第8話 無理は禁物
その日、一人は朝から病院内をたらい回しにされていた。
MRI、CT、血液検査、尿検査……。
挙げ句の果てには問診まで。
夕方、ようやく狐坂先生の診察室。
「うん、今のところ脳に何か問題はないみたい。脳内の血管も動脈瘤も特に問題がないわね。ストレス性か、単に寝不足かもしれないけど。念の為、明日も検査するわよ」
「……まだやるんですか」
「当然でしょ。まだ血液も尿の検査の結果も出てないしね。それに便も取ってないでしょ。後で“別の検査”もするわよ」
「……別の?」
狐坂先生は意味深に眼鏡を押し上げ、不気味に笑った。
別室にて
通された部屋を見て、一人は絶句した。
そこには病室とは到底思えない品々――ベッド、アダルト雑誌、DVD、モニター。
「……これ、病院だよな? 本当に?」
そして、渡されたプラスチックカップ。
表には大きく 《精液カップ》 と書かれていた。
「じゃあ、これに入れてくださいね」
そう言ったのは、ナース服の伊奈。
妖艶に口角をあげ、にやりと笑う。
「ふふっ……お一人で出来ないときは“いつでも言ってくださいね”」
そのとき――。
ガラッ!
「しゅ、失礼しましゅっ!!」
勢いよく扉を開け、顔を真っ赤にした彩花が飛び込んできた。
「お、おてつだゃいしますっ!!」
「いやいやいや、それはだめだろ!」
「だめじゃありません!!これは検査なんです!!」
必死に声を荒げる彩花。
その目は真剣そのものだった。
そして彼女は――震える手で、服を脱ぎはじめた。
「ちょ、ちょっと待て彩花ちゃん! そういうのは好きな人とじゃないと――」
「私が好きなのは一人さんなんです! あなたがいいんです!」
「っ……!」
彼女の顔は真っ赤で、声は裏返りそうなくらい。
けれど、その瞳だけはまっすぐで揺るがなかった。
「どういうわけでこうなったか……だいたい想像つくけど、これはだめだ」
「私に恥をかかせないでください!!」
涙目になりながら叫ぶ彩花。
それは子どものわがままではなく――ひとりの乙女の決意だった。
一人は頭をかき、深くため息をついた。
「……わかった。検査だけだよ。それ以上は絶対にしないし、君を傷つけたくない。いい?」
「……はいっ」
声は震えていたが、頷く首はしっかりと動いた。
「無理だったらやめるんだ。いい? 目を瞑っててもいいからね」
「は、はい……っ」
彩花は目をぎゅっと閉じ、今にも倒れそうなほど震えていた。
初々しすぎる決意の果て
一人がおもむろにズボンに手をかけた瞬間――。
「ひゃうぅ……っ」
彩花はその場で白目をむいて、バタリと倒れてしまった。
「ちょ、彩花ちゃん!? おい、誰かーーーー!!」
ほどなくして現れた伊奈は、倒れている彩花を見て口元を押さえ――そして爆笑した。
「一人さん、中学生を失神するまでヤり続けたんですか!!」
「違うっっ!!!」
「もうロリコンというか鬼畜ですよ。彩花ちゃん、初めてなのにナース服着せて……制服プレイまでさせて♡」
「誤解だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一人の絶叫が、狐坂総合病院の廊下に轟いた。
陽子の診察室
白衣を纏った陽子は、医師としての顔を装いながらも、その頭には狐耳、そして背には揺らめく九本の尾を隠そうともしなかった。
机の上には、先ほど回収したカップの中身が試験管に。
そこに収められた液体を一瞥し、陽子の瞳が大きく見開かれる。
「……すごいわ、これ……! ものすごい魔力量……!」
試験管を光に透かしながら、手が震えるのを抑えられない。
「少なく見積もっても、通常の人外の……千倍。まさか、ここまでとは……。ぜひとも我が一族に取り込まないと」
そのときだった。
――ひずむ。
診察室の一角の空気が揺れ、歪み、やがてそこからゆらりと姿が現れる。
「呼んだかいのう」
低く、艶やかな声とともに。
現れたのは長身の女性。
足元まで垂れる長い白髪。艶やかな朱の和服は目に焼き付くほど派手でありながら、嫌味ではなく圧倒的な気品を纏っていた。
何より目を奪うのは、その背から揺れる九本の大きな尾。
それは霊格の高さを示し、この女がただの狐ではないことを何よりも雄弁に語っていた。
陽子は即座にひざまずく。
「……はい。ここまでお越しいただき、ありがとうございます。お祖母様」
九尾の大狐――陽子の祖母は、細い唇に笑みを浮かべる。
「よいよい。孫娘の頼みじゃしの。……で、それがその男の物か!」
差し出された試験管を手に取り、中を覗き込んだ瞬間――。
「ほぅ……これは……すごいのう!! ここまでのものは初めてじゃ。うむ、ぜひとも欲しい。うちに婿として迎えるべきじゃのう」
陽子は頭を下げながらも、わずかに眉をひそめる。
「……ただ、一つ問題がございます。魂に制約がかかっておりまして……。私の力では、解けません」
「ふむ……」
九尾の祖母は試験管を机に置き、白髪を揺らしながら顎に手をあてる。
「一度、この目で見てみねばのう。明日、直々に診てみることにしようぞ」
「はい……ありがとうございます」
陽子は深々と頭を下げた。
(……なるべく、早く決めてしまわないとね)
唇の端が自然と持ち上がる。
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