第65話 運命の人
夜のスナック「魔女の大鍋」。
時計の針は八時五十五分を指し、今日も店内は静まり返っていた。
閑古鳥が鳴く音だけが、かすかに響く。
カウンターの奥に座るイゾルデは、小さく肩をすくめながら自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「ママの占いによると、ここに夜九時に運命の人が来るから、なにがなんでも口説き落とせってことだけど……私、男と付き合ったことはおろか、ほとんど話したことないんだけど……」
不安が言葉になり、店内の静けさに溶けていく。
そして九時ジャスト。カラン——とドアが開き、そこに立っていたのは一人。
「えっ うそ! モルガディアの彼氏じゃない。マジで」
思わず独り言が漏れる。
「これは!!」
ママも思わず声を上げる。
「こんばんは」
一人は微笑み、カウンターに歩み寄る。
「ああ…いらっしゃ…い。よく…来たね。まあ…カウンターでも」
棒読み気味の声に目配せし、座るよう促すママ。
「あっ、確かイゾルデさんですよね。明日はよろしくお願いします」
「アッ アシタハヨロシク マア コッチ…キテ スワリナヨ」
ぎこちない棒読みの声に、一人は「ですね」と応じ、自然に横に座った。
「ママ、コノヒト二、ナンカ ノミモノヲ」とガチガチのイゾルデ。
「あいよ」
ママは小さく握りこぶしを作り、『頑張れよ』のゼスチャーを送る。
静かなスナックに、グラスの音だけが小さく響く。二人はゆっくり会話を始めた。
「そうなんですか〜澪さんの親友なんですね」
「そうなんだ。昔からめちゃくちゃなやつで、二人でバカばっかりしてさ〜 でも、あいつは天才で、いつも比べられて、私なんか全然でさ」
「僕もですよ。高校じゃ、成績は下から数えたほうが早いくらい、運動はだめ。影が薄いんです。
でも、イゾルデさんは、知識はあるし、王国じゃあ、上位の魔女だし、笑顔も素敵な女性じゃないですか」
「えっ そう、それ本気にするから、適当なこと言わないでよ」
「本気で思ってますけど」
(イゾルデ:こいつ無自覚に女口説いてる……マジワンチャン、有る。これイケる)
胸の奥が、ちょっと熱くなる。
「お前、いいやつだな。この際飲めよ。
もしかしたら明日、お互い死ぬかもしれないからさ〜酒の味くらい覚えず死ぬもんじゃないぞ。
ママ、ビール」
「そうですね。少しだけ」
「あいよ」
グラスに注がれた黄金色のビールが、カランと小さく鳴る。
泡がはじける音が、店内の静けさに柔らかく混ざった。
イゾルデは一口飲み、喉を潤すと同時に、心の緊張が少しほどけていくのを感じた。
(イケる……これはお持ち帰りができる)
ほぼ確信に変わったその瞬間、夜九時のスナックには、運命の時間が静かに流れていた。
深夜。
ベロベロに酔った二人は、臥所を共にして眠りに落ちていた。
女の腕にある、鈍く光を放つ腕輪が静かに輝き始める。
アーティファクト『リリスの腕輪』——
Synthesis Assistance Magic&Enchantment Lend System
統合補助魔法貸与システム【SMAEL】サマエルが、静かに起動した。
起動条件【同意のもと、乙女を捧げる】……確認済。
追加認証許可……イゾルデ・タナトス。
共有化追加認証……認証済。
自動防御展開モード……ダウンロード完了。
自動戦闘・魔法戦闘モード……ダウンロード完了。
近接戦闘モード……ダウンロード完了。
最新版アップグレード……展開完了。
自動起動モード……ダウンロード完了。
支援アプリケーション【SMAEL】システム、通称『サミー』、起動。
――サミー
【お任せくださいませ。゛奥様゛。何人なりとも、あなたを傷つけることはさせません】
その静かな声が、臥所に漂う。
こうして、決戦の朝が、確実に迫っていた。
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