第6話 病院に行こう
ここは一人の病室。
夕暮れどき。
「失礼します」
ガチャリと鍵が開く音とともに入ってきたのは――
ナース服姿の、まだ幼さを残した美少女だった。
「あっ……もしかして君」
思わず声をあげると、その少女の表情がパッと花が咲いたように明るくなる。
「……っ! もしかして、覚えててくれたんですか?」
声が弾む。
「うん、この前、手紙をくれた子だよね」
「はいっ……! 覚えてくれてて、本当に嬉しいです。一人さんにお食事を持ってきました!」
彩花は、小さな胸を張るようにしてトレイを掲げた。
「ありがとう。でも君、学生さんだよね?」
「はいっ! 学校の職場体験なんです。よろしくお願いします!」
その元気な返事に、一人も思わず笑ってしまう。
「こちらこそ、よろしくね」
「では、お食事を準備しますね!」
彩花はベッドの脇に腰を下ろすと、テーブルに料理を並べていく。
そしてスプーンを手に取り――。
「はいっ、お口、開けてください!」
「えっ? 自分で食べられるけど……」
「病院の指示なんです。まだ平衡感覚が戻ってないから、食べさせるようにって」
「……そうなんだ」
少し照れながらも、スプーンを受け入れる一人。
その様子を彩花は、どこか嬉しそうに見つめていた。
やがて、もうひとつのベッドが部屋に運び込まれる。
(え……ここ、個室じゃなかったのか?)
思わず一人は心の中で呟いた。
全部食べ終えた後、一人は小さく頭を下げる。
「ごめんね、彩花ちゃんにこんなことさせちゃって」
すると彩花は、パッと満開の笑顔を見せた。
「うれしいっ! 一人さん、名前……覚えててくれたんですね!」
「うん、手紙に書いてあったから。可愛らしい女の子で、印象に残ってたんだ」
(サマエル:……おいおいおい。お前、気づかないのか?今の完全に地雷だぞ)
「えへへへっ」
頬を赤くしながら、嬉しさを隠しきれない彩花。
「じゃあ、お食事お下げしますね!」
そう言って、名残惜しそうに部屋を出て行った。
病室の外。
「……うまくいったようね、ふふっ」
狐坂陽子が薄い笑みを浮かべる。
「はい! お母様! 名前、覚えててくれてました!」
彩花は声を弾ませ、頬を紅潮させている。
「これは脈ありよ。畳み掛けなさい。いいわね」
「……はいっ!!」
母に励まされ、少女は力強く頷いた。
それから1時間後――。
「しゅ、しゅつれいしまふ……!」
ガチャリと鍵が開き、病室に現れたのはナース服姿の美少女。
顔を真っ赤にし、どこか挙動不審なその子は、言うまでもなく彩花だった。
(お母様は“畳みかけなさい”って言ってたけど……無理だよ〜っ!)
「今度は何?」
一人が苦笑混じりに問いかける。
「せ、せいしき……します! びょ、病院着脱いでくださいっ!」
カミカミで必死な声。
「えっ……いや、それは彩花ちゃんにさせるわけには……」
「きゃ、きゃずと……一人さん! きょ、きょれは医療行為れす! びょ、びょう、病院の指示ですから!」
息も絶え絶えにそう言い張る彩花。
「そ、そうなんだ……じゃあ自分でするから、タオル貸して」
「りゃ、駄目です! これは医療行為です! 途中で倒れられると……きょ、困るので!」
「……いいの?」
「お任せください!」
彩花はそう言い切るが、顔は真っ赤。視線は床に落ちて、手は小刻みに震えていた。
「じゃ、じゃあ……ふゅっきゅ……拭きますね!」
タオルを手に、一人の体をぎこちなく拭き始める彩花。
そして――。
「じゃ、じゃあ……しゅた……下も脱いでくりゃさい!」
「いやいや、そこは自分でするから」
「りゃめれす! 駄目です! い、いいですか、きょれは……医療行為なんれす!」
声を裏返しながら、顔を真っ赤にして目を合わせようとしない。
「彩花ちゃん、無理しなくていいんだよ」
「む、無理とか……してません! す、すると言ったらするんです! い、いいから……パンツ、おろしてくりゃさい!」
その瞬間、彩花の顔は完全に茹でダコ状態。目がぐるぐる回っている。
一人は思わず苦笑しながら、穏やかな声で言った。
「ふふっ……彩花ちゃんの一生懸命なところとか、真面目なところ、すごく伝わるよ。僕への好意も……でも、無理しちゃだめだよ。そのままでも十分、素敵だから」
(サマエル:……また自分から地雷原に突っ込んだな。俺は知らんぞ)
「……っ!」
彩花の顔がさらに真っ赤になり――。
「しゅ、しゅつれい、しまひゅっ!」
消え入りそうな声を残して、彩花は慌てて病室を飛び出していった。
病室の外。
(……あゝ。一人さん……強いだけじゃなくて、優しくて、気遣いまで出来るなんて……反則です……!)
胸を押さえて、彩花は止まらない鼓動に戸惑っていた。
夜9時。
館内放送が「就寝時間」を告げる。
消灯した病室に、ほっと息を吐いた一人。
「……じゃあ、そろそろ寝るか」
独り言をもらすと――。
「しゅ、しゅつれい、しましゅ……!」
またしても病室の扉が開いた。
入ってきたのは、ナース服姿の彩花。
彼女は小さな足取りでベッドの横に回り込み――ためらいもなく、その隣のベッドにイン。
「えっ……この部屋で寝るの? それはダメだよ」
驚きの声を上げる一人。
「ひゃ、らいじょうびゅ……れしゅ。きょ、きょれは……い、医療きょうい……れしゅ……」
顔を真っ赤にしながら、噛み噛みで必死に言い張る彩花。
「彩花ちゃん、よく聞いて。男性の病室に女性が泊まるなんて、よくないことだよ。どんな指示があったか知らないけど……別の部屋で寝るんだ」
真面目な声色に、彩花はうつむいて――そして、絞り出すように訴えた。
「お、お願いします。実は、職場体験は嘘なんです。…家に借金があって…この部屋で寝かせてください。そうしないと私…働いてお金返さないと……ご飯を食べさせてもらえないんです。お腹を空かせた弟や妹たちが……困るんです……」
大粒の涙が、頬を伝い落ちていく。
「……そうなんだ」
一人は一瞬、言葉を失い――やがて小さく頷いた。
「わかった。でも“寝るだけ”だよ。仕切りのカーテンから先には、絶対に来ないこと。いいね?」
「……はいっ!」
涙を拭い、花が咲いたように笑顔を見せる彩花。
(お母様、ありがとう……。お母様の言った通りにすれば――やっぱり一人さん、チョロかったですっ)
そうして、静かに夜は更けていった。
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