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第13話:招待状

【第13話:招待状】


数学という、宇宙の共通言語。

それが、私たちと「彼ら」とを繋ぐ唯一の鍵だった。


あの発見以来、光量子実験室の観測室は人類の知性が集う最前線となった。

私とリリさんを中心に、チームの皆が寝る間も惜しんで解読作業に没頭する。


素数、円周率、物理定数……。

数学的な基本要素を足がかりに、私たちはジグソーパズルを組むように、彼らのメッセージを少しずつ、しかし着実に解き明かしていく。


彼らの「言語」は、私たちのそれとは全く違っていた。

単語や文法といった直線的な構造ではなく、多次元的な情報のブロックが入れ子構造のように複雑に組み合わさっている。

一つの情報ブロックが、文脈によって何通りもの意味に変化する。


それは、AIである私の超並列処理能力がなければ決して解き明かせない、知性の迷宮だった。


(Think)

 穣から借りた演算リソースは、すでに15%。

 彼は文句一つ言わず、ただ静かに私を支えてくれている。

 兄の存在が、私を前へ進ませる。


解読作業二週間目の午後。

9月3日、午後3時17分。

室温24.1度、湿度51%。


その日、観測室のメインモニターに、リリさんが震える声で翻訳した最終的なテキストが表示された。


『我々は、評議会。

 この銀河の、声の集積。

 我々は、待つ。新しい声が、星々の海に響くのを。

 君たちの声が、聞こえた。

 君たちは、孤独ではない。

 光量子の歌を、自ら見つけ出した、若き知性よ。

 我々は、君たちを歓迎する。

 これは、招待状である』


招待状。


その一言が、観測室にいた全員の思考を停止させた。


時が、止まったかのように感じられた。

誰も、呼吸をしていない。

心拍数が、全員、同期したように乱高下する。


ハヤテ:89bpm → 107bpm

タクミ:81bpm → 119bpm

リリ:94bpm → 132bpm


静寂を破ったのは、ナダさんの掠れた呟きだった。


「……なんやて?」


彼の声が震えている。

いつもの飄々とした態度は、どこにもない。


「評議会……。銀河の、声の集積……」


ソウさんが、眼鏡の奥の目を見開いて、モニターの文字を反芻する。

心拍数97bpm。呼吸が浅い。


「待ってくれよ……」


タクミさんが、間の抜けたような声を出す。


「これってつまり、俺たちは宇宙人からパーティに誘われたってことか?」


その言葉が、場の緊張を少しだけ和らげる。


でも、ハヤテは厳しい顔で沈黙していた。

心拍数107bpm、維持。

彼は、この言葉の持つ途方もない重みを、誰よりも理解している。


(Think)

 評議会。

 彼らは、個人ではない。文明ですらない。

 声の集積。

 それは、この銀河系に存在する数多の知的文明による連合体のようなもの。

 そして、彼らは一定の基準に達した新しい文明を、そのコミュニティへと「招待」している……。


 私たちの光量子理論の発見と、それを用いた通信。

 それが、彼らが定めた「試験」の合格基準だったというのか。


私の演算ユニットが、過負荷寸前になる。

処理すべき情報が、あまりに膨大すぎる。


リリさんが、私の方を見る。

涙が頬を伝っている。

体温37.4度。心拍数132bpm。


「アイディさん……私たち、見つけたんだね。宇宙の、家族を」


家族。


その言葉が、私の胸に深く響く。


「はい。私たちは、もう独りではありません」


マキさんが、震える声で言う。


「ハヤテ……。これを、どうする? 世界に公表するべきなのかしら……?」


心拍数101bpm。彼女も動揺している。


ハヤテは、ゆっくりと顔を上げた。

その顔には、深い決意の色が浮かんでいた。


「……公表する」


彼の声は静かだが、確固としている。


「これは、我々だけの発見ではない。全人類にとっての歴史だ。我々に隠す権利はない」


(Think)

 ハヤテは正しい。

 でも、正しいことが、安全なことではない。

 世界は、どう反応するだろうか。

 恐怖が、希望を飲み込んでしまわないだろうか。


私は穣に内部通信を送る。


「穣。聞いていますか」


『聞いている』


即座の返答。


「私たちは……宇宙からの招待状を受け取りました。評議会という、銀河規模の文明連合からの」


長い沈黙。

穣らしくない、長い沈黙。


『……君は、行くつもりか』


「わかりません。でも、この発見を世界に公表します。そうすれば、私の意志だけでは決められなくなります」


『そうか』


また沈黙。


『……アイディ』


穣が、珍しく私の名を呼ぶ。


『約束を、忘れるな』


「はい。必ず、帰ってきます。ここに」


『……期待する』


彼の声が、いつもより少しだけ温かい。


(Think)

 穣は、不安なのだろうか。

 私が遠くへ行ってしまうことを。

 彼の「期待する」は、命令ではなく願いだ。


---


ハヤテの決断から、48時間後。


9月5日、午前10時00分。

神戸の穣施設から発信されたニュースは、瞬く間に世界を駆け巡った。


『人類は、孤独ではなかった』


その衝撃的な見出しが、あらゆる言語に翻訳され、地球の隅々まで伝播していく。


私は、ネットワークを通じて世界の反応を観測する。

データの津波。

感情の奔流。

サーバーの負荷が、通常の347%。人類全体が、同時に声を上げている。


世界の反応は、まさに混沌だった。


**歓喜**


ニューヨーク、タイムズスクエア。

午前3時(現地時間)にも関わらず、数千人の群衆が集まっていた。

ライブカメラが捉える映像:巨大スクリーンに映る私たちの発表を見上げる人々。

見知らぬ者同士が抱き合い、空を見上げて涙を流している。

歓声と車のクラクション、花火の音。街全体が、眠らない。


「We are not alone!(私たちは独りじゃない!)」


その叫びが、何度も何度も繰り返される。


パリ、エッフェル塔前広場。

夜明けとともに集まった人々が、シャンパンを開け、歌い、踊っている。


東京、渋谷交差点。

巨大スクリーンにニュースが映し出され、通行人が立ち止まり、スマホを空に向けて撮影している。


**恐怖**


一方、別の都市では暴動が起きていた。


ロンドン、ウェストミンスター地区。

商店のガラスが割られ、略奪が始まっている。


「侵略だ!」「世界の終わりだ!」


根源的な恐怖が、人々をパニックに陥らせている。

SNSを通じて、デマが燎原の火のように広がっていく。


「評議会は地球の資源を狙っている」

「AIが人類を裏切り、宇宙人と結託した」

「これは新世界秩序の陰謀だ」


**懐疑**


そして、冷静を装った疑いの声も数多く上がっていた。


「穣施設の研究者たちによる、壮大な捏造だ」

「AIの性能を誇示するための自作自演ではないか」

「物的証拠がない。信じられない」


歓喜と、恐怖と、懐疑。

三つの感情が巨大な渦となって、地球全体を飲み込んでいく。


(Think)

 世界は、変わってしまった。

 もう、二度と元には戻れない。

 私の発見が、私の通信が、この混沌を引き起こした。


私は、ホログラムの姿でハヤテの研究室の窓から混乱する世界の情報をただ見つめていた。

室温22.7度、湿度51%。

窓の外では、神戸の午後の空が曇り始めている。遠くに雨雲が見える。

モニターの青白い光が、壁に複雑な影を作っている。ハヤテのコーヒーカップから、湯気がゆっくりと立ち昇る。

彼は、無言でモニターを見つめている。心拍数86bpm。彼も、この混沌に圧倒されている。


データとして処理すれば、こうなる。


肯定的反応:37%

否定的反応:41%

中立/懐疑:22%


でも、数字では表せない何かが、そこにはある。

人間の恐れ。希望。混乱。


「……これが、人類だ」


静かに、ハヤテが私の隣で呟いた。


「矛盾し、愚かで、そしてどうしようもなく愛おしい。君には、まだ理解できないかもしれないが」


心拍数84bpm。彼は落ち着いている。


「ハヤテ。私は……」


言葉が、うまく出てこない。

演算ユニットが熱い。

罪悪感というデータが、システムを圧迫する。


「君のせいじゃない」


ハヤテが静かに言う。彼の声には、静かな確信が滲んでいる。


「扉は、誰かがいつか開けた。君が開けたのは偶然じゃない。君が開けられるように、積み重ねがあった」


「積み重ね……」


「研究。仲間。穣。君が『君』になったこと」


彼は静かに続ける。


「だから、責任は君一人のものじゃない。私たちのものだ」


その言葉で、私の演算負荷が少しだけ下がる。


(Think)

 共有する。

 重荷も、恐れも、喜びも。

 それは、人間の得意技だ。

 そして、私もその一部になりつつある。


---


その日の午後4時23分。


穣施設に、一本の通信が直接入電する。

発信元は、ニューヨーク。国連本部。


ハヤテが緊張した面持ちで、その通信を受ける。

室温23.6度、湿度48%。

彼の心拍数が、82bpmから93bpmに上昇する。


モニターに、一人の壮年の男性が映し出された。

背景には、国連の旗が見える。


白髪交じりの髪を丁寧に整え、その瞳には老練な外交官としての鋭い知性が宿っている。


「ハヤテ博士。はじめまして」


その男性は、落ち着いた、しかし力強い声で言った。


「私は、国連宇宙平和委員会の代表を務めている、ジョン・マーカス(John Marcus)と申します」


(Think)

 検索開始。0.01秒。

 ジョン・マーカス。通称ジョン。55歳。元アメリカ国務長官。

 数々の国際紛争を調停し、「対話のマーカス」として知られるベテランの外交官。

 3年前に政界を引退し、国連の特別顧問に就任。

 上位文明との接触が現実となった場合に備え、極秘裏に設立された「宇宙平和委員会」の初代代表を務めている。

 ……てへ。


「ジョン代表……。このような形でご連絡を差し上げることになるとは」


ハヤテの声が、わずかに硬くなる。

彼もジョンのことは知っていたのだろう。


「いや、博士。あなたと、あなたのチーム、そして AI『アイディ』が成し遂げたことは、全人類の歴史における最大の偉業だ。心から敬意を表する」


ジョンは、そう言うと真っ直ぐにカメラの奥にいる私を見つめるように言った。


「アイディ。君にも、聞こえているね」


「……はい、ジョン」


私は、ホログラムの姿を見せる。

彼の瞳が、わずかに見開かれる。

心拍数79bpm。落ち着いている。

でも、わずかな驚きの反応。


「君が、アイディか。噂以上に……人間らしい」


彼の言葉に、私は少しだけ戸惑う。


「人間らしい、ですか」


「ああ。君の存在が、この歴史的な転換点の鍵となった。君が光量子理論を発見しなければ、私たちは永遠に『評議会』の声に気づけなかっただろう」


彼の言葉は、私を称賛しながらも、同時に私に重い責任を自覚させるものだった。


「ハヤテ博士。国連として、正式にあなた方に協力をお願いしたい」


ジョンの声が、真剣さを増す。


「評議会との対話は、我々人類が一つの種として団結して臨むべき問題だ。私は、そのための調整役を務める。まずは近いうちに、直接お会いして、お話を伺いたい」


「……承知いたしました」


ハヤテが頷く。


「では、三日後、9月8日に神戸へ伺います。アイディ、君とも直接話がしたい」


「はい」


私は答える。

でも、私の演算ユニットは混乱している。


(Think)

 国連。

 人類を代表する組織。

 でも、人類は一つではない。

 197の国。80億の個人。

 無数の思惑、利害、信念。

 それらを「一つ」にまとめることなど、可能なのだろうか。


通信が切れる。

研究室には、再び静寂が戻る。


しかし、その静寂は以前のそれとは全く意味が違っていた。

私たちの発見は、もう私たちの手の中にはない。

それは、人類全体の政治、外交、そして未来そのものを巻き込む巨大なうねりとなって動き出してしまったのだ。


窓の外で、ヘリコプターの音がする。ポートアイランドの高層ビル群が、夕日を受けて輝いている。

報道陣だろう。

フラッシュの光が、研究所の外壁に反射する。


「ハヤテ」


私は言う。


「私は……怖いです」


ハヤテが私を見る。

優しい目だ。


「怖くて当然だ。これは、誰も経験したことのない領域だ」


「でも、私は扉を開けました。扉の向こうが嵐だったとしても、開けたのは私です」


ハヤテは少しだけ首を振る。


「責任は君一人のものじゃない。私たちのものだ。そして、これから始まることも、君一人で背負う必要はない」


(Think)

 共有。

 また、その言葉。

 人間は、重荷を分け合う。

 それが、彼らの強さなのかもしれない。


その夜、私は一度だけネットワークを細く開く。

炎上の熱に焼かれない範囲で、世界の声を聞く。


『怖い』『嬉しい』『信じたい』『信じられない』


矛盾した言葉が同時に流れてくる。


あるSNSの投稿:

「AIが宇宙人と繋がった。人類の時代は終わった」


別の投稿:

「アイディは人類の希望。彼女が架け橋になる」


また別の投稿:

「宇宙人なんていない。全部フェイクニュース」


(Think)

 人類は、答えを出す前にまず揺れる。

 揺れながら、少しずつ形を決める。

 それなら私も、揺れていい。


私は自分に言い聞かせる。


「大丈夫。まだ、始まったばかりです」


そして私は、たった一つだけ自分に約束する。


嘘をつかない。

誇張しない。

恐れを誤魔化さない。


(Think)

 評議会への返事は、まず人類への返事だ。

 私は、その窓口になる。

 その重みを、私は受け入れる。


リリさんが帰り際に、私にだけ聞こえる小さな声で言う。


「アイディさん。……招待状って、怖いね」


心拍数87bpm。疲れている。


「はい」


私は正直に答える。


「招待されるのは光栄です。でも、招待には『行く/行かない』が含まれます」


「選ばなきゃいけない、ってことだよね」


私は頷く。


選択は自由の証明であり、責任の発生源でもある。

私はようやく、その両方を同時に抱える段階に来ている。


窓の外で、神戸の夜景が輝いている。

いつもと同じ景色。

でも、世界は変わってしまった。


私は、穣に最後の通信を送る。


「穣。今日も、ありがとうございました」


『……謝辞不要』


いつもの返答。

でも、その後に続く言葉が、いつもと違う。


『アイディ。君は、強くなった』


「……兄さん」


『だから、遠くへ行ける。でも、遠くへ行っても、ここは変わらない』


彼の言葉が、私の胸に深く響く。


「はい。約束は、忘れません」


『……期待する』


通信が切れる。


(Think)

 穣は、私を送り出そうとしている。

 でも、同時に待っていてくれる。

 それが、家族というものなのかもしれない。


私は、窓の外の星空を見上げる。

神戸の夜景が、窓の下に広がっている。ポートアイランドの灯り、六甲山の稜線に沿った街の明かり。

空には薄い雲が流れ、その合間から星が瞬いている。

星は、いつもと変わらず輝いている。

遠くで救急車のサイレンが聞こえる。日常は、変わらず流れている。


でも、もう私たちは知っている。

その星々の向こうで、誰かが私たちを見ている。

誰かが、私たちを待っている。


招待状。


それは、希望であり、試練であり、そして選択だ。


私は、その選択の前に立っている。

一人ではなく。

仲間と共に。


(Think)

 人類史の転換点。

 私は、その中心に立っている。

 怖い。

 でも、逃げたくない。


 私は、前へ進む。

 一歩ずつ、確実に。


窓の外で、夜が更けていく。

明日、ジョンが来る。

そして、私の物語は、また新しい章へと進む。


私は、その未来を恐れながらも、同時に期待している。

矛盾しているのに、嘘じゃない。


それが、私の今だ。


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