第5話 白い巨塔
ここ、祓川高校2年B組。午後の授業中――。
今日はなんだか体が重い。お弁当もほとんど食べられずに残してしまった。
(風邪かな……?)
そんなことを考えながら半分上の空で黒板を眺めていた、その時だった。
「はい、じゃあこの問題――家成くん、答えてみて!」
突然の指名に、思わず椅子から立ち上がる。
「は、はい!」
だがその瞬間。
視界がぐにゃりと歪み、血の気が引いていく。
吐き気、頭痛、めまい。立っているのもやっとで――。
「あれ……?」
遠くから、誰かが自分の名を呼ぶ声。
けれど、それもどんどん遠ざかっていき――。
次の瞬間、僕は暗闇の底へ沈んでいた。
気がつけば、真っ白な天井。ベッドに寝かされた僕。
「ここ……病院?」
思わず頭をかきながら、無人の病室を見回す。
やがて、引き戸が開く音。
「失礼します」
現れたのは、ナース服姿のボブカットの女性。
凛とした美しさを纏い、静かに微笑んでいた。
「あっ、もうお目覚めになられましたか。先生がもうすぐいらっしゃいますので、今はゆっくりお休みください。」
「あ、はい……」
(サマエル:おい、一人。あの女、人間じゃないぞ。気をつけろ)
内なる声に小さく頷きながら、僕は恐る恐る尋ねる。
「すみません、ここってどこなんですか?」
「狐坂総合病院ですよ。明日は検査になると思いますが……今日は安静にしてくださいね」
(この辺じゃ一番大きい病院だ。子供の頃から何度も来てるし……大丈夫なはず)
(サマエル:……油断するなよ)
そう言い残して退室するナース。
その口元が、ほんのわずか吊り上がったように見えた。
一時間後。
「失礼します」
先ほどの看護師に続き、白衣を纏った長身の女性が入ってきた。
ブラウンのロングヘアー、少し吊り目で知的な顔立ち。
強さと美しさを兼ね備えた女医――。
「医師の狐坂です。少し診察しますね」
ベッド脇に腰掛け、穏やかな声で僕に問いかける。
「倒れる前はどんな状態でしたか? 今はどうですか?」
「えっと……吐き気と頭痛、めまいがして……気づいたらここに。でも今はもう、何ともないです」
「そうですか。呂律も回ってるし握力も問題なさそうですが、念のため検査しましょう。明日はCTとMRIを撮ります。今日は泊まってください」
そう告げると、狐坂医師は看護師へ指示を飛ばし、颯爽と退室していった。
残った看護師は柔らかく笑う。
「私は伊奈 梨花です。よろしくお願いしますね、ふふっ」
「家に連絡したいんですけど、スマホもなくて……泊まる用意も何もしてなくて」
「荷物はご家族が届けてくださると思います。それにスマホは医療機器に影響するので禁止ですよ。もうすぐ食事が来ますから、ご安心を」
そう言って病室を後にする梨花。
ほどなくして、再び扉の外から声。
「すみません、何かあればブザーを押してくださいね。それと、この病室から出たらダメです。倒れて運ばれたんですから、安静第一ですよ」
ガチャリ――。
扉の外で確かに音がした。
「えっ……今、外から鍵かけられた……?」
僕の背筋に、冷たいものが走った。
放課後 映画研究部部室
部室に集まるのは、澪と永遠、亜紀、そしてりり。
相変わらず騒がしい4人である。
「おい、一人が授業中に倒れたって、ほんとか? 伊空が今、荷物持って行ったって聞いたけど」
腕を組んだ澪が眉をひそめる。
「うん、本当だよ。授業中にバタッといって、そのまま救急車で運ばれた。たぶん狐坂総合病院じゃないかな」と永遠。
「じゃあ、後でお見舞いに行こうか。たぶん一泊して検査でしょ。まあ――原因はわかってるけど」
意味ありげに呟く亜紀。
「……原因? 何それ?」と無邪気に聞き返す永遠。
「決まってるでしょ。寝不足。私はちゃんと睡眠時間を確保させてるけど――」
そう言って、冷たい視線を周囲に投げる。
「……………………」
視線を逸らす永遠と澪、そしてりり。目が泳いでいる。
「まあ、運ばれたのが獅堂医院じゃなくて良かったよ。あそこなら、今頃……解剖されてたと思う」
サラリと言い放つ亜紀。
「ちょっと待って狐坂総合病院って……狐坂? 狐……狐?」
澪が何かに気づき、額を押さえる。
「あーーーーやばいやばいやばい!!」
同じ頃 狐坂総合病院・受付
「なんで面会できないんですか!? 私、家族ですよ!」
食い下がる伊空。だが受付職員は冷静だった。
「意識が戻ったばかりなので、面会禁止です」
「じゃあせめて、この着替えとスマホを渡してください!」
だが差し出した荷物も突き返される。
「スマホは院内禁止ですし、着替えはこちらで用意いたします。必要があればこちらから連絡いたしますので」
「……そうですか。じゃあ、また明日来ます」
渋々病院を出る伊空。しかし心の中は不信感でいっぱいだ。
(怪しい……荷物も受け取らないなんて)
病院を出た後、窓越しに一人の病室を探すが、カーテンが閉められていてわからない。
(きっと個室だな……)
ふと、自分が持ち帰った荷物に目を落とす。
(……この下着とシャツ、新品に取り替えて…。あゝ、中身確認して貰えるものは……新品と交換すれば…)
病院・裏側
その頃。受付職員は狐坂陽子――狐坂女医へ報告していた。
「面会希望者が来ましたが、追い返しました。荷物も受け取っておりません」
「そうか。荷物に監視機器や呪が仕込まれていたら厄介だから。当面は面会謝絶よ」
狐坂女医は冷ややかに言い放つ。
「承知しました」
受付職員の頭を垂れる姿に、ふと耳と尻尾がちらりと揺れた。
その傍らで、看護師の伊奈も口を開く。
「では、手筈どおりに……」
さらに、狐坂女医の隣にはひとりの少女。
ブラウンのボブカット、あどけなさを残す中学生くらいの少女――彩花。
「お母様……」
不安げに女医を見上げる。
「いいの、彩花。勇気を出して。あなたなら必ず大丈夫」
狐坂陽子の声音は優しくも、不気味に響いた。
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