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第3話 危険な情事

サマエル討伐戦から二週間。



 嵐のような日々が過ぎ去り、ようやく訪れた休日――土曜日。



 一人は、澪と並んで街角のカフェに腰を落ち着けていた。


 昼下がりの店内はほどよく賑やかで、カップルが談笑し、女子グループが写真を撮り合い、コーヒーの香りと甘いデザートの匂いが漂っている。



 一人は、コーヒーカップを手にして澪の隣で笑顔を作ろうとした。



 だが、澪は真剣な眼差しで彼を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

「……あのさ、一人」

 低く、押し殺した声。


「イゾルデに浮気したことは、正直まだ腹が立ってる。たとえ酔って前後不覚になったとしても、あの金曜の夜に亜紀と口論して、私が不安定だったとしてもだ」



 一人の心臓がズクリと痛んだ。

(やっぱり……まだ怒ってるよな)



「でも」澪は一拍置き、苦笑した。

「イゾルデ……いや、今は“伊空いそら”だな。あいつは私の親友だ。だから、お前の恋人になるのは……許す」



「え……本当に……?」

 一人の声は裏返りそうになる。


「吸血鬼や悪魔よりは、ずっとマシだからな」

 そう吐き捨てるように言って、澪はアイスコーヒーを啜った。


 一人は慌てて姿勢を正す。

「は、はいっ……ありがとうございます」

(逆らったら本気で殺される……)



 澪はふっと目を細める。

「今更だけどな。……お前、わかってるか? 伊空はかなり重い女だぞ」



「え?」



「今まで男と付き合ったこともなければ、ろくに話したこともない。だから今、四六時中、お前のことしか考えてない。……もし“別れる”なんて言ったら、リストカットくらい軽くやるぞ」



「えっ……まさか……」


「そう思うか?」

 澪は冷ややかに笑った。


「じゃあ、ゆっくりでいい。自然な感じで店内を見回してみろ」

 言われるままに、一人は視線を後ろに流した。



 ――その瞬間。



 サングラスに帽子を目深に被り、赤髪を隠そうともしない女が、別のボックス席に座っていた。


 姿勢は落ち着かない。


 指先はソワソワと落ち着きをなくし、しかし、視線だけは必死に――一人の背中を追い続けていた。



「あっ……」

 思わず声を上げかけたが――



「しっ」澪が即座に制した。



「……お前、伊空に“先輩♡ これ、私と思って部屋に置いてください”ってぬいぐるみ、貰わなかったか?」


「……え、貰った。先週」


「……それな。監視の呪が掛かってる」

 澪は深くため息をついた。


「あいつの得意技なんだよ」



「ま、まじで……?」



「それと。連絡先交換した時、スマホ貸しただろ?」



「……うん。“ちょっと貸してください。連絡先交換したいので”って」



「……だろうな」澪の声はますます低くなる。

「それも監視の呪が仕込まれてる。……お前の通話、ぜんぶ伊空に筒抜けだぞ」



「……」

 一人の顔から血の気が引いていく。



 視線を横にやれば、カフェの片隅でサングラスの女――伊空が、愛しさと狂気を同居させた瞳でこちらを見つめていた。



「……分かりました。」

 短く、しかし妙に芯のある声でそう言った一人は、コーヒーカップをテーブルに置き、席を立った。


 その目は何かを決意したように真っ直ぐ前を向いている。



 澪が「おい……」と小声で制止しかけたが、彼はすでに歩き出していた。


 サングラスに帽子を深く被り、赤い髪を隠し切れずに座っている女の前へ。


 一人は真正面からそのテーブルに立つ。

「……伊空。こんなところで何してるの?」



「ひゃ……! い、いや、人ちがい……ごにょごにょ……」

 焦ったように肩を震わせ、視線を逸らす女。だが、彼女の赤髪も、気配も、間違えようがない。



「いや、伊空だよね。彼女のこと、俺が間違えるはずないだろ」

 妙に男らしい声音で断言する一人。



「……っ、うん……♡」

 頬が赤く染まった伊空の口元から、甘い吐息が漏れる。

(か、彼女って……♡)



「そんなに気になるなら、こっち来れば」

 自然な調子で誘う一人。



 澪が半眼で睨みながら呟く。

「……お前な、今日は“私の日”なんだから。……邪魔するなよ。まあ、仕方ないか……ふふ」


「これ、貸しだからな」

 澪はため息をつきつつも椅子に腰掛け直した。



 伊空は胸の前で小さく手を組み、申し訳なさそうに微笑む。

「うん……気になって……ごめん。ここでちょっとお話したら、ちゃんと帰るから」



 結局、三人でテーブルを囲むことになった。



 カフェのざわめきの中、どこか奇妙な温度を帯びた談笑が続く。



 澪は時折、冷ややかな目で伊空を見やりながらも、あえて水を差さなかった。



 ――その後。



 澪と一人は再びデートに戻り、街の風に消えていった。



 ***



 伊空は、ひとり自宅のドアを開けた。

「……あぁ、やっぱり一人、素敵……♡ サマエル様も……♡」

 頬を紅潮させ、乙女のような微笑みを浮かべる。



 部屋の中は――狂気の温室。



 壁も天井も、一面に貼られたのは一人の写真。笑顔、真剣な顔、戦っている姿。



 視線を投げるだけで胸が締め付けられるような幸福が押し寄せてくる。



 伊空は静かにハンガーから“それ”を取る。



 白い、男物のシャツ。

 袖に残るわずかな温もりを抱きしめ、そっと身を通す。


「ふふっ……これを着ると、まるで彼に包まれてるみたい……♡」



 机の上に置かれたペン立てには、一人の使いかけの歯ブラシ。


 その隣には、割り箸……いや、彼が食事に使った箸が大事そうに挿されている。


 棚の引き出しを開ければ、そこには男物のトランクス。



 伊空は頬を擦り寄せるようにシャツを抱き、イヤホンを耳に掛けた。



 ――そこから流れるのは、一人と澪の会話。



「ふふ……今、どんな顔して話してるのかな……」


 画面の向こうの一人を覗くように、心は恍惚と震えていた。


☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。


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