第四章 消える者、現れる者①
「……それで、状況はどうなってるんだ?」
尋ねる口調は重く、慎重だった。
定食屋”花月”における本日の売上高、客数はともに上々。申し分ないほどの大繁盛。
時刻は午後九時十分。
閉店時刻はとうに過ぎている。
普段であればもう帰路についている頃だが、今日の亮治達は未だ店内に残ったままだった。
「数刻前にも申し上げたとおり、店のノートPCがハッキングされました。被害程度は甚大、最重要機密事項に該当するファイルが保存されていた領域へのアクセスが確認されています」
話すユティーの言葉はいつもの丁寧なものだったが、表情には明らかな翳りが見えていた。
無理もない。
ハッキングの実行犯が宿敵・犬塚英理子なのは明白。
そしてその犬塚がハッキングに踏み出したきっかけは、他ならぬ自分だとユティーは考えていたからだ。
「申し訳ありません……私の責任です……」
整った顔を後悔と不甲斐なさで歪め、ユティーは深々と頭を下げる。
椅子に座る褐色肌の小さな身体が、今は更に小さく見えた。
「謝んな、お前らのせいじゃねぇよ。それにまだ勝負が決まったわけでもないだろ」
実習はまだ二日も残っている、と亮治はらしくもなく励ましの言葉をかける。
それはユティーが召喚されはじめて迎えた夜、暗闇に怯える彼女に見せた時と同じ不器用な優しさ。
ただひとつあの時と違うことは、亮治の言葉を聞いてもユティーの表情から緊張が消えていかないということ。
「いえ……場合によってはもう決まった、といっても過言ではないんです……」
「え?」
シンと静まり返った花月のホールに亮治とユティーの声が響き渡る。
閉店時刻を過ぎたためいくつかの照明はすでに落とされており、ホールの半分はもう暗闇に包まれていた。
「社長、今日の午後、私が話した営業時間の話を覚えていますか?」
「ミラーチェに対抗するには、単純に営業時間を延ばせば良いってあれか?」
「はい、そうです」
抑揚のない口調で頷き、ユティーは語り始める。
犬塚英理子に対し言い放った彼女の”秘策”とは、亮治が答えた「花月の営業時間を伸ばす」ことである。
閉店時間が来たらその時点で切っていたお客の列を、そのまま途切れるまで受け入れる。
それだけで売り上げは飛躍的に伸びるだろう。
小規模で、個人経営の店だからこそできる営業時間の変更策。
人材はお客の数に合わせCPUからその都度召喚するので人件費に無駄がでることはない。
忙しくなった時にだけ必要な分、呼べばいいのだ。
仮にミラーチェが同じく営業時間を伸ばし対抗すれば必ずこの人件費の面で差が生じてくる。
それに、突然営業時間の延長を告げられてもパートタイムで雇われた労働者はついてこないのだ。
彼らはあらかじめ決まった時間の分だけを働き、その時間が終われば帰ってしまう。
よほど店に愛着がある人間でもない限り、夜遅くに伸びる形の残業などすんなり受け入れてくれるわけがない。
当然、伸ばした分の時間を働いてくれる人材を新たに用意する必要がでてくるだろう。
ユティーがこの作戦の実行を明日まで待っていた理由はそこなのだ。
残り二日となる学生派遣実習六日目の夜、いきなり大規模な営業時間改革を行い、犬塚英理子が対抗策を講じる前に逃げ切るという寸法。
「でも……それもハッキングによってすべて水の泡。最重要機密事項領域には当然、この案の企画書データも保存されていたのですから……」
再びユティーが悔しそうに目を伏せ、自嘲気味に笑う。
いつも冷静沈着で、慇懃無礼だった彼女らしくない儚げな微笑み。
それが出るほど、精神的に参っているのだろう。
「バーカ、諦めてんじゃねーよ」
ぶっきらぼうな言葉を投げかけテーブルに乗せていた腰を上げると、亮治は小さな頭をわしゃわしゃと撫でた。
「きゃっ…ちょ、社長……!」
整った黒髪を乱暴に乱される感触に、ユティーは思わず歳相応の少女のような反応を見せる。
それがはじめて雇い主に頭を撫でられたことによる戸惑いからなのか、この深刻な状況下における行動として予想外だったからなのかはわからない。
ひとしきり撫で終えた亮治が手を離すと、ユティーはボサボサの頭で抗議の声をあげた。
「し、しかし社長……っ」
「”しかし”も”ですが”も無しだ」
「…………っ!」
言葉を発する前に亮治により口を塞がれてしまう。
まるで普段とは立場が逆だ。
「おいおい考えても見ろよ? 雇い主の俺が諦めてないってのに、お前らがそんなんでどうすんだ。これ以上ウダウダ言うようなら職務放棄としてメモリーの婆さんにクレームいれんぞ」
「……はい。正直、今回の件に関してはそうされて当然だと思っています。私は自らの役割を果たせなかったのですから……」
再びシュンと肩を落とし、ユティーは椅子に座らせた身体をさらに縮こませる。
亮治としては発破のつもりでかけた言葉だったのだが、どうやら逆効果だったようだ。
思わず心の中で舌打ちしてしまう。
発破をかけるつもりが失敗したことに、幼い少女達が自分を責めてしまっている現状に、そして無責任な自信を見せることしかできない己の無力さに対しての舌打ち。
「あーもーめんどくせぇな! いいか、俺は『お前らのせいで負けそうだ』なんてこれっぽっちも思ってねぇんだよ! むしろ今までの働きに感謝したいくらいだ! ムカツクけど今回の件は犬塚が一枚上手だったってだけの話しで、お前らが気に病むことは何もねーんだよ!」
煩わしそうに、そして照れくさそうに後頭部を掻きながら言い放つ。
言葉のとおり、此度の件に関して亮治はユティー達を咎める気など毛頭もなかった。
学生派遣実習イベントに際し、何も持ち合わせていなかった自分を救ってくれたマルス・プミラの少女達。
彼女達がいたから学年トップの犬塚英理子にここまで対抗できたのだ。
感謝しこそすれど、叱責する気になどなるわけがない。
工藤亮治には、ユティー・リティーをはじめとする四人の少女が必要なのだ。
「いいか、これは業務命令だ。この件に関してはもう気にすんな」
「社長……」
亮治に諭され、ユティーはゆっくりと視線をあげる。
褐色肌に艶のある黒色の髪。
大きな翡翠色の瞳は覗きこむと吸い込まれそうなほど澄んでおり、切なそうな形で亮治を見上げると
「申し訳、ありません……」
またすぐに伏せてしまった。
「ユティー……?」
「今回の件の……問題点は…………それだけでは、ないんです……っ」
今にも泣き出しそうな声でユティーは語り始める。
こちらの策を看破されたことなど取るに足らないほど、今の自分達は深刻な状況下にあるということを。
その後、薄暗い花月のホールにて、ユティーの口からさらなる現実を突きつけられ亮治は絶句した。
彼女から聞かされたもうひとつの問題点は、勝敗はおろか、勝負の続行すら危ぶまれるものだったのだ。




