第6話 映研に手を出すな
ここは――祓川高校、旧校舎の一角。
昼下がりの光が斜めに差し込む映画研究会の部室。
もっとも「映画研究会」といっても、まともに活動しているのは三年の部長・**白雪澪**先輩と、二年の僕――**家成一人**だけ。他は入部届けを出しただけの幽霊部員ばかり。
「失礼します」
ノックをして部室に入ると、すでに澪先輩は来ていた。
窓際の席に座るその姿は、まるで絵画から抜け出したように清楚だ。
長く艶やかな青髪が肩をすべり、すっと通った鼻筋、冷ややかな黒曜石の瞳。
完璧なプロポーションを持ちながらも、立ち居振る舞いは落ち着き払っていて――近寄りがたい。
(……この人と二人きりで映画を観るのか。贅沢っていうか、心臓に悪いっていうか)
「来たのか。一人」
澪先輩は手元のDVDケースを軽く掲げる。
「今日はこれを観よう。……あんまり時間もないしな」
ケースの表紙には――あの奇妙な粘土アニメのキャラクター。
『ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!』
「こいつは三十分足らずだが、スリルの連続でな。シリーズの中でも屈指の傑作だ。他の作品も悪くはないが、私はこれが一番だと思う」
「へぇ……」
正直、もっとホラーとかアクションを選ぶのかと思っていた。
けれど澪先輩のチョイスは、いつも意外な方向へと転がる。
ときには子供向けの作品まで持ってくるくらいだ。本人いわく「血みどろは苦手」とのこと。部長権限で勝手に変えられたこともしばしば。
(まあ、先輩と観れるなら何でも楽しいんだけど……)
やがて上映が始まる。
コマ撮り特有のぎこちない動きと、けれどテンポのいい演出。謎のペンギンの不気味さに、思わず引き込まれていく。
――三十分後。
「……まじで、面白かったです」
僕は素直に感想を漏らしていた。
「だろう、そうだろう」
普段は寡黙な澪先輩が、このときばかりは饒舌だった。作品の魅力を早口で語り、手振りまで加えて説明している。
――その横顔を見ながら、ふと僕は思った。
(なんでこの人、わざわざ映画研究会なんて過疎部活にいるんだろう……? しかも幽霊部員ばかりで、実質ふたりきり。謎だよな)
「そういえば、一人……その傷」
不意に、澪先輩の声が落ちてきた。
気づけば、彼女の指先が僕の額に伸びていた。ひやりとした感触が皮膚に触れる。
「っ……」
息を呑む。
女子にこんなに近づかれるなんて、人生で初めてだ。
「うん……ちょっとよく見せて」
顔が近い。瞳が覗き込んでくる。
かすかにシャンプーの匂い。
そのまま、ほんの少しだけ胸が――当たってる。いや、正確には触れてはいない……いや、でも、当たってる。
心臓が耳の奥で鳴り響き、鼓動がうるさすぎて呼吸が乱れる。
「ふーん……大したことないけど、痛いなら病院に行ったほうがいいかもね」
柔らかい声でそう言ってから、彼女はふっと笑った。普段のクールな印象とは違う、年上の余裕みたいな微笑みだった。
けれど、その笑顔は次の瞬間にかすかに曇る。
僕のカバンにかかっている、お守りを見つけたからだ。
「……そのお守り、どうしたの?」
「え? あ、これですか? 友達にもらいました」
「へぇ……〝友達〟? 君に、そんな気の利いた男友達がいたんだ」
「いえ、クラスの女子です」
「……女子?」
先輩の声が一段階低くなった。
「最近、映画館で知り合ったんです。すごく映画に詳しくて。なんか、意気投合して」
「……ふぅん。私以外に、そんな女がいるんだ」
妙に意味深な声音に、背筋がすっと冷える。
なぜだろう。嫉妬、のようにも聞こえた。まさか……いやいや、勘違いするな僕。絶対に勘違いしてはいけない。
先輩は話題を変えるように、カバンを探りはじめた。
そして、小さなキーホルダーを取り出す。銀色のプレートに、不思議な紋章が刻まれている。
「……そうそう。昨日、誕生日だったよね」
「え、なんで知って……」
「覚えてたんだよ。これ、あげる。大事に持ってて。いいかい?」
彼女の声色は穏やかだったけど、その奥に――何か、強い決意のようなものを感じた。
「は、はい……!」
慌てて受け取った僕は、すぐにパスケースに繋げる。
「それなら安心だ」
彼女は満足げに笑った。
「じゃあ、僕はこれで……失礼します」
部室を出ていく
――けれど。
「まいったね」
部室に残った白雪澪は、誰もいない空間にぽつりと呟いた。
「出遅れた。どこの何者か知らないけど……人の〝男〟にちょっかいをかけるなんてね」
その声音は、先程見せていた優しい先輩のものではない。
冷たく、そして挑発的に笑う女の顔だった。
「……まあ、相手は人外のようだ。根付で牽制はしたけど、どう出るかしら」
口角を吊り上げると、彼女の黒い瞳に、一瞬だけ異様な光が走った。