第9話 お前のものになんてならない
月永さんの目から光が消える。まるで、スクリーンで観たあの狂気のシーンをなぞるかのように。
そして低い声で、冷たく言い放った。
「来るよね。断るわけないよね?」
空気が、一瞬で張り詰める。
その圧は冗談でもからかいでもない。彼女の影が、夜道の街灯に伸びて僕を覆い尽くしていくような錯覚を覚える。
「……はい」
気づけば、僕は頷いていた。拒否など許されない雰囲気に飲み込まれて。
「よし」
再び彼女の笑顔が戻る。まるでさっきの暗い気配など幻だったかのように。
「じゃ、行こっか。こっちだよ」
そうして僕は――月永さんのマンションへと連れて行かれることになった。
胸の鼓動が止まらない。
これはデートの続きなのか、それとも――なにか別の始まりなのか。
――これ、タワマンじゃないか。
しかも最上階。
エントランスからエレベーターに乗り、静かに昇っていく間も心臓の鼓動は止まらない。扉が開いた瞬間、別世界が広がった。
「いらっしゃい」
「お、おじゃまします……」
(女の子の家に入るとか……人生初なんだけど!)
玄関をくぐった瞬間、違和感に襲われた。すごく綺麗なのに、なぜか落ち着かない。生活感がなさすぎるのだ。まるで人が住んでいないモデルルームに足を踏み入れたみたい。
「まあ、そこに座って」
「あっ、うん」
ふかふかのソファに腰を下ろすと、視線の先には百インチはあるであろう巨大テレビ。シアタールームのようなリビングで、僕は居場所を見失いそうになる。
時刻はすでに深夜。彼女が紅茶を差し出し、僕の隣に腰掛ける。肩が触れそうなほど近い。いや、触れてる。
「なにか観ようか?」
不意に囁かれた声は、甘く艶っぽい。体温が一気に上がるのを感じる。やばい、完全に勘違いしそうだ。
テレビを点けるとサブスクの画面が立ち上がった。彼女がわざと耳元で囁く。
「このままさ……朝までね」
(まずい!理性が崩れる!……なにか、気を紛らわせる映画を……!)
僕が選んだのは――
「ジャスティス・リーグ」
「……あのさ」
ジト目でこちらを覗き込む月永さん。
「これで朝までしのごうって? いくらなんでもヘタレすぎじゃない?」
僕が手を震わせながら選んだのは、ザック・スナイダー版ディレクターズカット。上映時間、四時間二分。
「いや……面白いし……長いし」
「ふふ……でもさ、もう逃げられないよ?」
彼女は笑いながら、僕に抱きついてきた。腕が絡みつき、耳元に吐息がかかる。
「こういうの初めてなんでしょ……任せて、ね?」
耳から脳が犯されるような感覚に、理性がガリガリと削れていく。
「こ、こういうのは……付き合ってから……」
彼女はさらに顔を近づけてきた。鼻先が触れ合うほどの距離。瞳が赤く輝き、まるで獣のような光を帯びている。
――【私たち、恋人じゃない】
直接、頭に響く声。
意識が揺らぎ、思わず口が滑る。
「そうだよね……恋人、だもんね……」
唇が触れ合おうとした、その瞬間――
バリーンッ!
窓ガラスが派手に吹き飛んだ。強風とともに侵入してきた影が、鋭く叫ぶ。
「この泥棒猫がぁぁ!!」
飛び込んできたのは、白雪 澪。青い髪をなびかせ、大きなとんがり帽子を被っている。手には箒を握りしめていた。
「くっそ! いいところで……このクソ魔女がぁ!」
月永さんが歯ぎしりしながら立ち上がる。
「彼は返してもらう」
澪は僕の肩をがっちり抱え込む。月永さんの腕の中から強引に奪い取られる。
「はっ! こいつは私のもんだ! 帰れ、魔女!」
「違う! 彼は私だけのもの! お前のものになんてならない!」
澪の足元から光が走った。次の瞬間、僕たちは空に舞い上がっていた。いつの間にか、彼女の箒にまたがって。
(いやいやいや……マジでハリポタ!? こんな展開アリかよ!!)
地上のタワマン最上階が、どんどん小さくなっていく。月永さんの赤い瞳が、窓際でぎらりと光った。
「待てえぇぇ!!!」
夜の都会を背景に、魔女と吸血鬼のような女の戦いが、僕を巡って火蓋を切ったのだった――。
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