第8話 狂気のダンス
あの日以来、僕と月永さんは、毎日のようにRINEでやり取りするようになった。
内容は他愛もない。新作映画の話、授業の愚痴、時々スタンプでの掛け合い――ただそれだけなのに、スマホの画面に彼女の名前が光るたび、胸が跳ね上がる。
クラスの中では、相変わらず一定の距離感を保っていた。必要以上に話すことはなく、他人から見ればただのクラスメイト。
けれど、ふと目が合った瞬間に、彼女が小さく手を振ってくれることがある。
その仕草が、どうしようもなく心臓を締めつけた。
――なんか、これって彼氏彼女みたいじゃないか?
そんな淡い妄想が頭をよぎるたび、自分で自分を叱りつける。
いや、勘違いするな。僕は所詮、非モテの陰キャだ。思い上がるな、と。
金曜の夜。部屋で課題を放置したままゴロゴロしていると、スマホが震えた。
差出人はもちろん、月永さん。
> 明日、映画行かない?
> 観たいのがあるんだ。リバイバル上映で、レイトショーしかやってないの。
> 女の子一人じゃ、帰りが心細いから付き合ってくれない?
僕は慌てて返信した。
> いいよ〜!何見るの?
しばしの間をおいて、返ってきたのは悪戯っぽい一文。
> 秘密だよ〜
> 家まで迎えに行くね!!絶対来てね!!答えは聞かない!!
メッセージの最後に、楽しげなスタンプ。
僕はにやける頬をどうにも抑えられなかった。
そして翌日。
約束どおり、彼女は僕の家まで迎えに来てくれた。
インターホンが鳴り、玄関を開けると、爽やかな笑顔の月永さんが立っている。
その瞬間、母さんのテンションが爆上がりしたのは言うまでもない。
「まあまあまあ! 本当に来てくれたの? どうぞどうぞ、上がって上がって!」
「お邪魔します! 一人くんを映画に連れて行きますね!」
母はすっかり上機嫌で、リビングに彼女を通してしまった。
僕は赤面しながら、なんとか母を制止しようとしたが、時すでに遅し。
家を出てから、映画館へ向かう道中。
月永さんはどこか楽しそうに笑っていた。
「いや〜、お義母さんが家に入れてくれたおかげで、これから“家に入りやすく”なったよね」
「……は?」
「だって、“いつでも入れる”気がするじゃん」
からかうような瞳で僕を見つめる。
僕は耳まで真っ赤になりながら答えた。
「つ、月永さんなら……ウエルカムだよ」
「ほんと? じゃあまた行くよ。“近いうち”にね」
彼女の笑顔が、街灯の光よりもずっと眩しく感じた。
僕の心臓は、レイトショーに向かう前から、すでにクライマックスを迎えていたのだ。
タランティーノの映画は、想像以上だった。
タイトルは知っていた。名作の評判も耳にしていた。でも実際にスクリーンで観ると、その濃密さに圧倒される。
「いやー、面白かったー!」
劇場を出た瞬間、僕は思わず声をあげた。
「ほとんど同じ部屋しか舞台がないのに、あんなに面白いなんて……やっぱ天才だな」
隣で月永さんが小さく笑う。
「でしょ〜?やっぱマイケル・マドセンが最高なんだよね、この映画。あの狂気のダンス、やばいでしょ」
彼女の目は輝いていた。映画の話をしているときの彼女は本当に楽しそうで、眩しいくらいだった。
だが、時計を見ればすでに22時を過ぎている。
レイトショーの名の通り、終わった頃には夜も更けていた。
「そろそろ帰らないとだね」僕がそう言おうとした矢先だった。
「ところでさ」
ふいに月永さんが僕のパスケースを指差す。
「そのキーホルダー、どうしたの?」
「ああ、これ?映研の部長にもらったんだよ」
何気なく答えると、彼女の表情が一瞬で曇った。
「へぇ……その人、“男”なの?」
「いや、女の人だよ」
「あ゛、そう……へぇ〜……そんな女いるんだ」
声のトーンが微妙に落ちて、不機嫌そうな色が滲んだ。
僕は慌てて取り繕おうとしたが、言葉が出てこない。
そして間を置かず、彼女はいたずらっぽく笑った。
「ところでさ、この後どうする?」
「え?いや、そろそろ帰らないと……他に行くとこないし」
「ふーん……」
彼女の瞳が細められたかと思うと、急に真剣な声音に変わる。
「じゃあさ、家来ない? 今、家に誰もいないんだよ」
「えっ……でも……」
断ろうとした瞬間だった。
――目が変わった。
月永さんの目から光が消える。まるで、スクリーンで観たあの狂気のシーンをなぞるかのように。
そして低い声で、冷たく言い放った。
「来るよね。断るわけないよね?」
空気が、一瞬で張り詰める。
その圧は冗談でもからかいでもない。彼女の影が、夜道の街灯に伸びて僕を覆い尽くしていくような錯覚を覚える。
「……はい」
気づけば、僕は頷いていた。拒否など許されない雰囲気に飲み込まれて。
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