第1話 イゾルデ・タナトスは動かない
祓川高校での大立ち回りから――もう一週間。
ここは場末のスナック「魔女の大鍋」。
店内からは、昭和歌謡がかすかに流れている。
常連すら寄りつかぬ夜――客はたったひとり。
カウンターの端っこで、琥珀色のグラスを手に、鼻歌まじりで上機嫌な女。
その名は――
イゾルデ・タナトス。
戦いの末、刑は減刑どころか特赦でチャラ、報奨金までがっぽり。
しかも、闇賭場で「自分の勝利」に大穴ぶっこんで、目ん玉飛び出るような大金ゲット。
極めつけは――「彼氏もできました」。
今、人生絶好調。
「……あんた、えらく機嫌いいじゃない。いいことあったんでしょ?」
カウンターの奥からママが煙草をふかしつつ、営業トーク半分で話を振る。
イゾルデは椅子から転げ落ちそうな勢いで振り向き、
目が「聞いて聞いて!」と全力で訴えている。
「えっ、ママわかる〜!? やっぱママの占い当たるんだよね〜ありがとっ♡」
「ふーん、そう。で、何があったのさ」
「え〜ほんとに聞いちゃう? 聞いちゃっていいの〜? ふふっ」
(……めんどくさいわねぇ。知ってるけど。私が紹介したんだから)
ママは内心げんなりしながらも、顔はにっこり営業スマイル。
「教えてよ〜」
「ふふん……じゃじゃーん! 彼氏できましたぁ!」
イゾルデはスマホを取り出し、光の速さでロック解除。
画面には、どや顔で肩を抱かれているツーショット写真。
(……知ってるわよ。ほんと、私が引き合わせたんだから)
ママは心の中でタバコを灰皿に叩きつけた。だが、口に出すのは別。
「わぁ〜良かったじゃない。すごくお似合いよ」
イゾルデはもう止まらない。
「でしょ〜!? 彼さ、優しくて包容力があって〜、でも時々ワイルドで俺様キャラなの!
ちょっと子供っぽいとこもあるけど〜、この前なんて、みんなの前で『俺の女』って言っちゃって! いや〜♡ もう照れるわぁ!」
ママの営業スマイルが、さらに固まる。
「でねでね! 他の女が見てる前で、ぎゅ〜って抱きしめてきてさ、私困っちゃった♡ ほんと、私にぞっこんなんだって〜!」
幸せオーラがグラスから泡みたいにあふれ出す。
スナックの空気は、彼女の浮かれ声に完全に支配されていた。
ちりん――。
場末のスナック「魔女の大鍋」に、小さなベルの音が響いた。
「いらっしゃい」
煙草をふかしながら、ママがゆるりと顔を上げる。
入ってきたのは、見目麗しい青髪の女。
その艶やかな佇まいは場末の空気すら高級クラブに錯覚させる。
「ママ、いつもありがと」
彼女――白雪 澪ことモルガディアがにっこり微笑む。
「おっ、いたいた! 先に来てたんだ」
「ええ、ちょうどね。……で、例のもの、出来た?」とイゾルデ。
澪は椅子に座る前から目を細めて笑う。
「はは、挨拶より先にそれ聞く? ほんとどんだけ楽しみにしてるのさ。もちろん出来てるよ」
「だって、私にとっては一大事だもん! ありがと、ほんとありがと!」
イゾルデはグラスを抱きしめそうな勢いで頭を下げる。
澪が隣に腰を下ろすと同時に、すかさず声を張り上げる。
「ママ、この店のとっておき、順番にぜ〜んぶ出して! もちろんイゾルデのおごりで!」
「ちょ、ちょっと!?」とイゾルデ。
「はいよ〜」とママは笑いながら指折り数える。
「日本酒なら獺祭の大吟醸か寒北斗の大吟醸。焼酎なら森伊蔵か百年の孤独。ウイスキーなら山崎18年に…響35年……けど高いよ?」
「うん、順番に全部お願い。最後はウイスキーね」
「響まで? 本当にいいのかい……」
「大丈夫! もう遊んで暮らせる財産あるし!」とイゾルデは胸を張る。
「……で、これ」
澪がカウンターに茶封筒を置いた。
「どれどれ〜?」
封を開けたイゾルデの表情が、瞬時に引き締まる。
取り出されたのは――生徒手帳。
記載されている名前は、
棚田 伊空
(たなた いそら)
祓川高校 1年A組。
イゾルデは低い声で呟く。
「ママ、ごめん……響はちょっと待って」
そして澪に睨みを向ける。
「モルガディア。私、“一人と同じクラス”にしてって言ったよね? それに学年も違うじゃない!」
「うん。でも敢えて変えたの」
「どういうこと? 本気で怒るよ」
「はい、獺祭だよ〜」とママがタイミングよく冷酒を差し出す。
澪はマスに注がれた酒を軽く口に含み、肩をすくめた。
「まあ、落ち着きな。説明するから」
「一人のクラスには亜紀と永遠がいる。ここは激戦区だよ。恋愛強者の亜紀に、見てくれだけはヒロイン級の永遠。
ここに飛び込む? この前まで男とまともに話せなかった“なんちゃってあざと女子”のあんたが?
処女捨てただけで舞い上がってたら、火傷じゃ済まないよ」
「う……」とグラスをにぎるイゾルデ。
「ママ、やっぱ響お願い……」
澪はすかさず畳みかける。
「いいかい、今、競争率が低いポジションは“3年の先輩枠”と“1年の後輩枠”。
先輩枠は私が押さえてる。でも後輩枠は空席なんだ」
イゾルデの目がきらりと光る。
「後輩ポジションなら、一人を“先輩♡”って呼べる。
質問形式で話しかけ放題、庇護欲をくすぐるのも簡単。メスガキ風にいじるのもアリ。
しかも卒業式で“第2ボタンください”って言えるんだよ? 最高だろ?」
「……あ、それ、いいかも」
機嫌を取り戻したイゾルデ――いや、新たな仮名「棚田 伊空」は、早速イメージトレーニングに入っていた。
「先輩♡ わからないことがあるんですけど〜」
「……やれやれ。ほんと単純で助かる」と澪はくすりと笑い、酒をあおる。
こうして、客は少ないはずの「魔女の大鍋」は、妙な熱気に包まれていくのだった。
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