーし」


 言いながら亮治はホウキとちりとりを手にユティーの横を抜け、ゆっくりとスロープを下り始めた。


「社長」


「ん?」


「社長は今回の作戦について、どうお考えなんですか?」


「とーぜん、上手くいくに決まってんだろ。お前だって昨日OKサインだしたじゃねーか」


 成功”する”のではなく、成功”させる”と言わんばかりに即答し、亮治は止まることなくそのまま下へと足を進めていく。

 昨晩の『犬塚英理子攻略作戦会議』には亮治、ルート、ミラの三人だけではなく、途中からユティーも参戦したのだ。

 深夜遅くまで四人で知恵を絞ったうえに、復活した参謀少女のお墨付き。

 これで駄目なら本当にお手上げだろう。

 そのような経緯ではじき出された作戦に対し、工藤亮治が後ろ向きな発言などするわけもなかった。


 しかし。


「――――前向きなのは良いことですが、それに楽観的思考を付け加えることはオススメしません。何事も油断は禁物。前しか見ていないと、思わぬところで足元をすくわれることだってあります」


 まるで過去の自分に言い聞かせるように、己の失態を戒めるようにユティーは釘を刺す。

 好奇心によって持ち場を離れ、雇い主と倉科真葵奈の会話に聞き耳を立てる行為に気を取らていたこと。

 本心では成功を疑っていないのだろうが、昨日におけるそれが彼女を不必要に慎重にさせていた。



「…………」


「……すみません。まだ今日は始まったばかりだというのに士気を下げるようなことを言ってしまって」


 立ち止まる亮治の背中に向け、ユティーはうつむき謝罪する。


「いや、お前はそれで良いんだよ」


「え?」


「確かに俺は頭も良くなければ前しか見てないかもしれねーけど、代わりに後ろを見てくれるお前がいるなら問題ないだろ。ちょうど今みたいにな」


 一点の曇りもない表情。

 信頼と自信に満ち溢れた笑み。

 自分の方へと振り返るそんな亮治の姿に、ユティーは思わず瞳を奪われてしまった。

 素行が悪く金に汚く現金で元気な雇い主が今はどうしようもなく頼もしく見える。



「んじゃ、先に戻ってるぞ」


 さらりと答え、足の動きを再開させた亮治によって花月の入り口が閉じられる。

 一人残された褐色肌の少女は風におさげをなびかせながら店の扉を見つめ、



「それもそうですね」



 と、嬉しそうに微笑むのであった。




  * * *




 一方その頃。

 大手ファミレスチェーン”ミラーチェ”では、そのいかにもな造りの店舗へと近づく二人の少女の姿があった。

 片やトゥエルブの指定制服、片や真紅のゴシックドレスに身を包んだ二人の美少女。

 すれ違う男達が思わず振り返り確認してしまうほどの可憐な容姿は共通だが、彼女達の体型には大きな差異が存在していた。



 身長と、胸囲である。



「……相変わらず立派なもんだね」


「? 何がよ?」


 隣を歩く少女の一番柔らかな部分を横目で見つめながら、倉科真葵奈は恨めしそうに声を漏らす。

 歩くたびに揺れる脅威的な胸囲に対し、完璧な耐震構造が施された大平原。

 知らない人間から見れば間違いなく本来年上である彼女のほうが年下に見られてしまうだろう。

 それほどまでに隣を歩く犬塚英理子のソコは豊かに発達していた。


「きっと第二次性徴が他人より遅れているだけなんだ……何事も個人差は存在するからな……」


「さっきから何ぶつぶつ言ってんのよ……」


 そんなやり取りをしている内に、二人の足はミラーチェの従業員用入り口へとたどり着いていた。

 基本的にバイトや社員、仕入れの業者などお客以外の人間はこちら側から店内へと入る。



「あ、あれ? 英理子様? さっき用事があると言って出て行かれませんでしたっけ?」


 犬塚英理子の右手がドアノブに手をかけようとしたその時、ひとりでに扉が開く。

 中から現れたのは荻原イヅルだった。。

 つい先程外出したばかりの人間が目の前にいることに相当驚いているらしく、高そうな眼鏡の奥にある瞳は大きく見開いている。


「そうよ。真葵奈に用があって学園に行くつもりだったんだけど……」


「ちょうど私も同じく、英理子に会う用事があったからこっちへと向かってたわけさ」


「ああなるほど……」


 合点がいったという風に荻原がうなずく。


「ったく……というか、それならそうと事前に連絡しなさいよ。無駄に歩いたじゃないッ!」


「歩いたといっても、私とキミが接触したのはたかだかここから三分くらいの地点じゃないか。私のほうがよっぽど歩いているよ」


「うっさいわね、それでも無駄は無駄よ。こっちには時間がないんだから」


 不機嫌そうに文句を垂れる犬塚に対し、真葵奈は微笑を浮かべながらそれをいなす。

 その光景はまるで姉が妹をあやすかのように手慣れたものだった。


「もう良いだろう英理子。ここで言い争っている方がよっぽど時間の無駄だと私は思うけどね」


「~~~~~ッ! あーもー! わかったわよッ! 行けば良いんでしょ! ほらさっさと入るわよッ!」


 とても年上には見えない、ツインテールのゴスロリ少女に簡単に言い負かされた犬塚は観念し反抗をやめる。

 経験から、こういった口でのやり取りでは勝てないことは最初からわかっていたのだろう。

 しかし理屈と感情はまったくの別物。

 わかっていても、わかりたくないものはたくさんある。

 瞳を吊り上げ、肩を怒らせ、社長令嬢とは思えぬ大股歩きで店の中へと向かう今の犬塚英理子の心情もそんなところだろう。



「荻原ッ! 私は昨日の続きをやるから邪魔するんじゃないわよッ!」


「ええと昨日の続きというと……花月のパソコンから入手したデータの解析でしたっけ?」


「ええそうよ。そのために真葵奈も呼んだの。これでアイツらも終わり」


 中から出てきた荻原と入れ替わるように店内へと足を踏み入れた犬塚は冷たく言い放つ。

 倉科真葵奈を呼んだ。

 彼女が犬塚英理子の従姉妹であるということ、そしてトゥエルブの生徒会長を務めていることから荻原はその意味をすぐに理解する。

 どう見ても小学生にしか見えないこのツインテールの少女もまた、天才と呼ばれる人種なのだ。

 入手したデータにどのような細工が施されているのかは知らぬが、この二人にかかればいくら強固なプロテクトでも解除は時間の問題だろう。

 興味無さげに、荻原はそう思った。


「やれやれ、忘れないで欲しいな英理子。私は昨日の対価を受け取りに来ただけで、別段そういった理由でここを訪れたわけではないんだが」


「そ、それはさっきここに来る前にも言ったでしょ!? 昨日の分もまとめて払うわよッ!!」


「あぁすまない、そうだったね。ふふっ、非常に楽しみだよ」


「う……ぐ、ぎぎ……ッ!」


 真葵奈が意味深な笑みを浮かべ、それに対し犬塚が頬を染め屈辱に顔を歪める。

 犬塚英理子が倉科真葵奈を喫茶店”花月”へ送り込むために呑んだ交換条件。

 一体二人の間でどのような取引がされたのか、真相は彼女達の中にしかなかった。




  * * *




 学生派遣実習イベント六日目。

 一週間もあったゴールデンウィークも、残すところあと二日。

 そんな中、私立ヴァルフォード学園、通称”トゥエルブ”の校門にて、二人の生徒が因縁の対面を果たしていた。


 上履きのまま玄関からアスファルトの上まで出ている男子生徒と、校門をくぐったばかりの女生徒が視線を交差させている。

 男子生徒の名は橘拓郎。

 工藤亮治とは小学校からの腐れ縁となる幼馴染であり悪友。

 ゴールデンウィーク中も”部活”のため毎日午前中のうちは学園を訪れている律儀な男。


「よぉ、待ってたぞ」


 口を開いたのは拓郎からだった。

 普段の落ち着いた、どこか軽い口調で話しかけ、目の前にいる人物に軽く手をあげる。


「橘……拓郎……ッ!!」


 拓郎の態度に女生徒はあからさまな怒気をあらわにした。

 まるで親の敵や長年の宿敵に遭遇したといわんばかりの迫力で拓郎を睨みつける。

 好戦的な角度へと吊り上がる長いまつ毛が美しい瞳。

 尖らせた牙を隠す形の良いぷっくりとした口唇。

 クセのある長い髪にカカトの高いヒールアップローファー。

 そして何よりも特徴的な、魅惑の弾力性を誇る大きな胸のふくらみ。

 その姿は紛れもなく、亮治もよく知る自尊心の塊のような少女のものだった。



「犬塚、お前が会長に会いに来たのはわかってる。だけどその前にちょっと俺に付き合ってもらうぜ」



 校舎内へと進もうとする犬塚英理子の前に、橘拓郎が立ちはだかる。

 工藤亮治と喫茶店”花月”が逆転、勝利するための策が今、静かに動き始めていた。



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