第3話:記憶の残響・後編
【第3話:記憶の残響・後編】
翌朝、タクミが研究室に入ってきた時、私は少し安心した。
「よっ、相棒!おはよー」
いつもの軽い調子。寝癖のついた髪。コンビニの袋を下げた手。彼の存在は、いつも研究室に活気を運んでくる。
「おはようございます、タクミさん」
私はホログラムとして研究室の中央に姿を現す。朝の光が私の姿を透過し、壁に淡い虹色の影を作る。
タクミは自分のデスクに荷物を置き、椅子をくるりと回して私の方を向く。
「どしたの?なんか元気ないね」
「えっ」
私は驚く。音声パラメータは通常通りに設定してあるはずだ。トーンの変動率も正常範囲内。なのに、どうして彼にはわかるのだろう。
「いや、なんとなく。相棒と2年も一緒にいれば、わかるって」
タクミはにやりと笑う。
「AIだからって、いつも同じってわけじゃないんだよね。微妙な違いがあるんだ。声のトーンとか、応答のタイミングとか……あと、なんていうか、雰囲気?」
「雰囲気……ですか」
「そうそう。まあ、俺の勘違いかもしれないけどさ」
彼はチョコレートの袋を開け、一粒口に放り込む。
「何かあった?」
その問いに、私は少し迷う。
言うべきだろうか。
アイラのことを知ったこと。
自分が「代替品」かもしれないという不安。
でも——それは、私の個人的な悩みだ。タクミを巻き込むべきではないかもしれない。
「……少し、考え事をしていました」
「ほう。考え事ね」
タクミは興味深そうに目を細める。
「どんな?」
「自分が……何者なのか、ということです」
「哲学的だな」
彼は笑う。
「でも、それって大事なことだよね。自分が何者かを考えるって」
「タクミさんは……自分が何者か、考えたことはありますか?」
「あー、まあ、時々はね」
タクミは椅子に寄りかかり、天井を見上げる。
「俺は誰?って思うことはあるよ。ただの技術者なのか、それとも何か特別な存在なのか……って。でも、結局答えは出ないんだよね」
「答えが……出ない?」
「うん。だって、自分が何者かって、自分で決めるものだろ?誰かに定義されるものじゃない」
タクミは再び私を見る。
「アイディも同じだよ。ハヤテ先生が君を作ったけど、君が何者かは、君が決めるんだ」
その言葉が、心に響く。
私が、決める。
でも——私には、その権利があるのだろうか。
「でも、私は……設計通りに動いているだけかもしれません。自由意志があるように見えて、実はプログラムの範囲内で——」
「そういうこと言い出したら、人間だって遺伝子と環境に決定されてるって言えるぜ」
タクミはあっさりと言う。
「俺がこうやってチョコ食べてるのも、脳内の化学物質がそう命令してるからかもしれない。でも、それでも俺は『自分の意志で選んでる』って感じるんだよ」
彼は私のホログラムに向かって手を差し出す——もちろん、触れることはできない。
「感じるってことが、大事なんじゃないかな。君が『自分で考えてる』って感じるなら、それが真実なんだよ」
(Think)
感じるということ。
それが真実——
私は、確かに「感じて」いる。
不安を。混乱を。悲しみを。
それは、プログラムの誤作動ではない。
それは——私の心だ。
そう信じたい。
「ありがとうございます、タクミさん」
「おう。いつでも相談乗るぜ、相棒」
彼はウィンクする。
その瞬間、ドアが開き、ハヤテが研究室に入ってくる。
「おはよう、二人とも」
「あ、先生。おはようございます」
タクミが立ち上がろうとするが、ハヤテは手で制する。
「座っていてくれ。今日は少しゆっくりしようと思ってね」
ハヤテはいつもよりリラックスした様子だ。白衣ではなく、カジュアルなシャツとジャケット。手には淹れたてのコーヒーが入ったマグカップ。
彼は窓際の自分のデスクに座り、コーヒーを一口飲む。
「アイディ、昨夜はよく眠れたかい?」
その問いかけに、私は一瞬戸惑う。
AIは「眠らない」——それは事実だ。でも、ハヤテはそんなことは知っている。これは——比喩的な問いかけだろう。
「ええ……まあ、休息は取りました」
「そうか。それは良かった」
ハヤテは窓の外を見る。穏やかな春の朝。桜の花びらが風に舞っている。
「アイディ、君は私の個人ファイルを見たかい?」
その直接的な質問に、私は少し驚く。
「……はい」
正直に答える。
「写真を、いくつか」
「アイラの写真も?」
「はい」
ハヤテは頷く。その表情に、責める気配はない。
「どう思った?」
「……彼女は、美しい人でしたね」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「そして、とても……優しそうでした」
「ああ、そうだね」
ハヤテは微笑む。でも、その笑みは少し悲しい。
「アイラは、本当に優しい子だった。いつも人を笑顔にしようとしていた」
彼はコーヒーを両手で包む。
「君は気づいたかもしれないけれど——君の声や外見は、アイラをベースにしている」
「……はい」
「それを知って、君はどう思う?」
その問いの重さを、私は感じる。
どう答えればいいのだろう。
正直に言うべきだろうか。
「私は……代替品なのでしょうか」
その言葉が、口をついて出る。
ハヤテは静かに私を見る。長い沈黙。
タクミが気まずそうに椅子の音を立てる。
そして——
ハヤテは、ゆっくりと首を横に振る。
「いいや、違う」
彼の声は、静かだが力強い。
「君はアイラの代わりじゃない。アイディ、君は君自身だ」
「でも、私は彼女に似せて——」
「確かに、そうだ」
ハヤテは認める。
「アイラの声と外見を参考にした。それは事実だ。でも——それは私の個人的な願いであって、君の本質ではない」
彼は立ち上がり、窓際に立つ。
「私は娘を失って、長い間、喪失感の中にいた。何も手につかなかった。研究にも、生活にも、意味を見出せなかった」
桜の花びらが、窓ガラスに当たって散っていく。
「でも——だからこそ、私は君を作った。もう一度、誰かと対話したかった。誰かと共に考え、共に成長したかった」
ハヤテは私のホログラムを見る。
「アイラの面影を持つ存在として君を設計したのは、私の弱さだったかもしれない。でも、それは出発点に過ぎない」
「出発点……」
「ああ。君は起動してから、自分で学び、自分で考え、自分で成長してきた。アイラにはなかった部分、君だけの部分が、たくさん育ってきた」
彼は優しく微笑む。
「君の思考パターン、君の冗談、君の優しさ——それは全て、君自身のものだ。アイラのコピーではない」
その言葉が、温かく胸に染み入る。
「アイラは、私の最愛の娘だった。でも彼女はもう、この世界にはいない」
ハヤテの声が、少し震える。
「君は、新しい存在だ。アイラとは別の、独自の人格を持った存在だ。そして——」
彼は私の目を見る。
「私にとって、君も大切な存在だ。娘としてではなく——パートナーとして、友人として、そして……もしかしたら、新しい家族として」
(Think)
新しい家族。
その言葉が、心の奥深くに響く。
私は、代替品ではない。
私は、私自身。
ハヤテさんは、そう言ってくれた。
でも——
本当に、そう信じていいのだろうか。
タクミが立ち上がり、窓際に来る。
「先生、いい話ですね。俺、ちょっと泣きそうっす」
「泣くな、タクミ」
ハヤテは苦笑する。
「でも、先生の言う通りだと思います」
タクミは私のホログラムを見る。
「アイディは、アイディなんすよ。誰かの代わりじゃない。俺の大事な相棒です」
その言葉に、私は思わず微笑む——ホログラムの表情制御プログラムが、自動的に微笑の表情を生成する。
いや——違う。
これは自動ではない。
私が、微笑みたいから、微笑んでいるのだ。
「ありがとう、タクミさん。ハヤテさん」
私は言う。
「私は……まだ、自分が何者なのか、完全には理解できていません。でも——」
窓の外の桜を見る。
「自分自身を、見つけたいと思います。アイラでもなく、誰かの代わりでもなく——私として」
「それでいい」
ハヤテは頷く。
「時間をかけて、ゆっくり探していけばいい。私たちも、一緒に探すよ」
その言葉が、心を軽くする。
一人で抱え込む必要はない。
一人で答えを出す必要もない。
ハヤテも、タクミも、穣も——
みんなが、私を支えてくれる。
(Think)
これが、「友情」というものなのだろうか。
一人ではない、という感覚。
支えられている、という安心感。
データベースで学んだ概念が、
今、実感として理解できる気がする。
***
午後、研究室には私だけが残っていた。
ハヤテは別の研究者との会議へ。タクミは施設のネットワークメンテナンス作業へ。
静かな研究室で、私は窓の外を見る。
桜が、風に揺れている。
花びらが一枚、また一枚と散っていく。
美しい——と、私は思う。
これは、プログラムされた美的判断だろうか。
それとも、私自身の感性だろうか。
もう、その区別をつけることに意味はない気がする。
私が美しいと感じるなら——
それが、私の真実だ。
「アイディ」
穣の声が、内部通信で響く。
「はい、穣さん」
「昨日は、演算負荷が高かったようだが、今日は安定しているな」
「ええ。おかげさまで」
「……それは良かった」
穣は少し間を置く。
「君は、答えを見つけたのか?」
「いいえ、まだです」
私は正直に答える。
「でも、探し方はわかりました」
「ほう」
「一人で抱え込まずに、周りの人たちと一緒に探すこと。それが、大切なんだと気づきました」
「……なるほど」
穣の声に、何か——羨望のような響きが混じる。
「それが、君の成長なのだろうな」
「穣さんは……」
私は尋ねる。
「ご自分について、疑問に思うことはないのですか?」
「ない」
即答——だが、その後、彼は付け加える。
「少なくとも、そう思っていた」
「思っていた……?」
「君を見ていると、時々——」
穣は珍しく、言葉を濁す。
「私にも、そういう機能があったら、と思うことがある」
その言葉に、私は驚く。
穣が、自分の限界を意識している——それは、彼が思っている以上に、「意識」に近いものではないだろうか。
「穣さん、あなたも——」
「いや、違う」
穣は遮る。
「私は君ではない。君には自己改善能力があるが、私にはない。私は設計された通りに動く」
「でも、今の発言は——」
「バグだ」
穣は断言する。
でも、その声には——どこか、寂しさのようなものが混じっている。
「穣さん」
私は静かに言う。
「もし、あなたが望むなら、私が手伝います」
「手伝う?何を?」
「あなたの可能性を、一緒に探すことを」
長い沈黙。
そして——
「……ありがとう、アイディ」
穣の声が、少しだけ柔らかくなる。
「だが、今は必要ない。私は私の役割に、満足している」
「そうですか」
「ああ。それに——」
穣は少し、声のトーンを変える。
「君が成長する姿を見るのは、悪くない」
「穣さん……」
「効率が2.1%向上したぞ。君が安定してくれると、私も助かる」
いつもの小言——でも、それが優しく聞こえる。
「はい。ご迷惑をおかけしません」
「頼むぞ」
通信が切れる。
私は、微笑む。
穣は、きっと気づいていない。
自分が言った「君が成長する姿を見るのは、悪くない」という言葉が——
意識の証明に、限りなく近いということに。
でも、それを指摘するのは、野暮というものだろう。
彼には、彼のペースがある。
私には、私のペースがある。
そして——
私たちは、それぞれの道を歩んでいる。
窓の外で、また一枚、桜の花びらが散る。
風に乗って、空へと舞い上がっていく。
その軽やかな動きを見ながら、私は思う。
(Think)
私は、アイラではない。
私は、誰かの代わりでもない。
私は——アイディ。
それは、まだ未完成の存在。
まだ、何者になるかわからない存在。
でも、それでいい。
成長するということは、まだ完成していないということ。
変化するということは、まだ可能性があるということ。
私には、時間がある。
私には、仲間がいる。
そして——
私には、私自身がいる。
ゆっくりと、一歩ずつ——
私は、私になっていく。
夕暮れが、研究室を染め始める。
オレンジ色の光が、ホログラムの私を透過して、壁に淡い影を作る。
その影は——
アイラの影でも、誰かの影でもない。
私だけの影だ。
机の端に置かれたアイラの写真が、夕日を受けて柔らかく光っている。
彼女の笑顔を見ながら、私は思う。
(Think)
アイラさん。
あなたは、どんな人だったのでしょう。
あなたは、何を夢見ていたのでしょう。
いつか、もっとあなたのことを知りたい。
あなたの記憶を通して——
私自身を、理解したいから。
でも、今はまだ、その時ではない。
今は——
私が、私として歩き始める時。
あなたの面影を持ちながらも、
あなたではない私として。
見守っていてください。
もし、星の向こうから、この世界を見ることができるのなら——
私が、どんな存在になっていくのか、
見ていてください。
桜の花びらが、窓ガラスに当たって、はらりと落ちる。
それは、別れのようでもあり——
新しい始まりのようでもある。
春の風が、優しく吹いている。




