第39話 りりの休日(3)
その響きすらも、りりには愛の証明のように感じられた。
唇を離すと、彼女は微笑む。
「ママは、この部屋には入らないよ。女同士……そういう約束だから」
小悪魔のように挑発的に笑うりり。
ベッドサイドランプの柔らかい光が、彼女の頬をほんのり赤く染める。
外の夜は静かに更けていく。
部屋の中でだけ、鼓動の音と、抑えきれない想いが重なり合っていた――。
――深夜。
柔らかな月明かりがカーテンの隙間から差し込み、ピンク色のベッドを淡く照らしていた。
並んで横たわる二人。布団の中で向かい合えば、互いの鼓動がかすかに聞こえる距離。
もはや眠気など訪れるはずもなく、一人はぽつりと口を開いた。
「……どうして、僕なんかがいいの? 陰キャで非モテだよ。りり、こんなに可愛いのに……他に、もっといい人が現れるだろ」
本心だった。
りりの可愛さ、聡明さ、そして彼女が背負う“異界の力”――それらは自分には釣り合わない。そう思わずにいられなかった。
しかし返ってきた声は、迷いのない澄んだものだった。
「あのね、さっきも言ったけど。精神系の悪魔って、幼い頃は成長がすごく遅いの。人間の“精神エネルギー”を糧にして、やっと大人になっていくんだよ。主に“夢”からね」
りりの瞳が、夜の光を受けて星のように煌めく。
「どうして好きになったか、って? 簡単だよ。……私、いつもお兄ちゃん――一人の夢の中にいたんだ」
「……夢の中に?」
「そう。そこはすごく心地よかった。優しさに包まれてて、同時にものすごい力もあった。だから、りりはお兄ちゃんの影響をすごく受けてるの。悪魔はね、誰からエネルギーを得るかで、能力も性格も変わっていくんだよ。……そんなの、好きにならないわけないじゃない」
頬を染め、少し恥ずかしそうに笑う。
「夢の中でも、お兄ちゃんはすっごくカッコよくて、優しかったの。現実の私は……学校や人間社会に慣れなくて、苦しくて。……でも、お兄ちゃんの夢の中はいつも暖かかったんだ」
その声は震えていて、それでいて決意に満ちていた。
だから一人は、何も言えず――ただ頷くだけだった。
(……この子は、僕なんかを……本気で、愛してくれてるんだな)
少女ではなく、ひとりの“女性”として。
その告白は夜を照らす炎のように、彼の胸に深く焼きついた。
そして翌朝。
「いっぱい食べてね。今日は和食よ」
朗らかな声とともに、レヴィが並べたのは白いご飯に味噌汁、納豆、鮭、ほうれん草のおひたし。
完璧な朝食メニューがテーブルを彩る。
しかし席についた一人とりりは、互いに顔を真っ赤にして俯いていた。
昨夜の告白がまだ熱を帯びたまま、目が合うたびに火照りが蘇る。
「これで、もう一人君もうちの家族ね。婿入りも考えといてね。ママから一人君のお母さんに伝えといたから――『娘の彼氏になりました』って」
レヴィの無邪気な爆弾発言。
「は、はい……」
「ちょ、ママっ……!」
(ええ!? 親子ぐるみで外堀埋めてくるの!?)と心の中で絶叫する一人。
「りり。一人君のお義母さんのこと、もう“おばさん”じゃなくて“お義母さん”って呼びなさいね。少し早いけど、花嫁修業もしないとね。ママ厳しいわよ〜」
「うん、ママ。わかった。一人にふさわしいお嫁さんになるよ」
胸を張るりり。その姿は昨夜の涙とは別人のように、誇らしげだった。
だが――次に放った言葉は、冷たい支配の色を含んでいた。
「いい? 我が家の家訓を忘れないでね」
「うん」
「家訓だからね。はじめの躾が肝心だから、今言うよ。――我が家は女尊男卑だから。私の言いつけは絶対。私が黒って言ったら、白いものでも黒。わかった?」
「……えっ……?」
「それと、私の前で他の女を見たり、話したりするのは無し! ……まあ、あの二人はしょうがないかな。魂に刻まれてるし」
さらりと言い放ち、箸をとるりり。
完全に既成事実を積み上げていく気満々だった。
「でも安心して。外では男を立てる“いい嫁”だから。人前で一人に恥はかかせないよ。……ママもそうだし」
「その調子よ。家庭を守るのは、あなたなのよ」
満足げに微笑むレヴィ。
「わかったよ、ママ」
りりも微笑んで応じる。
(えぇぇぇ……なんでこんなことに……!?)
温かい湯気の立つ味噌汁の香りに包まれながら、一人の心は冷や汗でいっぱいだった。
――こうして、告白の夜の余韻と、支配の家訓を抱えた気まずい朝食は、淡々と終わりを迎えていくのだった。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。
今後もよろしくお願いします!