閑話休題 日曜日のおうちデート
サタンが去った後の愛川家。
リビングには、まだしくしくと泣き声を上げるりりの姿があった。
「うぐっ……うぐっ……なんで……なんでこんなひどいことするの……」
目はうるみっぱなし、頬は涙の跡で濡れっぱなし。まるで世界の終わりを迎えた少女そのもの。
そんな彼女を見かねて、一人が口を開いた。
「……じゃあさ。今日もデートしようよ。昨日のは“練習”ってことで」
その瞬間。
りりの顔がパッと晴れ渡り、先ほどまでの涙はどこへやら。
「えっ……ほんと!? じゃあ! おうちデートがいい! 一人のお家で、まったりするの!」
「え、おうちデート? それって退屈じゃない? 一日中家の中だよ」
りりは小さく肩をすくめ、すっと目を細めて微笑んだ。
「ふふ……りりは、“性愛の悪魔”だよ?」
その笑みはほんのり妖艶で、子供っぽさと大人の色気の境界線を危うく漂う。
一人の心臓は跳ね、視線を逸らすしかなかった。
「……しょうがないわね」
レヴィは大きなため息をつきながらも、さすがに昨日の大騒ぎを思い出し、今回は黙認することにした。
母親の目を盗んで娘が恋に走る――どこにでもある微笑ましい光景。
だが、この直後に惨劇が待ち受けているとは、誰も予想していなかった。
出発前。
レヴィがふとランドセルに目をやり、つぶやいた。
「そういえば……そろそろ給食費の集金があるんじゃなかったかしら」
ガサリ。
次の瞬間、ランドセルから雪崩のように落ちるプリントの束。
床一面に散らばったそれは――未提出のプリント。数十枚。しかもほとんどが締切済み。
「……………………」
沈黙ののち、レヴィの額に青筋が浮き上がる。
そして極めつけに、明日提出の“読書感想文”が白紙のまま現れた。
「…………りりぃぃいいいっ!!」
一気に怒鳴りかけたレヴィは、ぐっと息を呑み込み、なんとか声を整えた。
「……よ、良かったわね。旦那様が進学校の高校生で。教えてもらいなさい。夫婦初めての共同作業よ」
言葉は穏やかだが、背中から噴き上がる殺気は尋常ではなかった。
しかし当のりりは、平然とした顔でこう答えた。
「りりはね、“センギョウシュフ”っていうのになるから、勉強なんてしなくていいんだもん」
「んなわけあるかーーーっ!!」
レヴィの絶叫が響いた。
(この子、世間をなめすぎてる……!)
母としての怒りを抑え、なんとか冷静を装いつつ説教を始める。
「あのね、あんた専業主婦をなめすぎよ。二十四時間労働なんだから!
それに、立派な悪魔になるためには“人間の苦悩”を理解する必要があるの。勉強もその一部。やらなきゃだめ!」
「……え〜〜」と口を尖らせるりり。
横で見ていた一人は、ただ巻き込まれる運命を悟った。
「じゃ、じゃあ……今日は僕が一日、家庭教師するよ。だからりりも頑張ろう」
それが彼にできる、精一杯の妥協案だった。
涙目でプリントの山を終わらせたりりは、すでに夜の九時を迎えていた。
「もうだめぇ……! 今から読書感想文なんて間に合わないよぉ〜! まだタイトルすら決めてないのに! 一人、助けてよ〜!」
畳に突っ伏し、スライムのように溶けて泣きじゃくるりり。その小さな手は、プリントの消しゴムカスまみれで震えていた。
「……しょうがないなあ」
観念したようにため息をついた一人は、上着を羽織り、愛川家を後にした。
そして、きっかり十分後。
再び戻ってきた彼の手には、黄ばんだノートの束が握られていた。
「これ……僕が昔書いた作文。絶対に、絶対に! 丸写ししちゃだめだからね? 参考にする程度でいいから」
念を押すように言い残し、去っていく一人。
その背中を見送りながら、りりはにんまり。
「へっへっへ〜。さっすが、りりの旦那様。頼りになるぅ〜。ふふん、まあ一人の物は、ぜ〜んぶりりの物だからね!」
彼女は机に作文を広げると、ためらうことなくシャーペンを走らせた。
もちろん――そのまま丸写し。
「あれ、そのまま写さないよね。流石に、まあ大丈夫だよね。そのまま写したら…」
と愛川家から出た後に、独り言をつぶやく一人。
その作文は、かつて一人が小学生のころ「全国作文コンクール」で大臣賞を取った物だったのだ……。
数カ月後。
祓川小学校の講堂。全校生徒が見守る中、壇上にはりりが立っていた。
膝はガクガク、顔はひきつり笑い。場違いなスポットライトが彼女を照らす。
「あなたは、以下の成績を収めました。よって、これを表彰いたします」
校長先生から賞状を受け取るりり。
冷や汗がつーっと首筋を伝った。
続いて司会の声が響く。
「栄えある全国作文コンクールで――なんと! 内閣総理大臣賞を受賞したのは……愛川りりさんです! 皆さん、盛大な拍手を!」
「えええええええええええ!?!?」
講堂に轟く拍手喝采。
生徒たちは大興奮、教師たちは誇らしげ、新聞社のカメラまでもがフラッシュを焚く。
「うそでしょ!? 総理大臣賞って!?」
「これって官邸で表彰式あるやつだよな!?」
「りりちゃんすげえええ!」
――りりは、壇上で顔面蒼白。
(どうしよどうしよどうしよ!! バレたら、りり、全国規模で死ぬ〜〜〜っ!)
だが、逃げ場はない。
彼女の頭の中では、官邸でバレる未来予想図がぐるぐると巡っていた。
そして全国放送のニュースに「小学生、全国を欺く」の文字……。
りりは壇上でニコニコ顔を必死に作りながら、内心では土下座していた。
(お願い神様、いや悪魔様!? このまま奇跡的にバレませんように〜〜〜っ!!)
しかし――その願いが叶うかどうかは、また別の話であった。
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