第三章 性悪 vs 性悪⑤
「社長、起きてください社長」
「…………い」
「い?」
「”重い”んだよどけっ!!」
どうも腹のあたりに重みを感じると思い亮治が目を覚ますと、そこには褐色肌の少女がベンチに座るように腰かけていた。
学生派遣実習五日目の朝のことである。
「やっとお目覚めですか」
「そら腹に人間一人の体重かかったら嫌でも起きるわっ!?」
「私の体重は十二歳の平均体重よりも軽めですが」
「そういう問題じゃねぇよ! というか何で乗ってんだ!?」
「あまりにも社長が起きなかったので乗らせていただきました」
「意味がわからんうえにもう起きたんだからどけよっ!?」
しかし座り心地が良いのか、ユティーは一向に亮治の腹に乗せているお尻を動かそうとはしない。
体格差的に無理矢理跳ね除けようと思えば跳ね除けられたが、やるとユティーがベッドから転げ落ちてしまいそうでやるにやれない。
そんな二人の奇妙な膠着状態が一、二分ほど続いた後、部屋のドアが静かに開いた。
「りょ、りょうじ……」
「親父?」
扉を開けたのは父だった。
昨晩に関しては手刀で眠らせたり、興奮して怒りだしたりなど特に何かあったでもないのに何故かその表情に血の気はなく、絶望しきった瞳で体をカタカタと小刻みに震わせている。
「どうしたんだよ? 取り立て屋か地上げ屋でも来たって顔してんぞ」
小学生の少女に半マウントポジションを取られたままというなんとも情けない格好で亮治が聞き返す。
同じくユティーも父に視線を向けるが、腰は相変わらず動く気配がない。
本来なら二人のその格好について言及するところだろうが、今の父にはその余裕すらないらしく、聞かれるままに返事をしてしまう。
「ああ、実はそうなんだ……いや、違う、えーと、その……下にお前の知り合いって人が来てるんだが……」
「客? 俺に?」
・
・
・
「よォ、あがらせてもらってるぜ」
「白薔薇の結城!?」
一階に下りた亮治とユティーを待ち構えていたのは、任侠一家”萱島組”の幹部、白薔薇の結城だった。
亮治の父にここで待つよう言われたのか、自ら勝手に座ったのかはわからないが、彼は喫茶店部分の席に座りくつろいでいる。
その姿を見る限り、昨日ミラに二度も投げられたことによるダメージはほとんど残っていないらしい。
見かけどおりの頑丈な男である。
(なるほど、親父のうろたえっぷりはこれが原因か)
合点が言った表情で亮治は結城をまじまじと見つめる。
確かに凶悪な顔をしているが、昨日の騒動で大分耐性がついたのか恐怖を感じることはなくなっていた。
部下が独断で行った亮治への嫌がらせを諌めたり、ミラと素手でタイマンを張ったりした現場を目撃したことで、亮治の中にある彼への印象が変化したためだろう。
事実、結城は現代には珍しい任侠を重んじる男気のある極道だ。
「ワリィな朝っぱらから」
「それは別に構わないけど……なんでまた?」
「…………ちょっと頼みがあってな」
そう告げると懐から取り出したタバコに火を付け、一服する。
大きな手に握られたのはその辺のコンビニや自販機でも見かける銘柄。
白薔薇の結城が黙り込んだことにより、ただでさえ静かな開店前の自宅に沈黙が訪れ、亮治の頭が思考を始めた。
結城がすぐに本題に切り出さない辺り、飛び出すのは確実に厄介な話なんだろうなという予感がこの時点で浮かび上がる。
「ここら一帯はウチら萱島組のシマなんだが―――――」
「待った待った、結城さんちょっと待ってくれ」
「なんだ?」
”シマ”とは極道用語で縄張りや管理をあずかっている勢力範囲のことを指す。
予感的中である。
予想通り、というべきか、結城から飛び出した明らかに物騒そうな極道絡みの話題を亮治が慌ててストップさせる。
「今から俺が聞くことになる頼みって、もしかしなくても組絡みなのか?」
「当たり前ェじゃねぇか」
当然の如く言い放つ結城の態度に思わずこめかみを抑える。
昨日、死地から脱出できたと思った矢先にこれだ。
一難去ってまた一難とはよく言ったものだが、まさか昨日和解したばかりの相手に再び一難もたらされるとは思ってもみなかった。
「なんで一般学生である俺がヤクザの揉め事に巻き込まれなきゃならねーんだよ!?」
「大丈夫だ。俺に勝ったあの嬢ちゃんを従えてるオメーならやれる。余裕だ余裕」
「確かにアイツなら組同士の抗争どころか小国間の紛争くらいなんなく平定させそうだけど、あいにく俺は普通の高校生なんだよ!?」
したり顔で太鼓判を押す結城はどこか自慢気だった。
小学生女子に投げ飛ばされたおっさんが何故そんな表情をするのか。
昨日のインドアヤクザに関してもそうだが、亮治の頭の中に「もしかして、萱島組には馬鹿しかいないのではなかろうか」という疑惑が浮かぶ。
「心配すんな亮治。面倒でも危なくもねェ。ただちょっと情報提供に協力して欲しいだけだ」
亮治の言い分など微塵も気にせず話を続ける。
彼の声は非常に低く、渋い。ゆったりと聞いていたい惚れ惚れとする声だ。
こんな話題でなければ。
「んなもん信用できっか! というかヤクザなら堅気の人間を巻き込むなよ!?」
「堅気としてじゃねェ、友人としてオメーに頼んでんだ」
「いつから友人認定されたんだいつから!?」
「男だったらみみっちいこと気にしてんじゃねェよ」
「すみません、少しよろしいでしょうか?」
取り付く島もない亮治の対応に白薔薇の結城が面倒くさそうに頭を掻き始めたところで、それまで静観していたユティーが動きだした。
スカートとおさげを揺らしトコトコと結城の側まで移動し、いかつい顔に可愛らしい顔を寄せ、何かを耳打ちしている。
まだ寝間着姿の亮治とは違い、もうすでに着替えと髪のセットを整え終わっているあたり、なんだかんだしっかりした少女である。
「―――――、―――――――。―――」
小さな口が何をしゃべっているのか亮治にはわからないが、結城は初対面となる小学生の言葉に感心するように頷いている。
その光景は百歩譲っても父親と娘には見えない。
亮治を篭絡するために手を結んだ二人、という響きの方がよっぽどしっくりくる。
そんなこんなで一言二言告げるとユティーは再び亮治の隣に戻り、結城へと向き直った。
「……お前、なに言った」
「大したことではありません」
首を動かさず答える褐色肌の少女は、いつもの微笑を浮かべていた。
褐色の肌に映える薄いピンク色の口唇は明らかな企みを含み歪んでいる。
「いいか亮治。ここ最近、ウチのシマで妙な動きを見せている連中がいる。オメーらに頼みてェのはそいつらを目撃した時、即座に俺に知らせる事だ」
仕切り直す結城の顔にはやはり迫力があった。
自分たちの領地に土足で踏み込んできた奴らへの怒りが如実に現れている。
彼の性格から強制はしないだろうが、元から怖い顔がさらに怖く見えるその姿には有無を言わせない凄みがあった。
「つってもなぁ……そんな連中、普通に生活してりゃ出くわさないような……」
「もちろん無償でってわけじゃねぇ。もしお前がそいつらを見つけ、報告してくれた時はそれ相応の礼をさせても
「よし、俺が絶対に見つけてやるから安心してくれ結城さん」
言い終わる前にミラも真っ青なスピードで結城の手を握り亮治が爽やかな笑顔を見せる。
一見、頼もしそうな行動と台詞だがやっているのと言っているのがこの男なので、そこには胡散臭さしか存在しない。
すでに貰ったお礼の内容や使い道などをシミュレートしてそうな勢いで舞い上がる亮治は、出発の支度を整えるため二階へと駆け上がっていった。
半分が喫茶店となっている自宅の一階には、ユティーと結城の二人だけが残される。
「ほら、言ったとおりでしょう?」
「……あんな物欲にチョロい奴、極道にもそうそういねェぞ」
「私もこっちに来て初めて見ました」
欲望に素直なのはいいことなのかもしれないが、褐色肌の少女と白い服の大男はあまりにも現金な行動を取る現代の高校生男子に呆れ果てていた。
* * *
外は雨。
昨日まで続いた天気もゴールデンウィーク五日目にしてとうとう崩れを見せていた。
私立ヴァルフォード学園が執り行う学生派遣実習イベントも、いつの間にかもう五日目を迎えている。
実習の終了も、犬塚との勝負も、ユニット”マルス・プミラ”との契約も残すところ後二日。
亮治は全く意識していないようだが、個性豊かな四人の少女との別れの日も刻々と迫っていた。
「な、なんだこりゃ?」
目の前に広がる光景にウェイター姿の亮治が驚愕する。
本日も多くの客で賑わう定食屋”花月”。
その客層に大きな変化が現れていたのだ。
「姉御! ロースカツ定食一つッ!」
「俺は生姜焼き定食ッッ!」
「うな重三つ頼んますッッッ!!」
「はいはーい!」
再びメイド服に身を包んだミラが忙しそうに走り回っている原因は、店の三分の一を埋め尽くしている黒服の男達が原因だった。
男らはミラを”姉御”と呼び、まるで女神を崇めるかのように接している。
「……あれ、萱島組の奴らだよな?」
「はい、結城さんと取引したんですよ。そちらの仕事を手伝う代わりに、お店の売上に貢献して欲しい、と」
流石というべきか、こういうところでもユティー・リティーはぬかりがなかった。
今朝、亮治が舞い上がり姿を消した後、彼女は参謀としてきっちりと話をつけていたのだ。
こちらが行うのはあくまでも”報告”のみであり、”捜索”は行わないこと。
交換条件として本日から三日間、花月にお客として食事に来てもらうこと。
白薔薇の結城は褐色肌の小学生が出した条件を突っぱねるどころか感心し、受け入れた。
その歳でその有能さ。ミラと共に組に欲しい人材だと漏らしたくらいである。
「なるほどな。こりゃあ心強いぜ」
亮治はガツガツと料理を平らげていく強面の男達を見て笑みを浮かべる。
その内心は勝利を確信していた。
犬塚本人の口から出た言葉、そして亮治自身がミラーチェに行って確信したことだが、客の総数では既に犬塚英理子が率いるファミリーレストラン”ミラーチェ”を上回っているのだ。
加えて優に五十人を超える萱島組の組員が連日来てくれるとなると、そう思うもの無理はない。
しかしそんな雇い主の慢心に、ユティー・リティーが釘を刺す。
「念のために言っておきますが社長、これでもまだ状況は私達が不利です」
「なっ……ち、ちょっと待てよ。確か客の数はこっちが勝ってるって話だろ?」
「それは犬塚さんが「この店を外から見た時」に述べた感想でしかありません」
翡翠色の瞳を真っ直ぐと亮治へと向け、ユティーは現在状況の確認と両者の違いを語りだす。
「社長もわかっているとは思いますが、花月とミラーチェでは店内の広さと席数に決定的な差があります。それに伴い、お客の回転率にも明確な差が生まれるんです」
そう言うと、ユティーの指がボールペンを握り、レジ台に置かれているメモ帳に黒線を描き出す。
描き出されたのは”100”というアラビア数字。
「例えば両店に百人のお客が来たとしましょう。土地面積の広いミラーチェは百人全員をすぐに座席へ通すことができますが、花月はそうもいきません。せいぜい四十人がいいところです」
今度は”100”の下に”0”と”60”が描かれる。
そこまで言われてようやく亮治も気付く。二店の決定的的な違いに。
犬塚英理子が「ミラーチェよりお客が入っている」と感じたのは花月の店前に長い行列が出来ていたからである。
それはもちろん大繁盛なことには変わりないが、行列が出来る原因はそれだけではない。
単純に、店内に入れる人数が少ないから店外へあぶれる人間が多くなってしまっているのだ。
「このケースだとミラーチェは次に来たお客を店内にいるお客と入れ替わりで案内することができますが、花月はまず残りの六十人が座るまで次のお客を待たせることになる。同じ客数でもお客が席に座り、食事をし、支払いを済ませるまでの時間で私達は完全に負けているんです」
気付かされた現実に亮治は黙りこんでしまった。
飲食店には当然、定められた営業時間というものが存在する。
いくらお客が来ようが、時間内に全員が席に座れなければ意味がないのだ。
事実、昨日、一昨日と行列が全て店内に収まった試しはない。
ミラーチェの売上の半分を越せばこちらの勝ちという条件だが、それでも現状では厳しいだろう。
「チッ……じゃあどうすりゃ良いんだよ」
「簡単なことですよ。単純に営業時間を延ばせば良いんです」
「なっ……」
あまりにもあっさりと登場した解決策に亮治は再び絶句してしまう。
やはりこのユニット”マルス・プミラ”の頭脳担当にはぬかりがなかった。
彼女の頭の中には当然、両店の違いが生み出す差くらい考慮済みだったのである。
「社長、言いましたよね? 私達が必ず勝たせて見せます、って」
言いながらユティーは亮治へ近づくと、首に巻かれている黒のネクタイへと手を伸ばす。
身長差があるため亮治が少しかがみ、ユティーが背伸びをしてようやく届く距離だ。
「約束は守ります。守るための”策”もあります」
「それが営業時間を延ばすって奴か? ならもっと早くやってりゃ……」
言葉の途中できゅっと緩んでいたネクタイがユティーの手によって締め直され、ユティーの体が亮治から離れる。
「今はまだ、その時ではありません。実行は明日です。わかったらサボってないで今日のところはさっさと業務に集中してください、社長」
「……へいへい」
相変わらずいつもどおりの調子を崩さぬ褐色肌の少女に不満どころか頼もしさすら覚えつつ、亮治はレジ前を離れた。
ホールには接客に励むミラとレイヤ、CPUから派遣されてきた眼鏡をかけた可愛らしい少女達。本日の今の時間は”眼鏡っ娘タイム”なのだ。
料理目当ての客、美少女店員目当ての客、そしてヤクザ。
段々と店内がカオスになりつつある定食屋”花月”だったが、本日も平和であった。
* * *
「ま、マジでヤクザに占領されてますね……」
「……………………」
正午過ぎ。
雨の中、荻原イヅルを引き連れ偵察がてら花月の前までやってきていた犬塚英理子は焦っていた。
亮治との勝負に負けそうだからではない。
はっきりとした数字はわからないが、彼女の中ではまだこちらが勝っている計算だ。
彼女が冷や汗を流している原因は、花月にはびこる極道の群れを見て、自分の起こした行動により亮治がヤクザに絡まれたと勘違いしているからだ。
実際のところそれは間違いではないのだが、亮治達と萱島組との間に和解が成立しているなど彼女が知るはずもなく、持ち前の自己中心的な性格も罪悪感に押され気味であった。
「流石にこれは不味くないですかね英理子様……。バイトからの報告によると、席が空くのを待っていたヤクザが痺れを切らして暴れだしたらしいですし……」
「~~~~!! あーもーうっさいわねッ! 私だってこんなことになるとは思ってなかったわよッ!」
苛立たしそうに犬塚が怒鳴る。
言葉と態度こそ強気だが、触れると手が埋もれるほどふくらんだ胸の奥では心臓がバクバクと鳴っていた。
無理もない。強気で、自己中で、自信満々で、破天荒な性格をしているとはいえ彼女もまた亮治と同じ普通の高校二年生の少女なのだ。
(ったく、なんでこんなことになるのよぉ……!!)
犬塚は自分のやったことを後悔するのは嫌いな性分だが、思わず心の中でそんな台詞を吐いてしまう。
いくらなんでも自分のせいで同級生がヤクザと関わりを持ってしまったなど夢見が悪すぎる。
ひとまず正確な状況を把握したかったが、色んな意味で店内へ入っていくのは億劫だった。
そんな時、彼女がとる行動は一つ。
下僕とも呼べる彼女の家庭教師へとその使命を押し付けることだった。
「お、荻原、アンタちょっと行って店内の様子を見てきなさい!」
制服のスカートを翻し、いかにも偉そうな態度で荻原イヅルを指さす。
通常の人間であればこの理不尽な命令をオーバーリアクションで嫌がるだろうが、荻原にとってはもはやいつものパターンという感じで、声を荒げて嫌がるということはしない。
「英理子様、自分が蒔いた種は最後まで自分で面倒見なきゃ駄目ですよ」
流石というべきか、狂犬のようなわがまま姫相手に手慣れた対応を取る。
「だ、だって入りづらいじゃないッ! あの男どもが私の容姿に目をつけたらどうすんのよッ!?」
「そりゃ俺だって同じですよ。店の中はヤクザだらけなんですし」
「う、うぅううう~~~~……!!」
店へと続くスロープに出来た行列の横で揉める犬塚と荻原。
そんな二人を奇っ怪な目で見つめる瞳の中に、鮮やかな蒼色をした大きな瞳が二つ混じっていた。
「へっへー、面白いこと思いついちゃった」
その瞳の持ち主、カトレイヤ・リア・シュヴァイツフェルドはやっていた列の整理係を他の人間に任せると、長い金色の髪をなびかせながら店内へと駆け出す。
天使のように可愛らしい容姿とは裏腹に、浮かべた表情は小悪魔のソレだった。




