第56話 嫁ムーブ(月曜日)
月曜日 帰宅後 家成家
「あ〜あ、今日も散々だったな〜……はあ〜」
つい、声に出てしまう。
玄関の扉をガチャリと開けながら、肩に背負ったカバンをずるりと下ろした。
「ただいま〜……って、あ、そうだ。今日、母さんいないんだった」
思い出す。
母は友達と旅行。今日から土曜まで、家には帰ってこない――。
……はずなのに。
「おかえり〜。もうご飯できてるよ」
玄関先に立っていたのは、見慣れた制服姿の――亜紀。
笑顔で、当たり前のように。
「えっ、どうしたの?! いや、ここ僕んちだよね?」
思わず玄関をキョロキョロと見回す僕。
鍵は僕が開けたはずだし、どう考えても実家の玄関だ。
「うん、だよ。私たちの家だよ。なに、いまさら」
亜紀はさらりとそう言い切った。
あまりにも当然のように。
「まあ、あがりなよ。ご飯、冷めちゃうから」
その声音も仕草も、完全に「嫁」ムーブ。
僕は混乱しつつも――「あ、はい……」と謎の順応をみせ、靴を脱いだ。
「服は、ちゃんと洗濯機の中に入れといてね。私、あんたの靴下とか拾わないよ? いい? 子供じゃないんだから」
「……あ、うん」
もう完全に家主の立場を奪われている。
僕は自室に戻って着替えを済ませると、ダイニングへ。
そこには――
白米、味噌汁、生姜焼き、肉じゃが、サラダ。
母の味を思わせる家庭料理が、テーブルに並んでいた。
「いただきます〜」
「いただきます」
二人で声をそろえ、箸を取る。
一口、生姜焼きを頬張る。
強めの醤油と生姜の香りが鼻に抜け、思わずご飯が進む。
「……うん。おいしい」
「へへっ。でしょ? 自信作なんだ!」
無邪気な笑顔を浮かべる亜紀。
その笑みが、妙に胸をざわつかせる。
「ところでさ……もう嫁設定になってんの? こういうのにだいぶ慣れたけど、ちょっと急じゃない?」
僕は箸を止めて問いかける。
「設定? 何それ。意味わかんない。元から嫁でしょ」
亜紀はケロリと返す。
「……お義母さんには、そういう認識を“設定”したけど」
「いや、サマエル的にはそうなんだろうけど……僕、一人としては、急展開なんだよね」
「ふふ、そう? でも別にいいよね。元々、あんたは私の物だし」
そう言うと亜紀は、空気の奥に潜む“誰か”へ語りかけるように微笑んだ。
「ね、サマエル? 聞いてるよね」
――沈黙。
次の瞬間。
「うん、いいって。すべてを最愛の亜紀に託すって。お前に愛を囁きたいって。なんなら今から“子供作ってもいい”って言ってるよ」
さらりと、亜紀は爆弾を放り込んでくる。
「ごほっ、ごほっ!!」
味噌汁を吹き出しかけ、慌てて口を押さえる僕。
「いやいやいや、絶対そんなこと言ってないだろ! うん、そんな気がする!」
必死に否定すると、亜紀は唇に笑みを浮かべ――
「そうかなぁ。言うよ、きっと。ふふ」
と、意味深に囁いた。
夕食後
「お風呂できてるよ」
食器を片付け終わった亜紀が、当然のように声をかけてくる。
「はーい」
僕は返事をして風呂場へ向かった。――が、その背後に気配。
振り返れば、やっぱり亜紀がついてきていた。
「……ん? 何?」
「えっ? 一緒に入るんじゃないの?」
「はあっ?! いや、なんで?!」
「だって、電気代と水道代がもったいないでしょ。夫婦なんだし」
当たり前のように言い放つ。
……これ、もはや経済的合理性で押し切る問題じゃないだろ。
「もしかして、一人でゆっくり湯船に浸かりたい派なの?」
「う、うん……かな〜」
「ふーん。あ、そうなんだ。じゃあ、ゆっくり入っていいよ」
亜紀はあっさり引き下がった。
***
お風呂から上がってリビングに戻ると、亜紀は当たり前の顔で座っていた。
「じゃあ、そろそろ家まで送っていくよ。夜も遅いし」
僕が言うと――
「ん? 誰を送るの? どこに?」と、首を傾げる亜紀。
「え、いや……その……」
数秒、時間が止まる。
「えっ? んっ? あれ?」
「何言ってんの? ここ、私の家だよ?」
「えっ……いやいやいや、どういう設定なの?」
「設定って……同居の嫁だよ? ここもう私んちだから」
完全に確定事項のように断言された。
「え、じゃあ……亜紀ちゃんが住んでたとこは?」
「ない」
軽く言うなよ!?
いや、ホラーか? これホラーなのか?
「もう寝るよ。明日は早起きしてお弁当作らなきゃいけないんだから」
「……あ、はい」
僕は部屋に戻る。
もちろん――当然のように亜紀も一緒に入ってくる。
そして。
「6畳間にクイーンサイズのベッドがあってビックリしちゃった。まあ、買う手間が省けてよかったよ」
「……ああ、うん」
(……うん、こうなるよね。わかってたけど)
僕の心の中には、諦めにも似た納得が広がっていた。
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