第48話 ごめんね
「手はあるよ。イゾちゃん次第だけどさ」
淡い笑みを浮かべ、グラスを傾ける女──アグラット・バット・マハラト、こと馬原亜紀。
その声音は、夜の闇に沈むスナックの空気を震わせるほど、静かで、しかし強い響きを持っていた。
「ど、どうすればいいの……?」
涙に濡れた瞳で、イゾルデは必死に問いかける。縋るように。
亜紀は目を細め、氷の溶けかけたグラスを回しながら答えた。
「私が二人を相手する。その間に──あなたがサマエルの封印を解いて」
「えっ……でも、そんなことしたら……世界が……!」
イゾルデの声は震えていた。恐怖と罪悪感、そして希望の狭間で。
「その“世界”ってやつが、あんたに何をしてくれた?」
亜紀は視線を鋭くし、言葉を重ねる。
「何もしてくれなかったでしょ? むしろ無理やり背負わせただけじゃない。勇者の代わりに戦えなんて、笑わせるわ」
イゾルデは唇を噛む。
「でも……そんな、私にできるはず……」
「できる」
亜紀はきっぱりと言った。
その瞳は一切の迷いを許さぬ炎を宿していた。
「事前に動きがバレれば契約紋は作動する。でもね、あんたが『一人を殺害するために近づいた』と判断されれば、封印を解く余裕は残されるわ。サマエルさえ解き放たれれば──勝ちは確定よ」
「サマエル…なんて…」とイゾルデ
「イゾちゃん、賭けてもいい」
亜紀は真剣な声音で続ける。
「サマエルは、あんたの味方をする。必ず、その契約紋を断ち切ってくれる。そして、どこまでもあんたを守ってくれる」
「アイツは、あんたを見捨てた連中とは違う!」
力強い言葉が、イゾルデの胸を深く打つ。
──そして、亜紀は懐から一つの腕輪を取り出した。
「……これを」
「え?」
「昔、義妹が持ってたものよ。バフの効果があるから、魔術の威力を底上げしてくれる……それなりに使えると思う。あげるわ。」
イゾルデは呆然と、その鈍く光る腕輪を受け取った。温もりが、指先から胸へと伝わってくる。
「……亜紀ちゃん……」
亜紀はふっと笑い、リモコンを手に取った。
「ママ、1曲いい?」
「はいよ。好きにしな」
選んだ曲は──高橋真梨子の「ごめんね」。
かすかに震える歌声が、店内に切なく流れた。
歌い終え、静かにマイクを置くと、亜紀はイゾルデに向かって柔らかく微笑んだ。
「んじゃあね。イゾちゃん。……考えといて」
そう言い残し、ドアベルをチリンと鳴らして、夜の闇へ消えていった。
残されたイゾルデは、腕輪をじっと見つめる。
その鈍い輝きは、確かに彼女に語りかけていた。
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