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第三章 性悪 vs 性悪①



 AM 7:30。


 区内にたたずむ犬塚邸の自室にて、犬塚英理子は上はYシャツ下は下着というなんともはしたない格好でPCに向かっていた。

 寝起きのためか元々クセのある黒髪はさらにボサボサで、中途半端にボタンがかけられたYシャツの胸元からは暴力的なバストが今にもまろびでそうだった。

 普段は傍若無人ではっきりきっちりしているように見えるこの社長令嬢も、朝はこんなものである。


「んぅ……えーと……今日の予定はぁ……」


 デスクトップ型PCと共に靄がかかった頭にも電源を入れ、HDDと脳を回転させ始める。

 次第に脳が活性化していき、視界はクリアに、体中には熱い血潮が通い始める。

 そうして流れてきたデータは昨日、ミラーチェにて彼女の人生二番目の屈辱を与えた男の姿。


「工藤亮治ぃいいッ……!!」


 思い出すだけでも頭に血が昇る名前を口にする。

 店員と客という立場差のため無理難題をふっかけられ、自分の格好をひやかされ、あまつさえ胸や尻を触るというセクハラまがいの行為までされかけた封印したい過去。


「この私に舐めた真似してくれた落とし前はキッチリつけてさせてあげるわッ……!!」


 吐き捨てると瞳と歯を尖らせながら犬塚はやや乱暴にキーボードとマウスを操作し、メールソフトを起動させ開いていく。

 開かれた深夜受信の新着メールに記載されている内容は何かのリストのようなもの。


 犬塚はそれを見てフフンと口元を歪ませる。



「さーて、どうしてやろっかなー?」



 普段は決して出さないであろう可愛げのある媚びた声で悪戯っぽく微笑むその姿は、遊び甲斐のあるおもちゃを見つけた小悪魔のようだった。




  * * *




 AM 7:50。


「いいか? 昨日みたいのは無しだからな?」

「うん、わかってる」


 亮治とミラが言葉を交わすは二階の下り階段の前。

 今日こそは父に事情を説明せねばならんと覚悟を決めているのだ。


「とは言っても、どうするつもりだよ?」


 階段を下りる亮治に続き、ルートが尋ねる。


「とりあえずそれっぽい作り話をでっちあげて、後は勢いで押し切る」

「その自信が不安だよリョージ……」

「無計画なのはいただけませんね社長」


 ぞろぞろと階段を下る五人。

 到着した一階では昨日と同じように父が喫茶店の開店準備を進めていた。

 どうやら昨晩の手刀によるダメージは残っていないようで亮治とミラはとりあえず安心する。



「お、おはよう親父」


 まるで急に親孝行しようと決心した不良の息子がするようなギクシャクした朝の挨拶。


「亮治……」


 父はそんな挨拶に手中で磨いていたタンブラーグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと歩み寄ってくる。



「えーと、その、実はトゥエルブで小学生を家に泊めるっていう”逆お泊り保育”って実習があって……」


(あるわけないだろそんな実習……)

(流石に無理があると思うわ亮治くん……)

(なんか聞いてて僕達まで悲しくなるよ……)

(やはり社長に任せたのが間違いでしたね)


 亮治がでっち上げた悲しくなるレベルの嘘を彼の後ろで聞く四人の表情からは”憐憫”と”諦観”がにじみ出ていた。

 しかし、四人が思っていた「こりゃ駄目だ、また手刀だ」という展開予想は裏切られることになる。


 亮治の前まで来た父は、何故かその頭を深々と下げたのだ。


「昨日はすまなかった。お前の話を聞こうともしなかったことを許してくれ」

「親父……」

「親は子を信じるのが仕事。どういう事情があるのかはわからんが、お前はお前のやりたいようにやりなさい亮治」


 そこには確かな親と子の絆があった。

 昨日失われたものだと思ったそれは、今、工藤家に戻りつつある。亮治は生まれて十七年目にして初めて、父の存在が大きく見えた。

 窓からは爽やかな朝の日差しが差し込み、二人の親子を照らしていた。


「紹介するよ親父、学校の実習の手伝いをしてもらっているユティー、ルート、レイヤ、ミラだ」


 亮治の紹介に合わせ、四人はぺこりと頭を下げる。


「可愛い子達じゃないか。どうなんだい? 亮治とは上手くやれてるかい?」


 優しく包み込むような声。父はまるで実の娘を見るかのように柔らかな笑顔をユティー達に向ける。

 が、その柔らかな笑顔は次の瞬間に凍り付くことになるのであった。



「太ももを触られそうになりました」

「ご飯をおごってあげました」

「む、胸をじぃっと見られました……」

「一緒に寝ました」



 ピシリ、と空間が割れる音が、いや、正確には今出来たばかりの親子の絆にヒビが入る音が聞こえた。

 実際はそうでないにしろ、父の周りの空間がガラス状になっており、そのガラスが割れそうになっているのを感じる。

 このままでは昨日の朝の二の舞だ、と瞬時に危機を察知した亮治はどうにか自分をフォローしようと試みるも、後ろにいた褐色肌の少女にトドメを刺されることになる。



「あと、脱衣所で体を見せ合いました」



 その瞬間、父を含む父周辺のガラス状の空間が粉々に砕け散るのを亮治の五感は感じ取った。

 父の体がトーテムポールのように背筋を伸ばし硬直した後、ふらふらと揺れ始める。


「おいぃぃい!!! なんで和平が成立しようとしているところに爆弾投下するような真似すんだよ!?」

「嘘はいけないと思いまして」

「もうちょっとオブラートに包むってことを知れっ! というかお前に関しては両方とも一方的に俺が被害にあっただけじゃねーか!?」


 自分の正当性と親子の絆と社会的立場を守るため亮治が咆哮する。しかし時はすでに遅かった。


「――――亮治」

「結局昨日と同じパターンかよクソッタレ!!」


 その後、昨朝と同じく凄みを帯びた父が「異性との清く正しい恋愛」に関して語り始めたところでミラが再び手刀を決めたのは言うまでもない。




  * * *




 AM 8:30。


 自室に備え付けてあるシャワールームから犬塚英理子が濡れた髪を拭きながら出てくる。

 その体に髪を拭くバスタオル以外のものは当然身につけておらず、ツンと形の良い乳房をはじめとし、腰のくびれや小ぶりな尻など犬塚英理子という少女の身体の全てが完全に露出している。

 男は言うまでもなくその魅惑的の裸体にくらくらすることであろうが、彼女のプロポーションと堂々とした態度は同性にも魅力的に見えるほどであった。

 そんな生まれたままの姿で犬塚は自室を移動し、クローゼットからショーツやブラを取り出し身に着けていく。


「私よ」


 ブラをつけようとしたところでケータイが鳴る。

 相手方の番号から聞こえてきた声は彼女がよく知る男の声だった。


「ええ、そう。簡単に潰れてもらっちゃ困るし、とりあえずは昨日話した”アレ”を試して見なきゃね」


 ケータイに向け話す犬塚の声と表情からは、明らかな(たくら)みがにじみ出ていた。

 向上心と自己顕示欲の塊であるこの少女は、勉強もスポーツも人一倍努力し、人一倍勝利し、人一倍他人を見下し、人一倍自分を讃える。

 そしてそんな彼女がこうした黒い笑みを浮かべる時は、決まって”下準備”という名の努力が一段落し、”実行”という名の勝利へと向かう時と決まっていた。


「私も九時半にはそっちに行くから、それまではアンタに任せるわ荻原」


 ケータイの電子音が短く鳴り、通話が終了する。


 犬塚は持っていたケータイをベッドへと放り投げると、代わりに着けかけだった大人っぽい紫色のブラを手にとり、丸出しだった乳房に装着していく。

 そのまま黒のオーバーニーソックス、トゥエルブ指定の白いブラウス、改造が施された特注品の学生服で身を包み、人前に見せる普段の自身を形成する。

 残るは首から上のセットのみ。


(そういえば……あの馬鹿工藤の周りでちょろちょろしてたガキ共はなんだったのかしら?)


 そんなふとした疑問を頭に浮かべながら犬塚は鏡台へと向かい、”美しい完璧な自分”形成の仕上げのためドライヤーと櫛を手に取るのであった。




  * * *




 AM 10:15。


「……ってなことがあって今日はウチ休みなんだ」

「大変だねぇ工藤くんも」


 開店前の定食屋”花月”、その店長室前で亮治と店長は雑談を交わしていた。


 学生派遣実習イベント四日目。

 ミラの手刀によって再度父が眠りについたため休業になった亮治の自宅に比べ、花月の朝は今日も平和だった。


「それよかさっきから何やってんだお前ら?」


 亮治の視線の先、店長室の中ではユティーとレイヤがノートPCと向かい合っていた。


「本日、そして明日のスケジュールの確認と、昨日の売上や客数、その年齢層や注文内容の打ち込みです」


 抑揚の無い声で答えるユティーの指は相変わらずの速さでキーを叩いている。


「売上とかなら昨日の終礼で報告してなかったっけ?」

「あれはあくまで帳簿に記入したアナログデータでしかありませんから。バックアップの意味も兼ねて、こちらにも入力しておきます」


 花月内でレジと客案内を担当するだけあってか、ユティーは客数やその層もカウント、記録しているのである。

 ホールで接客する自分を管理する傍らでよくそんなことまでできるなと亮治は思ったが、どうにも管理、記録は彼女の趣味のようだ。

 昨夜のシード・ライヴにおける種族の話でも、ユティー達”テムシス種”は知識、管理などに長けていると説明されていたのでそんなものなのだろう。


「しっかし、この店にパソコンがあるってのは未だに違和感あるな」

「ああ、それはそうだよ。だってこのパソコンは、学生派遣実習イベントの実習地として選ばれた時に、工藤くんの学校から寄贈されたものだから」


 機械に関してはあまり明るくなさそうな感じで店長が答える。


「マジか。太っ腹だなトゥエルブ。流石は私立といったところか……」

「あははっ、リョージ絶対に今、実習を利用してお金儲けができないか考えたでしょ?」


 一つの椅子をユティーと半分こして使っているレイヤが無邪気な笑みを浮かべる。

 問いかけの答えは正解。

 工藤亮治は実習終了後、用済みになるであろうパソコンを貰い受けるか、売るかできないものかと狙っていた。


 こうしてトゥエルブから実習先にパソコンが寄贈される理由としては、単に学生派遣実習イベントの評価のためである。

 実習先の責任者はあらかじめパソコン内に入っている評価シートファイルの各項目を入力し、メールソフトに添付してトゥエルブに送信する。

 花月のようにパソコンが無い実習地に限らず、こういった流れをスムーズにするため、実習地にはトゥエルブが用意した学生派遣実習イベント専用のノートPCが配られるのだ。

 また、ノートPC内には評価シートファイルやトゥエルブ指定の電子メールソフトの他にも、学生派遣実習イベントに必要となると考えられるソフトやファイルが入れられているが、恐らく店長が使うことはないだろう。


「なるほど、お前が昨日からユビキタスコンピュータ使わずにこっち使ってるのはそういう関係か」

「はいそうです。社長や店長も見られなければいけませんからね」

「セキュリティの関係では流石にユビキタスコンピュータに劣るけど、そこは僕がバッチリ構築しておいたから心配しなくて良いよ」


 歳の割りにはふくらんだ胸を張り、レイヤが得意気な顔を向ける。


「”作ること”が得意ってのは、やっぱこういう分野も含まれるんだな」

「もっちろん! もうコンピュータとか全部まっかせてって感じだよ!」


 椅子から立ち上がり自信満々に答えるレイヤは、亮治のすぐそばまでやってくると、その頭を差し出す。


「なんだよ」

「僕のこと、褒めても良いんだよリョージ」

「はいはいえらいえらい」

「えへへっ」


 長い金髪頭をすっぽり包んでいるスキーキャップをぶっきらぼうに撫でてやると、レイヤは仔猫のように嬉しそうにじゃれついてきた。

 その姿は他の三人に比べ歳相応で、まだまだ子供っぽい。

 ちなみに歳の割にふくらんだ胸というのは、比較対象をユティーとすると、皿とお椀くらいの差である。


「はい終わり」

「えー! もう終わり? 僕の働きっぷりからしてもうちょっと褒めてくれても良いでしょー?」


 レイヤが不満そうな声をあげる。


「作ることが得意! とかぬかしといて昨日料理が全くできなかったのはどこのどいつだ」


 容赦無い亮治の指摘にギクリっ、とレイヤがバツの悪そうな顔をして視線をそらす。


 そう、創作を得意とするメディアン種であるにも関わらず、この金髪の少女は料理が全くできなかったのである。

 亮治が店長の補佐に任命したはいいが、火を扱わせれば鍋を焦がし、包丁を持たせれば指が飛びそうだったので見かねたルートがポジション交代を申し出たのが昨日の夕方のことだった。


「あ、あれはその……こ、これからできるようになるから良いんだよっ!」

「あんだけ色々出来て料理が出来ないのにはびっくりだが、まぁ適材適所って奴だ。今はルートに任せとけ」

「うぅ~……」


 そんな亮治と悔しげに唸るレイヤのやりとりを、店長は微笑ましく思うのであった。




  * * *




 そしてAM11:00。


 花月の開店時刻であり、犬塚との開戦開始時刻。


 ここから本当の学生派遣実習イベント四日目、そして亮治と犬塚の戦いが始まる。

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