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第62話 嫁ムーヴ(木曜日)

翌朝――。


 食卓に湯気が立ちのぼる。


 炊き立てのご飯と味噌汁の香りが、まだ眠気の残る頭をゆっくりと覚ましていく。


「亜紀、聞いてよ。昨日さ、変な夢見て……。

夢の中で、亜紀とりりが言い争いしてたんだ。」


 一人は、味噌汁を前にしてぼやくように話した。


「正夢にならないといいけど……。

ほら、りりは小学生だから、変なこと言っても許してあげてね。」


「……うん。そうだね。」

 亜紀は一瞬だけ目を伏せ、味噌汁をすする音で間を埋める。


 その声は小さく、しかしどこか含みを持っていた。

「……今日は、ゆっくり寝られるといいね。」


「う、うん。」

 一人はなんとなく居心地悪そうに笑い、焼き鮭に箸を伸ばした。


 そんな空気を振り払うように、亜紀は唐突に切り替える。

「あっ、それとお弁当、忘れないでよね。今日は“シャケ弁当”だから。……あ、あとゴミ出し! 今日はペットボトルの日! いい? 忘れないでよ。」


「は、はい……。」

 結局、朝から完全に“嫁ムーヴ”である。




 玄関先。


 一人が靴を履きながら振り向くと、ランドセルを背負った小さな影が立っていた。


「おはよう、りり。」


「おはよう、一人。」


 ほんの一瞬、和やかな朝の空気が流れる。


 ……が、次の瞬間。


「げっ……亜紀。……おはよう……。」

 りりはバツの悪そうな顔で視線を逸らした。


「おはよう。」

 亜紀はにこりと笑うが、その言葉にはほんのりと棘が混じる。


「昨日は、いい夢……みたいね。」


 「……っ!」

 りりの頬がかすかに赤くなる。何かを知っているような、試すような亜紀の口ぶり。


 二人の間に微妙な空気が漂った、そのとき。


「みんな〜、おはよう!」

 レヴィさんが顔を出す。まるで場を和ませる天使のように。


「おはようございます。」

 一人と亜紀は同時に頭を下げる。


「いってらっしゃ〜い!」

 レヴィさんの明るい声を背に、三人は並んで登校していった。





 ――放課後。



 家成家の玄関を開ける音が、夕暮れの静かな空気に混じる。


「まいったな〜……生徒会の勧誘とか? それに部活の勧誘まで、次から次へって感じでさ。全部断ってたらこんな時間になっちゃったよ」


 ブツブツと独り言を言いながらカバンを下ろす亜紀。


 その口調はどこか焦っているが、妙に主婦じみた響きが混ざっていた。

「主婦はいろいろ忙しいんだっての! そんなヒマないんだから!」


「ただいま〜」と声を掛けると、奥からすぐに返事が届く。


「あっ、帰ったんだ〜。おかえり」

 それは一人の声。もはや日常の一部となったやり取りだ。


 お互いに驚きもなく、自然と笑みが浮かぶ。


 「ごめん、遅くなっちゃったね。今から夕ご飯の準備するよ」


 「いいよ。今日は僕が作ったから。……亜紀みたいに美味しくは出来ないけど」

 台所を覗くと、一人は既にエプロンを外していた。



 亜紀が着替えて席に着くと、テーブルには温かな香りに満ちた料理が並んでいた。


 スパイスの効いたキーマ風カレー、焼きたてのチャパティ、そして酸味が優しいザワークラウトの煮込み。

「へ〜、こんなの作れるんだ。やるじゃん」


「キーマにしてみたよ。スパイスさえあれば簡単に作れるしね。バスマティライスがなかったから、代わりにチャパティを。発酵させないから手軽なんだ」


 湯気に乗って広がるスパイスの香りに、亜紀の腹が小さく鳴る。

 「うーん……美味しい! やるね」


「趣味で作ってみただけだよ。思ったより簡単だった」


「じゃあ、これからは一人にも作ってもらおうかな?」


「いいけど……亜紀ほど美味しくは作れないよ。今度はビリヤニとかガパオライスに挑戦してみるかな」


 亜紀は頬杖をつきながら、ふふっと笑った。

「主婦はね、手を汚さずに食べられるのが一番なの。……でも、楽しみにしてる」


 その姿は、まるで本物の奥さんそのもの。

(……一人もいいね。このままでも、愛せそうだよ)


 心の奥に浮かぶ呟きは、誰にも聞かれない。


 けれど、傍から見ればすでに二人は夫婦同然の関係に見えるだろう。


 そう思えるほど自然で、心地よい時間がそこにあった。


 やがて食事が片付き、静けさが戻る。


 時計の針がゆっくりと進み、また――お約束の零時が近づいてきていた。


☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。


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