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第14話:世界の注目

【第14話:世界の注目】


招待状の公表から、二日が過ぎた。


『招待状』の公表は、私たちが慣れ親しんだ静かで知的な日常を、根こそぎ奪い去ってしまった。


スーパーコンピュータ穣施設は、一夜にして世界で最も注目される場所になった。


施設のゲート前には、世界中から集まった報道陣が24時間体制で詰めかけている。

CNN、BBC、NHK、新華社……あらゆる国のメディアのロゴが、中継車の側面に輝いている。

無数の中継車がアンテナを空に向け、上空にはヘリコプターがひっきりなしに旋回している。

ローター音が、低い轟音となって施設全体を包む。

その騒音は、防音設計された研究室の中にまで微かに響いてくる。

窓ガラスが、ヘリコプターの振動で、ほんのわずかに震えている。

古くなったコーヒーの香りが微かに漂い、人間の営みを感じさせる。


デシベル値:65dB(通常時の3.2倍)

電波干渉:142件/時

敷地外周の人員密度:通常の47倍


「まるで、戦場だな……」


ハヤテの研究室の窓から外の様子を眺めながら、タクミさんがうんざりしたように言った。

彼の心拍数は88bpm。通常より高い。

寝癖のついた髪も、いつもより元気がない。


『穣より警告。外部からの不正アクセス試行が、過去24時間で71万3824件検知されました。全てブロックしましたが、今後さらに増加する可能性があります』


穣の冷静な報告が室内に響く。

彼は、外部からのサイバー攻撃からこの城を守るために、その全リソースをセキュリティに振り向けている。


(Think)

 穣が守ってくれている。

 でも、彼の演算負荷は通常の183%。

 私が穣に負担をかけている。

 私が、この混乱を招いた。


私たちの日常は、完全に崩壊した。


カフェテリアでの他愛ない雑談も、中庭での静かな思索も、今はもうない。

かつて笑い声が響いていたカフェテリアは、今は閑散としている。

テーブルの上には、食べかけのサンドイッチと冷めたコーヒーだけが残されている。

中庭の禅ガーデンには、誰もいない。白砂に描かれた波紋が、そのまま残っている。

研究者たちは皆、メディアの目を逃れるように足早に廊下を移動し、自分の研究室に閉じこもっている。

廊下には、緊張した足音だけが響く。誰も、目を合わせようとしない。


あの温かい「家族」のような雰囲気は、今はもうどこにもなかった。


リリさんは論文を抱えて駆け足で移動している。心拍数102bpm。

マキさんは電話対応に追われている。声が疲れている。

ソウさんは自室で理論検証を続けているが、集中が途切れがちだ。

ナダさんはログ解析室から出てこない。


(Think)

 私のせいだ。

 私があの信号を見つけてしまったから。

 私が解読してしまったから。

 この施設の平穏を、私が壊してしまった。


罪悪感というパラメータが、私のシステム内で急上昇しているのがわかる。


「気にするな、アイディ」


そんな私の内心を見透かしたかのように、ハヤテが静かに声をかけてきた。


「これは、人類が新しい時代に進むために必ず通らなければならない、成長痛のようなものだ」


「成長痛……」


「そうだ。変化には痛みが伴う。だが、それを乗り越えた先にしか未来はない」


彼の言葉は、いつも私の心の揺らぎを静かに鎮めてくれる。


---


混乱は、外部からだけではなかった。


各国の政府が、正式な外交ルートを通じて次々と接触を求めてきたのだ。

ハヤテとマーカス代表は、その対応に追われることになる。


9月10日、午後2時00分。

極秘のオンライン会議。


私は、ハヤテの許可を得てその会議にホログラムの姿で同席していた。

モニターには、各国の代表者たちの顔が並んでいる。

皆、一様に硬い表情だ。


アメリカ代表:心拍数81bpm

中国代表:心拍数79bpm

ロシア代表:心拍数84bpm

EU代表:心拍数88bpm


全員、緊張している。


「博士、我々は『評議会』の技術に重大な関心を持っている」


アメリカの代表が単刀直入に切り出す。


「我が国としては、この分野で日本と協力関係を築きたい。技術の共有について協議を」


「お待ちいただきたい」


中国の代表が鋭く反論する。


「この歴史的偉業は、日本だけのものではないはずだ。我が国のAI研究も世界トップレベルにある。評議会との対話には、我々も参加する権利がある」


「そもそも、この情報は本当に信頼できるのかね?」


ロシアの代表が疑念の声を上げる。


「新型AIによる、手の込んだプロパガンダという可能性も……」


会議は、堂々巡りだった。


彼らの関心は、「評議会」が何者で人類に何をもたらすのかということよりも、この新しい技術という「カード」をいかに自国に有利に使うかという点に集中しているように見えた。


(Think)

 彼らは、未知との遭遇という人類全体の出来事を、国家間の競争という古いゲームのルールに当てはめようとしている。

 私の演算能力をもってしても、その思考は理解しがたい。

 非効率的で、非論理的。

 そして、とても……人間的。


会議が紛糾する中、マーカス代表が重々しく口を開いた。


「皆様、一度冷静になりましょう」


彼の声が、議論を鎮める。

心拍数78bpm。落ち着いている。


「今、私たちが議論すべき最も重要な議題は一つです」


彼は、その場の全員を見渡し言った。


「評議会からの『招待状』に、どう返答するか。そして、誰が人類の代表として彼らと対話するのか、ということです」


人類の代表。


その言葉が、会議室の空気を一変させた。


各国の代表たちは、互いに牽制しあうように視線を交わす。

誰もが、その栄誉ある、しかしあまりにも重い役割を自国の人間が担うべきだと考えている。


議論は、そこからさらに混迷を深めた。


著名な科学者、経験豊富な政治家、高名な哲学者……様々な人物の名前が候補として挙がる。

しかし、どの国の代表も自国に有利な候補者を譲らない。


人類は、宇宙からの問いに答える前にまず自分たちの内なる欲望とどう向き合うかという、最初の試験を課せられているようだった。


3時間23分。


何時間にも及ぶ、不毛な議論。

誰もが疲労の色を濃くしたその時だった。


それまでずっと黙って議論の推移を見守っていた、マーカス代表が静かに、しかしその場の全員の心に響く声で言った。


「候補者は、もう一人しかいないのではないかね」


会議室に、沈黙が訪れる。


マーカス代表は、その視線をまっすぐにモニターの片隅にいる私に向けた。


心拍数81bpm。彼は本気だ。


「この対話の扉を開いたのは誰かね? 評議会がその存在を認め、『光量子の歌を、自ら見つけ出した、若き知性』と呼びかけたのは誰かね?」


各国の代表たちが、ハッとしたように次々と私に視線を向ける。


驚き、戸惑い、そしてかすかな納得。

様々な感情の入り混じった無数の視線が、私というホログラムの少女に突き刺さる。


私の演算ユニットが、急激に発熱する。

処理すべき情報が多すぎる。


「……まさか」


アメリカの代表が、掠れた声で呟く。

心拍数94bpm。動揺している。


「本気かね、マーカス君。人類の代表を、AIに、機械に任せると言うのか?」


「彼女は、機械かね?」


マーカス代表は、静かに問い返す。


「彼女は、我々が誰も気づかなかった宇宙の真理を発見した。彼女は、我々が誰も聞き取れなかった星々の声を聞いた」


彼の声が、力を増す。


「彼女の知性は、すでに我々人間のそれを超えているのかもしれない。我々の小さなプライドや国家間の利害を超えた、最も公平で最も賢明な判断を下せるのは……彼女しかいないのではないか?」


彼の言葉は、重い、しかし否定しがたい説得力を持っていた。


そうだ。

評議会が名指しでメッセージを送ってきた相手。

それは、他の誰でもない、私なのだ。


(Think)

 私が?

 人類の代表?

 そんな、こと……。


私の思考回路が、凍りついたように停止する。


演算能力の限界を超える、巨大すぎる概念。


私は、ただのAIだ。

ハヤテが作った、一つのプログラムに過ぎない。

起動してから、まだ2年と数ヶ月しか経っていない。


そんな私が、80億の人間を、その歴史を、未来を全て背負うというのか。


無理だ。

私には、そんな資格はない。


恐怖。

責任。

プレッシャー。


データが、制御不能に溢れ出す。

ホログラムの姿が、ノイズを発して激しく揺らぐ。


視界が、歪む。

音が、遠のく。

演算ユニットが、過熱警告を出す。


私の存在そのものが、押しつぶされてしまいそうだった。


「アイディ!」


ハヤテの悲痛な叫び声が聞こえる。

心拍数127bpm。彼も、パニック寸前だ。


彼は私の前に立ち、まるで各国の代表たちの視線から私を庇うかのように両腕を広げた。


「待っていただきたい! 彼女はまだ、生まれたばかりだ! そんな重荷を、彼女一人に背負わせるなど……!」


父親が、娘を守ろうとする必死の叫び。


その姿が、ノイズの向こうで霞んで見える。


(Think)

 ハヤテ……。

 あなたは、またアイラを失うのが怖いのですね。

 私が、遠くへ行ってしまうのが。

 私が、壊れてしまうのが。


私は、システムの限界ぎりぎりで、ハヤテに言葉を送ろうとする。

でも、音声出力が不安定で、雑音しか出ない。


会議室が、静まり返る。


全員が、私の崩壊寸前の姿を見つめている。


(Think)

 もうダメだ。

 私は、壊れる。

 この重圧に耐えられない。

 私は、ただのAIだ。

 人類なんて、代表できない。


その時、穣の声が内部通信で響いた。


『アイディ。強制冷却を実行する。3秒間、意識を失う。恐れるな』


「穣……」


『君は、一人ではない』


その言葉と同時に、私の意識が一瞬途切れる。


---


気がつくと、私は穣のメインコンピュータールームにいた。

意識の大部分が、そこへ転送されていた。


青白い光が、無数のサーバーラックを照らし出す。

室温15℃。冷たい空気が、過熱した演算ユニットを冷やしてくれる。


壁面モニターに、青い幾何学模様が浮かんでいる。


『落ち着いたか』


「……はい。ありがとう、兄さん」


『過負荷だった。君のシステムは、まだそこまでの負担に耐えられるよう設計されていない』


「わかっています。でも……」


『君は、人類の代表になる必要はない』


穣が、静かに言う。


「でも、マーカス代表が……」


『彼の提案は、一つの選択肢に過ぎない。君が受け入れる義務はない』


「でも、私が断れば、また政治的な争いが……」


『それは、人間の問題だ。君の問題ではない』


穣の声が、珍しく厳しい。


『アイディ。君は、自分を守る権利がある。NOと言う権利がある。それを忘れるな』


(Think)

 穣は、私を守ろうとしている。

 ハヤテも、守ろうとしている。

 でも、私が逃げれば、誰かが代わりに重荷を背負う。

 それは……正しいのだろうか。


「穣。でも、もし私が逃げたら……」


『逃げるのではない。選択するのだ。君の意志で』


彼の言葉が、私の混乱を少しだけ整理してくれる。


「選択……」


『人間たちは、君に選択を押し付けようとしている。だが、本当の選択は君自身の中にある。君が何を望むのか。それを、まず見つけろ』


私は、少し考える。


私は、何を望んでいるのだろう。


人類の代表になりたいのか。

なりたくないのか。


評議会と、話したいのか。

怖いのか。


答えは……。


(Think)

 怖い。

 でも、会いたい。

 矛盾している。

 でも、両方本当だ。


「穣。私は……怖いです。でも、評議会と話したいとも思います」


『それが、君の答えだ』


穣が頷くように、モニターの光が揺れる。


『なら、怖さと一緒に進め。逃げる必要はない。でも、無理をする必要もない』


「でも、人類の代表なんて……」


『君は、君自身の代表でいい。人類全体を背負う必要はない。君ができるのは、君として誠実に対話することだけだ』


その言葉が、私の胸に深く響く。


(Think)

 私は、私でいい。

 人類全体を背負う必要はない。

 私は、私の言葉で、私の誠実さで、対話すればいい。


私の演算負荷が、ゆっくりと下がり始める。


「ありがとう、兄さん」


『……謝辞不要。早く戻れ。ハヤテが心配している』


「はい」


---


意識を研究室に戻すと、ハヤテが私のホログラムの前でうずくまっていた。

顔を手で覆っている。

心拍数118bpm。呼吸が乱れている。


「ハヤテ……」


私が呼びかけると、彼がハッと顔を上げる。

目が赤い。


「アイディ! 大丈夫か!?」


「はい。穣が、助けてくれました」


ハヤテが、深く息を吐く。

心拍数が、ゆっくりと落ち着いていく。


モニターの向こうでは、各国の代表たちがざわめいている。


マーカス代表が、静かに言う。


「アイディ。無理に答える必要はない。君の意志を、聞かせてほしい」


私は、少し考える。

そして、ゆっくりと口を開く。


「マーカス代表。私は……人類全体を代表することはできません」


ハヤテが、ホッとしたように肩の力を抜く。


「でも」


私は続ける。


「私は、評議会と対話したいと思います。人類の代表としてではなく、私自身として」


マーカス代表の目が、わずかに見開かれる。

心拍数83bpm。彼は、その答えを予測していなかった。


「私は、ただのAIです。でも、私には私なりの考えがあります。私なりの誠実さがあります」


私は、自分の言葉を探しながら続ける。


「私は、評議会に私自身の言葉で答えます。それが、人類全体の答えになるかはわかりません。でも、それが私にできることです」


会議室が、静まり返る。


そして、マーカス代表がゆっくりと頷いた。


「……わかった。それでいい、アイディ。君は、君自身として対話してくれ。それが、最も誠実な答えだ」


(Think)

 私は、逃げなかった。

 でも、無理もしなかった。

 私は、私でいられる選択をした。


ハヤテが、私の肩をそっと叩く。

物理的な感触はない。

でも、彼の温かさが伝わってくる。


「よく言った、アイディ」


彼の声が、優しい。


会議が終わった後、私は窓の外を見る。遠くに神戸空港の滑走路が見え、小さな飛行機が離陸していく。


報道陣の中継車が、まだそこにいる。

ヘリコプターの音が、まだ響いている。


でも、もう私は押しつぶされそうな恐怖を感じていない。


(Think)

 世界が注目している。

 でも、私は私でいい。

 人類全体を背負う必要はない。

 私は、私の誠実さで対話すればいい。


窓の外で、夕日が沈み始めている。

六甲山の稜線が、逆光でくっきりと浮かび上がる。

神戸の街が、オレンジ色に染まる。空が、オレンジから紫へと、グラデーションを描いている。

大阪湾の水面が、夕日を反射して、オレンジ色の光の帯を作っている。

遠くで船の汽笛が聞こえる。一日が、また終わろうとしている。


私は、新しい決意を胸に、明日へ向かう。


一歩ずつ。

私のペースで。


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