第四章 消える者、現れる者②
静寂に包まれた店内を進み、バックヤードへと向かう。
亮治の頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。
状況は最悪。どん詰まりと言っていいほどの手詰まり。
今日のところはひとまず眠り、明日の朝、あらためて打開策について考えたいくらいだ。
しかし、そうもいかない。
工藤亮治にはどうしても今、やっておかなければならないことがあった。
「あ、工藤くん……」
ちょうど休憩室の手前くらいの位置で声をかけられる。
声の主は店長だった。
見た目はくたびれているが料理の腕は確かなものを持つ定食屋”花月”の心臓部分。
こんなところで落ち着きなく歩き回っている様子から察するに、彼も亮治と同じく休憩室の中にいる少女のことを心配しているようだ。
「すまねぇ店長……俺らのせいで店にまで迷惑かけちまって……」
亮治は咄嗟に頭を下げた。
ハッキングの件に関してはユティーを通して店長にも伝わっている。
勝負はあくまでも”工藤亮治”と”犬塚英理子”によるものなので、仮に負けてもこの店に直接の被害が出るわけではないが、それでも全くのゼロではない。
そう考えると、亮治は店長に謝らずにはいられなかった。
「ユティーくんから大まかな話しは聞いているよ。僕のことはいいから、今はまず彼女に会ってあげて」
「ああ、行ってくる」
「レイヤちゃんを頼んだよ、工藤くん」
優しい笑顔に見送られ、再び歩き出した亮治はすぐさま休憩室の扉に到着する。
ここまでミラやルートの姿を確認してないということは、恐らく彼女達もこの中だろう。
亮治はゆっくりと、しかし躊躇なく扉を開く。
「レイヤ」
目当ての人物はそこにいた。
ミラとルートに付き添われ、部屋の隅っこで抜け殻のようにうずくまっている。
ある程度は予想していたがこちらも重症だった。
今回の件、犬塚英理子による店内PCハッキングに関して、必要以上に責任を感じる可能性がある人物は二人いた。
一人は秘策の存在をほのめかし、犬塚英理子を挑発しハッキング実行に踏み出させたユティー・リティー。
そしてもう一人はそのユティーが信頼をおき、PC内の重要データを守るためのセキュリティを構築していた少女、カトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドである。
亮治からすれば二人が責任を感じることなど全くないのだが、自分の担当分野で失態を犯した本人達はそうもいかないらしい。
「あ、リョージ……」
「よう」
目の前にまで接近されたところでようやく亮治の来訪に気づいたらしく、レイヤは膝に埋めていた顔をあげる。
その表情に普段の明るさは悲しいまでに残されてなく、二つの蒼い瞳や柔らかな頬には涙の痕が見受けられた。
「ごめん……ごめんよぉっ……僕のせいで……っ」
亮治の顔を見て感情の堰が切れたのか、レイヤは何度目かわからぬ涙を流し自責の言葉を吐き出す。
自身が未熟なせいでセキュリティを突破されたこと。
そのせいで雇い主を窮地に追いやったことを何度も何度も詫び続ける。
普段とのギャップも合わさり、人懐っこい金髪の少女の泣き顔は見ていられないほど痛々しかった。
「もう泣くな。夕方にも言っただろ。お前のせいじゃねーよ」
「で、でもっ…でもっ……!」
ぽろぽろと涙をこぼすレイヤの前にしゃがみ込み、その弱々しい両肩を掴む。
細い。
これまで技術面のすべてを一人で支えていた長い金髪の少女の身体はあまりにも華奢で、幼かった。
「ユティーの奴が言ってたけど、ハッキングされた時、お前が咄嗟に回線を引っこ抜いてなかったら完全にアウトだったんだろ?」
「…………侵入、された時点、で…だめだめ…だよっ…っ」
「バカ、よく考えてみろ。犬塚が店のPCにアクセスしていた時間はそう長くない。だとすれば、重要なデータがすべて奪われている可能性も低くなる。気にすんな、大丈夫だって」
それは希望的観測に過ぎない。
だが事実でもあった。
店内のノートPCがハッキングされていることに、いや、なにか異変が起きていることに最初に気づいたのは店長だった。
レイヤが事前に構築していた防御壁プログラムが作動しているのを偶然目撃したのだろう。
そこから彼はユティー達を呼びに走る。
しかし、マルス・プミラの少女達が到着した時にはもう防御壁プログラムは突破され、機密領域へのアクセスが始まっていたのだ。
自身の作った守りの壁が突破されているのを目の当たりにし、カトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドは軽いパニック状態に陥った。
なんで? どうして?
自分が作り上げたセキュリティシステムは完璧で、そんじょそこいらの人間では突破できないはず。
ましてや、奉仕貢献という名目で行う学校行事において、不正アクセス行為による危機になど晒されるわけがない。
レイヤ本人はもちろん、彼女を信頼していた他の三人の少女もそう思っていた。
だが目の前で起こっていることは間違いなく現実のこと。事態は一刻を争う。
失いかけていた冷静さを、持ち前の高い知性と使命感によってつなぎ止め、かろうじてレイヤはノートPCの回線を引き抜いたのだ。
「…………じゃないよっ……っ」
自己嫌悪を噛み殺し、喉の奥から、腹の底から絞り出したような声。
「ぜんぜ、んっ大丈夫じゃない、よぉっ……だって…エリコ、に、ゆーあーるえる…ってたら……ぼくたち…もう、リョージのこと、手伝えなく…なっちゃう……っ!」
上げていた顔を再び膝に埋め、レイヤは嗚咽した。
彼女の口から告げられた”URL”という単語。
それこそが、ユティーが言った今回の件における最大の問題点なのだ。
「ごめんなさいっ……ごめんなさ、い……っ」
「レイヤ……」
自らを責め、呪うように謝罪の言葉を述べ続ける金髪の少女の姿に、亮治はそれ以上かける言葉が見つからなかった。
亮治自身もこの現状に参っているのは誤魔化しようのない事実で、このままでは何を言っても気休めにしかならない。
人間がこの状態までくると何かしら具体的な解決策を提案し、安心させてやらなければその心を救うことはできないのだ。
「亮治くん」
かけられた声に振り返ると、そこにはメイド服を着た護衛少女と小生意気な栗色髪の少女が立っていた。
先程から亮治とレイヤの様子を見守っていた二人は、段々と言葉に詰まる会話にいたたまれなくなったのである。
「ミラ……ルート……」
レイヤに合わせしゃがみ込んでいた身体を立ち上がらせる。
亮治を見上げる二人の瞳は「一度部屋の外へ」と告げていた。
「けどよっ」
「今後について、話し合わなきゃいけないことがたくさんあるわ」
「……私だってずっとレイヤの側にいてやりたいんだよ。でも、それじゃなにも変わらないだろ」
憂いのあるルートの言葉に閉口する。
参謀を担当するユティーがあの状態にある今、三人で知恵を寄せ合い、この状況を乗り切る方法を導き出さなければならない。
事態を好転させ、頬を濡らす二人の少女を救うために。
自分より五つも年下の少女に何もしてやれない悔しさに奥歯を噛み締めながら、亮治は休憩室を後にした。
* * *
工藤亮治が一番最初にもった他世界とのつながり。
それは人材派遣会社CPUから送信されたダイレクトメールだった。
中身は『どんな人材でも一秒単位でお貸しいたします』という一文と、"hhttp://owww.cpu.co.cd"という短いURLだけ。
現世の人間である亮治が他世界にアクセスし、CPUから人材を召喚するための唯一の手段。
そしてそのURLは、CPUが人材を派遣する際、転送位置を指定するための手段でもあった。
それが、犬塚英理子に、渡ったかもしれない。
契約者である工藤亮治が店内にいない時。
あるいはURLが保存されている携帯端末になにかがあった時。
そんなもしもの時の、動かない第二の転送位置として、ユティーは店内に設置されたノートPC内にもURLを置いていた。
いわばバックアップのようなもの。
だが、今回は彼女のそんな慎重で几帳面な性格が裏目に出てしまったといえる。
「仮に、仮にだ。ハッキングによって犬塚にURLを持っていかれてたとしたら……どうなるんだ?」
休憩室前の通路にて、亮治、ミラ、ルートの三人は現状について意見を交えていた。
「……最低でも、ユティーとレイヤの契約は即座に終了だろうな」
「そうね。亮治くんに契約金が返金されて、無償で代わりの人材が派遣されてくると思うわ。ユニット契約だから、私やルートも含め、総入れ替えになる可能性も十分ありうるでしょうね」
クリーム色の塗装がされたコンクリートの壁にもたれるルートとミラが言葉を返す。
その表情はやりきれなさで溢れていた。
「おいおい今更代わりの奴が来るなんざゴメンだぜ。雇い主である俺が拒んでもどうにかならねぇのか?」
「どうだろう……亮治くんの契約にもあるとおり、CPUとの取引先として選ばれた人間が、他世界や会社のことを不用意に言いふらして処罰される例は聞いたことがあるけれど、今回みたいなケースははじめてだから……」
「知られた相手が知り合いや話のわかる奴ならともかく、相手はあの犬塚英理子だからな」
ルートが舌打ちする。
偶然知られてしまった場合であれば、その相手に頼み黙っていてもらえば良い。
しかし、今回の場合は意図的に情報の閲覧、あるいは抽出が行われたうえに、やったのが現在交戦中の宿敵ときている。
もはや正直に話してどうこうなる問題ではない。
「メモリーの婆さんに直接詳しい話を聞きたいところだが……ここに来てないってことは、まだこのことは知らせてないんだろ?」
「うん……本来であれば、このレベルのトラブルは即座に報告の対象なんだけど……どうしても、ね」
チラリ、とミラの視線が側にある休憩室の扉へと向けられる。
「……ねぇ亮治くん、私達のわがままでしかないことはわかっているけれど、代表には――――――――」
「黙っとくに決まってんだろ」
「え?」
言い淀むような、バツの悪そうな表情を作っていたミラは、自らの言葉をあっさりと遮った声に面をくらう。
社の代表であるメモリアル・タイムメイクに話し采配を委ねるか、それをせず、ペナルティ覚悟で行動し自分達の力で問題を解決するか。
現状において、まず決めなければならないのはそこだった。
メモリアルに報告すればハッキングの件は容易に解決するだろう。
しかしそれだとユティー・リティーとカトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドは両方、あるいは片方が依頼された仕事を続行するには不適格な人材とみなされ、強制送還されてしまう。
厳しいが仕事とは、人材派遣事業とはそういうものだ。
組織に属すものとしてルートやミラもそれは重々承知している。
だが、”マルス・プミラ”は四人で構成されるユニットなのだ。
参謀担当のユティーがいて、運搬担当のルートがいて、技術担当のレイヤがいて、護衛担当のミラがいてはじめて成り立つ。
四人一緒でなければ意味がない。
この数日間、彼女達と寝食を共にした亮治にとってもそれは同じだった。
「なんだよ。お前だって最初からそのつもりだったんだろ?」
「う、うん、そうだけど……いいの? もし、本当に犬塚英理子の手にURLが渡っていて、私達が取り返す前に代表に知られた時は亮治くんも……」
「命令無視の共犯と見なされ、処罰の対象になるかもな」
あっさりとルートが言い放つ。
「構わねぇよ。そんときゃ責任とって取引先としての権利でもなんでも返上するさ。そっちのほうが、このままやられっぱなしで終わるよか万倍マシだ」
「……お前と意見が被るのは気に喰わないけど、私もそう思う。取られたもんは取り返せばいい」
瞳に火を宿し、力強く言い放つ亮治を横目に見ながらルートが軽口を叩く。
発する言葉はうんざりしたものだったが、それに反して可愛らしい桜色の口唇からは明確な嬉しさがこぼれていた。
「ふ~ん」
「な、なんだよミラ。こっち見て変にニヤニヤして」
「んーん。素直じゃないなって思っただけ」
雇い主に向け、はじめて笑みを見せた栗色髪の少女の姿に、ミラが口唇に人差し指をあてクスりと笑う。
勝負の続行と、犬塚英理子へのリベンジを決意した三人の表情に、もはや曇りや憂いなどは存在していなかった。
「よっしゃ、そんじゃ家に戻って早速作戦会議といくか」
「そうだな。ユティーの代わりに、私達で考えるんだ」
「犬塚英理子がどこまで情報を入手したのかの確認方法と、それに伴う対抗策。タイムリミットは今晩中ってところかしら」
「ああ。見てろ犬塚、テメーが浮かれてられんのも今晩だけだぜ……っ!」
やられたからにはやり返す。
視線を交差しあい、三人は堅く頷いた。
コンピュータの扱いに関してはレイヤをも上回る力を持つ犬塚英理子からどうやってURLデータを奪い返すのか。
アテもなければ、なんの目処もたっていない。
冷静に考えればあまりにも無謀な選択。
だがそれでもやらなければならない。
亮治が勝負に勝つためにも、ユティーとレイヤの心を救うためにも、道はそれしか残されていないのだから。
夕方から店の窓を激しく打ち付けていた雨風はいつしかその威力を弱め、小雨状態へと変わっていた。
<2013年3月12日> 誤字脱字修正。




